『スティーブ・ジョブズ』:2013、アメリカ&スイス
2001年、アップル社スタッフによるタウンホール・ミーティングに、スティーブ・ジョブズが登壇した。彼は少数スタッフのプロジェクトによって開発した画期的な音楽プレーヤー「iPod」を発表し、会場から万雷の拍手を受けた。1974年、リード大学。ジョブズは既に退学していたが、受講は続けていた。彼は真面目に通学する友人のダニエル・コトキに、「大学という制度に取り込まれるな」と説いた。彼は学生部長のジャック・ダドマンからデザインの授業を受けたり電子工学の技術者になったりすることを勧められるが、就職のために学位を取ることを全否定した。ジョブズはジュリーという学生と知り合い、深い仲になった。
1976年、アタリ社で働くジョブズは、プログラマーのケン・タナカたちに怒鳴り散らして扱き下ろした。技術部長のアル・アルコーンは、協調性を学ぶよう諭した。するとジョブズは「僕だけの企画をくれ。1人で最高のゲームを作ってみせる」と宣言した。そこでアルコーンはゲームの再プログラムを指示し、やってくれたら5千ドル支払うと告げた。いざ取り組んでみると、ジョブズは自分には手に負えないと感じた。そこで親友のウォズを呼び寄せ、プログラムを依頼した。
ジョブズは仕事料が700ドルだと嘘をつき、ウォズは4日でプログラムを完成させた。ジョブズはアルコーンから称賛されるが、ウォズの協力は秘密にした。彼はウォズの家へ行き、報酬として350ドルを渡した。ウォズが作業の様子をディスプレイに表示できるコンピュータを開発していることを知ったジョブズは、「革命的だ」と興奮した。彼は「売り込むぞ」と意気込み、「プレゼンなんて苦手だ」と尻込みするウォズを説得した。
ジョブズは「アップル」という社名を決め、ウォズにホームブリュー・コンピュータクラブでプレゼンさせる。しかしウォズの説明が下手だったため、会場の人々は退屈そうな様子を見せた。反応の鈍さを感じながら外へ出たジョブズは、パーツ店を営むポール・テレルから声を掛けられた。名刺を貰って「電話してくれ」と言われたジョブズは、彼の店を訪れた。ジョブズは「500ドルで50台」と条件交渉し、60日で納品することを約束した。
ジョブズは父親のポールにガレージを貸してもらい、新型コンピュータ「Apple I」の開発に取り掛かった。彼はウォズを手伝わせるため、ビル・フェルナンデス、ダニエル・コトキ、クリス・エスピノーザを連れて来た。ウォズが「給料を支払う余裕は無いぞ」と言うと、彼は「納品できなきゃ俺たちの給料も出ない。クリスは子供だから、無給でいい」と告げた。無事に納品を済ませたジョブズだが、テレルに「キーボードやモニターはどこだ?」と訊かれる。テレルが「客はエンジニアでもマニアでもない。キットじゃなく完成品を求める」と言うと、ジョブズは「周辺機器は店に置いてある。在庫が売れて大儲けできるぞ」と説明して納得させた。
テレルの言葉がきっかけで、ジョブズは一体型の後継機を開発しようと決めた。史上初の一体型家庭用コンピュータ「Apple II」を完成させるため、彼は技術者のロッド・ホルトを呼び寄せた。ジョブズはホルトに、ファン無しで発熱せず、ケースに収まる電源装置の開発を要請した。ジョブズは有力者のリストを作って出資を要請する電話を片っ端から掛けるが、全て断られた。彼は苛立ち、遊んでいるように見えたコトキに八つ当たりした。
元インテルのマイク・マークラがガレージを訪れ、「ベンチャー・キャピタルのヴァレンタインに何度も電話しただろう。彼は元同僚でね。会ってやってくれと泣き付かれたんだ」とジョブズに告げた。彼はアップル社について「大化けの予感がある。まず9万ドル出して様子を見よう」と口にした。ウォズは高額の出資に興奮するが、ジョブズは「我々は30万ドル相当の評価があると思う。他に25万ドル投資し、利息は10%。利益が出たら全額返済」と条件を提示した。
マークラはジョブズの要求を承諾し、「手始めに会社を法人化し、利益を守ろう」と告げた。ジョブズは恋人のクリス=アンから妊娠したことを告げられるが、「俺の子じゃない。俺は無関係だ。出て行け」と怒鳴り付けた。コトキは泣き出すクリス=アンを慰め、「悪いのはスティーヴだ。あいつは酷い奴だ」と告げた。1977年サンフランシスコ、第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェアにアップル社で参加したジョブズはApple IIを発表し、大喝采を浴びた。
1980年、ジョブズはクパチーノのアップル本社で10年先を見越した新型コンピュータ「Lisa」の開発に取り組んでいた。彼はチャレンジの必要性をチームに熱く訴え、「ソフトの納期は厳しい。書体を増やしても意味が無い」と意見した優秀なプログラマーを怒鳴り付けてクビを通告した。ジョブズは弁護士から、クリス=アンの娘であるリサの父親であることが親子鑑定で確定したこと、法廷で養育費を出すよう決定が出たことを聞かされる。しかしジョブズは「僕の子供じゃない。クリス=アンはイカれてる」と認めようとしなかった。
ジョブズとマークラは、発起人株の割り当てを決めることにした。ジョブズはホルトに権利を付与することを承諾したが、最初の社員であるコトキ、フェルナンデス、エスピノーザについては1株も渡さないことに決めた。それを知ったウォズが理由を尋ねると、ジョブズは「彼らは会社のお荷物だ。管理力も技術も無い」と告げた。ウォズは「俺が会社が始めたのは、作った物を褒められたからだ。好きなことをやって楽しめると思った。望んだのは、それだけだ。お前も同じだと思ってたが、変わったな」と、静かに述べた。「成長したんだ」とジョブズが言うと、ウォズは「いや、違う」と否定した。
アップル社が新規公開した460万株は、1時間で完売した。1982年、社長のマークラは取締役の1人であるアーサー・ロックの訪問を受け、「ジョブズがLisaに幻想を抱き、不可能な夢に会社の金を注ぎ込んでいる。それに彼は新聞の全面広告を出して、IBMを挑発した」と述べた。マークラはジョブズを擁護するが、ロックは「取締役会はジョブズをLisaプロジェクトから外す」と通達した。マークラから取締役会の決定について聞かされたジョブズは、彼も自分を裏切ったと感じて激怒した。
マークラはジョブズに、Macintoshプロジェクトへの参加を促した。開発室へ赴いたジョブズは、チームのビル・アトキンソンやビュレル・スミスたちと会った。プロジェクトのリーダーであるジェフ・ラスキンは、ジョブズに「開発を始めた頃、君は見向きもしなかった。予算も無かった。Macintoshを君の復讐に使わないでくれ」と告げる。ジョブズは「今のままでは使えない。改良は止めないからな。君からMacintoshを取り上げはしないが、参加しないなら出て行ってくれ」と言い放った。
ジョブズは新たにアンディー・ハーツフェルドなど数名をプロジェクトへ引き入れ、Macintoshの開発を進めた。それなりに満足できる試作品は完成したものの、ジョブズはメモリの増量など改良を続けるようチームに指示する。ジョブズはロックから、「1万ドルもするLisaを作り、今度はマイナー版に大金を注ぎ込んでいる。出荷は延期続きで、その間はIBMの天下だ」と非難される。しかしジョブズは意に介さず、「Macintoshの販売にはマーケティング知識のあるCEOが必要だ」と告げる。彼はペプシ・コーラのジョン・スカリーに目を付けていることを明かし、彼と交渉してアップル社に引き入れた…。製作&監督はジョシュア・マイケル・スターン、脚本はマット・ホワイトリー、製作はマーク・ヒューム、共同製作はギル・ケイツJr.、製作総指揮はフローリアン・ダーゲル&ジョン・ハリソン&ジェイコブ・ペチェニック&ガード・シェパーズ&ロナルド・バラード&マルコス・ロドリゲス&デヴィッド・トラウブ&ビル・ジョンソン&ジム・セイベル、、撮影はラッセル・カーペンター、編集はロバート・コマツ、美術はフレデリック・ワフ、衣装はリサ・ジェンセン、音楽はジョン・デブニー。
主演はアシュトン・カッチャー、共演はダーモット・マローニー、マシュー・モディーン、ジェームズ・ウッズ、ジョシュ・ギャッド、ルーカス・ハース、J・K・シモンズ、レスリー・アン・ウォーレン、ロン・エルダード、アナ・オライリー、ヴィクター・ラシュク、ジョン・ゲッツ、ケヴィン・ダン、アマンダ・クルー、デヴィッド・デンマン、エルデン・ヘンソン、エディー・ハッセル、ネルソン・フランクリン、レニー・ジェイコブソン、アビー・ブランメル、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ、ブレット・ゲルマン、ジム・ターナー、ウィリアム・メイポーサー、ジョエル・マーレイ他。
2011年に56歳の若さで死去したApple Inc.の創業者、スティーブ・ジョブズを主人公とする伝記映画。
脚本のマット・ホワイトリーは、これがデビュー作。
監督は『ケビン・コスナー チョイス!』のジョシュア・マイケル・スターン。
ジョブズをアシュトン・カッチャー、マークラをダーモット・マローニー、スカリーをマシュー・モディーン、ダドマンをジェームズ・ウッズ、ウォズをジョシュ・ギャッド、コトキをルーカス・ハース、ロックをJ・K・シモンズ、ホルトをロン・エルダード、クリス=アンをアナ・オライリー、フェルナンデスをヴィクター・ラシュク、ポールをジョン・ゲッツが演じている。冒頭、ジョブズが画期的な新製品としてiPodを発表すると会場の面々が立ちあがって拍手を送り、BGMも盛り上がる。
我々はiPodの存在を知っているから、いかに画期的で優れた音楽プレーヤーなのかも理解している。
だが、それが仮に良く知らない製品だったとしたら、どうだろうか。
会場が万雷の拍手に包まれ、いかにも「凄い発表ですよ」という感じでBGMが盛り上げても、ピンと来ないだろう。その盛り上がりには、まるで乗れないだろう。その冒頭シーンには、この映画の特色が顕著に示されている。
ようするに本作品は、ジョブズやアップル社について詳しい知識を持っていないと、ただ淡々と良く知らない事実が羅列されるだけのシロモノなのだ。
その新製品がいかに優れているのか、その人物との関係がいかに重要なのか、そのシーンにどのような意味があるのか、そういうことを本作品は全く教えてくれない。
「みんな良く御存じでしょ」という感じで、まるで原作ファンだけに向けた原作付き映画のような作りになっているのだ。例えば、大学でジョブズに話し掛ける男が誰なのか、アタリ社で彼を諭す男は誰なのか、そういうことは全く教えてくれない。
もちろん、相手が大学の先生であること、会社の上司であることは見ているだけで理解できる。
ただ、それが学生部長のジャック・ダドマンであること、技術部長アル・アルコーンであることは、事前に情報を仕入れていないと分からない。
登場人物が何者なのか分かりにくいってのは、序盤だけでなく最後まで続いて行く。特に重要な人物であるはずのスティーブ・ウォズニアックは、ジョブズがアタリ社の仕事でプログラムの協力を求める時に初めて登場する。
2人は高校時代にヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで知り合っており、つまりその頃からジョブズは機械に強い興味を持っていたわけだが、そんなのは映画を見ているだけだと分からない。
あと、ジョブズがアルコーンから任されるプログラムはブロック崩しの『ブレイクアウト』だが、それも教えてもらえない。
当時のウォズはヒューレット・パッカードで働いていたのだが、ジョブズの「ヒューレット・パッカードはバカだ」という台詞はあるものの、ウォズが勤務していたことの説明は足りない。彼がヒューレット・パッカードを辞める手順も無い。
ジョブズの両親や実家は、彼がガレージでApple Iの開発に入った時に初登場する。その親子関係についても、ほとんど良く分からないままだ。
実の両親ではなく養父母なのだが、そういう説明も無い。ジョブズはテレルから名刺を貰った後、ジュリーが誰かの家でパーティーに参加し、ヤクをやっているらしい様子を車から観察する。その翌朝、ジョブズはテレルの店へ行き、条件交渉を行う。
つまりジュリーの様子を見たことが、テレルに売ろうと決めたきっかけになっているってことなんだろう。
だけど、何がどうなって「テレルに売ろう」と決めたのか、それはサッパリ分からない。ジュリーを観察するシーンの意味が、ちっとも分からないのだ。
まあ厳密に言うと、「かなり深読みすれば、それなりに推理できないことはない」ってことになるんだけど、理解するための手掛かりは少ない。しかし、ではジョブズやアップル社について詳しい人なら観賞して楽しめるのかというと、これまた知らない人とは別の意味で楽しめない仕上がりになっている。
なぜならジョブズやアップル社について詳しい人にとっては、それこそ「良く御存じ」の事実が羅列されるだけになっているからだ。そこに質の高いドラマが用意されているわけではなく、ホントに事実を淡々と並べているだけなのだ。
そして、再現ドキュメンタリー作品としての掘り下げも無い。
再現ドキュメンタリーにするのか、ドラマにするのか、方向性が定まらず、どっちにしても中途半端な仕上がりになっている。伝記映画の大半が陥る失敗は、「たくさんのエピソードを盛り込み過ぎて1つ1つの掘り下げが浅くなり、表面を軽く触るだけになってしまう」というものだ。
この映画も、その失敗に陥っている。
2001年から始めるのなら、その頃のジョブズが過去を振り返るという形にして、幾つかの重要なエピソードだけを挿入しつつ、2001年と過去を交互する構成にするってのも1つの手だ。しかし、そういう方法は取らず、愚直に時系列順で追って行く形を取った結果、先人たちの失敗から何も学ばなかったような仕上がりになってしまった。
まさか、失敗した伝記映画の数々を、「それで正解」「それで成功」と思っていたわけでもあるまいに。ジョブズは大学でジュリーに声を掛け、すぐに深い関係になる。コトキを含む3人でピクニックしているシーンに切り替わると、ジョブズが草むらで天を仰ぐ。
そこから彼がカリグラフィーやコンピュータの講義を受けている様子、グルの説法を聴いている様子、サトキと共にインドを訪れている様子などがコラージュのように散りばめられる。
そしてカットが切り替わると、ジョブズはアタリ社で仕事をしている。
もう何が何やらサッパリだ。
ドラマとしての流れは無く、勢いやパワーも皆無で、ヌルッと次の時代へ移っている。ジョブズが大学で坐禅や瞑想、ヒッピー文化などに心酔していたことも、ちゃんと説明してくれない。
彼がアタリ社に入ったのは、そこで仕事をしたいと考えたからなのかと思ってしまうが、実際はインドへの旅費を工面するために直談判で半ば強引に雇ってもらっているのだ。そして、その後でアルコーンにインドまでの旅費の援助を頼み、コトキとインドへ旅行しているのだ。
しかも、そのインドで彼は失望して帰国しているのだが、そういうのは全く描いていない。
そこを描かないなら、そもそもジョブズがグルの思想に傾倒していたとか、インドに憧れていたとか、そういうのを申し訳程度に描くこと自体が邪魔でしかない。ジョブズがクリス=アンから妊娠を告げられて「僕がインドへ言っている間に君は他の男と関係を持ったんだ。僕の子じゃない」と冷たく言い放つシーンがあるが、そこまでに2人の関係は全く描写されていない。
そもそもクリス=アンは、そのシーンが初登場なのだ。
だからジョブズが彼女と同棲していたことも、そこで初めて明らかになる。
そんな状態だから、急に「妊娠を明かされたジョブズが冷たい態度で追い払う」ってのを描かれても、ただ「ジョブズはクズ」ってことしか伝わらない。1977年のシーンは、ジョブズがコンピュータ・フェアでApple IIを発表し、喝采を浴びるだけで終わってしまう。
シーンが切り替わると、もう1982年になっている。
Apple IIが完成品になるまでの経緯、フェアに参加するまでの経緯、発表後の評判や売れ行き、それによる人々の生活やコンピュータとの関わり方の変化、ジョブズやアップル社を取り巻く環境の変化や成長の経緯などは、全く描かれない。
もちろん、全てを事細かく描く時間など無いだろうけど、それにしても淡白だ。ジョブズが妻の寝ている隣で、リサから届いた「今度いつ会える?」という手紙を読むシーンがある。
だが、まず「いつの間に結婚したのか」というのが引っ掛かる。
そして手紙についても、たぶんジョブズの娘に対する思いをアピールしておきたかったんだろうが、そこまでにリサとの関係が全く描かれていないから、取って付けたようにしか感じない。
「今度いつ会える?」と書いてあるが、ジョブズがリサと会うシーンなんて一度も無いんだから。ジョブズがペプシ・コーラのジョン・スカリーを引き抜く展開は、アーサー・ロックが「説得して来ると思うのか?」と不可能であることを匂わせているぐらいだし、かなり大きな出来事のはずだ。
しかしジョブズがスカリーと会っている短いカットがBGMに乗せて幾つか並べられ、「君を信頼している」という台詞があった後、もうスカリーはアップル社に移っている。アップル会社にとっても、ジョブズのカリスマ性や才能を示す意味でも、かなり重要なシーンのはずなのに、すんげえ淡白に片付けてしまう。
一事が万事、そんな調子になっている。そこに至る経緯、その出来事による影響、そこに関わる人々の心情、人間ドラマ、そういったモノは、ほとんど描かれない。基本的には、台詞によって事象が端的に説明されるだけだ。
しかも、その説明も充分ではなく、あらかじめアップル社やジョブズについて知識のある人間が脳内補完しないと、全てをキッチリと把握することは難しい形になっている。「ただ事実を羅列しているだけ」というだけでも「退屈に仕上がる」という意味で大きな問題があるんだが、おまけに「事実ですらない」という問題もある。
例えばジョブズが技術者やプログラマーだったことは一度も無いし、Apple IIはウォズが開発した物だし、Macintoshプロジェクトのメンバーはジョブズの参加を快く思っていなかったらしい。
映画を見たウォズも、事実と異なる点が多いことを指摘している。
つまり本作品は、「全て事実に見せ掛けて、事実じゃないことも含めて羅列しているだけ」なんだよな。
そうなると再現ドラマですらないわけで、もう救いようが無い。ジョブズは独善的で身勝手で、自分に非があろうとも決して認めず、相手を徹底的に非難する。
自分の失態でも他人に責任を全て押し付け、傲慢な態度を取り続ける。
少なくとも映画を見ている限りは、バカ高い開発費と長すぎる開発期間を費やしておいて、全く利益が出ないような値段設定をするようなジョブズより、ちゃんと会社のことを考えているロックやマークラ、スカリーといった経営陣の主張の方が圧倒的に正しいと感じる。
それでもジョブズをウォズのように「好きなことをやっていられたら幸せというオタクな男で、経営のことは任せっ放し」というタイプならともかく、そうじゃないんだよな。で、そんな奴なので、ジョブズがアップルを追い出されても、まるで同情心は沸かない。そりゃ自業自得だろ、と感じる。
アップルが衰退の一歩を辿ったことを、まるで経営陣の責任であるかのように描いているが、ジョブズにも問題はあったと感じる。
この映画だと、まるでジョブズを追い出した取締役会の判断は愚かであり、スタッフはジョブズを信頼して待ち続けていたかのように描かれているが、それは違うんじゃないかと。
実際、ジョブズってiPodが発売されるまでは、そんなに高い評価を受けていなかった印象があるんだよな。そんで最終的にはアップルに復帰したジョブズがマークラを追放するところで終わっているので、「会社を奪われたジョブズが、奪った連中に報復しました、めでたし、めでたし」みたいな形になってるんだよな。
つまり、なぜか本作品は、ジョブズの復讐劇のような結末を用意しているのだ。
そんな復讐劇にカタルシスなど無いし、むしろ不快感が湧いてしまう。
そもそも、なんで復讐劇のような終わり方にしてあるのか、その狙いがサッパリ分からんよ。ジョブズは開発者としては偉大な功績を残した人だが、人間的には問題の多い男だった。
伝記映画は基本的に主役を悪く描けないから、ある程度は抑えることも必要だろう。ただ、ジョブズの欠陥を示すエピソードは広く知られているため、全て隠してしまうと嘘だってことがバレバレになってしまう。
だからってことなのか、映画ではジョブズの問題行動を幾つも盛り込んでいる。
まあ潔いとか誠実という見方も出来るけど、結果的に「ジョブズはクズ」という印象を与えることになっているわけで、果たして良かったのかどうか。「酷いことを繰り返しても天才だか許される」とか、「酷い行動の数々も、全ては画期的な製品を作る目的のためだった」とか、「酷い行動の裏には確固たる信念が隠されていた」とか、何かしらの説明を用意してジョブズを擁護することも、やろうと思えば出来たはずだ。
っていうか、そういうことをやらないと、ジョブズを魅力的な人物として表現することは難しいだろう。
しかし、そういう細かい配慮が何も無い。
だから映画で描かれるジョブズは、一言で言えば「サイテー男」である。たまにジョブズが悩んだり苛立ったりする様子を申し訳程度に描くこともあるんだけど、何に対するどういった類の悩みや苛立ちなのかがサッパリ分からない。
ただポーズとして「ジョブズも悩んだりするんだよ」ってことを見せているだけに過ぎないので、彼の心情が微塵も伝わって来ない。
だから共感は誘わないし、好感度をアップさせることにも繋がっていない。
ジョブズのクズっぷりの前では、そんな形ばかりの擁護など焼け石に水だ。っていうか、これを言ったら身も蓋も無いんだけど、少なくとも日本人からすると、ジョブズよりウォズの方が伝記映画の主人公としては向いているんじゃないかと思ってしまうんだよな。
日本人の感性には、
「金儲けには興味を示さず、好きな機械に携わっていられたら幸せを感じる」とか、
「ジョブズに裏切られても、彼に協力を求めれたら盟友として支える」とか、
「上の立場にいる一部の人間だけが持っていた会社の株を自分の所有分から従業員にも買えるようにする」とか、
「フェスを主催して大赤字になったけど大勢が楽しんでくれたから満足している」とか、
そういうウォズに関する様々なエピソードが響くと思うんだよね。(観賞日:2015年6月22日)
第34回ゴールデン・ラズベリー賞(2013年)
ノミネート:最低主演男優賞[アシュトン・カッチャー]