『世界で一番パパが好き!』:2004、アメリカ

1994年12月、オリー・トリンキはマンハッタンで音楽宣伝マンとして働いていた。大勢の有名ミュージシャンをクライアントに抱え、彼は多忙だが充実した日々を過ごしていた。彼は本の編集をしている恋人ガートルードを、ニュージャージーで道路清掃員をしている父バートに会わせた。ガートルードはバートに気に入られ、その仕事仲間グルーニーとブロックにも会った。
オリーはガートルードと結婚し、やがて彼女は妊娠した。妊娠をきっかけに言い争いが生じるようになり、ガートルードは仕事で多忙なオリーに家庭を大切にするよう頼んだ。やがてガートルードが破水し、オリーが病院に運び込んだ。ガートルードは女児を出産するが、直後に意識を失い、医師の処置も虚しく息を引き取った。オリーは医師から、ガートルードには動脈瘤があり、それが破裂して死亡したことを聞かされた。
オリーは赤ん坊の世話をバートに任せ、自分は悲しみを忘れるため仕事に没頭した。バートから娘の面倒を見るよう言われても、まるで耳を貸さなかった。オリーは部下のアーサーから、フレッシュ・プリンスことウィル・スミスの仕事について聞かされる。彼が8年前に出したアルバムのジャケットに使用した模型をハードロック・カフェに寄贈すると公表したところ、全米マスコミから取材が殺到したという。オリーはアーサーに指示し、記者会見を開く手はずを整えさせた。
だが、記者会見の当日、バートは「もう仕事は休めない」と道路清掃に出掛け、オリーに赤ん坊の世話を要求した。オリーは赤ん坊を抱え、オフィスへ急いだ。会見の時間になってもウィル・スミスが現われず、集まった記者達が騒ぎ始めた。排便した赤ん坊のこともあって苛立ったオリーは、記者達に向かって暴言を浴びせた。その発言がきっかけで業界にいられなくなったオリーは、バートの家に引っ越した。
オリーは赤ん坊に今までの態度を詫び、「お前はママの形見だ。これからはいい父親になる」と約束した。7年後の現在、母親の名前を貰ったオリーの娘ガーティーは、小学生になった。オリーは父と同じ区の道路清掃員として働き、清掃用のトラックでガーティーの送り迎えをしている。だが、彼は以前の仕事を諦めきれず、ニューヨークへ赴いては面接を受けている。だが、7年前の事件は音楽業界で伝説となっており、オリーを雇おうとする会社は見つからない。
ある日、オリーはガーティーを連れてレンタルビデオ店へ行き、こっそりアダルトビデオを借りようとする。すると、バイトの大学院生マヤが質問を投げ掛けてきた。彼女はセックスとビデオに関する論文を執筆中で、オリーは絶好の研究材料だったのだ。だが、オリーが妻を亡くしていることを知り、からかうような質問をしたマヤは詫びた。彼女は家まで来て自分の無礼を謝り、デートに誘ってきた。ビデオのことをガーティーにバラそうとするので、オリーは承諾した。
後日、オリーはダイナーでマヤと会い、質問を受けた。オリーはためらいながらも、妻を亡くしてからセックスをしていないと打ち明けた。するとマヤは、これからセックスしようと誘ってきた。当惑するオリーだが、彼女を自宅に招き入れた。だが、抱き合っているところにガーティーが帰宅したため、未遂に終わった。
道路工事に関して問題が発生し、市民集会が開かれた。市民が騒ぐ中、オリーはガーティーに背中を押されて壇上に立った。彼は経験を生かし、嘘を並べ立てた演説で市民の心を掴んだ。これで自信を得たオリーはニューヨークへ赴き、別の会社で働いているアーサーと面会した。オリーはアーサーに、彼の会社で面接を受けたいと申し出た。アーサーは、喜んで社長に話を付けると約束した。
ニュージャージーへ戻ったオリーの元に、アーサーから電話が掛かってきた。オリーのことを社長に売り込み、ほぼ内定に近い形で面接が決まったという。喜ぶオリーだが、ガーティーはニュージャージーで暮らしたいという。しかも、面接の日程は学芸会と重なっていた。しかしオリーは音楽業界への復帰に意欲を燃やし、面接のためニューヨークへ向かった…。

監督&脚本はケヴィン・スミス、製作はスコット・モシャー、共同製作はローラ・グリーンリー、製作協力はフィル・ベンソン、製作総指揮はハーヴェイ・ワインスタイン&ボブ・ワインスタイン&ジョナサン・ゴードン、撮影はヴィルモス・ジグモンド、編集はケヴィン・スミス&スコット・モシャー、美術はロバート・ホルツマン、衣装はジュリエット・ポルシャ、音楽はジェームズ・L・ヴェナブル。
主演はベン・アフレック、共演はリヴ・タイラー、ジェニファー・ロペス、ジェイソン・ビッグス、ラクエル・カストロ、ジョージ・カーリン、スティーヴン・ルート、マイク・スター、マット・デイモン、ジェイソン・リー、マット・メイハー、ベティー・エイバーリン、ジェニファー・シュウォールバック、キャロル・フローレンス、ジェイダ・コープランド・グッドマン、ポーリー・リトウスキー、トム・クリアリー、チャールズ・ギルバート、チャールズ・マックロスキー、S・イパサ・マーカーソン、マシュー・クローラン他。


ケヴィン・スミスが自身の妻と娘を見て着想した作品。
彼のマブダチであるベン・アフレックがオリー役を担当し、オーディションで選ばれたラクエル・カストロがガーティーを演じている。マヤをリヴ・タイラー、アーサーをジェイソン・ビッグス、バートをジョージ・カーリン、グリーニーをスティーヴン・ルート、ブロックをマイク・スターが演じている。
撮影当時はベン・アフレックと交際していたジェニファー・ロペスが、ガートルード役で出演。ベンアフと同じくケヴィン・スミスのマブダチであるマット・デイモンと、スミス一家とも言えるジェイソン・リーが、オリーを落とす面接官役で登場。また、ウィル・スミスが本人役で終盤に登場し、ストーリー展開において大きな役割を果たしている。

冒頭、小学校で子供達が父に関する作文を読み上げ、ガーティーの番になる。ここで彼女が話し始めると、オリーとガートルードの関係が描かれる7年前の回想シーンに入る。
この回想部分が、やたらと長い。回想に入ってから妻が亡くなるまでに限定しても、12分ぐらい使っている。一応はナレーション進行によるダイジェストだが、それでもダラダラと長すぎる。
大体さ、作文発表から回想に入ったのに、その場面に戻らないまま話を進めるってのも、どうなのよ。

公開前、この映画はベニファー(ベンアフ&J.Lo)の共演を売りにしていた。ところが2人の共演した『ジーリ』がボロコケしたので、方針転換せざるを得なくなっている。
で、そうなった時点で、編集をやり直すべきだった。もはや2人の共演が何のセールスポイントにも繋がらないのであれば、ガートルードの出番なんて申し訳程度でも構わない。アヴァンだけで終わらせてもいい。
ベニファー共演が売りになるか否かを別にしても、ガートルードの存在って、どうでもいいのよ。オリーが彼女をバートに会わせて結婚の許しを得るとか、妊娠して喜ぶとか、そんな部分はもっと短くしちゃっていいのよ。もう結婚しているところから始めればいいのよ。それまで幸せだったのに、妊娠して言い争いになるとか、そんな展開も要らない。
あと、それまで元気だったガートルードが、「実は動脈瘤がありまして」ということで急に死ぬのは、アホらしさを感じるぞ。

回想シーンで描くべきは、主人公が家庭を大事にしないビジネス第一主義だったことのはずだが、そこのアピールは弱いんだよな。あとガートルードの死後、オリーが「娘なんてどうでいい」と言い放って仕事に没頭し、ヘマをやらかしてクビになるという部分が冗長に感じられる。ここは、「それまでは仕事第一主義だったが、妻が死んだ後、赤ん坊を見て考えを改める」という形でスッキリと短く処理した方がいい。
「暴言でクビ」という設定が無いと後半の展開が変わってくるが、そんなのはどうにでもなる。例えば「仕事は優秀だが態度が横柄なので嫌われていた。だから再就職の道は険しい」という形でも構わない。
っていうか、そもそも本人が再就職を目指すが難しいということではなく、アーサーから再就職を持ち掛けられて悩むという形にした方がいいんじゃないのか。
とにかく過去のシーンを引っ張りすぎ。大切なのは過去や妻への思いじゃなくて、現在のオリーと娘との関係、娘に対する思いのはずなんだからさ。

ガートルードの死後、オリーが仕事に没頭するビジネスマンぶりがアピールされる。だけど、「妻を亡くしてショックが大きい」という言い訳があろうとも、泣き喚く自分の娘を無視する態度には全く同情できない。単純にヒドい男だとしか受け止められない。初めて赤ん坊を見たり抱いたりした時点で、その考え方が改まるべきだ。
この映画だと、仕事をクビになって他に選択肢が無い状態で、父親としての暮らしを選ぶのよね。そうじゃなくて、他の選択肢が残されている状態で「娘との生活」を選ぶべきだよ。

回想シーンを長く引っ張ることには、別の弊害もある。そこでオリーのガートルードに対する愛の強さをアピールし、それを引きずるので、後半に待っているマヤとのロマンスを考えてもマイナスだろう。
引っ掛かるのは、オリーがガーティーを大切にしようと考えるのは、「ママの形見だから」なのよね。つまり、失った妻の代償として見ているわけだ。そりゃ違うでしょ。
しかも「いいパパになる」と宣言して現在のシーンに移った直後、ニューヨークでの仕事復帰に向けて何度も面接を受けていることが明らかにされる。結局、何も変わってないじゃん。そこはもう、都会での多忙な仕事を捨てて、娘との生活のために田舎暮らしを選んだことにしておけよ。ニューヨークで仕事復帰したら、どうせ娘は二の次になるのは明らかなんだから。

あと、道路清掃の仕事にやり甲斐を感じられず、鬱屈したモノを抱いているということを示しておいた方がいい。そうすることで、強引にデートに連れ出したりセックスに誘ったりする異常に積極的なマヤとの関係も活きてくるはずだ。平凡で変わり映えのしない生活の中で、マヤとの存在が刺激を与えてくれるという形になるわけだから。
で、その話の中では、音楽業界に復帰する意欲は無い方がいい。そしてマヤとの関係が親密になる中で、復帰の話が持ち上がる、もしくは市民への演説をきっかけに復帰の意欲が頭をもたげるという形にすればいい。
あと、その市民への演説にオリーが達成感を感じたことになっているが、そこをBGMだけで処理して演説内容は全く描かないってのは、正気の沙汰とは思えない。

結局、「いいパパになる」と言った後も、オリーの中ではガーティーとの生活、ガーティーの幸せよりも、自分がニューヨークに戻って音楽業界に復帰する意識の方が圧倒的に上なのよね。
その筋書きに賛同できない。自分の行動が正しいと信じており、何の迷いも葛藤も無いのも賛同できない。
そこは悩ませるべきじゃないのかと。
そうじゃないと、回想シーンにおける「いいパパになる」という宣言が、まるで無価値なものになってしまう。

終盤になって初めて、本当の意味で「いいパパ」になるのであれば、そこまでは「仕事優先で家庭は二の次」のままでいいのだ。この構成だと、オリーがずっと「全面的に好感を抱くことが難しい」というキャラクターになってしまう。
回想シーンでの「いいパパ宣言」の後も自分本位だったことを考えると、終盤に「仕事より娘の幸せを選ぶ」という選択をしたところで、「どうせ時が経てば、またNYで仕事に復帰したいと思うんじゃないの。同じことを繰り返すんじゃないの」と疑いの目を持ってしまう。

たぶんキャラクターとしては、オリーを「パパに成り切れていないのに本人は自覚が無い、いいパパになったと思い込んでいる」という形を狙ったんじゃないかと思われる。ただ、見せ方が悪くて、そこが上手く表現されていないんだな。
あと監督の照れなのか、単純に普段のノリが出ているだけなのか、感動させるべき箇所で変な毒を持ち込んだりする。オリーが面接をキャンセルして学芸会に間に合う場面なんて、『スウィーニー・トッド』だぜ。オリーがバートの首を切るんだぜ。
そこは素直に感動させりゃ良かったんじゃないの。


第25回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[ベン・アフレック]
<*『世界で一番パパが好き!』『恋のクリスマス大作戦』の2作でのノミネート>
ノミネート:最低助演女優賞[ジェニファー・ロペス]
ノミネート:最低スクリーンカップル賞[ベン・アフレック&ジェニファー・ロペスかリヴ・タイラー]


第27回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演男優】部門ベン・アフレック]
<*『世界で一番パパが好き!』『恋のクリスマス大作戦』の2作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会