『ジキル博士はミス・ハイド』:1995、アメリカ

リチャード・ジャックスは、香水会社に勤務する科学者。ある時、大金持ちの大叔父が死去するが、リチャードは親族で1人だけ遺産を受け取れず、貰ったのは曾祖父が残した古い研究ノートだけだった。だが、そのノートは、『ジキル博士とハイド氏』のジキル博士の物だった。つまり、リチャードの曾祖父はジキル博士だったのだ。
ノートには、ジキル博士の研究の成果が綴られていた。リチャードはノートを基に薬を作り、自らが実験台となって飲んでみた。すると、彼の体は美しい女性へと変身した。彼女は同僚のピートに、リチャードの助手ヘレン・ハイドだと名乗った。
ヘレンは美貌を武器に、ゲイの部長デュボワや社長のミンツを誘惑した。会社の乗っ取りを企むヘレンは女好きのピートに大怪我を負わせ、リチャードの上司に昇進する。ヘレンはずっとヘレンのままでいられるわけではなく、周期的にリチャードの体に戻る。リチャードの体に戻った時、彼にはヘレンだった時間の記憶が無い。
ヘレンはリチャードの試作品を自分が作った香水だと称し、デュボワとミンツに売り込んだ。ウンターヴェルト会長も、その香水を絶賛する。自分の人格を乗っ取られそうになったリチャードは、婚約者セーラの協力を得て、ヘレンの人格を消そうとする…。

監督&原案はデヴィッド・プライス、脚本はティム・ジョン&オリヴァー・ブッチャー&ウィリアム・デイヴィース&ウィリアム・オズボーン、製作はロバート・シャピロ&ジェリー・レイダー、共同製作はフランク・K・アイザック、製作総指揮はジョン・モリッシー、撮影はトム・プリーストリー、編集はトニー・ロンバルド、美術はグレゴリー・メルトン、衣装はモリー・マギニス、メイクアップ効果はケヴィン・イェーガー、音楽はマーク・マッケンジー。
出演はショーン・ヤング、ティム・デイリー、リセット・アンソニー、スティーヴン・トボロウスキー、ハーヴェイ・ファイアスタイン、テア・ヴィダル、ジェレミー・ピヴェン、ポリー・バージェン、ステーィヴン・シェレン、シーナ・ラーキン、ジョン・フランクリン=ロビンス、アーロン・テイガー、ジェーン・コンネル、ジュリー・コッブ、キム・モーガン・グリーン、ヴィクター・ナイト、マーク・カマチョ他。


スティーヴンソンの古典『ジキル博士とハイド氏』をモチーフにしたコメディー映画。
ヘレンをショーン・ヤング、リチャードをティム・デイリー、セーラをリセット・アンソニー、ミンツをスティーヴン・トボロウスキー、デュボワをハーヴェイ・ファイアスタインが演じている。

この映画、滑り出しからモタついてしまう。リチャードが遺言の内容を知ってからジキル博士のノートを受け取るまでに、時間を置いてしまうのだ。ここは、遺言が読まれた次のシーンではノートを読むという風に、もっとテンポ良く進めるべきだろう。
さらに、ノートを読んでから薬を作るまでに、また思考錯誤する時間を作ってしまう。ここも、ノートを読んだらすぐに薬を作るという風に、サクッと進めるべき。ハッキリ言って、ヘレンが登場するまでは、この話は本当の意味で転がり始めないんだから。
極端に言えば、薬を作るまでの場面をアヴァン・タイトルて処理してもいいぐらいだ。

リチャードがヘレンとの入れ替わりを誤魔化す部分をもっと膨らませたり、ヘレンがリチャードと浮気しているとウソをついてセーラを嫉妬させたり、入れ替わりを頻繁にしてみたり、「2つの人格が1つの肉体の中で入れ替わる」という設定は、もっと生かせるはず。中心となる設定でさえも、充分に生かし切っているとは言い難い。
この映画、「リチャードがヘレンをヘコませようとして失敗し、恥をかく」という部分で笑いを作ろうとしているが、それだけでは厳しい。入れ替わりの設定を最大限に生かすには、入れ替わりを誤魔化す部分で、もっと笑いを取りに行った方がいいと思うなあ。

リチャードがヘレンになっている時間の出来事を覚えていないという設定は、ほとんど生かされていない。それならば、むしろ記憶しているという設定にした方が、何かと都合がいい。ティム・デイリーのリアクションにしても、後者でも笑いは取りに行ける。

この作品の、最大にして、結果的には唯一となってしまったセールスポイントは、アメリカの藤谷美和子こと(勝手に私が言ってるだけだが)、プッツン女優のショーン・ヤングが、スキャンダラスな私生活をイメージさせるようなキャラクターを演じていることだ。
ならば、もっと見世物映画として、徹底して下世話にやらかすべきだろう。
しかし、ヘレンを知的な戦略家にしてしまい、エロを武器に男を虜にする様子を普通に見せるだけだ。性格が悪いという設定は正解だが、もっとエキセントリックにした方が良かったと思う。
彼女が会社での出世とリチャードの乗っ取りを企むという流れは、普通にサスペンスになっている。それは、ヘレンのキャラクターが普通すぎるということに大きく起因している。周囲のリアクションだけでコメディーらしさを出そうとしても、限界がある。


第16回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低リメイク・続編賞
ノミネート:最低主演女優賞[ショーン・ヤング]


第18回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最も痛々しくて笑えないコメディー】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会