『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』:1999、フランス&アメリカ&ハンガリー

1944年、ナチス占領下のポーランド。ユダヤ人のパンケーキ屋ジェイコブ・ハイエムは、風に舞う新聞紙を追い掛けて衛兵に止められた。ジェイコブは外出禁止令に反したとして、司令部に出頭するよう命じられた。誰もいない事務所に入ったジェイコブは、400キロ先の町ベザニカにソ連軍が進攻し、ドイツ軍と交戦になったというラジオ放送を聞いた。
将校に解放されたジェイコブは、収容所行きの列車から逃げ出した少女リーナと出会った。ジェイコブはゲットーの部屋に戻り、リーナを屋根裏に匿うことにした。ゲットーでは大勢の仲間達が収容所に送られ、ジェイコブの妻ハンナも殺されていた。残された人々は、外界の情報を得るためにラジオを聞くことさえ許されていなかった。
翌朝、ジェイコブはソ連軍が進攻したというニュースを床屋の友人コワルスキーやボクサーのミーシャに伝えた。やがてゲットーの人々には、「ジェイコブがラジオを持っている」という噂が広まった。ミーシャの恋人ローザの父マックス・フランクフルターは、それを聞いて自分のラジオを破壊した。ラジオの所持をナチスに知られたら、殺されてしまうのだ。
ジェイコブはミーシャからニュースの続報を尋ねられ、自分で作った嘘の情報を伝えた。ハーシェルはジェイコブの言葉で解放の日が近いと信じ込み、それを伝えるためユダヤ人を乗せた貨車へ近付こうとする。だが、ハーシェルはナチスの兵士に見つかり、射殺される。ジェイコブは罪悪感に苦しむが、人々は新たなニュースを聞かせるよう求めた。
ジェイコブは医師キルシュバウムから、ニュースのおかげで自殺者が減ったと聞かされる。ジェイコブは嘘のニュースを続け、その内容はエスカレートしていく一方だった。やがてゲットーの人々は抵抗組織を作ることを決め、ジェイコブはリーダーに選ばれた。だが、ナチスがラジオの持ち主の捜索を開始し、本人が出頭しなければ人質10人を殺すと告げる…。

監督はピーター・カソヴィッツ、原作はユーレク・ベッカー、脚本はピーター・カソヴィッツ&ディディエ・ディコイン、製作はマーシャ・ガーセス・ウィリアムズ&スティーヴン・ハフト、共同製作はニック・ギロット、製作総指揮はロビン・ウィリアムズ、撮影はエレメール・ラガリイ、編集はクレア・シンプソン、美術はルチアーナ・アリーギ、衣装はウィエスラワ・スタースカ、音楽はエドワード・シェアマー。
主演はロビン・ウィリアムズ、共演はアラン・アーキン、ボブ・バラバン、ハナ・テイラー・ゴードン、マイケル・ジェッター、アーミン・ミューラー=スタール、リーヴ・シュレイバー、ニーナ・シーマズコ、マチュー・カソヴィッツ、ユスタス・フォン・ドホナーニ、マーク・マーゴリス、グレッグ・ベロ他。


ユーレク・ベッカーの小説『ほらふきヤーコブ』を基にした作品。ベルリン映画祭の銀熊賞と主演男優賞を受賞した1975年の東ドイツ映画『嘘つきヤコブ』のリメイク。
ジェイコブをロビン・ウィリアムズ、マックスをアラン・アーキン、コワルスキーをボブ・バラバン、リーナをハナ・テイラー・ゴードン、キルシュバウムをアーミン・ミューラー=スタール、ミーシャをリーヴ・シュレイバー、ローザをニーナ・シーマズコ、ハーシェルをマチュー・カソヴィッツが演じている。

ジェイコブがBBC放送を真似するシーンがあるが、そこにいるのは明らかにジェイコブではなくロビン・ウィリアムズだ。
たぶん、彼の得意芸を披露するために盛り込まれたシーンだろう。
しかし自ら製作総指揮まで担当して意欲満々だったらしいロビン・ウィリアムズには申し訳ないが、この映画に『ロビン・ウィリアムズ・ショー』の時間は必要なかったはずだ。

ハンガリー生まれでフランスで活動するピーター・カソヴィッツが監督を務め、脚本は彼とフランス人のディディエ・ディコインが書いている。映画の舞台はポーランドで、ロケ地はポーランドとハンガリー。
しかし、使われるセリフは全て英語だ。
だから主人公の名前はヤコブではなく、ジェイコブなのだ。
私は言語に詳しいわけではないが、どうやら劇中では、ポーランド人役の俳優はポーランド訛りの英語を喋り、ドイツ人役の俳優はドイツ訛りの英語を喋っているようだ。
ポーランド人やドイツ人が英語を喋る時点で奇妙と言えば奇妙なのだが、そこを隠すために訛りのある英語を喋らせることは、さらに奇妙である。それならば、むしろ全ての役者に訛りの無い英語を喋らせた方が、まだマシではないのだろうか。

序盤、ジェイコブはリーナと出会い、彼女を匿ってやる。
そういう滑り出しにするならば、ジェイコブとリーナの擬似親子関係が軸になるのだろうと考える。
ところが、リーナは脇役の1人という扱いに過ぎない。たまに出てくるが、それほどジェイコブとの絆をメインとして描こうとするわけではない。メインとなるのはジェイコブの嘘を巡る話であり、そこへのリーナの関与は大して強くない。

ジェイコブが陽気でお調子者であったなら、彼が嘘八百を並べ立てる様子も笑えたかもしれない(ゲットーの人々に夢を与えるという効果を強調するなら、その嘘を表現する映像もあった方がいいとは思うが)。
しかし、ジェイコブは真面目で臆病で小心者の男であり、常にビクビクしながら嘘をつく。だから、彼が嘘をつく様子が全く笑えないものになっている。

いや、彼がビクビクしながら嘘を繰り返したとしても、それに対する周囲の反応、ジェイコブを取り巻く空気を上手く演出すれば、それなりに可笑しさは生まれただろう。
しかし、どうにも可笑しさは薄い。
これがシリアスな反戦映画なら、そこを気にすることも無いだろう。しかし監督もロビン・ウィリアムズも、これをコメディーとして作っていることを断言しているのだ。

しかしユーモラスな映画にしようとしているはずなのに、ユーモラスを感じない。
なぜだか、妙に生真面目なのである。
もっと笑いを強めた方がいいはずなのに、やたらペーソスに傾こうとする。
全体的に笑いに包んでおいた方が、終盤に待ち受けている展開との落差が生じ、その悲劇性が一層際立ってくるはずだと思うのだが。


第20回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[ロビン・ウィリアムズ]
<*『アンドリューNDR114』『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』の2作での受賞>


第22回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演男優】部門[ロビン・ウィリアムズ]
<*『アンドリューNDR114』『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』の2作での受賞>
ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい】部門[『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』の全キャスト]

 

*ポンコツ映画愛護協会