『ダーティ・グランパ』:2016、アメリカ

弁護士のジェイソン・ケリーは祖母を癌で亡くし、葬儀に参列した。従兄のニックは「あんな殺され方するなんて」と言い、ジェイソンが「癌だ」と否定しても「それだけで死ぬかな」と大きな声で口にする。彼が棺桶にビールを浴びせるので、ジェイソンは「やめろ」と注意する。しかしニックは全く言うことを聞かず、ジェイソンを批判した。教会へ移動したジェイソンは神妙な面持ちで神父の話に耳を傾けるが、婚約者のメレディスは「親族との会食用のネクタイを選んだの」とスマホで見せてくる。
葬儀が終わった直後、祖父のディックがフロリダへ行くと言い出したので、父のデヴィッドは困惑する。ディックは「毎年、婆さんと行くことにしていた。行きたかったはずだ。自分で運転したいが、もう免許が無い」と語り、ジェイソンに運転を依頼する。デヴィッドは「こいつは仕事が忙しいし、来週には結婚式がある」と言い、ニックを使うよう提案した。ディックは「ニックは法的にジョージア州から出られない」と告げ、2日間だけ付き合うよう求めた。
メレディスはジェイソンの車でワインを運びたいと言い、自分の車を使うよう求めたジェイソンはピンク色の小型車を運転し、ディックを迎えに行く。するとディックは自宅でポルノビデオを観賞し、オナニーに励んでいた。ジェイソンは狼狽するがディックは全く動じず、酒を注いで「まあ飲め」と勧める。彼はトレーニングを開始し、16号線を使うよう指示する。ジェイソンは「父さんが75号線を使った方が早いって」と言うと、彼は「そんなの知るか」と告げた。
ディックはゴルフバッグを担いでサングラスを掛け、車に乗り込んだ。車で出発した後も彼は酒を飲み、運転するジェイソンにも勧めた。ダイナーに立ち寄ったジェイソンは、スマホで仕事を片付けようとする。ディックの質問を受けた彼は、父の弁護士事務所で勤務していること、メレディスも同僚であることを語る。「これ以上は無い幸せだよ」とジェイソンが言うと、ディックは「高校の頃は世界中を駆け巡るカメラマンになりたいと言ってたじゃないか」と指摘した。
ジェイソンは「確かに写真に夢中だったけど、父さんの事務所に入って気が変わった。企業弁護士は気に入ってる」と語るが、ディックは「弁護士になるぐらいならクイーン・ラティファのクソを食った方がマシだ」と馬鹿にする。彼はダイナーの支払いをジェイソンに任せ、酒を買い足しに出掛けた。ダイナーで友人のスティンキー&ブラッドリーと食事をしていたシャディアは、ジェイソンを見て大学の同級生だと気付いた。彼女はジェイソンの写真を評価しており、その素晴らしさについてレノーア&ブラッドリーに語った。
シャディアはジェイソンに声を掛けようとするが、パソコンに向かって仕事中の彼はウェイトレスだと誤解し、顔も見ずに金を差し出した。ジェイソンは真実を付けずに紙幣を受け取り、すぐにレノーア&ブラッドリーを連れて店から逃亡する。しかし本物のウェイトレスに声を掛けられたジェイソンは、車に乗り込むシャディアたちに気付いた。慌てて外へ出たジェイソンはシャディアに気付き、そこへディックが戻って来た。彼はジョージア大学の教授だとシャディアたちに嘘をつき、ジェイソンはタイム誌のカメラマンだと紹介した。レノーアはディックに興味を抱き、誘惑する素振りを見せた。シャディアたちは「これからビーチに行く」と言い、車で去った。
ディックはジェイソンを伴ってゴルフへ行き、マナー違反を繰り返した。彼は若い女性たちに目を付け、レッスンプロだと詐称して体にベタベタと触れる。ジェイソンが事実を説明して女性たちをその場から去らせると、ディックは「勿体無いことをするな。乱交パーティーが出来たのに」と怒る。ジェイソンが注意すると、彼は悪びれずに「40年ぶりに独身になったから、とにかくセックスしたいんだ」と話す。呆れるジェイソンに、彼は「俺は今でも婆さんを愛してるが、婆さんは死ぬ間際に貴方らしく生きてと言った」と主張した。
ディックは狙っているレノーアがいるデイトナビーチに行くと決め、ジェイソンを強引に巻き込んだ。メレディスから電話が入ったのでジェイソンは慌てて出るが、ディックが下品な言葉で邪魔をする。ジェイソンがデイトナビーチにいると知ったメレディスは激怒し、夜に祖父の家へ着いたら電話するよう要求した。ディックはジェイソンのスマホを勝手に使い、レノーアと会う約束を交わす。サーフショップに入ったディックとジェイソンは、店長のパムからドラッグを勧められた。
ディックとジェイソンはサーフショップを去り、ビーチでレノーアたちと会う。しかしレノーアとシャディアには、それぞれコーディーとブラーという恋人がいた。コーディーたちは「これからジョージア大学の奴らと飲み比べだ」と言い、レノーアとシャィアを連れてビーチを去る。レノーアはディックに、ホテルへ来るよう持ち掛けた。「もう行こう。彼氏がいる」とジェイソンは言うが、ディックはレノーアとのセックスを諦めるつもりなど無かった。
ディックはジェイソンを伴ってホテルのプールへ行き、大学生のパーティーに参加する。彼は酒に薬を混入させ、コーディーを挑発して酒飲み対決を要求した。しかし間違ってジェイソンが飲んでしまい、彼は裸になって学生たちと踊った。ジェイソンはパムが売りに来たコカインを吸ってしまい、ますますハイになった。ディックはシャディアから「早く助けた方がいいと思う」と言われ、写真を撮ってから連れ出そうと考える。しかしジェイソンは裸のまま外へ出て行き、ハイクを盗んで逃走した。
翌朝、ビーチで目覚めたジェイソンは、メレディスからの電話で責められた。メレディスは誓いの言葉を決める必要があると言い、ビデオ通話にするよう求める。仕方なくジェイソンはビデオ通話に切り替え、顔のアップで誤魔化そうとする。そこへ少年が現れ、股間を隠していたハチのヌイグルミを奪い取ってしまう。少年の言葉を父親が誤解し、ジェイソンは警察署に留置されてしまった。ディックが保釈金を支払って釈放されるが、ジェイソンは激怒した。
ジェイソンは「戦友の所まで送って行くよ。その後は彼に送ってもらって。もうウンザリだ」と告げるが、ディックの軽薄な態度は全く変わらなかった。ディックの戦友であるスティンキーは施設に入っており、余命わずかだと知っていた。ディックが「こんな場所は出た方がいい」と言うと、彼は「もう俺のことは忘れて、行ってくれ」と口にした。ディックは「また若さを感じたいんだ」と言い、レノーアを口説き落とすためデイトナビーチへ向かうことにした。
ジェイソンは「あと1日だけ付き合ってくれ」とディックに頼まれて承諾し、デイトナビーチへ戻ってレノーアたちと合流する。ディックはレノーアから「ステージに上がってくれたら今夜、何してもいいわよ」と言われ、DJイベントに参加する。ジェイソンも観客に囃し立てられてステージに立ち、2人はコーディー&ブラーとDJの音に合わせたパフォーマンス対決で勝負する。しかし動画撮影に気付いたジェイソンは事務所にバレることを恐れ、ステージから退場する。負けたくないディックは花火の打ち上げ装置に細工を施し、コーディー&ブラーを砲撃して病院送りに追い込んだ。
ジェイソンはディックが元特殊工作員だったと知らされ、「ホントのことを知っていたら、父さんとも仲良くなれたかな」と口にした。ディックとジェイソンはスーツに着替え、レノーアたちが待つナイトクラブへ向かう。メレディスからの電話にジェイソンが出ようとすると、ディックは「一晩ぐらい結婚のことは忘れろ」と説いた。ディックとジェイソンはレノーアたちと合流し、酒を飲んで集合写真を撮る。ディックレノーアと、ジェイソンはシャディアと踊り、楽しい時間を過ごした。
ブラッドリーがタイロンという男に絡まれているのを見たディックは、助けに入った。喧嘩を吹っ掛けられたディックは店の外へ連れ出し、タイロンと仲間たちを余裕の態度で叩きのめした。翌日、ジェイソンはシャディアと出掛け、彼女の友人たちを紹介された。大学卒業を控えているシャディアだが、船をチャーターして1年に渡って気候の変動を撮影する計画を立てていた。「君は何かから逃げてるみたい」とジェイソンが言うと、彼女は「貴方もカメラマンにするために何かを犠牲にしてきたはずよ」と告げる。
シャディアはジェイソンにキスしようとするが、ブラッドリーから電話が入った。タイロンの一味がディックを連れ去ったと聞かされ、ジェイソンたちは急いでホテルへ向かう。するとディックはタイロンたちと仲良くなり、マリファナを吸っていた。ディックはジェイソンにもマリファナを勧め、クラブへ移動してステージでラップを披露する。ジェイソンはシャディアに誘われ、カラオケでデュエットした。店を出た後、ディックはレノーアからセックスに誘われるが、「ジェイソンとプールサイドで葉巻を吸うから」と遠慮した。
ジェイソンがディックに、結婚を止めてシャディアに真実を打ち明けると話す。ディックはレノーアとセックスが終わるまで待ってくれと頼むが、ジェイソンは断ってシャディアの元へ行く。するとブラーがディックとジェイソンの素性を調べ、レノーアたちに教えていた。レノーアはディック元陸軍中佐と知って「もっと燃えて来た」と興奮するが、シャディアはジェイソンが結婚間近という情報に動揺した。ジェイソンは釈明しようとするが、シャディアは怒って拒絶した…。

監督はダン・メイザー、脚本はジョン・M・フィリップス、製作はビル・ブロック&マイケル・シムキン&ジェイソン・バレット&バリー・ジョセフソン、製作総指揮はサーシャ・シャピロ&アントン・レッシン&ジョン・フリードバーグ&マイケル・フリン&ジョン・M・フィリップス、撮影はエリック・アラン・エドワーズ、美術はウィリアム・アーノルド、編集はアン・マッケイブ、衣装はクリスティー・ウィッテボーン、音楽はマイケル・アンドリュース、音楽監修はキアー・レーマン。
出演はロバート・デ・ニーロ、ザック・エフロン、オーブリー・プラザ、ゾーイ・ドゥイッチ、ダーモット・マローニー、ジュリアン・ハフ、ジェイソン・マンツォーカス、ダニー・グローヴァー、ブランドン・マイケル・スミス、ジェフリー・ボウヤー=チャップマン、アダム・パリー、ジェイク・ピッキング、モー・コリンズ、ヘンリー・ジェブロフスキー、マイケル・ハドソン、キャサリン・ダイアー、デイーナ・ディル、レイン・カーロック、クリス・セッティケース、エリック・ゴーインズ、ギャヴィン・マン、デロン・ホートン、マイケル・H・コール他。


『アリ・G』や『ブルーノ』の製作と脚本を手掛けたダン・メイザーが監督を務めた2本目の長編映画。
脚本のジョン・M・フィリップスは、これがデビュー作。
ディックをロバート・デ・ニーロ、ジェイソンをザック・エフロン、レノーアをオーブリー・プラザ、シャディアをゾーイ・ドゥイッチ、デヴィッドをダーモット・マローニー、メレディスをジュリアン・ハフ、タンをジェイソン・マンツォーカス、スティンキーをダニー・グローヴァーが演じている。

色々と欲張ったせいで、どのキャラも魅力が無い事態に陥っている。
例えばシャディアは、ジェイソンがウェイトレスだと誤解して紙幣を差し出した時、それを盗んで逃げようとする。その場の笑いを欲しがったせいで、ヒロインをクズ野郎に貶めているのだ。それが最後まで影響してしまい、最終的にジェイソンが結婚を中止してシャディアを選んでも祝福できなくなってしまう。
全てのキャラに笑いの発信役を担当させる必要なんて無いし、特にヒロインは注意が必要なのに、そういうトコを雑に扱っている。
ついでに触れておくと、ジェイソンが薬とコカインでハイになっている時、シャディアは「早く助けた方がいいと思う」と言うけど本気で心配する様子は無いし、ディックが写真を撮るのも放置しているのよね。
そういうトコも、ヒロインとしては失格だと思うぞ。

少年がハチのヌイグルミをジェイソンから奪い取るシーンは、呆れるほど強引だ。
まず、少年は「ミツバチに触ってもいいでしょ」と言い、ジェイソンが「ダメだ」と告げても手を伸ばして掴もうとする。この少年、悪戯っ子というキャラではなく、純粋に「ミツバチに興味がある」という設定だ。
そんな少年は「ミツバチくんを撫でたい、キスしたい」と言うのだが、なぜかヌイグルミを奪うと投げ捨てる。その直後、父親が来ると、「触らせてくれたよ。柔らかくて、キスもしたんだよ」と話す。父親は当然のことながら、ジェイソンを性犯罪者だと誤解する。
でもね、やりたいことは分かるけど無理がありすぎて、これっぽっちも笑えないのよ。
警官がジェイソンを冷たく扱うのも喜劇としてやっているのは分かるけど不愉快なだけだし。

ディックの見せ方も、のっけから失敗していると感じる。
教会のシーンでは妻の死を悼んでいる様子を見せたが、ジェイソンが迎えに行くとポルノビデオでオナニーしている。酒をジェイソンに勧め、ノリノリで車に乗り込む。
つまり、妻の死を悼むとか、ショックを引きずるとか、そういう様子は皆無なのだ。
だったら、もう教会のシーンから、そういうのを見せておいた方がいいんじゃないかと。
妻の死を悼む様子をチラッと見せていることで、翌日になって別人のように弾けているのが違和感に繋がるのだ。

ロバート・デ・ニーロは1960年代から映画界で活動している大ベテランであり、1970年代は『ミーン・ストリート』や『ゴッドファーザー PART II』、『タクシードライバー』、『ディア・ハンター』など数々の作品でシリアスな役柄を演じて高い評価を受けた。
1980年代入っても『レイジング・ブル』や『アンタッチャブル』でシリアスな役柄を演じ、やはり絶賛を受けた。『ミッドナイト・ラン』のようなコメディー作品もあるが、主なフィールドはシリアスな映画だった。1990年代に入っても、『レナードの朝』や『グッドフェローズ』、『ケープ・フィアー』や『ザ・ファン』など、次々にヒット作へ出演した。
そんな中、1999年の『アナライズ・ミー』で過去のギャング役をセルフ・パロディー化した辺りから、少し出演作の傾向に変化が見え始める。コメディー作品や助演が少しずつ増え始めるのだ。
それに伴い、デ・ニーロの評価は下がるようになっていく。
2000年の『ミート・ザ・ペアレンツ』もコメディーだったが評価は芳しくなく、ついに2002年の『ショウタイム』ではゴールデン・ラズベリー賞のスクリーン・カップル部門にノミネートされてしまう。

年齢を重ねる中で、助演に回ることが多くなるのは理解できる。仮に本人が主演に固執しても、オファーが減っていく可能性はある。また、自身で「もう主役ばかりを張るような年齢じゃない」と意識し、助演を増やすこともあるだろう。
コメディー作品が増えたのは、若い頃に比べると、シリアスな映画や役柄は体力や精神面でキツくなってきたという部分があるのかもしれない。なので、それ自体が悪いとは決して思わない。
ただし問題は、デ・ニーロがそんなにコメディーを得意としていないってことだ。
まだセルフ・パロディー的な役柄なら、そんなに苦労は無いだろう。ただ、それを何作も繰り返すわけにはいかない。
そうなると、喜劇芝居の向き不向きってのが出てしまうことになるわけで。
そのクドい芝居が、大抵のコメディーでは厳しいモノになっちゃうんだよね。

さて前置きが長くなったが、シリアスからコミカルまで様々な人物を演じていたデ・ニーロにとって、そのキャリアで最低のキャラクターが、本作品のディック・ケリーである。
これは何の迷いも無く断言できてしまう。
何しろ、ポルノビデオを見てオナニーしたり、何度もジェイソンにカンチョー攻撃(指を尻の穴に突っ込む悪戯ね)を仕掛けたりする。下品な言葉を吐きまくり、隙あらば女とセックスしようと目論んで行動する。
そういう軽薄でエロ爆発のジジイなのだ。

もちろん、「そんな下品なエロエロぶりを笑ってください」ってことでディックのキャラを造形しているんだけど、見事なぐらい寒々しいことになっている。
しかも、それらは「下品なジジイ」というだけで済むが、ゲイで黒人のブラッドリーに対して明らかにバカにした態度を示すというレイシストの一面まで持っている。
ここに関しては、ひょっとすると「ブラックな笑い」を狙ったのかもしれないけど、前述した要素に輪を掛けて寒々しいことになっている。
後半に「ディックがブラッドリーを助ける」というシーンを入れてリカバリーしているつもりかもしれんけど、そこが上手く結び付かないし、取って付けたような印象を受けるし。

冒頭シーンの描写からして、違和感がある。
オープニング・クレジットが終わると、ジェイソンは裁判での経験を年配の男性たちに語り、笑いを取っている。何かのパーティーなのかと思ったら、それは祖母の葬儀のシーンなのである。
だったら、癌で闘病中だったから覚悟が出来ていたとは言え、まずはジェイソンが祖母の死を悼む様子を見せた方がいいんじゃないのか。
いきなり悲しみゼロのシーンから始めてしまうから、ニックの振る舞いにジェイソンが辟易したり注意したりするシーンの効果も弱くなる。
っていうか、そこを修正したところで、ニックの振る舞いでは全く笑えないけどさ。

メレディスはジェイソンがニックと話している時にチラッと写るし、教会でも出番がある。
その辺りだけでも、彼女がワガママであること、ジェイソンが尻に敷かれていることは伝わってくる。
ただ、見せ方としては、あまり上手くない。葬儀や教会のシーン最も重要なのはジェイソンとディックを紹介することのはずなのに、そこが疎かになっているんだよね。
まだジェイソンはともかく、ディックの扱いは雑になっている。教会でディックが初登場するのだが、ホントに「姿を見せました」というだけで、それよりもメレディスの身勝手さを表現することを優先しているのだ。

っていうか、ジェイソンの次に紹介するのがニック、次がメレディスという順番だけど、こいつら極端に言っちゃうと排除してもいい程度のキャラなのよね。
なので、そんな連中を優先するってのは、どうなのかと。
「ニックはともかく、メレディスは必要だろ」と思うかもしれないけど、実は要らないのよ。
彼女を排除したら「ジェイソンが結婚を中止して云々」という筋書きが作れなくなるけど、それで何の問題も無いからね。そんな要素、どうせ上手く使いこなせていないんだから。

メレディスを使うのは、「ジェイソンがディックに影響されて生き方を見つめ直す」という展開の中だ。
メレディスを自己中心的で厄介な女として描くことで、「ジェイソンが結婚を中止したのは正しい選択だった」という形にしている。
しかし、ディックはメレディスの尻に敷かれていること自体を批判していたし、そんな女じゃなくても電話の邪魔をしたりしていただろう。
ようするに彼は、孫のことを真剣に考えて結婚に反対したわけじゃなくて、ただ軽いノリ&面白半分でかき回しただけなのだ。

終盤、ディックはジェイソンから批判されるが、まるで反省しない。彼は結婚式のスライドショーをハッキングし、ジェイソンの乱れた姿をメレディスと招待客に見せる。
ジェイソンは結婚の中止を告げて会場を立ち去るけど、それでディックの行動を正当化しちゃダメだろ。
あと、ジェイソンは出国するため空港に向かうシャディアのバスを追い掛けるんだけど、「結婚を中止し、警察に追われて法律を破ってでも追い掛けて愛を告白する」というトコまで彼女への思いが強いとは到底思えないんだよね。
もちろん最終的には「カップルになってハッピーエンド」という形にしてあるけど、とても薄っぺらい恋愛劇しか見えなかったぞ。

この映画がやろうとしていることは明快で、とても分かりやすい。
「アウトローなジジイが自由奔放に弾けまくり、孫は振り回されて苦労するけど、感化されて生き方や考え方が変化する」という話を描こうとしているのだ。
しかも、それをハートウォーミングなドラマとして見せようとしているのだ。
最終的には、「孫は自分を抑圧して型にハメていたが、かつての夢を取り戻して自由に羽ばたこうと決めた。無理に大人になろうとしていたが、間違いだと気付いた。ジジイは彼を正しい方向へ導いた」というトコへ着地したいのだ。

しかし、それは無理があり過ぎる。
なぜなら、ディックは「無軌道な下品ジジイに見えるけど、実は真っ当なことを言っている」というわけではない。彼は単に、「とにかくセックスしまくりたい」という欲望で突き進んでいるだけなのだ。
それをハートウォーミングな話に見せようなんて、無理があるでしょ。
しかも、ディックの考えがどうであれ結果的にジェイソンが解放されて観客も「そっちの方がいい」と思えればともかく、そうじゃないのよね。ディックとの交流によるジェイソンの変化は、悪影響にしか見えないのだ。

後半、ディックは運転免許を持っていることを知ったジェイソンに騙していたことを非難され、「お前のためだ。メレディスと結婚したら自分なんて無くなるぞ。父親と同じで不幸な人生だ。デヴィッドにはしてやれなかった。あいつは実利主義になって女の尻に敷かれた。情けないよ。孫にはそうはさせない」と語る。
つまり、「自分勝手にルール違反を繰り返しているように見えるけど、実は孫を導く狙いがあった。息子に出来なかったから孫で罪滅ぼししようと考えた」という形にしてあるわけだ。
だけど、後付けの下手な釈明にしか感じない。
ずっとディックが若い女に欲情し、エロい意識満々だったのは事実だし。

もっと気になるのが、ディックがジェイソンに「父親と同じで不幸な人生だ。あいつは実利主義になって女の尻に敷かれた」と語っていることだ。
自分の息子の人生を全否定し、「情けない」と嘆いているのだが、それは違うんじゃないかと。
デヴィッドは弁護士事務所を構え、真っ当に暮らしている。地位や職業が全てではないが、少なくとも自分の父親から全否定されるような人生は歩んでいないと思うのだ。
っていうか、「息子にしてやれなかった」ってことを後悔するのは別にいいけど、息子の人生を全否定しちゃダメだろ。
例え奥さんの尻に敷かれていようと、それで本人が幸せなら別にいいんだし。

(観賞日:2018年10月13日)


第37回ゴールデン・ラズベリー賞(2016年)

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低主演男優賞[ロバート・デ・ニーロ]
ノミネート:最低助演女優賞[ジュリアン・ハフ]
ノミネート:最低脚本賞

 

*ポンコツ映画愛護協会