『デストラップ・死の罠』:1982、アメリカ

劇作家シドニー・ブリュールは劇場で自作の公演を観劇するが、客は退屈して「つまらない」と漏らしている。スリラー作品としては ブロードウェイでの最長上演記録も持っているシドニーだが、これで4作連続の失敗となり、プロデューサーのスターガーからは「クソ みたいな作品」と酷評される。シドニー本人も、それが駄作であり、自分の才能が枯渇していることを自覚している。シドニーは酒場へ 赴き、ヤケ酒を飲んだ。
シドニーはイースト・ハンプトンの家に戻り、妻マイラに迎えられる。金持ちの娘であるマイラは、心臓が悪くて養生している。シドニー はマイラに、ある脚本が送られてきたことを語る。それはシドニーが大学のセミナーで教えた学生クリフォード・アンダーソンが初めて 執筆した作品だ。「デス・トラップ」と題された作品は、セット1つで、登場人物が5人。シドニーはマイラに、そのシナリオが完璧な 出来映えの傑作だと説明する。
シドニーはマイラに、クリフォードを殴り殺してやりたい気分だと漏らす。マイラはシドニーに、彼と共作したらどうかと持ち掛けた。 クリフォードにアドバイスして手直しを加え、2人の名前で発表してはどうかというのだ。その案をシドニーは受け入れ、クリフォードに 電話を掛ける。シドニーはマイラが見守る中、コピーを一部しか取っていないことや他の誰にも見せていないこと、独身であることなど をクリフォードに確認する。シドニーは彼に、オリジナル台本や下書きを全て持って家へ来るよう求めた。
シドニーが駅まで迎えに出て、クリフォードと共に自宅へ戻ってきた。シドニーは、近所に住む霊媒師ヘルガ・テン・ドープから着想を 得た作品の執筆中だとクリフォードに語る。マイラは同席し、共作を勧める。だが、クリフフォードは作品をエージェントに見せると告げ 、立ち去ろうとする。シドニーは言葉巧みに、クリフォードに手錠をはめさせた。不安な顔をするマイラの前で、シドニーは手錠の鍵を 見せる。だが、シドニーはクリフォードの背後に回り、首を絞めて彼を殺害した。
シドニーはクリフォードの遺体を埋め、心配するマイラをなだめた。そこにヘルガが現われ、「痛みを感じる」と口にする。ヘルガは予言 めいたことを語り、立ち去った。その夜、シドニーのマイラの前に、死んだはずのクリフォードが現われる。驚いたマイラは、発作を 起こして死んでしまった。それを確認したシドニーとクリフォードは、落ち着いて次の行動に移る。実は、全ては同性愛の関係にある2人 がマイラを殺すために仕掛けた作戦だったのだ。
マイラの葬儀を済ませた後、クリフォードは秘書としてシドニーと一緒に暮らし始めた。シドニーとクリフォードは、それぞれ脚本を執筆 する。クリフォードは「スリラーに興味は無くなった」と言い、もっと現実に即した脚本を執筆しているという。そんな中、シドニーは 弁護士ポーター・ミルグリムの訪問を受け、マイラの残した莫大な遺産の説明を受ける。ポーターはシドニーに、クリフォードが脚本を 入れた引き出しに鍵を掛けたことを告げ、不審を抱かせるようなことを口にする。
シドニーはクリフォードの脚本を密かに取り出し、中身を読む。すると、それは霊媒探偵が主人公のスリラーであり、彼らがマイラを 殺した事件をモチーフにしていた。シドニーは事件の真相が世間に知れることを恐れ、「この脚本は発表させない」とクリフォードに言う。 だが、精神的に問題があって道徳観念に欠けているクリフォードは、シドニーの反対など無視して脚本執筆を続ける意志を示す。その態度 を見たシドニーは、「思ったより遺産は少なかった」と口にして、協力することに同意する。
雷鳴轟く夜、ヘルガが訪れ、シドニーに「クリフォードは危険な人物だ」と告げる。シドニーは「解雇を通告するつもり」と説明して、 ヘルガを帰らせた。シドニーは「台本の内容を実際に動いて確認する」と称し、クリフォードに飾ってあった斧を持たせた。斧を床に 置かせた直後、シドニーは用意しておいた拳銃を構える。クリフォードの脚本をお蔵入りさせたいシドニーは、正当防衛に見せかけて彼を 殺すつもりだった。だが、クリフォードはシドニーの計画を察知し、銃の弾丸を事前に抜いていた…。

監督はシドニー・ルメット、原作はアイラ・レヴィン、脚本&製作総指揮はジェイ・プレッソン・アレン、製作はバート・ハリス、 製作協力はアルフレッド・デ・リアグレJr.、撮影はアンジェイ・バートコウィアク、編集はジョン・J・フィッツスティーヴンス、美術 &衣装はトニー・ウォルトン、音楽はジョニー・マンデル。
出演はマイケル・ケイン、クリストファー・リーヴ、ダイアン・キャノン、アイリーン・ワース、ヘンリー・ジョーンズ、 ジョー・シルヴァー、トニー・ディベネデット、アル・ルブレトン、フランシス・B・クリーマーJr.、スチュワート・クレイン、 ジェフリー・ライオンズ、ジョエル・シーゲル、ジェニー・ルメット、ジェイン・ヘラー、ジョージ・ペック、ペリー・ローゼン。


ブロードウェイで大ヒットしたアイラ・レヴィンの同名舞台劇を基にした作品。
監督は『狼たちの午後』『評決』のシドニー・ルメット。
シドニーをマイケル・ケイン、クリフォードをクリストファー・リーヴ、マイラをダイアン・キャノン、ヘルガをアイリーン・ワース、 ポーターをヘンリー・ジョーンズが演じている。また、映画&演劇評論家のスチュワート・クレインとジェフリー・ライオンズ、作家で 評論家のジョエル・シーゲルが本人役で出演している。

始まってしばらくすると、マイラのキャラクターが煩わしいものに思えてきた。
電話が鳴ったり、帰宅した夫を見つけたりしただけで、甲高い悲鳴を上げるのだ。とにかく、ちょっとしたことでギャーギャーと騒ぐ キャラになっているのだ。
なぜ、そんなキャラにしたんだろう。
スクリーミング・クイーンというわけでもないし、スリラーとしては、むしろ逆効果じゃないかと思うんだが。

中盤に用意されている最初のドンデン返し(男2人が協力して妻を殺す計画)は、『悪魔のような女』と同じネタ。
もちろん、それで終わるような芝居がブロードウェイでロングランになるはずもなく、その後も展開は二転三転していく。
そしてシドニーとクリフォードの対決で優劣が行ったり来たりする中で、最後は横から割り込んだ人物が美味しいトコをかっさらうという 結末だ。
シドニーはマイラに勧められた共作を承諾した後、彼女の目の前でクリフォードに電話を掛け、コピーが他に無いことや誰にも原稿を 読ませていないことなどを確認する。そしてカメラは、それを見つめるマイラの表情を映し出す。その前に「あいつを殴り殺したい」と 口にしていたことも手伝って、シドニーが本当にクリフォードを殺すのではないかとマイラが不安になっていることが、その表情から 伺える。それを観客に察知させることによって、スリルを煽る。
ただ、クリフォードが訪れた後、マイラがソワソワした態度で彼とシドニーがいる部屋に留まり、必死になって共作するよう喋り続ける 態度が今一つ不可解なものになっているように印象を受ける。
ここは「シドニーの殺人を防ぐため」ということでマイラは必死になっているはずで、そのことは、もっと鮮明にしてもいい(いや、 そのままでも匂いはするんだけどね)。

ヘルガが、どうにも浮いたような存在になっている気がしてならない。
相手の態度を見たり、何か証拠物件を掴んだりして行動を起こすシドニー&クリフォードとは違い、彼女は超感覚によって異変や事件を 察知し、行動するのよね。
後で「実は霊感ではなく実際に証拠を見たり入手したりしていた」ということならともかく、ホントに霊感なんだよな。
何のヒントも無いのに「全てお見通しだった」みたいな感じになっており、まるで天上の神のような存在と化しているのはなあ。
彼女が最終的に脚本家として成功するのも、「私もシナリオを書いている」というセリフはあったものの、やや違和感を覚える。

そのヘルガが関わるラストのオチだけでなく、全てのドンデン返しは「まずドンデン返しのサプライズありき」として用意されており、 伏線や地均しは全く無い。
それは謎解きの面白さが無いというだけでなく、そのドンデン返しを機械的なものにしている。
少ない登場人物が丁々発止のやり取り、腹の探り合いをする心理ゲームとしての醍醐味は感じられない。
シドニーはクリフォードを怪しんだらすぐ行動に移るので、疑心暗鬼で探りを入れるという展開は無い。

例えばシドニーとクリフォードがゲイで、協力してマイラを殺害する計画だったと明かされるシーンがある。
だが、2人がゲイだという伏線は何も無い。ゲイだと明かされて、「そうか、あの時のあの仕草、あのセリフは、そういうことだったのか 」と気付くようなことは一切無い。
クリフォードが実は精神的に問題のある男だと明かされるシーンがあるが、まあ都合のいい設定だし、それまでに何の伏線も無く唐突に 明かされる。
そもそも、マイラはシドニーを蔑むことも無く、扱き使うことも無い。金をケチるわけでもないし、シドニーが多額の金を急に必要として いたわけでもない。
だったら、彼女を殺す必要性が無い。今までと同じように、隠れてクリフォードとのゲイ関係を楽しんで、マイラから金を引き出して いればいい。
しかし、この物語において「動機」はどうでも良いものとなっている。
とにかくドンデン返しの連続、そこの仕掛けが、ほぼ全てと言ってもいい作品なのだ。

ヘルガにしろポーターにしろ、シドニーとクリフォードによるマイラ殺害計画や、シドニーによるクリフォード殺害計画を知るはずは 無いのだから、彼らの言動が意図的なものだったとすると、辻褄が合わなくなる。
最終的に「実はこういう理由で証拠を握って計画を察知していた。だからそれを利用した」というネタ明かしがあればともかく、そういう ことは無い。とにかくドンデン返しそのものが全てであり、ミステリーとしての肉付けはやっていない。
ポーターがヘルガと共に芝居の成功を喜ぶラストシーンは、「だから彼はシドニーにクリフォードを怪しませるようなことを意図的に 言ったのかな」というところで、一応は線として繋がる。
だが、その伏線回収らしきコトよりも、途中で少しだけ登場した奴が、急に「クリフォードは怪しい」という旨のことを言い出した 不自然さの方が強く感じられる。

終盤の「雷鳴が轟く中で殺人劇」という演出のチープさは置いておくとして、ラストには「同じ場面を舞台役者が演じて、それを作者の ヘルガと恋人ポーターが客席で見る」というオチが待っている。
オチが舞台劇のラストシーンというのは、ブロードウェイ公演だと効果的だったんだろうけど、映画になると少しギクシャク感が無くも ない。
そこは、オチを映画のラストシーンに変更した方が良かったんじゃないかな。
それも、シドニーやヘルガたちが揉み合う場面を別の役者が演じるということを挟まず、「シドニーたちが揉み合うシーン」→「カットの声 があり、それが映画の撮影だと判明する」という形か、もしくは「シドニーたちが揉み合うシーン」→「それを映画館で見ているヘルガと ポーター」という形にするかってことで、どうだろうか。

(観賞日:2007年7月10日)


第3回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低助演女優賞[ダイアン・キャノン]

 

*ポンコツ映画愛護協会