『シティ・スリッカーズ2/黄金伝説を追え』:1994、アメリカ
1年前、ニューヨークのラジオ局でCM契約を担当していたミッチは友人のフィルとエドに誘われ、ニューメキシコでカウボーイになってコロラドまで牛を輸送するツアーに参加した。ミッチはカウボーイのカーリーと出会い、旅の途中で亡くなった彼の後を引き継いでコロラドまで牛を輸送した。それはミッチにとって、大きな経験となった。
現在、ラジオ局の係長になったミッチは、仕事も順調、家庭も円満な状態だ。だが、フィルは妻に逃げられ、ミッチの紹介で得たラジオ局の仕事にも身が入らない始末だ。一方、ミッチの家には厄介者の弟グレンが現れた。グレンは定職にも就かずにブラブラしており、親戚の家を泊まり歩いて金をせびるという一族の鼻つまみ者なのだ。
そんな中、ミッチはカーリーの形見の帽子の中から古びた地図を発見する。ミッチがフィルと共に調べてみると、カーリーの父親が列車強盗で100万ドルの金塊を奪い、ユタ州の砂漠に隠したことが分かった。当時の100万ドルは、現在の金額に換算すれば約2000万ドルになる。ミッチはフィルとグレンを連れて、ユタ州へと旅立った。
ミッチは目印となる指の形の岩を見つけ、金塊の隠し場所を探し始めた。だが、その途中、ミッチ達は馬車を借りた山男のバドとマットに襲われ、地図を奪われる。3人は殺されそうになるが、そこにカーリーと瓜二つの男が現れて彼らを救出する。
ミッチ達を助けたのは、カーリーの双子の弟デュークだった。しかし、彼はカーリーとは違って金に強い執着を示し、ミッチ達を追い返して金塊を探しに行こうとする。ミッチはフィルとグレンを伴ない、金塊の隠し場所を目指すデュークに付いて行く…。監督はポール・ウェイランド、キャラクター創作はローウェル・ガンツ&ババルー・マンデル、脚本はビリー・クリスタル&ローウェル・ガンツ&ババルー・マンデル、製作はビリー・クリスタル、製作総指揮はピーター・シンドラー、撮影はエイドリアン・ビドル、編集はウィリアム・アンダーソン、美術はスティーヴン・J・ラインウィーヴァー、衣装はジュディ・ラスキン、音楽はマーク・シェイマン。
出演はビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、ジョン・ロヴィッツ、ジャック・パランス、パトリシア・ウェッティグ、ノーブル・ウィリンガム、プルーイット・テイラー・ヴィンス、ビル・マッキニー、ジョシュ・モステル、リンゼイ・クリスタル、ベス・グラント、デヴィッド・ペイマー、ジェイン・メドウズ、アラン・チャロフ、ケネス・S・アレン、ジェニファー・クリスタル他。
1991年の映画『シティ・スリッカーズ』の続編。
ポール・ウェイランドはイギリスのCMディレクター出身で、これが映画監督デヴュー。
ミッチ役のビリー・クリスタル、フィル役のダニエル・スターン、ミッチの妻バーバラ役のパトリシア・ウェッティグ、ミッチの娘ホリー役のリンゼイ・クリスタル(ビリー・クリスタルの実の娘)は、前作に引き続いての出演。他に、グレンをジョン・ロヴィッツ、デュークをジャック・パランスが演じている。終盤には、前作に出演していたノーブル・ウィリンガム(冒険ツアーのガイド)、ジョシュ・モステル&デヴィッド・ペイマー(ツアー参加者)が同じ役で登場する。
また、アンクレジットだが、ラジオ悩み相談室に出演しているサンボーン医師をボブ・バラバンが演じている。今回は、前作でミッチ&フィルと共にトリオを組んだエド役のブルーノ・カービーが抜けて、代わりにミッチの弟役でジョン・ロヴィッツが加わっている。
やはりエドが再登場してトリオ再結成ってのがベターだとは思うが、まあしかし余裕で許せる範囲だろう。
しかし、前作でカーリー役だったジャック・パランスを、カーリーとは性格が正反対で金に執着する弟デューク役で再登場させるのは、やってはいけないことだった。そういう形でジャック・パランスを再登場させるぐらいなら、老齢になった他の渋い俳優を配置した方がいいだろう。例えばカーク・ダグラスとか、あるいはジェームズ・コバーンとか。前作は、ミッチが自分の人生を見つめ直し、リフレッシュして生き方を改めるという物語だった。今回、彼は家庭も仕事も順調だ。この作品で最初に問題を抱えているのはフィルだ。だとすればフィルが主役になるべきだろう。
しかし実際は、ミッチが冒険によって友情や兄弟の絆を見つめ直すという形にして、ミッチを主役にしている。
だが、その筋書きには大いに無理がある。なぜなら、友情や兄弟の関係に問題を持ち込んでいるのはミッチではなく、フィルとグレンだからだ。だから、ミッチが冒険やデュークとの触れ合いによって見つめ直す、あるいは改めるようなことは何も無いのだ。そもそも、グレンにゴッドファーザーの質問をして楽しそうにしている様子などを見ていると、フィルが深刻な問題を抱えているようには見えないのだ。いくらコメディーだからといって、悩みを抱えているにしては、あまりにも軽すぎるだろう。
実際、フィルが妻に逃げられて落ち込んでいるという設定は、映画開始から20分も経たない内に忘れ去られてしまう。だから、彼が冒険によって人生を見つめ直すという展開も成立しない。冒険終了後にフィルが新しい恋に出会うとか、そういうフォローも無い。
というか、冒険前からミッチとフィルの関係は良好で、フィルの離婚問題で友情に支障が出ているわけではないのだ。ミッチとフィルが冒険で和解して絆が深まるとか、そういう展開があるわけでもない。取って付けような友情エピソードがあるぐらいだ。一方、ミッチとグレンの関係だが、これも一方的にグレンに問題がある。ミッチがグレンを全く信用しないのは、今までに面倒を見てやっているのに何度も裏切られ続けてきたからだ。だから改めなければならないのは、一方的にグレンの方なのだ。
しかし、グレンが冒険によって生き方を見つめ直すことは無い。冒険終了後にグレンが仕事に就くとか、そういうフォローも無い。ミッチがグレンの命を助ける場面があるが、それでグレンが変わるわけでもない。
どうしたいんだ、その兄弟ドラマの処理を。
というか、そもそもミッチとグレンはケンカもするが、それなりに仲の良い兄弟に見えるぞ。ミッチは、死んだはずのカーリーが墓から甦る夢を見る。何か抱えている問題の象徴なのかというと、そうではない。前述したように、ミッチは家庭でも仕事でも何の問題も無いはずだ。ってことは、単純に再び冒険がしたいだけだろう。その証拠に、あれだけ楽しみにしていた妻とのセックスを早く終わらせて、宝の地図に夢中になっている。
つまり、ミッチ視点で考えれば、単純に宝探しを楽しむだけの冒険旅行なのだ。
人生に大切な何かを得るとか、人生を見つめ直すとか、そういうことは皆無なのだ。
で、フィルやグレンにしても、前述したように冒険で何かが変わったということも無い。
結局のところ、単なるユルユルのアドベンチャー西部劇になっているわけだ。続編を作るのであれば、やはりミッチ自身に何か問題を生じさせ、冒険によって人生を見つめ直すというパターンを踏襲すべぎったと思う。
とはいえ、前作でも冒険で何を得たのかは良く分からなかったし、そのパターンを使っても上手くいかなかっかもね。
ちなみに完全ネタバレだが、終盤には「全てはカーリーが生前に考えた宝探しツアーでした。金塊は鉛に色を塗っただけでした。洞窟で襲撃してきた2人はガイドの息子達でした」という、有り得ないオチが待っている。
それでもミッチ達は満足するが、こっちは満足できねえよ。
第15回ゴールデン・ラズベリー賞
ノミネート:最低リメイク・続編賞
第17回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最悪の続編】部門