『シンデレラ・ストーリー』:2004、アメリカ&カナダ

少女の頃、サムはサン・フェルナンド・ヴァレーでダイナーを営む父親のハルと2人で過ごしていた。母親はいなかったが、ダイナーの従業員とは家族のような関係であり、彼女は楽しい日々を送っていた。サムが8歳の誕生日を迎えた日、ハルはフィオナという女性と出会って恋に落ちた。すぐにハルはフィオナと結婚し、彼女の連れ子である双子のブリオナとガブリエラがサムの姉になった。ハルは地震で死亡し、遺言が無かったために全財産はフィオナの物となった。
8年後、高校3年生になったサムは父の願いだったプリンストン大学への進学を目指しており、学校の成績はオールAと優秀だ。放蕩生活を送るフィオナは自分の娘たちのために水泳コーチを雇う一方、サムを召し使いのように扱き使っている。サムは受験勉強に集中したいと思っているが、フィオナからダイナーを手伝うよう命じられている。サムが登校前に店で働いていると、従業員のロンダは彼女を気遣い、早く学校へ行くよう促した。
サムは俳優志望の友人カーターを車に乗せ、学校へ向かう。同級生のシェルビーは取り巻きの2人組を連れて現れ、いつものように女王様のような振る舞いを見せる。カーターが「彼女は僕に気がある」と言うので、サムは呆れた。そんなサムにも、密かに好意を寄せる相手がいる。生徒会長であり、アメフト部のキャプテンでもある人気者のオースティンだ。しかしオースティンはセレブであるシェルビーたちと仲良くしており、サムは住む世界が違うと感じている。
サムには1ヶ月前に知り合った「ノーマッド」と名乗るネット上の友人がいて、彼とのメールやチャットは楽しい時間だ。ノーマッドが同じ学校の生徒であることは分かっているが、その正体がオースティンであることをサムは知らなかった。オースティンはチャットでサムを口説き、ハロウィンのダンス・パーティーで会おうと誘った。「フロアの真ん中で11時に待ってる」というメッセージに、サムは何も返せなかった。
サムはカーターにノーマッドから誘われたことを明かし、「ガッカリしたくないし、相手を落胆させるのも嫌」と言う。しかしカーターに「会わなきゃダメだよ、僕が一緒に行くから」と促され、サムは考えを変えた。サムがホームランを打つ様子を見てオースティンは感心し、ボールを返した。オースティンは友人のデヴィッドから「ダンスはシェルビーと行くんだろ?」と問われ、「分からない」と答える。「じゃあ誰と?」という質問に、彼は「相手は謎なんだ」と答えた。
オースティンの父であるアンディーはガソリンスタンドを経営する金持ちで、息子をUSC(南カリフォルニア大学)に進学させようとしている。彼はオースティンが9歳の頃から、息子にUSCのアメフト部に入れ、卒業した後は自分の右腕として働かせる計画を立てていた。サムはフィオナからダイナーの手伝いに行くよう指示され、今夜はハロウィンのダンスに行かせてほしいと頼む。「週に7日働いている。頼み事は初めてよ」とサムが言っても、フィオナは耳を貸さなかった。
サムがダイナーで働いているとフィオナが現れ、レジから金を抜き取って立ち去った。店にはオースティンやシェルビーたちのグループが来ており、サムは彼らのテーブルを担当するよう指示される。サムがテーブルに行くと、オースティン以外の面々はバカにしたような態度を取った。注文を受けたサムが去った後、オースティンはシェルビーに「別れよう」と告げる。しかしシェルビーは本気にせず、「気の迷いは許してあげるわ。着替えてダンスに来なさい」と高飛車な態度で述べた。
オースティンたちが店を去った後、カーターが怪傑ゾロの仮装で現れた。彼からパーティーに行こうと促されたサムは、「仕事があるから行かない」と断る。事情を知ったロンダも、給仕係のエレノアも、コックのボビーも、パーティーに行って楽しむよう勧める。行く気になったサムだが、衣装が無いことに気付く。するとロンダは彼女を連れて、ヴァーノンの貸衣装店に走る。営業時間は終わっていたが、ロンダがヴァーノンに頼み込んで開けてもらった。
サムが幾つもの衣装に着替える中、ロンダはアイマスクに目を留めた。ロンダはサムのために、自分が着る予定だったシンデレラのドレスを貸した。着替えを済ませたサムはカーターと共に、パーティーが開かれているロイヤルホテルへ向かった。「12時までには帰らないと」とサムが言うと、カーターは彼女の携帯のアラームが11時45分になるようセットした。アイマスクを付けたドレス姿のサムが会場に入ると、全員の視線が一気に彼女へ向けられた。
サムがフロアの中央に立っていると、王子様の仮装をしたオースティンが現れた。本名を問われたサムは、それには答えず「恋人は?」と尋ねる。「別れた」と答えたオースティンは、サムを会場の外へ連れ出した。一方、デヴィッドはフリーになったシェルビーを口説くが、嫌がられる。彼が強引に距離を詰めていると、カーターが「嫌がってるだろ」と割って入った。カーターが襲って来たデヴィッドを退治すると、シェルビーは相手の正体を知らないまま彼に惚れた。
オースティンは「プリンストン・ガール」と名乗っているサムの正体を知るために幾つかの質問をした後、楽団に演奏してもらって彼女と踊った。相手の正体が分からないまま、彼はサムに恋をした。オースティンがアイマスクを外してサムにキスしようとした時、アラーム音が鳴り響いた。サムは慌てて会場に戻り、シェルビーの熱烈なキスを受けているカーターに「時間よ」と告げる。先生たちがパーティーのプリンスとプリンセスとして選んだのは王子様とシンデレラだったが、サムは急いで会場を去った。
サムが気付かずに落とした携帯電話を、オースティンが拾った。迎えに来たフィオナの車に乗り込んだ双子は、サムの姿を目撃した。サムが慌てて身を隠したためにフイオナは気付かず、娘たちが「サムがいた」と言っても信じなかった。双子はフィオナに、早くダイナーへ行くよう促した。3人がダイナーに到着すると、ロンダたちはサムが戻るまで時間稼ぎをする。その間にサムが戻り、ずっと働いていたように装った。
翌朝、サムが登校すると、「シンデレラを見つけたらオースティンに報告を」というチラシが大量に貼られていた。オースティンが昨晩の相手を見つけるために貼ったのだ。彼は友人のデヴィッドとライアンに、携帯電話は「すぐ来い」や「鍋を直せ」というメールが届くだけで手掛かりにならないのだと話す。サムはカーターから正体を明かすよう言われるが、「夢を壊したくない。私が町を離れるまでは内緒にするわ」と述べた。サムが「貴方はどうなの」と訊くと、カーターは「僕はシェルビーに話すよ」と堂々とした態度で言う。そこでサムは、「貴方が話せば私も話すわ」と告げた。
オースティンはデヴィッドたちに「会えば必ず分かるんだ」と言うが、サムを見ても気付かなかった。カーターはシェルビーに、自分がゾロだと明かした。するとシェルビーは露骨に嫌悪感を示し、「私たちは住む世界が違うのよ。何も通じあってない」と拒絶した。サムの家にはプリンストン大学の合格通知が届くが、フィオナは隠蔽した。ブリオナはサムのパソコンを勝手に調べ、パーティーのシンデレラだと知った。その様子を見ていたガブリエラも、サムがシンデレラだと知った。
ブリオナとガブリエラは、それぞれ自分がシンデレラだと主張してオースティンの気を惹こうとする。しかしオースティンから「僕と会った時に落とした物は?」と問われて正解を出せなかったので、すぐに嘘が露呈した。双子はシェルビーに「サムが貴方を妬んでいて、オースティンを奪うと言ってた」と嘘を吹き込み、シンデレラの正体がサムだと明かす。ブリアナはキャンパスDJに頼み、「シンデレラ、アメフト部の壮行会の後で王子様に会いに来てほしい」というメッセージを放送してもらう。壮行会の会場で、双子とシェルビーたちはサムを馬鹿にして正体を暴露する芝居を披露した。ショックを受けて帰宅したサムに、フィオナは偽装した不合格通知を見せる…。

監督はマーク・ロスマン、脚本はリー・ダンラップ、製作はハント・ロウリー&ディラン・セラーズ&イリッサ・グッドマン、製作協力はトロイ・ローランド、製作総指揮はピーター・グリーン&キース・ギグリオ&マイケル・ラックミル、共同製作総指揮はスーザン・ダフ、撮影はアンソニー・B・リッチモンド、編集はカーラ・シルヴァーマン、美術はチャールズ・ブリーン、衣装はデニース・ウィンゲイト、音楽はクリストフ・ベック、音楽監修はデブラ・A・ボーム。
主演はヒラリー・ダフ、共演はジェニファー・クーリッジ、チャド・マイケル・マーレイ、ダン・バード、レジーナ・キング、ジュリー・ゴンザロ、リン・シェイ、マデリーン・ジーマ、アンドレア・エイヴェリー、メアリー・パット・グリーソン、ポール・ロドリゲス、ウィップ・ヒューブリー、ケヴィン・キルナー、エリカ・ハバード、サイモン・ヘルバーグ、ブラッド・バファンダ、JD・パード、エイミー・リン・チャドウィック、ケイディー・コール、ハンナ・ロビンソン、ジョシュ・ブリンス、アート・ラ・フルー、ジェームズ・エックハウス、ジョナサン・スレイヴィン、ジョン・ビリングスレイ他。


ディズニー・チャンネルの『TVドラマ『リジー&Lizzie』でティーンズ・アイドルとなったヒラリー・ダフが、『リジー・マグワイア・ムービー』に続いて主演した2本目の劇場映画。
監督は『エボルバー』『エンカウンター』のマーク・ロスマンで、脚本担当のリー・ダンラップは本作品がデビュー作。
フィオナをジェニファー・クーリッジ、オースティンをチャド・マイケル・マーレイ、カーターをダン・バード、ロンダをレジーナ・キング、シェルビーをジュリー・ゴンザロ、ウェルズ校長をリン・シェイ、ブリアナをマデリーン・ジーマ、ガブリエラをアンドレア・エイヴェリーが演じている。

「アイマスクをしているので、オースティンは一緒に踊った相手がサムだと気付かない」ってのは、相当に無理がある設定だ。
「まるで眼中に無かった」とか「会ったことも無かった」ということならともかく、その前にオースティンはサムと何度か会っているし、声だって聞いたことがあるんだし。
そりゃあ、普段のサムとは髪型も違うし、服装やイメージだって違うけど、アイマスクにしたって瞳の部分は丸見えなんだぜ。つまり、目の周りが隠れているだけで、ほぼ顔を出しているのと変わらないのよ。
「多羅尾伴内が複数の人間に化けるけど、全て片岡千恵蔵なのはバレバレ」ってのは余裕で受け入れられるけど(例えに出す映画が古すぎるだろ)、この作品の場合、そこはツッコミを入れたくなってしまうなあ。

しかも、携帯電話を拾ったのに、まだオースティンは相手の素性を突き止めることが出来ない。
それも無理があり過ぎるだろ。
「すぐに来い」というメールが届くだけで手掛かりにならないと話しているけど、そのメールが届いたのなら、送信相手に「実は携帯電話を拾った者で、持ち主に返したいので云々」という事情を説明するメールでも送ればいいだけでしょうに。
そもそも、携帯電話を拾ったのに持ち主に返さずに持ち続けているってのは、ただの犯罪になっちゃうぞ。

童話の『シンデレラ』を現代に置き換えた作品であることは、上述した粗筋を読めば誰でも気付くだろう。
『シンデレラ』だと、ヒロインは物語が始まった段階で継母と姉2人の4人暮らしとなっており、父親の存在感は完全に消されていた。
童話であれば、それでも違和感を抱かせずに済む。
しかし舞台を現代に置き換えた本作品の場合、「父親が新しい妻と結婚した後で亡くなった」という状況について言及しておかないと、引っ掛かりが生じることになる。

そのため、この映画の冒頭では、まだ父親が生きていた頃の様子、フィオナと出会って結婚した経緯、その父親が死んだ出来事を短く描写している。
そういう手順を踏むことは、決して間違っているわけじゃない。
ただし、父親の存在感が見えることによって、今度は別の問題が生じることになる。
それは、「ヒロインの死んだ父親に対する思いを描かなきゃ不自然になる」ってことと、「ロクでもない女を後妻に迎えたことでヒロインの人生を狂わせた父親には大きな責任がある」ということだ。

1つ目の「ヒロインの死んだ父親に対する思いを描かなきゃ不自然になる」という部分は、「それを描くことで何か不都合があるのか」と感じるかもしれない。
不都合が無いのであれば、ヒロインの父親に対する思いを描くのは、何ら悪いことではない。むしろ、ドラマを厚くすることに繋がるだろう。
しかし、まあ中身の作り方次第ではあるのだが、少々の不都合がある。
と言うのも、なんせ『シンデレラ』の現代版なので、ヒロインの恋愛劇がメインになる。そして恋愛劇を描く上では、ヒロインの父親に対する思いなんて全く関係が無い。そんな関係の無い事柄に尺を割いても無駄なだけだし、余計な寄り道になってしまうのだ。
ところが本作品では、サムが父親のことを思い出すシーンは、終盤まで訪れない。
だから余計な寄り道を感じることは無いけど、それはそれで薄情に思えてしまうんだよな。

ヒロインは真っ直ぐ恋愛劇に突き進めるわけでは無くて、もちろん『シンデレラ』の現代版だから継母と姉たちの嫌がらせが待っている。
しかし、「嫌がらせにヒロインが耐える」という部分においても、ヒロインの父親に対する思いってのは邪魔になる。
なぜなら、その父親が悪妻を連れて来たことが、ヒロインを苦しめることに繋がっているからだ。つまり、ヒロインはそんなことを全く思わなくても、観客は「ハルの責任」を感じずにいられなくなる。
本来なら、ハルがロクでもない妻と結婚したことに気付き、娘を苦しめていたことを知って反省し、謝罪するような展開が欲しいぐらいなのだ。
しかし既に死んでいるので、責任を取らせることも、謝罪させることも出来ない。
だから、「アンタは自分の娘に酷いことをしたよね」というモヤモヤ感が残ってしまう。

『シンデレラ』でヒロインの味方になってくれたのは、魔法使いだけだった。そもそも登場人物は少なかったが、「シンデレラは継母と2人の姉たちに扱き使われ、孤独で惨めな暮らしを余儀なくされている」という形だった。
しかし本作品のサムが置かれている状況は、シンデレラとは大きく異なっている。
継母に扱き使われているのは一緒だが、姉2人が苛めている様子は乏しい。
アメフト部の壮行会でサムをバカにするまでは、そもそも存在意義さえ良く分からないような扱いだ。

どういうキャラとして双子の姉たちを描こうとしているのかが、ボンヤリしている。
「変わり者の双子」という扱いのようだが、そこまで変わり者の印象も受けないし。
基本的にはコメディー・リリーフの役回りを担当させようとしているみたいだけど、それは別に構わない。
ただ、それだけじゃダメでしょ。もっとヒロインを苛める役回りにすべきじゃないのか。
自分の宿題をやらせている描写があったりはするけど、ものすごく「いじめっ子キャラ」としてのアピールが薄い。

また、シンデレラと違って、サムには味方が多い。
ダイナーの従業員はハルが生きていた頃からの知り合いなので、みんな彼女の仲間だ。カーターという親友もいるし、ちょっと変わり者だが宇宙人と交信しているテリーとも仲良くしている。
シェルビーは嫌な女だが、サムがイジメの対象になっていて、学校でも辛い思いをしているというわけではない。
サムの置かれている環境は、「継母が酷い」という以外、ごく普通の女子高生と大して変わらないのだ。
金持ちでタカビーな同級生がいるとか、そんなのは学園物では定番だし。

基本的には明るく楽しい青春ロマンティック・コメディーなので、あまり悲壮感を出したくないということで、サムの置かれている状況をソフトに設定しているのかもしれない。
しかし、そうだとしたら、そのアプローチは違うんじゃないかと思う。
継母だけじゃなく姉たちからも扱き使われおり、味方が誰もいない設定にしたとしても、明るいタッチの青春ドラマを描くことは充分に可能だ。
サムを「些細なことではクヨクヨせず、常に前向きで明るいヒロイン」にしておけば、そしてサムが継母や姉たちに扱き使われる様子もコミカルな描写にしてしまえば、悲壮感なんてほとんど出ないはずだ。

扱き使う描写を薄め、味方を多く用意するのは、ただ話をヌルくしてしまうだけであって、何の得も無い。
そんなヌルい設定に変更してしまうぐらいなら、最初から『シンデレラ』なんて題材に使わなきゃいいのである。
「酷い境遇に置かれていたヒロインが、王子様の心を射止めて大逆転する」ってのが、『シンデレラ』という物語の骨格なわけで。
序盤の段階でオースティンがメル友であることが明らかになっているんだから、味方は彼だけに限定してもいいぐらいなのに。

ただ、この映画の場合、『シンデレラ』と同じような流れのままだとハッピーエンドに辿り着かない。
なぜなら、サムがオースティンの心を掴んでも、まだ結婚するわけではないからだ。結婚して玉の輿に乗れば、もう継母に扱き使われる生活から脱却できるだろうが、ただ単に「恋人になりました」というだけでは、自宅での暮らしぶりは何も変わらないのだ。
そのため、この映画は「父の遺言書が見つかって全財産がサムの物だと判明し、遺言書を隠蔽していたフィオナは逮捕される」という展開を用意する。
それによってサムは辛い生活から抜け出させるのだが、そうなると今度は「オースティンの存在意義って何よ」という問題が生じる。
サムが苦境から脱出するためには、「オースティンとカップルになる」という展開など何の関係も無いのだ。

本来なら、「ヒロインが王子様と結ばれました」ってのと「ヒロインは幸せになりました」ってのはイコールで結ばれなきゃいけないのだ。
ところが前述したように、ヒロインが高校生なので「金持ちと結婚して玉の輿に乗り、自宅から抜け出せました」という着地にすることが出来ない。
だから、そういう形に出来ない中で「ヒロインが王子様と結ばれました」ってのと「ヒロインは幸せになりました」ってのを繋げるための作業が必要なはずなのに、この作品はそこを疎かにして、分離したまま放置しているのだ。
例えば「オースティンの尽力によってフィオナの悪事が暴かれる」とか、そういうことでもあればともかく、何も無い。
それどころか、オースティンは壮行会でサムが馬鹿にされた後、何のフォローもせず、「住む世界なんて関係なく、君が好き」と告白することもなく、サムの方から焚き付けられるまでは何の行動も起こそうとしないヘタレっぷりをさらけ出すんだよな。

サムが「扱き使われるのは終わりにして、家を出て行く」と宣言するのは、壮行会で馬鹿にされて「オースティンとの関係は終わった」と思い込み、大学が不合格だったと思い込んだ後、ロンダから「家族(ダイナーの仲間たちのこと)みんながアンタを信じてる。アンタも自分を信じなきゃ」と励まされ、壁紙の後ろに隠れていた父の「三振を恐れて試合から逃げるな」という言葉を目にしたことが引き金だ。
引き金どころか、その直前まで「所詮、私は冴えないダイナー・ガール」と完全に沈んでいたのに、その言葉1つで一気に強気な態度となり、フィオナに「家を出る」と宣言するのだ。
その急激な心情変化はどうかと思うけど、それよりも引っ掛かることがある。
それは、「扱き使われるのは終わり。家を出る」と宣言しちゃったら、もう「それでいいじゃん」と思えてしまうってことだ。
その時点で、ある意味で物語はエンディングに来ているのよ。サムに取って何よりも重要なのは、「扱き使われる日々から抜け出すこと」なんだから。
『シンデレラ』だって、王子様との結婚は「目的」ではなくて、扱き使われる日々から抜け出すための「手段」なんだから。

サムが扱き使われても耐えていたのは、学費を出してもらうためだ。
しかし、本人がその気になれば、いつでも扱き使われるのは終わりにして、家を出て行くことは可能だった。『シンデレラ』を現代版に置き換えたことによって、「ヒロインがその気になれば、いつでも家を出て行ける」という状況が生まれているのだ。
そして、サムには味方がいるので、ロンダが自分の家に住まわせることを申し出てくれる。
学費の問題さえクリアすれば、後は何とでもなるのだ。
で、サムがフィオナたちに決別を通達したら、もはやオースティンとの恋愛劇がどうなろうが、隠蔽されていた遺言書や合格通知が発見されようが、それは付け足しに過ぎないんだよな。

(観賞日:2015年2月3日)


第25回ゴールデン・ラズベリー賞(2004年)

ノミネート:最低主演女優賞[ヒラリー・ダフ]
<*『シンデレラ・ストーリー』『ヒラリー・ダフの ハート・オブ・ミュージック』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会