『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』:2000、アメリカ

映画スターのハニー・ホイットロックはセネター劇場で舞台挨拶を行うため、ボルティモアを訪れた。宿泊するホテルで取材を受けた彼女は、ボルティモアを最高の場所だと絶賛した。しかし取材陣が去った後、彼女はマネージャーのリビーの前でボルティモアを扱き下ろした。リムジン運転手のピーティーは劇場スタッフのライルに連絡を入れ、ハニーが出て来るのを知らせた。ライルは支配人を殴り倒して気絶させ、映画館を乗っ取る計画に取り掛かった。ライルだけでなく、劇場スタッフは全て計画に加わっていた。彼らは隠しておいた銃や爆弾を用意し、無線で連絡を取り合った。
部屋を出たハニーは、高慢な態度で文句を並べ立てながら移動した。ロビーで待っていたアダム・フェンウィック市長が挨拶すると、彼女は態度を急変させて笑顔を作った。写真撮影を終えたハニーは、リムジンが白いことに不満を訴えた。セネター劇場のステージには心臓病基金の会長を務めるシルヴィア・マロリーが上がり、手術を受けたばかりの少年を紹介した。口の悪い少年が悪態をつくが、シルヴィアは構わずスピーチを続けた。
シルヴィアの紹介でハニーが登壇すると、観客が一斉に拍手を送った。ハニーがスピーチを始めると、スタッフに化けていたセシル・B・ディメンテッドが拳銃を向けて「アンタを誘拐する」と叫んだ。仲間たちも銃を構え、観客席に火炎瓶を投げ込んだ。観客がパニックに陥って逃げ出す中、セシルの一味は残された財布から金を抜き取り、売上金も盗んだ。一味はハニーを連れ出してリムジンのトランクに押し込み、その場から逃亡した。
セシルの一味はアジトにしているヒッポドローム劇場へ入り、ハニーを椅子に拘束した。セシルは「俺は映画監督だ」と言い、仲間たちを紹介する。女優のチェリッシュ、男優のライル、撮影監督のパム、録音担当のシャルドネ、美術監督のルイス、衣装担当のフィジット、メイク担当のレイヴン、ヘアメイクのロドニー、運転手のピーティー、プロデューサーのダイナといった面々だ。テレビではセネター劇場での事件が報じられており、ハニーたちはシルヴィアが心臓発作で亡くなったことを知った。しかしセシルは全く動じず、「撮影するのは俺たちの第1作だ。誰にも邪魔させない」と述べた。
翌朝、レイヴンとロドニーは髪をブロンドに染め、セシルは「君のために脚本を書いた。全世界が注目している」と言う。フィジットは衣装合わせのため服を脱ぐよう要求し、ハニーはスタッフが見ている前で下着姿になることを余儀なくされた。セシルはハニーをセットに案内し、映画のタイトルは『狂える美女』だと教える。ハニーはアートシアターの館主で、ライルは映画バカの恋人役。ライルの過激な娘がチェリッシュで、3人はメジャー映画を粉砕して映画革命を起こすと誓うのだとセシルは説明した。
ハニーが出演を拒否すると、セシルはスタンガンで脅して承知させた。気持ちの乗らないハニーが台本を見ながら台詞を棒読みしていると、セシルは怒りをぶつけた。仕方がないので、ハニーは本番で普通に演技した。ハニーが「この映画のメッセージが理解できない。私はハリウッド女優の自分を誇りに思うわ」と言うと、セシルは完全に無視した。セシルは予備のカットを撮影せず、「最初のショットだけが真実だ。アウトロー映画にルールは無い。テクニックとは才能の無い連中が使う物だ。俺にはビジョンがある。目指しているのは究極のリアリティーだ。この先は全て現実を撮影する」と語った。
セシルの一行はハニーをワンボックスカーに乗せ、シネコンへ乗り込んだ。彼らは駐車場に車を停め、カメラを回して撮影を開始した。ライルとチェリッシュは「シネコンを潰してスクリーンを奪還しよう」と声を揃え、ハニーは仕方なく「メジャー映画を破壊して夢を取り戻そう」と台詞を叫んだ。一味は従業員や支配人を殴ってKOし、売店への文句を並べ立てる。それから映画館に突入し、ハニーたちが台詞を喋って発煙筒を投げた。一味は天井に向けて発砲し、シネコンから撤収した。
アジトに戻ったセシルは、仲間たちに徹底的な禁欲を命じた。次の朝、セシルはマイクで叫んで仲間たちを起こし、撮影の準備を始める。ハニーがハリウッドに帰すよう頼むと、セシルは「君のキャリアは終わった。だがカムバックは始まったばかりだ」と言う。彼はテレビを付け、シネコン襲撃に関してハニーに賛同する市民のインタビュー映像を見せる。メリーランド州映画委員会が映画テロを批判していることを知ったセシルは、「俺にはビジョンがある。今回は死人が出る」と口にした。
ワンボックスカーでアジトを出たセシルは、アングラ映画の復讐の天使を演じるようハニーに指示した。セシルたちはメリーランド州映画委員会がロケ誘致のパーティーを開いている港へ向かい、ゲリラ撮影を敢行することにした。クルーがパーティーの従業員に化けて準備を進める中、セシルはハニーにビルの屋上から飛び降りるよう命令した。「そんなことしたら大怪我するわ」とハニーが嫌がると、セシルは「女優魂を見せろ」と告げる。ハニーは見事に着地し、拳銃を構えながら台詞を口にした。警官隊が駆け付けて銃撃戦が勃発し、ロドニーは撃たれて死亡した。
ハニーは警官隊に投降するが、手錠を掛けられてパトカーで連行されるとセシルに助けを求めた。セシルたちはワンボックスカーで追跡し、パトカーをシネコンへの激突に追い込んだ。警官は気を失い、セシルたちはハニーを奪還した。クルーはカメラを回し、インディーズ映画やハニーを罵る女性客たちを撮影して撤収した。アジトに戻ったセシルは仲間に自分の名前の焼き印を押し、結束を求めた。一味は『フォレスト・ガンプ』の続編が製作されると知り、ゲリラ撮影のためにスタジオへ乗り込んだ…。

脚本&監督はジョン・ウォーターズ、製作はジョン・カラッチオーロJr.&ジョン・フィードラー&マーク・ターロフ、製作総指揮はアンソニー・ドロレンツォ&フレッド・バーンステイン、製作協力はパット・モラン、撮影はロバート・スティーヴンス、美術はヴィンセント・ペラニオ、編集はジェフリー・ウルフ、衣装はヴァン・スミス、音楽はゾーイ・ポールドゥリス&ベイジル・ポールドゥリス、音楽製作総指揮はクリストファー・ブルックス。
出演はメラニー・グリフィス、スティーヴン・ドーフ、アリシア・ウィット、エイドリアン・グレニアー、ケヴィン・ニーロン、ラリー・ギリアードJr.、マギー・ギレンホール、ジャック・ノーズワーシー、ミンク・ストール、リッキー・レイク、パトリシア・ハースト、マイク・シャノン、エリック・M・バリー、ゼンゼル・ウゾマ、エリカ・リン・ラプリ、ハリエット・ドッジ、ロザンヌ(ロザンヌ・バー)、エリック・ロバーツ、レイ・フェルトン、ジョン・マイケルソン、ジュエル・オーレム、ビル・グリメット、ジェフリー・ウェイ、スローン・ブラウン、ビリー・グリーン、ミア・ウォーカー、ジェームズ・クリンジェンバーグ、ジンジャー・ティップトン他。


『シリアル・ママ』『I loveペッカー』のジョン・ウォーターズが脚本&監督を務めた作品。
ハニーをメラニー・グリフィス、セシルをスティーヴン・ドーフ、チェリッシュをアリシア・ウィット、ライルをエイドリアン・グレニアー、ルイスをラリー・ギリアードJr.、レイヴンをマギー・ギレンホール、ロドニーをジャック・ノーズワーシー、マロリーをミンク・ストール、リビーをリッキー・レイク、フィジットの母をパトリシア・ハースト、ピーティーをマイク・シャノンが演じている。
ケヴィン・ニーロンとロザンヌ・バーが本人役、エリック・ロバーツがハニーの別れた夫役で出演している。ケヴィン・ニーロンは『フォレスト・ガンプ2』の主演俳優として、ロザンヌ・バーはハニーの元夫に番組でインタビューする司会者として登場する。

この映画のモチーフになっているのは、パトリシア・ハーストの誘拐事件だ。
新聞王の孫娘であるパトリシアは1974年、過激派グループに誘拐された。
その後、彼女は一味と共に銀行を襲撃し、グループの仲間になったことを宣言して両親や婚約者を罵倒する声明を発表した。逮捕された彼女は「殺されたくないので仲間になったフリをした」と主張して無罪を訴えたが、有罪判決が下った。
ハニーのキャラクターのモデルがパトリシアで、「犯罪集団に拉致された女性が仲間として協力するようになる」という内容になっているわけだ。

セシル・B・ディメンテッドの名前は、映画監督のセシル・B・デミルから取っている。そんなセシルと仲間たちは、体のどこかに映画監督の名前を刺青として入れている。
セシルはオットー・プレミンジャー、チェリッシュはアンディー・ウォーホル(ポップアートの画家だけど映画も撮っているのだ)。
ライルはハーシェル・ゴードン・ルイス、ルイスはデヴィッド・リンチ。レイヴンはケネス・アンガー、ロドニーはアルモドバル(ペドロ・アルモドバル)。
ピーティーはファスビンダー(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)、フィジットはウィリアム・キャッスル。
シャルドネはスパイク・リー、パムはサム・ペキンパー、ダイナはサム・フラー(サミュエル・フラー)といった具合だ。

セシルたちが彫っている人物に共通しているのは、ハリウッドの商業主義には迎合しなかった、作家性の強い映画人ってことだ。
ただし、プレミンジャーやファスビンダーたちと同じ並びにハーシェル・ゴードン・ルイスやウィリアム・キャッスルが入っているのは「それで正解なのかな」と引っ掛かっちゃうんだけどね。
彼らの名前を出すなら、そっち方面で統一した方が良くないかと。
そっち方面ってのは、つまりアレだよ、そっち方面ね。

ホントはセシルの一味がテロを決行してハニーを拉致した時点で、爽快感に浸れなきゃダメなんだろうと思うのよ。そして、たぶんスカッと気持ちよくなれた人もいるんだろうとは思うのよ。
でも、個人的には全くダメだったなあ。
と言うのも、彼らはテロを決行する前に連絡を取り合って準備を進めている時、いちいち「映画委員会め、今日は何本の映画を審査した?」「くたばれ、撮影所システム」なんてことを言うんだよね。つまりハリウッド周辺の映画制作環境を批判する言葉を口にして、それを経た上でテロを決行するわけだ。
でも、観客席に火焔瓶を投げ込んだり、財布の金を盗んだりしているんだよね。
そうなると、「お前ら、ただの強盗じゃねえか」と。

セシルは予備のカットを撮影せず、「最初のショットだけが真実だ。アウトロー映画にルールは無い。テクニックとは才能の無い連中が使う物だ。俺にはビジョンがある」などと語る。
でも、それは単なる建て前で、ホントは予算が少ないから予備のカットなんて撮する余裕が無いだけじゃないのかと指摘したくなるんだよね。
劇中で誰かがツッコミを入れてくれたら、仮にセシルが無視したとしても「たぶん事実なんだろうな」ってことで笑いに昇華される。
でも、誰も何も言わないので、「セシルの主張は全て本音」という形になる。

セシルはシネコンを襲撃するような過激な行動について、「アングラ映画はセックスも暴力もハリウッドの連中にパクられた。だから俺たちに残ってる手法はこれだけだ」と語る。
だけど、そもそもセックスも暴力も、アングラ映画の専売特許じゃないからね。誰が使っても自由な物だからね。
しかも、「残ってる手法はこれだけだ」と言っているけど、ゲリラ撮影しか手法が思い付かない時点で才能が無いと認めているようなモンだよね。
実際、低予算でもヒットしたり高い評価を受けたりする映画を生み出している監督が、アメリカだけでも何人もいるわけでね。
ただし、それは全て若い才能であり、ようするにジョン・ウォーターズは「それしか出来ない人」ってだけなのよ。で、「それしか出来ない」ってことを自覚しておらず、「それ以外に残された手法は無い」と摩り替えちゃってるだけなのよ。

荒っぽい手口はひとまず置いておくとして、ホントは「セシルたちの映画作りは低予算だが魅力的であり、応援したくなる現場」ってことにならなきゃいけないんじゃないのかと思うんだよね。
でも実際のところ、「絶対にメジャー映画の方がいい」と断言できちゃうのよね。
しかも、それは決して「メジャーの方が予算が潤沢で設備も整っているから」ってのが理由じゃないからね。
比較して相対的に考えなくても、単純に「セシルの制作環境も作っている映画もドイヒーすぎる」ってのが理由だからね。

シネコンでは『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』が上映されており、観客は感涙している。
そこへセシルの一味が突入し、観客に向かって「広告の犠牲者よ」「マスコミに踊らされてるだけだ」と台詞を喋る。
そりゃあ『パッチ・アダムス』は駄作だと思うけどさ、それを見ている観客まで全否定しちゃうのは違うでしょ。何が面白いと思うかは、人それぞれであって。
あと、「マスコミに踊らされてるだけ」ってのも、「そうでもないだろ」と言いたくなるし。

それとさ、セシル一味はシネコンを批判しているけど、そこを全否定しちゃったら、それは映画産業そのものを死滅させることにも繋がりかねないんだよね。
シネコンを潰したら今までのようなタイプの映画館が増えるのかというと、そんなことは絶対に無いわけでね。
時代の変化に応じて作り手側も意識を改革していかないと、生き残っていけないわけで。
セシルたちのやってることって、メジャー映画を潰すことが目的だけど、実際はアングラも含めた映画産業そのものを潰す行為なんだよね。

セシルの一味がデヴィッド・リーンの本を撃ち抜くシーンもあるけど、そこまで否定しちゃうのかと。
そりゃあデヴィッド・リーン監督は、ハリウッドの商業システムの中で次々に大ヒット作を生み出した人ではあるのよ。だけど、「商業システムの中で作られた映画は全てクソだ」ってのは違うからね。
むしろアングラ映画の方が、クソみたいな出来栄えの作品は圧倒的に多いだろ。ホントに面白い作品なんて、一握りしか無いだろ。それは予算が少ないからじゃなくて、撮る人間に才能が無いからだ。
あと、ホントに才能がある映画人は大半がメジャーに行くから、アングラ映画に留まる奴なんて限りなくゼロに等しいのよね。

ハニーが「ここは自由の国よ。どんな酷い映画だって好きに作る自由がある」と主張した時、セシルは「もうそんな自由は無い」と声を荒らげる。
だけど、そういう自由が無くなったら、アングラ映画なんて真っ先に作れなくなっちゃうからね。
こんな酷い映画を撮って公開することだって、難しくなるからね。
「自由は無くなった」と映画業界の現状を嘆いて糾弾しているジョン・ウォーターズだけど、こんな映画を公開できているのは自由があるおかげでしょ。

両親のインタビュー映像をテレビで見たフィジットが「家に帰る」と言い出すと、セシルは「お前の両親は『ゴジラ』のファンだ」と口にする。それは批判の言葉として使われており、つまり「『ゴジラ』シリーズを好んで見るような奴は映画の敵だ」と言いたいのだ。
それは賛同できないわ。
そりゃあ、『ゴジラ』シリーズにはポルノグラフィーなんて無いし、いわゆる「健全な映画」かもしれないよ。だけど、健全な映画を全否定するのは、インディーズ映画を全否定するのと大して変わらんぞ。
結局のところ、この映画を通じてジョン・ウォーターズが声高に主張しているメッセージって、ハリウッドでは上手く仕事の出来なかった人間、劇中で批判しているようなヒット作を生み出せなかった人間の、ねじ曲がった嫉妬心にしか思えないんだよね。
どれだけハリウッドの大作映画や商業主義に染まったヒット作を扱き下ろしても、「ホントはああいうのが撮りたいんだよな」という羨望があるようにしか思えないんだよね。

(観賞日:2020年9月11日)


第21回ゴールデン・ラズベリー賞(2000年)

ノミネート:最低主演女優賞[メラニー・グリフィス]


第23回スティンカーズ最悪映画賞(2000年)

ノミネート:【最悪の主演女優】部門[メラニー・グリフィス]

 

*ポンコツ映画愛護協会