『アラフォー女子のベイビー・プラン』:2010、アメリカ

7年前のニューヨーク。証券アナリストのウォーリー・マーズは親友のキャシー・ラーソンから、「子供を産む」と告げられる。「男と 別れたからって投げやりにならず、恋愛関係を見直すべきだよ」とウォーリーは言うが、彼女は。「今、子供が欲しいの。だから精子を 買うわ」と人工授精を決心したことを告げる。「精子探しを手伝って」と言われたウォーリーは呆れて反対し、「僕のじゃダメなのか」と 提案する。キャシーは少し戸惑いつつ、「私たちは親友よ、気まずいわ。それに貴方には神経症の傾向があるし、悲観的だし。とにかく 貴方が問題ってわけじゃないの」と語る。提供者とは会っておきたいので、精子バンクを通さずに精子を入手したいという。
キャシーの友人デビーの誕生日パーティーに、ウォーリーも出席した。キャシーがデクランという男性と楽しく話しているのを見た彼は、 苛立ちを覚えた。ウォーリーはキャシーをベランダへ連れ出し、「あんな奴を父親にするつもりか」と非難めいた口調で言う。「さあね」 と彼女が口にしたので、ウォーリーは鍵を掛けてベランダに閉じ込める。そしてデクランに「キャシーはエクスタシーとバイアグラを 売人の元へ受け取りに行った。彼女はここで君を待ってる」と嘘の住所を教えて、ハーレムのワシントンハイツへ行かせた。
ウォーリーはキャシーに、「人工授精なんて自然じゃない。例えば半年後、恋に落ちたらどうするんだ。取り返しが付かないぞ」と説く。 しかしキャシーは「現れないかもしれない人を待っていられない。貴方とは少し冷却期間が必要のようね」と反発した。しばらくして、 ウォーリーの元に妊娠パーティーへの招待状が届いた。会場へ行くとデビーがいたので、「妊娠パーティーって何だよ、医者もいるのか」 と彼は呆れて言う。デビーは「私がパーティーの主催者。最近では良くあるパーティーよ」と軽く語る。
ナスのペーストを服にこぼしたウォーリーが拭いていると、ローランドというパーティーの参加者が声を掛けて来た。彼はキャシーへの 精子提供者ローランドだった。「どうして提供する気に?」と質問すると、「僕と妻には金が無い。妻は運命の人だ。僕はコロンビア大学 でフェミニスト文学を教えてるが、教員は給料が少ない」と彼は語った。ローランドはデビーに促され、精子提供のため別の部屋に移動 した。ウォーリーが寝室に行くと、キャシーが一人で佇んでいた。「本心を言うと怖いわ。気が重いの」と彼女が吐露するので、「子供を 欲しいと思うのは当然だよ。君は正気だ」とウォーリーは元気付けた。
泥酔したウォーリーはトイレへ行き、そこに置いてあったケースを発見した。ローランドの精子を入れてあるケースだ。ウォーリーは蓋を 開け、蛇口から水を出して、精子を洗面台にこぼすフリを繰り返す。誰かがドアをノックした時、彼は誤って精子を流してしまう。そこで ウォーリーは雑誌の表紙になっているダイアン・ソイヤーの写真を見ながら射精し、自分の精子をケースに入れて元に戻した。
翌日、出勤した彼はレナードから「昨夜、悪酔いして午前3時に俺の家へ来た。リスキーな交換、バイキング、ダイアン・ソイヤーと、 意味不明なことを話していた」と聞かされるが、全く記憶に無い。それどころか、妊娠パーティーで自分がやらかした出来事も覚えて いなかった。後日、ウォーリーはキャシーから、妊娠したことを知らされる。キャシーは「ニューヨークで子育ては難しいので、故郷の ミネソタへ帰る」と説明した。2週間後、彼女はニューヨークを去った。
ウォーリーとキャシーはクリスマスカードとメールだけのやり取りになり、そして7年が過ぎた。その間にウォーリーは女性とデートも したが、相手を怒らせるようなことを言ってしまい、上手くいかなかった。そんな中、キャシーから留守電に「ABCでの仕事が決まって 、ニューヨークへ戻ることになった」というメッセージが届いた。ニューヨークへ戻って来たキャシーに電話を掛けたウォーリーは、 ワインバーで会おうと持ち掛ける。するとキャシーは「セバスチャンを連れて行くから、プレゼントを用意してね」と言う。セバスチャン は写真立てを集めているという。
ウォーリーはワインバーへ赴き、キャシーと再会する。セバスチャンは悲観的な考えの持ち主で、かなり理屈っぽく、そして頑固だった。 キャシーはウォーリーに、「保護者説明会で学校へ行くから、週末に子守りをしてほしい」と頼む。ウォーリーは、セバスチャンが食べる 時に唸っていることに気付いた。それはウォーリーと同じ癖だった。食事の後、ウォーリーはキャシーがローランドと連絡を取ったことを 知る。「どうして?」と尋ねると、彼女は「匿名の精子提供者を望まなかったのは、どんな父親なのかセバスチャンに教えるためよ。彼の ことを知りたい。いつか息子と会わせたい」と言う。「奥さんは?」と訊くと、「離婚したの」という答えが返って来た。
後日、キャシーはローランドと会った。ローランドは「電話があって嬉しかったよ。ずっと君と子供のことを気にしていた」と口にする。 彼の優しい言葉に、キャシーは感激した。ウォーリーはセバスチャンを連れて、動物園や公園へ赴く。セバスチャンが空手を習っている 同級生のアーロン・オコナーにイジメられていると聞き、ウォーリーは「イカれたフリをしてみたらどうだ?イカれた子は何をするか 分からないから、彼も怖がるだろう」とアドバイスする。
バスに乗ったウォーリーは、女性客から「息子さん、そっくりね」と言われる。家までセバスチャンを送り届けたウォーリーは、キャシー と会話を交わす。帰宅したウォーリーは、テレビ番組に出ているダイアン・ソイヤーを見て、「もしかしたら」という気になる。翌日、彼 はレナードに電話を掛け、「セバスチャンが僕に似ている。僕の子供かもしれない」と告げる。レナードと話したウォーリーは、7年前に 精子を交換していたことを思い出した。
ウォーリーはキャシーに事実を打ち明けようとする。だが、告白しようとした時、キャシーに「貴方が言いたいことは分かってるの。 ずっと一緒にいたから、お互いに抱いているエナジーに気付いていないと言ったら嘘になる」と言われてしまう。ウォーリーが困惑して 「いや、違うんだ」と口にすると、キャシーは気まずそうに「今のは無かったことに」と告げる。ウォーリーは打ち明けるタイミングを 逸している間に、キャシーがローランドと交際していることを知り、ますます言い出せなくなってしまう。しかしウォーリーの中では、 セバスチャンに対する父性がどんどん強まっていく…。

監督はジョシュ・ゴードン&ウィル・スペック、原作はジェフリー・ユージェニデス、脚本はアラン・ローブ、製作はアルバート・ バーガー&ロン・イェルザ、共同製作はアラン・ローブ&プライアン・ベル&ケリー・コノップ&メアリー・リー、製作総指揮はネイサン ・カヘイン&ジェニファー・アニストン&クリスティン・ハーン、撮影はジェス・ホール、編集はジョン・アクセルラッド、美術はアダム ・ストックハウゼン、衣装はカシア・ワリッカ・メイモン、音楽はアレックス・ワーマン、音楽監修はスティーヴン・ベイカー。
出演はジェニファー・アニストン、ジェイソン・ベイトマン、パトリック・ウィルソン、ジェフ・ゴールドブラム、ジュリエット・ルイス 、トーマス・ロビンソン、 ブライス・ロビンソン、スコット・エルロッド、カロリン・ダヴァーナス、ケリー・バーレット、ヴィクター・ペイガン、カーメン・M・ ハーリヒー、トッド・ルイーソ、レベッカ・ナオミ・ジョーンズ、ジェレミー・J・モーラー、ウィル・スウェンソン、ジェイソン・ ジョーンズ、エドワード・ジェームズ・ハイランド、ブライアン・ポドノス、リリー・ピルブラッド他。


ピューリッツァー賞作家であるジェフリー・ユージェニデスの短編『Baster』を基にした作品。
監督は『俺たちフィギュアスケーター』のジョシュ・ゴードン&ウィル・スペック、脚本は『ラスベガスをぶっつぶせ』のアラン・ ローブ。
キャシーをジェニファー・アニストン、ウォーリーをジェイソン・ベイトマン、ローランドをパトリック・ウィルソン、レナードをジェフ・ゴールドブラム、デビーを ジュリエット・ルイス、セバスチャンをトーマス・ロビンソンが演じている。

キャシーとウォーリーのキャラや関係性の紹介を、もう少し丁寧にやってから、物語を本格的に先へ進めた方が良かったんじゃないかと 感じる。
「ウォーリーが親友としてキャシーと付き合っているけど、実際は好意を寄せている」ってのは、レナードとの会話や誕生日 パーティーでの態度で分かるけど、レナードとの会話では、彼は「彼女とは合意の上だ」と、その状況を受け入れているように話している 。
で、そういうことを口にするなら、「親友としての付き合いで納得しているつもりだったけど、キャシーが精子を提供してもらって出産 するつもりだと聞かされ、心穏やかではいられなくなる」という流れにした方がいいと思うんだよね。
ところが、いきなり最初のシーンでそれを聞かされて反対姿勢を示すという形になっているので、流れとして上手くないなあと。

それと、ウォーリーがキャシーのことを好きで、人工授精に本気で反対したいのなら、「思い切って自分の恋愛感情を打ち明けようと 考えるが、なかなか打ち明けられずにいる内に妊娠パーティーの招待状が届く」とか、「打ち明けようとしたけどタイミングを逸したり 邪魔が入ったりしている間に、妊娠パーティーの招待状が届く」とか、そういう手順もあった方がいいかなあと思ったりする。
あと、なぜキャシーがそこまで精子探しにガツガツしているのか、そこも良く分からないんだよなあ。
もちろん年齢的なことを考えて人工授精を決意したんだろうけど、時間を掛けて慎重に提供者を見つけようとしているわけじゃなくて、 「今すぐに妊娠したい」ということで、キャシーはガツガツした態度で男漁りをしているんだよね。
何をそこまで焦っているのかと、不思議に思えてしまう。

キャシーはヒステリックと言ってもいいぐらいの状態になっており、ウォーリーの忠告にも耳を貸そうとしないが、そういう考えに凝り 固まってしまうまでの経緯や背景が全く見えないから、彼女に共感できないんだよね。
で、そこで引っ掛かるから、スンナリと物語に入っていけないんだよなあ。別にデタラメな理論武装でもいいから、「こういう理由で 今すぐに出産すべき」とキャシーが色んな言葉を並べ立てるとか、もっとテンポと喜劇色を強めて強引に突破してしまうとか、そういう ことをした方が良かったかもしれない。
とにかく、そこには経緯や背景を用意せずに突破できるだけの勢いとかパワーも足りないんだよな。
あと、妊娠パーティーのシーンで、キャシーは「本心を言うと怖いわ。気が重いの」と不安や迷いを示すけど、そこまで来たら、もう 全面的に前向きな態度で人工授精に向き合ってくれよ。
彼女が迷いを示しちゃうと、「そんなに怖がるんだったら、やめときゃいいだろ」と言いたくなってしまう。

別にさ、女性が人工授精で子供を持つってのは、一つの形として、あってもいいとは思うのよ。
ただし、それはかなりデリケートな問題を含む子供の作り方ではあると思う。
それなのに、この映画は、がさつに扱っているように見える。
キャシーの場合、かなり安易で軽率に、人工授精という方法を取っているようにしか見えないんだよね。
相手の男を知った上で精子を提供してもらい、しかも相手には奥さんもいるというのも、なんか軽率だなあと。奥さんのいる相手に精子を 提供してもらいたい、しかも相手と会った上で提供してもらいたいと考えたのなら、もう少し熟慮して、慎重に事を運ぶべきじゃ ないかと。
キャシーの場合、「子供が欲しい」という自分の軽い思い付きだけで、あまり深く考えず、テキトーに物事を進めているように見えるのよ 。産まれて来る子供のことは全く考えてないし、「旦那の精子で自分が子供を産んだら、彼の奥さんはどう思うだろうか」ってのも全く 考えてないし。
ローランドは妻に浮気されて離婚したという設定だけど、ひょっとしたらローランドが他の女に精子を提供して子供が産まれたことが原因 で、夫婦関係が悪化したのかもしれないじゃないか。

ウォーリーが精子をこぼすシーンは、ちょっと無理を感じるなあ。泥酔したからって、わざわざ蓋を開けて蛇口から水を流し、洗面台に こぼすフリを何度も繰り返して遊ぶってのはさ。
そこは、もう少しナチュラルに見えるような手口が他にもあったでしょうに。
で、その妊娠パーティーの後、ウォーリーがキャシーと芝居を見に行くシーンがあるが、それは要らないでしょ。芝居の幕間で妊娠を 告げられるが、どうせ「故郷ミネソタへ帰ると言われた」とか「2週間後、彼女は涙をこらえて町を去った」とか、ほとんどのことは モノローグで説明しちゃってるんだし。
だったら、ウォーリーにパーティーの記憶が無いことを示した後、すぐにモノローグから7年後へ飛んだ方がいい。妊娠から7年後まで 飛ぶのなら、打ち明けられるシーンを、そういう形で入れるのは中途半端。

っていうか、ウォーリーが精子交換を全く覚えていないという設定に、ちょっと苦しいものを感じてしまうんだよな。
それから7年後になって、セバスチャンが自分に似ていることを指摘されたりして、ようやく思い出すってのも、なんか男として不誠実 すぎやしないかと感じるし(しかもボンヤリと思い出すだけだし)。
むしろ、「記憶があるので狼狽し、妊娠したと聞かされて自分の子供だと確信して」という流れの方がいいかなあと。
「記憶が無く、7年後になって思い出す」という流れにするのなら、ウォーリーが精子をこぼして自分の物と入れ替えるシーンは、その場 ではハッキリと描かない方が良かったんじゃないかな。まるで描かないか、あるいは断片的なコラージュのような見せ方で処理するか、 そうした方が、「ウォーリーが自分の行動を全く覚えていない」ってのが、観客にもスムーズに伝わったんじゃないかなあと。
それに、精子の入れ替えをハッキリと見せてしまったら、妊娠をキャシーが口にした時点で、観客は「それはウォーリーの精子による妊娠 であり、産まれてくる子供はウォーリーの子供だ」ってのをハッキリと分かってしまうわけで。
そうなると、それから7年後に飛んで、「ウォーリーが自分とセバスチャンの癖や性格が似ていることを不思議に思い、記憶を辿って」と いう筋書きの面白さを、かなり薄める形になっているんじゃないかと。

ウォーリーがセバスチャンを見た途端、怪訝な表情になっているのは違和感がある。それだと、見た途端に「なんか自分に似ているな」と 感じたような反応だけど、そうじゃないはずでしょ。
あと、バスの乗客が「そっくり」と言っているけど、顔がそっくりだとは感じないぞ。
それと、ウォーリーにもセバスチャンにも食べる時に唸る癖があることをキャシーは知っているはずなのに、セバスチャンがウォーリー の前でその癖を見せた時、同じ癖を持っていることに言及しないのは、ちょっと不自然じゃないかと。
あと、その唸る癖を見た時点で、どうしてウォーリーの中で記憶が蘇らないのかと。動物園でも、同じポーズだと気付いて足を下ろして いるけど、ってことは、気にしているんでしょ。それなのに、まるで記憶を辿ろうとしたり思い出したりしないってのは、どうなのよ。

あと、そもそも「セバスチャンが自分の息子だから、ウォーリーは父性を感じて云々」という内容自体、いかがなものかと。
そこは「血の繋がりは無いけど父性を感じて」という形の方がいいんじゃないかと思っちゃうのよ。ウォーリーはセバスチャンが自分の 息子だと気付く前から、仲良くやっているんだし。
この映画だと、セバスチャンも「血の繋がりがあるからウォーリーに懐いた」ってことになるけど、そこが大いに引っ掛かるんだよな。
キャシーが選択した人工授精ってのは「古い家族の枠組みを超えたところでの家族形成」なわけで、それをヒロインが選んだのに、最終的 には「やっぱり愛し合う2人が夫婦になって、その2人の精子と卵子で子供を作るのがいいよね」というところへ着地しちゃうのが、 どうもねえ。
ヒロインの行動の全否定みたいな感じに見えちゃってさ。

セバスチャンがローランドに懐かないのも、「血が繋がっていないから」ということが理由になってしまう。
製作サイドが意図していたか否かに関わらず、結果として「何よりも大事なのは血の繋がり」というメッセージが発信される内容になって いるのだ。
だけど、こっちとしては、「血の繋がりよりも、もっと大切なことがある」というメッセージを発信してくれた方が、感情移入しやすいん だよな。もちろん、「血の繋がりなんて、どうでもいい」とは思ってないけどさ。
それと、頭が固いと思われるかもしれないけど、「ウォーリーが精子を勝手に入れ替えて、キャシーが妊娠して出産する」ってのは、笑い にしてもいいようなネタなのかなあ。自分の精子を知らない間に相手に注入させて妊娠させているわけだから、ウォーリーの行為って、 ほぼ犯罪じゃないのかと。
その時点でキャシーがウォーリーに惹かれていたのなら、まだ救いはあるけど、あくまでも友人関係として付き合っていたわけだし。

最終的にキャシーとウォーリーが結ばれるんだから、ホントは2人の恋愛劇をちゃんと描かなきゃいけないはずなのに、ウォーリーの思い は描くものの、キャシー側からの思いについては、ほとんど描かれない。
一度だけ早合点して「ウォーリー、貴方が言いたいことは分かってるの、ずっと一緒にいたから、お互いに抱いているエナジーに気付いて いないと言ったら嘘になる」と恋愛感情を匂わせるシーンはあるが、しかし彼女はローランドと交際しており、結婚へ向かって突き進んで いる。そこには何の揺らぎも迷いも感じさせない。
それなのに、ウォーリーが事実を打ち明け、激怒してビンタした後、しばらくして「ローランドとは上手くいかなかった。優しいけど貴方 じゃなかったから」と言い出すのは、かなり手順をスッ飛ばしているように感じる。

(観賞日:2012年5月31日)


第31回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演女優賞[ジェニファー・アニストン]
<*『バウンティー・ハンター』『アラフォー女子のベイビー・プラン』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会