『カーラの結婚宣言』:1999、アメリカ

軽い知的障害を持つカーラ・テイトは、全寮制の養護学校であるローズレイク・スクールで生活していた。24歳を迎えたカーラは実家へ戻ることになり、歯科医である父のラドリーが迎えに来た。飛行機の中でラドリーは、カーラが幼かった頃のことを回想する。カーラの知的障害が分かった時、ラドリーは妻のエリザベスから養護学校へ入れることを提案された。ラドリーは反対したが、エリザベスの説得を受けて承諾したのだった。
ラドリーがサンフランシスコの自宅へカーラを連れ帰ると、エリザベス、長女のキャロラインと結婚相手のジェフ、次女のヘザー、メイドのウィニーが待っていた。緊張しながら家へ入ったカーラを、一行は温かく歓迎した。夕食の後、カーラは「学校に行きたい。獣医の助手になりたいけど、高校の卒業証書が必要なの」と言い出した。エリザベスは「しばらくは、ゆっくり過ごして、それから考えましょう」と告げた。彼女は寝室を模様替えしていたが、カーラは昔と違っていることを好ましく思わなかった。
エリザベスはカーラに、大人になるよう促した。彼女はカーラに良家の娘としての振る舞いをに付けさせようと考え、テニスを練習させる。 エリザベスはカーラを買い物に連れて行き、良家の娘らしい靴を購入した。エリザベスはカーラを養護学校を入れた後、捨てられたペットの里親を探すための救済センターや劇場、図書館など多くの施設に寄付していた。その貢献を称えて表彰されることになり、彼女はカーラを連れて出席した。しかしエリザベスの親友である市議会議員のドリューが挨拶している間に、カーラがセンターの犬たちを柵から出してしまった。
カーラは「みんなが悲しむから出て行くわ」と置き手紙を残し、夜中に家出した。警官に保護されたカーラが養護学校の住所を言い、連絡を受けたエリザベスとラドリーが迎えに行く。ジョンソン医師からカーラが「息が詰まる」と言っていることを知らされたエリザベスは、「なぜなのか分からない」と苛立ちを示した。「このままだと、また逃げ出します。彼女の可能性を広げてやるべきです」とジョンソンは話し、カーラがベイエリア技術専門学校への入学を希望していることを明かした。
エリサベスは「職業訓練学校なんて、付いて行けるわけがありません。バカにされます」と呆れたように言うが、ラドリーは決め付けないよう諭す。挑戦するチャンスが必要だとジョンソンに説得されたエリザベスは、渋々ながらも承諾した。カーラは心配そうなラドリーに車で送ってもらい、専門学校へ赴いた。コンピューターの初級クラスを受講したカーラは、セクシーな格好で男性教師を誘惑しようとする女子生徒と遭遇した。帰宅したカーラは、鏡の前で彼女の真似をしてみた。
カーラは知的障害者である生徒のダニーと知り合い、彼から「ソーダでも飲んで、何か食べて行かない?」と誘われた。ダニーはカーラをファルコン・バーへ連れて行き、バス停で一緒にバスを待つ。彼は自分がマーチング・バンドで仕事をしていること、でも給料は無いことを語った。カーラは「いつか私も仕事をするの。責任ある人になったら、両親も文句を言わない」と話す。カーラは「パパが迎えに来るの。戻らないと。貴方の笑顔が素敵で付いて来ちゃったけど」と告げた。
ダニーがアパートで一人暮らしだと知ったカーラは、「私にはできない」と口にする。ダニーが「出来るさ。最高だ。出掛けるのも自由だし、夜遅くまで起きていられる。ペットも飼える」と言うと、カーラは自分も一人暮らしを始めたいと考える。カーラの誕生日には2人の姉も実家へ戻り、みんなでパーティーを開いた。いつかアパート暮らしをしたいという願望をカーラが口にすると、エリサベスは険しい表情で「そんな話はやめて」と告げた。カーラは悲しそうな表情を浮かべ、その場を去った。
ヘザーとキャロラインはカーラに理解を示し、「障害のある人も自立すべきだと書いた本もある」と母に告げる。ラドリーは「家族会議で決めないか」と提案するが、エリザベスは「カーラの命に関わる問題よ。まだ一人暮らしは無理。これからもずっと無理よ」と強硬に反対した。「火事や盗難に遭ったらどうするの?あの子は不測の事態に対応できない」と彼女は言い、反論しようとするヘザーに「カーラは貴方たちの子じゃない。私の子よ」と鋭く告げた。
エリザベスはラドリーに向かって「これからは私がカーラを守る。誰にも口出しさせない。貴方にも」と声を荒らげた。「家族の問題だ」とラドリーが怒りを示すと、エリザベスは少し落ち着いてから「非難するつもりは無かったの」と言う。「もっとカーラを信じよう。近くに住まわせればいい」とラドリーは話し、エリザベスはカーラの一人暮らしを認めることにした。ただしエリザベスはカーラに対して、一人暮らしを始めてもしばらくは男友達を入れないよう求めた。
カーラはダニーのアパートを訪れ、彼が持っているマーチング・バンドのCDを聴かせてもらう。大音量だったので、管理人のアーニーが注意に来た。ダニーは彼にカーラを紹介した。アーニーはダニーに、父親から届いた小切手を手渡した。それがダニーの生活費だ。カーラとダニーは、一緒にテレビで映画『卒業』を見た。ダニーから「ガールフレンドになってくれる?」と問われたカーラは、少し考えてから「いいわ」と答えた。
エリザベスは不動産屋を家に呼び、複数の物件を紹介してもらった。カーラはダニーがアルバイトしているベーカリーを訪れ、アパートが決まって2週間後に引っ越すことを報告した。ダニーはカーラをウエスタン・パシフィック大学へ行き、マーチング・バンドの仲間に紹介した。するとバンドマスターは、ダニーに指揮をさせた。ダニーとダンスの約束をしたカーラは、ヘザーに電話を掛けてメイクの相談をする。ヘザーは「ショッピング・センターへ行ってみれば?メイク・スタンドがあるわ」とアドバイスした。
ショッピング・センターへ出掛けたカーラは、無料サービスのメイクをやってもらう。しかし無料サービスは片方だけで、残りをやってもらうには50ドルが必要だった。そんな金など持っていないカーラは、仕方なく片側だけのメイクで帰宅した。カーラはエリザベスに、ダンスを教えてほしいと頼んだ。カーラはダニーと共に、学校のハロウィン・パーティーに参加した。1期目の成績が良くて普通校の授業に合格したカーラは興奮するが、落ちたダニーは落ち込んだ。
カーラが励ましても、ダニーは落胆したままだった。「君にバカだと思われるのがつらいんだ」と彼が吐露すると、カーラは「そんなこと思うわけない」と告げてキスを交わした。いよいよカーラがアパートへ移ることになり、エリザベスは「あの子は厳しい現実を知らずにいるわ」とラドリーの前で不安を吐露した。エリザベスは警察や病院への連絡方法をカーラに教え込み、消火器を何本も購入する。カーラは心配するエリザベスとラドリーを帰らせ、念願の一人暮らしに興奮した。
カーラはダニーから、フロリダで母親と暮らすことを告げられた。「落第したからパパがお金を払ってくれない。年が明けたら町を出る」と彼は言う。今の彼の稼ぎでは、家賃が払えないのだ。カーラはダニーの家でキスを交わし、「キス以上のことがしたい」と口にした。ダニーも同じ気持ちだった。ダニーと離れたくないと感じたカーラは、エリザベスに彼と同居したいと言う。エリザベスは反対し、カーラから助けを求められたラドリーも「今回はママが正しいよ」と告げた。ただし、エリザベスの「ダニーは金目当て」という考えについては、ラドリーは「違うと思うよ」と否定した。
カーラとダニーはセックスしたいと考え、そのための本を読んで勉強したりコンドームを準備したりする。「今すぐやりたい」とダニーは言うが、カーラは感謝祭まで待つよう求めた。感謝祭にはヘザーとキャロラインも帰郷し、テイト家が集まって食事を取った。アパートにダニーを迎えたカーラは、初めてのセックスに及んだ。しかし仕送りが止められるという状況は変わらず、ダニーは酒を飲んでアーニーの前で荒れた。アーニーは彼を抱き締め、優しい言葉で落ち着かせた。
テイト家がクリスマス・パーティーに出掛ける際には、ダニーも一緒だった。ダニーはカーラに、「仕送りは止められるけど、いい方法を思い付いた」と告げる。ジェフはマイクを握って来月の結婚を発表し、コーラス隊の歌に合わせてキャロラインと踊り始めた。すると酒の力を借りて勇気を得たダニーがマイクを握り、カーラと愛し合っていることを大勢の客の前で話した。その時は笑顔だったカーラだが、「感謝祭にやった」とダニーが言い出したことで観客が笑い出したため、激しい怒りを示して彼と絶交する…。

監督はゲイリー・マーシャル、原案はアレクサンドラ・ローズ&ブレア・リッチウッド&ゲイリー・マーシャル&ボブ・ブラナー、脚本はゲイリー・マーシャル&ボブ・ブラナー、製作はマリオ・イスコヴィッチ&アレクサンドラ・ローズ、共同製作はエレン・H・シュウォーツ、製作総指揮はデヴィッド・ホバーマン、製作協力はカレン・スターグウォルト、撮影はダンテ・スピノッティー、編集はブルース・グリーン、美術はスティーヴン・J・ラインウィーヴァー、衣装はゲイリー・ジョーンズ、音楽はレイチェル・ポートマン、音楽監修はキャシー・ネルソン。
出演はジュリエット・ルイス、ダイアン・キートン、トム・スケリット、ジョヴァンニ・リビシ、ポピー・モンゴメリー、サラ・ポールソン、リンダ・トーソン、ジョー・フラニガン、ジュリエット・ミルズ、トレイシー・ライナー、ホープ・アレクサンダー=ウィリス、ハーヴェイ・ミラー、ヘクター・エリゾンド、パトリック・リッチウッド、アルマ・イヴォンヌ、グレッグ・グーレット、スティーヴ・レスティヴォ、デニス・クリーガン、スティーヴン・ダニエル、ジェラルド・ミラー、ジャネット・リー、リンダ・ホーキンス、ジェームズ・エムリー他。


『プリティ・ウーマン』『恋のためらい/フランキーとジョニー』のゲイリー・マーシャルが監督を務めた作品。
カーラをジュリエット・ルイス、エリザベスをダイアン・キートン、ラドリーをトム・スケリット、ダニーをジョヴァンニ・リビシ、キャロラインをポピー・モンゴメリー、ヘザーをサラ・ポールソン、ドリューをリンダ・トーソン、ジェフをジョー・フラニガン、ウィニーをジュリエット・ミルズが演じている。
ゲイリー・マーシャル組のヘクター・エリゾンドは、今回はアーニー役で出演している。

映画が始まって早い段階で、エリザベスのキャラとしての動かし方に違和感を覚えた。
彼女はカーラが幼い頃、最初にカーラが知的障害だと認識し、反対するラドリーを押し切って養護学校へ入れている。その後、カーラの幼少期に面倒を見てやれなかったことを後悔していることも描かれている。「面会にも行けなくて。私はニューヨークで仕事があったから」と自分を責める気持ちを持っており、「今までの年月の埋め合わせをしたい」と夫に話している。
それにしては、エリザベスの戻って来たカーラに対する接し方が違うんじゃないかと感じるのだ。
彼女は夕食の時には「ナプキンを膝に置いて。もう大人なんだから」と言い、かつてカーラが使っていたティー・テーブルを捨てたことについて「あれは子供用だから。もう大人でしょ」と告げる。レタリングや折り紙を学ばせ、テニスを練習させる。
なぜかエリザベスは、カーラに大人としての立ち振る舞い、良家の娘としての立ち振る舞いを要求し、そのように内面も外見も変えようするのだ。

しかしエリザベスは、カーラが知的障害者であることを誰よりも良く認識しているはず。そして、養護学校から戻って来たからって、その知的障害が無くなったわけではないことぐらいは分かっているはずだ。
それなのに、なぜ知的障害を無視し、まるで知的障害を持たない成人女性であるかのように、「上流階級の淑女」として育てようとするのか。
それが無理なことぐらい、分からないはずはないでしょ。
エリザベスを悪役的なポジションに置いて物語を進めたいってのは分からんでもないけど、そこは引っ掛かるなあ。

本来なら、エリザベスとテイト家の他の面々ってのは、どちらもカーラを愛しているけど、その形が異なっている」という図式になっているじゃないかと思うんだよね。
つまり、エリザベスは「過保護に心配して守ってやろうとする愛」で、他の面々は「自由にさせて温かく見守ってやろうとする愛」という図式ってことだ。
エリザベスはカーラの母親なんだから、単純な悪役にしちゃマズいはずでしょ。
それが、この映画だと普通に悪役と化しちゃってるのよ。

そもそもエリザベスはカーラの知的障害を分かっているわけで、それなら彼女がどういう行動を取るかも予想できるはずなんだから、なぜ大事な表彰式のパーティーに連れ出したのか。
そして連れ出したのであれば、カーラが犬に近寄って吠えたり、檻から出したりした時に、それを頭ごなしに怒鳴るってのは違うんじゃないのかと。
これが「まだ知的障害を持つ娘の扱いに慣れない」ということならともかく、養護学校へ入れていたとは言え、もうカーラは24歳なんだよ。
ずっと離れていたとは言え、今まで何も学習してこなかったのか。

家出したカーラが「息が詰まる」と言っていることをジョンソンに知らされたエリザベスは、「なぜか分かりません。愛する娘を守ることがいけないと?」と苛立ちを示しているが、とても守ろうとしているようには見えない。「娘を守ろうとしているけど、やり方が間違っている」ということではなくて、そこまでのカーラに対する押し付けは、自分の体面を守ろうとしているだけにしか見えないんだよな。
そういうキャラ設定にして話を進めて行くというのも、1つの案として無くはないだろう。
しかし本作品の場合、エリザベスは本当に娘を守ろうとしているという設定であり、本当に娘を愛しているという設定だ。だから一人暮らしを始めようとした時も「不測の事態に対応できなくて危険だから」と反対し、「これからは私が守る」と訴えるんでしょ。
だから、それじゃあ困るのよ。
途中で「体面を守ろうとしているだけだった自分に気付いて反省する」という展開も無いんだし。

カーラの結婚話が浮上した段階で、序盤におけるエリザベスの動かし方が改めてマイナスに作用してくる。と言うのも、カーラの結婚にエリザベスが反対するのは「もしも何かあったら大変だという心配が強いから」ってことのはずだからだ。
しかし、序盤の彼女の態度からすると、それだけじゃなくて「良家の娘の結婚相手として、知的障害者のダニーは不適合である」という意識が働いている可能性が見えてしまう。
それだと、差別意識ってことになっちゃうわけで。そりゃ本来伝わるべき印象と全く別物になるんだからマズいでしょ。
だからエリザベスの動かし方としては、最初から「カーラが自由に外へ出たがるけど、過剰に心配して常に目の届く場所に置こうとする」という形の方がいいんじゃないかと。良家の娘としての振る舞いを教え込もうとした序盤の展開が、後になってから物語に大きな影響を及ぼすというわけでもないんだし。そこが無くても支障は無いんだし。
その部分が、ホントに厄介なモノになってるんだよなあ。

エリザベスだけでなく、ヘザーとキャロラインの動かし方にも問題がある。
この2人が「要らなくねえか?」と感じるようなキャラになっているんだよな。離れて暮らしているから、たまにしか登場しないし。
ザックリとした立場としては「ラドリーと同様にカーラへの自由を与えることに賛成」ということになるんだけど、ただ無責任に「自由にさせてやればいいんじゃねえの」と言っているように見える。
ラドリーには「何かあったらカーラを助けてやろう、守ってやろう」という意識を感じるけど、ヘザーとキャロラインには妹に対する愛が感じられないんだよな。
で、「愛が無い姉たち」というのを使ってドラマを用意するわけでもなく、っていうか愛が無いという設定でもないので、「そんな扱いなら、いっそ両親だけでもいいんじゃねえか」と思ってしまうんだよな。

それと、知的障害者同士の恋愛劇にしたのは、果たしてどうだったんだろうかと思ったりもする。そこはカーラが知的障害者なら、相手は健常者にした方が良かったんじゃないかと。
差別だの偏見だのと言われるかもしれないけど、この映画を見る観客の大半は健常者のはずで、知的障害者と知的障害者の恋愛ってのは、ちょっと見づらいトコがあるかなあと思っちゃうんだよね。
それは「どういう風に見たらいいのか困ってしまう」ってことだ。知的障害者の感情表現ってのが少なくとも本作品では健常者と異なるので、同情や共感は出来ても、恋愛劇に感情移入するのが難しくなっている印象を受けるんだよね。
「見守る家族の立場になればいいんじゃねえか」と思うかもしれないけど、恋愛劇は基本的に家族が介在しない場所で進行しているわけで。

終盤の展開を見ていても、やはり知的障害者同士の恋愛劇にしたことに対する疑念が沸いた。それは、カーラとダニーの結婚が浅はかな決断にしか見えないからだ。
ここに関しては、反対するエリザベスに賛同したくなるんだよね。むしろ、全面的に容認するラドリーと2人の姉の方が無責任に思える。
何がダメって、それは「仕送りがストップして町を出なきゃいけない。ずっとカーラと一緒にいたいから結婚する」というのがダニーの思考であって、そりゃ違うんじゃないかと。
それに、ダニーは大した稼ぎが無いし、カーラは無職だから、この2人の結婚生活が幸せになるには「テイト家が金持ちだから」という条件があってこそなんだよね。結局は金があるから何とかなっているわけで、それはどうなのかと。

この作品でジュリエット・ルイスはラジー賞の最低助演女優賞にノミネートされたが(なぜか主演なのに助演扱い)、その理由は簡単で「なんか芝居が違うんじゃねえか?」ってことだ。
個人的な感想としては、ラジー扱いされるほど酷くは無いと思う。
ただ、たぶん「幼い女の子」というイメージで演技をしているんじゃないかとは思うし、「可愛いか、可愛くないか」という二択なら可愛い部類に入るけど、もっと高いレベルでの可愛さが欲しかったかな。
あと、言葉の発音に難があり、ハッキリと知的障害が分かるような形で演じているけど、カーラは「軽い知的障害」という設定のはずだから、それは少しアプローチが違うのではないかという印象は抱いた。

(観賞日:2014年9月19日)


第20回ゴールデン・ラズベリー賞(1999年)

ノミネート:最低助演女優賞[ジュリエット・ルイス]

 

*ポンコツ映画愛護協会