『荒野はつらいよ 〜アリゾナより愛をこめて〜』:2014、アメリカ
1882年、アリゾナのオールド・スタンプという田舎町に、アルバート・スタークという羊飼いが暮らしていた。彼は過酷な荒野で生きるタフさを持たない腰抜けだったが、牧場主のチャーリーから決闘を申し込まれる。アルバートの羊が食い荒らしたため、チャーリーの牧場が台無しになったのだ。アルバートは何とか穏便に済ませようと考え、損害の返済を申し出た。「羊を売って2日で金を工面する」と彼が話すと、チャーリーは了承した。
アルバートの弱気な態度を見ていた恋人のルイーズは「決闘すべきだった」と落胆し、別れを告げた。アルバートの親友である靴修理人のエドワードは、恋人のルースと会うためサルーンを訪れていた。ルースは娼婦であり、2階の部屋で客とセックスして激しく喘ぐ声は1階まで聞こえていた。女主人のミリーから「一日で15人と寝るのが恋人の仕事でも平気なの?」と問われたエドワードは「僕も汚れ仕事さ」と答え、ルースを散歩に連れ出した。
夜、エドワードとルースは失恋したアルバートを気遣い、一緒にサルーンへ飲みに行った。ルースから「ルイーズと話してみたら?」と促されたアルバートは、酔っ払った状態で愛馬のカーティスに乗る。アルバートはルイーズの家へ行くが、深夜なので「もう寝るわ」と追い払われた。後日、老いた探鉱者が馬車で町へ向かっていると、悪党のクリンチが妻のアナや手下のルイスたちを連れて通り掛かった。探鉱者は持っていた金塊を隠すが、クリンチは銃を構えて脅した。
探鉱者が金塊を差し出そうとすると、クリンチは「このままじゃ俺は泥棒になる。銃を抜け」と要求した。クリンチは探鉱者に拳銃を構えさせた上で射殺し、金塊を奪い取った。その卑劣な行為にアナが激昂すると、クリンチは「手下の前で俺を侮辱するな」と凄んだ。彼はシャーマン・クリークへ向かうため、3人の手下を引き連れて近道を行くことにした。彼はアナに、「ほとぼりを冷まそう。ルイスと2人でオールド・スタンプに身を隠せ。12日後に迎えに行く」と指示した。
アルバートはチャーリーに金を払った後、失恋の辛さから家に閉じ篭もっていた。エドワードはアルバートを町に連れ出し、元気付けようとする。しかしアルバートはルイーズが口髭屋の店主であるフォイとキスしている現場を目撃し、ショックを受けた。アルバートたちが教会のミサへ赴くと、ウィルソン牧師は参加者に新しい仲間としてアナとルイスを紹介した。2人は兄妹を装い、町で農場を始めると嘘をついていた。
アルバートは口髭店へ行き、フォイに「人の恋人を盗んで恥ずかしくないのか」と詰め寄った。しかしフォイが余裕の態度で「彼女は君を捨てて、金持ちの私を選んだだけだ」と告げたので、アルバートは憤慨しながら店を去った。夜、彼はサルーンへ行き、エドワードとルースに「町を出る。ここの全てが嫌いだ」と言う。その直後、ルイスがウィルソンの息子と言い争いになり、拳銃を発砲した。それがきっかけとなり、サルーンで乱闘が勃発した。
アルバートとエドワードは巻き込まれないよう、争っているフリをする。店に来ていたアナは、余裕の態度で酒を飲んだ。2階から男たちが落下するのに気付いたアルバートは、アナを突き飛ばして助けた。彼はアナを外へ連れ出し、失恋したことを話した。するとアナは、「出発を延期して。土曜のお祭りに行きましょう。ルイーズの気を惹くために、私と一緒にいる姿を見せるのよ」と持ち掛けた。祭りの朝、アナは牢に入れられたルイスの元へ行って愚かな行動を非難し、「いつかクリンチより早撃ちの男が現れるわ」と告げた。
アナは祭りの会場でアルバートと合流し、ルイーズとフォイに遭遇した。アナは2人に挨拶して挑発的な態度を取り、射的での勝負を持ち掛けた。アルバートはフォイに惨敗するが、交代したアナが余裕の勝利を収めた。アルバートはフォイから馬鹿にされ、カッとなって決闘を申し込んだ。彼は「明朝8時」と指定するが、アナが1週間後に変更させた。すぐに後悔したアルバートだが、アナは「決闘に勝てばルイーズも考え直すわ」と告げる。
アナは弱気なアルバートに、射撃の指導を買って出た。最初は一発も標的に命中しなかったアルバートだが、アナの熱心な指導によって少しずつ腕前が上達していく。それに伴い、アルバートとアナの関係も親密になっていく。決闘の前夜、ルイスは隙を見て保安官を殺害し、牢から抜け出した。一方、アルバートはアナとダンス・パーティーに繰り出すが、フォイに挑発的な態度を取られる。アナは酒に下剤を混入し、フォイを欺いて一気に飲ませた。
アナは会場を出て、アルバートと酒を酌み交わした。アルバートはアナに感謝し、お礼のプレゼントを贈った。2人は唇を重ねるが、その様子をルイスが密かに目撃していた。翌朝、ルイスから知らせを受けたクリンチが、決闘の場へ向かおうとしているアナの前に現れた。アルバートはアナが来ないのを気にしながらも、決闘の場でフォイを待つ。フォイは下剤のせいで決闘どころではなかったが、アルバートは「彼女はやる」と告げる。彼はルイーズに「君は大事だけど、恋愛は2人の物だってことを忘れていた。最近、人に好かれる気持ちに気付いたんだ」と話してアナの元へ向かうが、彼女はクリンチに捕まっていた…。監督はセス・マクファーレン、脚本はセス・マクファーレン&アレック・サルキン&ウェルズリー・ワイルド、製作はスコット・ステューバー&ジェイソン・クラーク&セス・マクファーレン、製作総指揮はアレック・サルキン&ウェルズリー・ワイルド、共同製作はエリック・ヘフロン、製作協力はケリー・クローニン&アーロン・マクファーソン&ジョセフ・マイカッチ、撮影はマイケル・バレット、美術はスティーヴン・ラインウィーヴァー、編集はジェフ・フリーマン、衣装はシンディー・エヴァンス、視覚効果監修はブレア・クラーク、音楽はジョエル・マクニーリー。
出演はセス・マクファーレン、シャーリーズ・セロン、アマンダ・セイフライド、リーアム・ニーソン、ジョヴァンニ・リビシ、ニール・パトリック・ハリス、サラ・シルヴァーマン、ウェス・ステューディー、ジョン・アイルウォード、マット・クラーク、エヴァン・ジョーンズ、ジェイ・パターソン、ブレット・リッカビー、アーロン・マクファーソン、アレックス・ボースタイン、レックス・リン、クリストファー・ヘイゲン、ラルフ・ガーマン、アーミック・バイラム、デニス・ハスキンズ、クリストファー・ロイド、ギルバート・ゴットフリード、ユアン・マクレガー、ジョン・マイケル・ヒギンズ他。
『テッド』のセス・マクファーレンが次に監督を務めた作品。
脚本は『テッド』に続いてセス・マクファーレン&アレック・サルキン& ウェルズリー・ワイルドが担当している。
アルバートをセス・マクファーレン、アナをシャーリーズ・セロン、ルイーズをアマンダ・セイフライド、クリンチをリーアム・ニーソン、ルイーズをジョヴァンニ・リビシ、エドワードをニール・パトリック・ハリス、ルースをサラ・シルヴァーマンが演じている。『テッド』では映画やTVドラマ関連のネタが幾つも盛り込まれ、それに関連するゲスト出演者も大勢いた。『フラッシュ・ゴードン』が大きく扱われ、主演俳優だったサム・ジョーンズが本人役で出演していた。他に、歌手のノラ・ジョーンズと俳優のトム・スケリットが本人役で登場した。アンクレジットだが、テッド・ダンソンが本人役、ライアン・レイノルズはホモの恋人役で出演していた。
そういうことが、映画の売りの1つでもあった。
今回も『テッド』と同様に映画やTVドラマ関連のネタがあり、ゲスト出演者も何人かいる。
クリストファー・ロイドは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクとして登場し、ギルバート・ゴットフリードはエイブラハム・リンカーン、ユアン・マクレガーがお祭り会場のカウボーイとして出演している。
アンクレジットだが、ジェイミー・フォックスが『ジャンゴ 繋がれざる者』のジャンゴ役で、ライアン・レイノルズがサルーンでクリンチに殺される男の役で、ビル・マーがダンス会場のコメディアン役で、メイ・ホイットマンが娼婦役で出演している。
また、『テッド』でナレーションを担当していたパトリック・スチュワートが、今回は羊の声を担当している。個人的にはそんなに面白いと思えなかった『テッド』だが、世界的に大ヒットしたことは確かである。
あの映画はマニアックな小ネタのオンパレードがメインだが、セス・マクファーレンが面白いと感じたネタを取捨選択せずに詰め込んでおり、「質より量」という状態になっていた。
それでも大ヒットしたのは、「素行不良のテディー・ベア」というキャラの力が大きいんだろう。
ハッキリ言って、そこはアイデアの段階で思考停止に近い状態となっており、充分に機能しているとは言い難いモノだったが、「可愛い」というキャッチーな部分が訴求力に繋がったのだろうと思われる。そんな『テッド』と比べると、この映画はテディー・ベアのような飛び道具的なキャラが存在しないため、その時点で厳しい勝負を要求されることになる。
何しろ、やっていることは『テッド』と似たようなモンだからだ。
セス・マクファーレンは前作と同じく、下ネタや人種差別ネタなどを「これでもか」と詰め込んでいる(ただしマニアックなネタは『テッド』より控えめ)。
そこに取捨選択の意識は皆無で、自分が面白いと思ったネタをバランスとや統一感なんて無視して盛り込んでいる。
ザックリ言っちゃうと、『テッド』との違いは「テッドの有無」だけだ。だから『テッド』を見て、「テッドというキャラクター」以外の部分で充分に満喫できた人であれば、この映画も楽しめる可能性は高い。
同じようなノリ、同じような小ネタを期待して観賞すれば、その期待には応えてくれるはずだ。
『テッド』が大ヒットしたもんだから、セス・マクファーレンは自分のやりたいことを好き放題にやっている。自分が主演して脇に大物俳優たちを起用し、思い付いた下品なネタを演じてもらっているんだから、そりゃあ楽しくて仕方が無かっただろうなあ。
町長の死体を犬が引っ張るとか、アナの連れている犬が死体の足をくわえて来るとか、大きな氷を運ぼうとしていた男が押し潰されて死ぬとか、写真を撮影しようとしていた男が写真機の爆発で焼け死ぬとか、やたらと「死」を使ったネタが多く使われる。
まあ西部劇だから、そっち方面のネタを持ち込みやすいってことはあるんだろう。下ネタだけじゃなくてグロテスクな表現も大好きなセス・マクファーレンなので、ノリノリだったことは間違いないだろう。「思い付いたネタを出来る限り放り込む」ってのが最大の目的であり、ストーリーは後回しになっている。
「ストーリーは無きに等しい」という状態ではないし、「ネタのためにストーリーがフラフラしまくる」というほどでもない。ただ、ネタを消化するために展開が遅れるとか、段取りに必要なドラマが伴っていないとか、そういう現象は起きている。
例えば、チャーリーから決闘を申し込まれた時にビビりまくっていたアルバートが、フォイから馬鹿にされた時は逆に決闘を申し込むってのは、なかなか無理のある筋書きだ。
「カッとなった」というのが言い訳として用意されているけど、ホントにヘタレなら、そこでカッとなって決闘を申し込んだりしないはずで。アルバートとアナの恋愛劇も、「射撃の指導で一緒にいる内に距離が縮まる」ってのは理解できるし、その後に関係が深まる展開も納得できるが、そもそもアナがアルバートに対して異様なほど親切にする理由が全く見当たらない。
それと、アナの方が先に惚れたぐらいなのに、クリンチが愛犬のプラガーを殺そうとすると、キスの相手がアルバートだと白状しちゃうのはダメだろ。
そりゃプラガーも大事だろうけど、アルバートは犬よりも扱いが下ってことなのかよ。
それは喜劇のネタだとしても乗り切れないが、笑いにもなっていないので、ますます引っ掛かるわ。前述したゲスト出演にしても、ホントに「ただ放り込んだだけ」であって、話の流れなんて完全無視だ。
例えばドクは「アルバートがアナを送った帰り、たまたま納屋にいるのを目撃する」という形で登場するのだが、それだけで仕事を終えてしまう。ジャンゴにしても、ほぼ似たようなモンだ。
もちろんパロディーだと分かっていれば、意味は分かるし、笑いとしては成立している。
でも、ホントに「ただ登場させただけ」という扱いなので、ものすごく荒っぽい状態であることは否定できない。と、ここまでの批評を読んだ人は、私が本作品を駄作だと判定し、酷評しているように思ったかもしれない。
そうだとすれば、その印象は間違っている。
まあ私のコメントが誤解を招いていることになるんだろうけど、実のところ、そんなに悪い出来栄えだとは思っていない。『テッド』と比較すると、むしろ本作品の方が評価としては上だ。しかも、圧倒的に本作品の方が上だ。
その理由は簡単で、こっちの方が「西部劇」としてのフォーマットを上手く利用して、ちゃんとした物語の展開が構築できているからだ。
前述したように、恋愛ドラマなど様々な部分で弱さはあるし、お世辞にも傑作とは言えないけど、そんなに悪くはないかなと。最初から高い期待を抱かずに観賞すれば、「お気楽な喜劇」としては、それなりに楽しめるんじゃないかとは思うのよね。
少なくとも、「時間の無駄遣い」ってことになるリスクは低いと思うよ。
ただし、
「小ネタの大半は散らかっている上にテンポを悪くしているだけなので、排除しちゃった方がスッキリするし、もっと面白くなったんじゃないか」
「主演はセス・マクファーレンじゃない方が良かったんじゃないか」
と感じたことは、ここだけの秘密である。(観賞日:2016年6月3日)
第35回ゴールデン・ラズベリー賞(2014年)
ノミネート:最低主演男優賞[セス・マクファーレン]
ノミネート:最低主演女優賞[シャーリーズ・セロン]
ノミネート:最低監督賞[セス・マクファーレン]
ノミネート:最低スクリーン・コンボ賞[セス・マクファーレン&シャーリーズ・セロン]