『クーパー家の晩餐会』:2015、アメリカ

クリスマス・イヴの朝、シャーロット・クーパーは37個目のスノードームを眺めながら、最高に幸せだった瞬間を思い出した。夫のサムは、それに続く瞬間を思い出した。夫妻の息子であるハンクは離婚調停中で、朝から妻のアンジーと言い争っている。そこへシャーロットとサムが来たので、アンジーは取り繕って立ち去った。ハンクの長男であるチャーリーは反抗期で、シャーロットが挨拶しても無視して外出する。次男のボーはチャーリーの後を追い、ハンクは仕事へ行くと言って末娘のマディソンを両親に預けた。
ダイナーで働くルビーは人と交わるのが苦手だが、5年前から常連のバッキーは例外だった。元教師のバッキーはシャーロットの父親で、何本もの映画DVDをルビーに貸していた。ダイナーの食事は美味しくなかったが、彼はメビーが目当てで通っている。シャーロットの妹であるエマは、姉のために金を使いたくなかった。デパートへプレゼントを選びに出掛けた彼女はブローチを万引きするが、すぐに警備員が発見した。
サムはシャーロットとマディソンを伴い、叔母のフィッシーが入所している老人ホームへ出掛けた。クーパー夫妻は老人たちと一緒に歌うが、ピアノ伴奏の老女が些細なことで憤慨して退席してしまった。シャーロットとサムは離婚を決めているが、まだ家族には話していない。夫妻の娘であるエレノアは婚約者の浮気を見て以来、心の傷が癒えていない。彼女は空港のバーに立ち寄り、酒を注文した。サムは痴呆のフィッシーと話し、シャーロットに旅行を却下されて離婚を決意したことを口にする。
ハンクはデパートのカメラマンだったが、現在は失業中だ。17件目の面接を待っている時、カメラマン時代に1度だけ会ったルビーの顔が彼の脳裏に浮かぶ。エレノアはバーで軍人のジョーと出会い、自分が劇作家であることや、家族に会うまで6時間の暇潰しをしていることを語る。シャーロットは子供たちに最高のクリスマスの思い出をプレゼントしたいと考えており、事前に離婚を明かそうとするサムと意見が対立する。「約束を破るの?」と言うシャーロットに、サムは「君が旅行を断って歩み寄りを拒否した」と告げる。
ボーはチャーリーに素敵なプレゼントを用意し、以前の兄に戻ってもらいたいと考えてデパートを走り回る。そのデパートでアルバイトをしているローレンに、チャーリーは片想いしている。何とか仲良くなりたいと思うチャーリーだが、いざ目の前に行くと緊張してしまう。バッキーはルビーが他の客と話すのを聞き、今日で店を辞めることを知る。何も聞いていなかったバッキーが責める口調になると、ルビーは「ずっと切り出せなくて」と釈明した。ルビーは「貴方が言ったのよ、人生はやり直せるって」と告げ、ミシシッピ州へ移ることを話す。バッキーは「変えるのは場所じゃなくて自分だ」と述べ、臆病者だとルビーを激しく非難した。
エマはウィリアムズ巡査にパトカーで連行される途中、同情心を誘って許してもらおうとする。それが失敗に終わると、今度は「20年も精神科医をやっている」と言い、話を聞くと持ち掛ける。ウィリアムズは「付き合ってる相手に気持ちを伝えるのが下手だ」と告白し、エマは彼がゲイだと見抜いて指摘した。花を買いに出掛けたハンクはバッキーと合流し、「新年までに仕事を見つけないと」と焦りを吐露する。バッキーは気にしないよう言ってポインセチアの代金を払おうとするが、ハンクは自分が出すと主張した。
エレノアはジョーに、親の喜ぶ顔を見たいが失望させてばかりだと話す。彼女は不倫していること、結婚願望が無いことを語る。ジョーが「両親が理想だ」と言うと、エレノアは「私はお断り。子供が独立した途端、喧嘩してばかり」と口にする。ジョーが不倫について「人生を無駄にしちゃいけない」と告げると、彼女は攻撃的な口調で「無駄って言うのは、軍服で人に説教して、父親を喜ばせるため戦争に行くことよ」と語る。ジョーは「それじゃあ」と述べ、その場を後にした。
エマはウィリアムズが母親から厳しく育てられたことを知り、「心に蓋をして来たのね。本当の自分を隠して社会に適応しようとして、どんどん孤独になる」と告げる。シャーロットとサムは車で移動中、ホワイトヘッド家の息子を見つける。2人は彼の名前を思い出せず「デカ鼻」としか認識していなかったが、車に乗せてやる。デカ鼻が「ヤクを見つかって母親に車を没収された」と言うと、サムは「若い頃は僕らも良くやった」と告げる。シャーロットとサムは1960年代の体験を語り、初めて2人で森へ行った時のことを思い出した。その様子を見たデカ鼻は、車から降ろしてもらった。
エレノアはジョーを見つけ、互いに謝罪する。「貴方が恋人だったら完璧だったのに」とエレノアが告げると、ジョーは「僕が戦争に行くからさ」と笑う。エレノアは彼に、一晩だけ家族の前で恋人のフリをしてほしいと頼んだ。ボーはチャーリーがローレンからディープキスされている様子を目撃する。そこへローレンの恋人のブレイディーが現れ、チャーリーに詰め寄る。ボーは駆け寄って追い払おうとするが、ブレイディーに威嚇されて逃げ出した。チャーリーはブレイディーに顔面パンチを食らい、デパートを後にした。
バッキーはダイナーへ戻り、ルビーに「君は臆病じゃない。君に会いたくて、店に来ていた。今度こそお別れだ」と告げた。エレノアとジョーは話を合わせるため、互いの私生活や家族について説明する。エレノアはジョーに、心臓の悪かった妹のリジーが亡くなっていることを語った。エマはウィリアムズに、姉へのプレゼント代をケチってブローチを盗んだと告白する。彼女は「いつも他人の愛情を計って、同じ分量だけ返そうとする」と言い、姉への嫉妬心と劣等感を抱いた幼少期の出来事を思い浮かべた。
サムはシャーロットに、「旅行に行こう。子供や日常から離れたら、やり直せるかも」と告げる。しかしシャーロットは冷たい態度で、「ここでダメなら、アフリカに行っても同じよ」と拒んだ。サムが「僕の夢だった。30年も待った。退職後の楽しみにしようと君が言ったからだ」と告げても、彼女は構わず料理の準備を始める。サムが「君は子供たちのいない生活を恐れてる。目を離した隙に何か起こりやしないかと」と語ると、シャーロットは「何十年も一緒にいるのに、私を分かってない」と声を荒らげた。
サムが「そうだな。子育てにの間に互いを見失った。リジーが死んで、さらに遠くなった。それでいいのか」と告げると、シャーロットは「今さらアフリカへ行っても、私には意味が無いの。思い出と旅をしたいなら、一人で行って」と突き放す。サムが「出て行く」と口にすると、シャーロットは彼を激しく非難する。2人が言い争っていると、エレノアがジョーを伴って帰郷した。シャーロットとサムが取り繕っていると、エレノアに恋人として紹介されたジョーは咄嗟に「婚約者です」と言ってしまう…。

監督はジェシー・ネルソン、脚本はスティーヴン・ロジャース、製作はマイケル・ロンドン&ジャニス・ウィリアムズ&ジェシー・ネルソン、製作総指揮はキム・ロス&アンナ・カルプ&テッド・ギドロウ&スティーヴン・ロジャース&ダイアン・キートン、共同製作はロビン・フィジケラ&マーシャ・L・スウィントン、撮影はエリオット・デイヴィス、美術はベス・ルビーノ、編集はナンシー・リチャードソン、衣装はホープ・ハナフィン、音楽はニック・ウラタ。
出演はアラン・アーキン、ジョン・グッドマン、エド・ヘルムズ、ダイアン・キートン、アンソニー・マッキー、アマンダ・セイフライド、ジューン・スキッブ、マリサ・トメイ、オリヴィア・ワイルド、ジェイク・レイシー、アレックス・ボースタイン、ジョン・テニー、ティモテ・シャラメ、マクスウェル・シムキンズ、ブレイク・バウムガートナー、モリー・ゴードン、レヴ・パクマン、ドロシー・シルヴァー、キーナン・ジョリフ、スコット・ギャラン、マイク・プサテリ、クリスティン・スレイズマン、キャディー・ハフマン他。


シャーロット役のダイアン・キートンが製作総指揮も兼任した作品。
監督は『コリーナ、コリーナ』『I am Sam アイ・アム・サム』のジェシー・ネルソン。脚本は『ニューヨークの恋人』『P.S. アイラヴユー』のスティーヴン・ロジャース。
バッキーをアラン・アーキン、サムをジョン・グッドマン、ハンクをエド・ヘルムズ、ウィリアムズをアンソニー・マッキー、ルビーをマンダ・セイフライド、フィッシーをジューン・スキッブ、エマをマリサ・トメイ、エレノアをオリヴィア・ワイルド、ジョーをジェイク・レイシー、アンジーをアレックス・ボースタイン、エレノアの不倫相手のモリシーをジョン・テニー、チャーリーをティモテ・シャラメが演じている。
ラグスの声を、スティーヴ・マーティンが担当している。

映画の冒頭、ナレーターが「人は幸せの真っ只中にいると、それに気付かない」と語る。
そこに着地しようとするのが、この物語である。
映画が始まるとクーパー家の面々が順番に登場し、ナレーションが「シャーロットは」「サムは」という風に語って各人の状況や心情を説明する。
それほど複雑に入り組んでいるわけではないので、相関関係の把握が難しいってことはないだろう。
ナレーションは余計な情報を喋り過ぎて邪魔になるケースも少なくないが、この作品は「クリスマスの御伽噺チックな味付け」ということを考えても、それによって進行する方法を選んだのは悪くない。

ただし気になるのは、クーパー家の面々じゃないキャラクターに関する語りまで入っていることだ。
「ルビーは」というパートが到来した時、てっきり彼女もクーパー家の一員かと思ったのだが、そうではなかった。
他は全てクーパー家の一員なのに、部外者の視点から語るパートが用意されているのはバランスが悪い。
しかも「人と交わるのが苦手」と語るけど、現在のシーンでそんな様子は全く見られないし。バッキー以外の客とも、普通に接しているし。

後から「実はルビーがクーパー家の一員だった」という仕掛けがあるならともかく、そういうわけではない。なので、そこだけクーパー家じゃないキャラに関する語りを入れて、彼女の側から描くのは明らかに構成として上手くない。バッキー側から描く形でも、まるで支障は無いはずだ。
それでも、まだルビーはクーパー家と絡むからマシな方かもしれない。
その後に「ウィリアムズは」という語りが入った時には、「いやいや」と苦笑しながらツッコミを入れたくなった。
「カウンセングを受けようとしたけど人と話すのが苦痛でやめた」とか、どうでもいいよ。
クーパー家の集まりに深く関与するならともかく、そうじゃないんだから。

エマがウィリアムズに芝居形式で幼い頃の体験を語るよう促し、母親役を演じさせるシーンも、それに伴ってウィリアムズの幼少期の家族写真が挿入される演出も、「それってホントに必要なのか」と言いたくなる。
なぜウィリアムズを掘り下げようとするのか、まるで理解できない。そこはウィリアムズを使って、エマを掘り下げるべきじゃないのか。
エマがウィリアムズに「私だって、こんな寂しい人生を送るとは思わなかった」と言い、夫も子供もいないことを話す手順はあるけど、その程度なのよ。

何人かの回想シーンが短く挿入されており、その内容についてナレーターがザックリとした説明をする。
本来であれば、不幸な出来事なら、「そのせいで今の生活や考え方に大きな影響が出ていて」といった描き方に繋げるべきだろう。幸せな出来事であれば、「それに比べて今は」という風に、現在が不幸であることを際立たせるために利用されるのが望ましいはずだ。
しかし、表面的にはそういうことが少しはあるものの、ほぼ無力となっている。形式的に用意されているだけで、効果的に使おうとする意識は乏しい。
実際、回想シーンを全て排除したとしても、ほとんど影響は無いだろう。

ジョーがエリノアからニーナ・シモンの曲を聴かされると、動く歩道で交差したり、ジョーがエリノアを抱き上げてクルクル回転したりという映像が描かれる。
その行動は、もう付き合っているか、付き合うことを決めた関係でもないと成立しないような親密度だ。
その直後に「この場限りの出会いでも、あの時、心に浮かんだ光景をジョーは一生忘れないだろう」というナレーションが入り、それがジョーの妄想だったことが示される。
でも分かりにくい上に、「またクーパー家の一員じゃない奴についての語りなのか」と言いたくなる。

チャーリーとローレンのキスをボーが目撃した後、それをデパート警備員もフランシスも見る様子が写し出される。
するとナレーターが、「警備員のフランシスは、2人を引き離すか悩んだ。だが止めに入る前に、自分もヤドリギの下でキスしたことを思い出した」と語り、彼の若き日のキスシーンが挿入される。
そういうのも、「わざわざ回想シーンまで挿入して、こんなキャラをフィーチャーしてどうすんの」と言いたくなる。

シャーロットとサムに思い出話をさせることが目的なのは分かるが、1シーンだけ登場するホワイトヘッド家のデカ鼻なんて、まるで不要なキャラクターだ。
群像劇であり、クーパー家の面々を丁寧に描き、上手く捌いた上で1つに集結させる作業だけでも大変なのに、手を広げ過ぎて散らかりまくっているのよ。
そして手を広げ過ぎたせいで、肝心な部分がおざなりになっている。
クーパー家の面々のドラマが薄くなったら、本末転倒でしょ。

エレノアは好きなニーナ・シモンの曲をジョーに聴かせるなど、彼への恋心を抱いていることを確信させる行動を取る。
ところが彼女は、結婚している男と交際していることを話す。その関係が冷え切っているとか、もう終わりにしようと考えているとか、そういうことは全く口にしていない。
なので、不倫中にも関わらず出会ったばかりのジョーに気があるフリをして積極的にアピールするのは、ただの浮気性にしか見えない。
しかもエレノアは些細なことでジョーに突っ掛かるわ、その直後に捜し当てて謝罪するわ、唐突に「貴方が恋人だったら完璧だったのに」とか言い出すわ、家族の前で恋人のフリをするよう頼むわと、もうメチャクチャな女にしか見えないぞ。
最終的にはエリノアとジョーがカップルになることを示唆しており、表面的にはハッピーエンドなのだが、ちっとも祝福する気になれない。生真面目で純朴なジョーが、厄介な女であるエリノアに苦労させられるだろうなあと感じるからだ。

ボーは兄を救おうと駆け付け、ブレイディーのズボンを脱がしてパンチで吹き飛ばす。だが、それは彼の妄想で、実際は威嚇されて逃げる。バッキーがダイナーに戻って告白すると、「ルビーは彼の内面の姿を見た」という語りが入り、バッキーが若き日の姿に変化する。
その辺りの趣向も、その場限りのモノなので、まとまりを悪くしているなあと。
そんなトコに意識を向ける一方で、それぞれの抱える問題が表面的にしか語られていないので、その悩みや苦しみが心に響いて来ない。
シャーロットに至っては、なぜサムをヒステリックな態度で拒絶するのかサッパリ分からない。
何年にも渡って積み重なった不満&娘の死という要素が影響しているようだが、「だからヒステリックにサムを拒むのだ」と言われても「いや分からんわ」と。

クリスマス映画なので、もちろん最後は「全ての問題が解決し、みんなが笑顔になりました」というハッピーエンドが待ち受けている。
それは最初から分かり切っているが、こっちも期待していることなので、予定調和で一向に構わない。そこに変な捻りなど要らない。
ただ、あらかじめ定められたゴールへと向かう道筋が、ものすごく脆弱で頼りない。
サニーサイドにある道を着実に歩んでおらず、「フラフラと漂っていたら、いつの間にかゴールだった」という感じなので、辿り着いた時の満足感が得られない。

例えば、「一度は攻撃的な言葉でジョーを拒絶したエレノアが慌てて後を追い掛けると、彼が待っていてくれてキスをする」というゴールにしても、これっぽっちも祝福する気持ちが湧かない。
「ローレンが会いに来てくれて、チャーリーと熱烈なキスをする」とか、「そんな様子を見ていたハンクとアンジーは、さっきまで喧嘩していたけど和解する」ってのも、雑な処理だと感じるだけ。
「ハンクがルビーに声を掛け、これから仲良くなる予感が漂う」ってのも、確かにハンクがルビーを思い浮かべたことがナレーションで語られていたけど、2人の関係なんてチラッとしか触れていないので強引極まりないと感じる。
シャーロットとサムがヨリを戻すのも、エマがシャーロットにプレゼントを渡して打ち解けるのも、力の無いまとめ方だなあと感じるだけ。

(観賞日:2017年10月26日)


第36回ゴールデン・ラズベリー賞(2015年)

ノミネート:最低助演女優賞[アマンダ・セイフライド]
<*『クーパー家の晩餐会』『PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会