『キング・オブ・エジプト』:2016、アメリカ&オーストラリア
古代エジプト。太陽神ラーには2人の息子がいた。兄のオシリスはナイル川の肥沃な大地を治め、弟のセトは砂漠で耐える日々が続いた。オシリスは王座に執着が無く、一人息子のホルスに譲ることを決めた。戴冠式の日、泥棒のベックはドレスを盗んで恋人のザヤに贈った。ザヤはホルスを崇拝しているが、ベックは神など信じていなかった。ホルスは戴冠式の直前まで酔い潰れて眠っており、恋人のハトホルに忠告されても全く気にしなかった。
戴冠式の会場にはホルスの元教師であるトトやネフティスなど、多くの神々が祝福にやって来た。オシリスは集まった市民に貧富を問わず人生の価値は等しいと語った後、王冠をホルスに継承しようとする。そこへセトが遅れて現れ、オシリスに祝福の言葉を継げる。しかし、それは偽りの言葉であり、彼は軍隊を会場へ突入させてオシリスに対決を要求した。オシリスが拒否すると、セトは腹部を突き刺した。周囲が騒然とする中、セトは自分に逆らえば同じ目に遭うと宣言した。神々は一斉に跪き、市民も服従の姿勢を取った。
ホルスは怒りを燃やし、セトに襲い掛かる。2人は変身して戦い、セトは軍隊の協力も得てホルスを追い詰めた。セトはホルスの両目を抜き取り、始末しようとする。しかしハトホルが制止したため、セトはホルスを生かして追放した。その後、多くの紙が立ち向かうがセトに殺され、人間は奴隷にされた。ザヤは建築家のウルシュに奴隷として仕え、ベックは人目を忍んで密会する。ザヤは宝物庫に潜入できるチャンスが訪れたことをベックに教え、ホルスの目を盗み出すよう促した。
セトは妻となったハトホルを寝室で可愛がった後、ウルシュと共に完成した塔を見る。ホルスはザヤが設計した宝物庫へ忍び込み、罠を回避してホルスの像に辿り着いた。眼球は1つしか無かったが、それを盗み取ったホルスは宝物庫を脱出した。彼がザヤの元へ戻ると、計画を知ったウルシュが兵士たちを伴って待ち受けていた。殺されそうになったベックはホルスの眼球を光らせ、兵士たちの目を眩ませる。彼はザヤを連れて屋敷から脱走し、馬で逃亡を図る。しかしウルシュの放った矢がザヤに命中し、彼女は息を引き取った。
ベックは墓所へ赴いてホルスを見つけ、眼球を渡すのでザヤを救ってくれと持ち掛けた。ホルスはザヤの様子を診るが、もう無理だと判断した。彼はアヌビスを呼び出し、ザヤを死後の世界へ送った。セトが冥界の規則を変更したため、9つ目の門をくぐるには大金が必要となっている。しかしザヤは、そんな金など持ち合わせていなかった。片方の眼球を奪還したホルスに、ベックは「もう片方はピラミッドにある。案内するからザヤを助けてくれ」と告げる。ホルスは9つ目の門を抜けるまで数日は掛かると言い、協力を承知した。
セトは軍隊にネフティスの反乱軍と戦うことを命じ、黄金を撒いた。セトはウルシュからホルスの眼球が盗まれたことを知らされ、家来のムネビスを派遣した。ホルスはベックを連れて、ラーのいる天空の巨大船へ赴いた。ラーはアポピスとの戦いを責務としており、地上の問題に関与する気は全く無かった。ホルスが命の水を所望すると、ラーは勝手に持って行くよう促した。命の水を使えば、セトの力の源である砂漠の炎を消すことが出来るのだ。ホルスは水を小瓶に入れ、ベックと共に地上へ戻った。
ムネビスと手下たちがホルスとベックの元へ現れ、眼球を渡すよう要求した。ムネビスは片目の無いホルスが弱体化していると思っていたが、手下3名を倒される。しかしホルスは下の足場に落ちたベックを覗き込んでいる隙に、ムネビスの攻撃を受けた。ホルスは昏倒して滝壺へ転落し、ベックは助けようとしてダイブした。途中でホルスが意識を取り戻し、何とか2人は助かった。セトは反乱軍を追い詰め、元妻であるネフティスの元へ赴いた。セトはネフティスを許さず、翼を切り落とした。ムネビスから報告を受けたセトは彼を始末し、側近のアスタルテとアナテを差し向けることにした。
セトはハトホルに、死後の世界を征服する考えを明かす。彼はハトホルが嫌がるのも構わず、案内役を命じた。腕輪の力が悪魔から守ってくれると、彼はハトホルに告げた。ハトホルは一人になると、ホルスの居場所を調べる。彼が死後の世界にいないことを知ったハトホルは驚くが、その様子をセトが見ていた。ハトホルはセトの隙を突き、その場から逃走した。ホルスとベックはアスタルテとアナテに襲われ、慌てて逃げ出した。ベックは自分が囮となり、ホルスに敵を始末させようとする。そこへハトホルが駆け付け、敵を倒した。
ホルスはセトの女になったハトホルを罵り、信用しようとしない。一方のハトホルも全く悪びれず、ホルスに反発する。ハトホルはベックを服従させようとするが、眼力が効かなかった。愛する相手がいる場合、彼女の力は無効化されるのだ。ベックと話したハトホルは、その目的を知った。ホルスたちは湿地帯を抜け、今後の行動を相談する。ピラミッドには番人のスフィンクスがいて、謎が解けないと通してもらえず殺される。そこでホルスは、トトに手助けしてもらおうと考える。ホルスの訪問を受けたトトは、多忙を理由に協力を拒んだ。しかし挑発を受けたトトは、同行することを承知した。
砂漠を移動する途中、ハトホルはホルスがザヤを救えないことを隠してベックを利用したと知る。ハトホルはホルスを責め、真実を明かすべきだと告げる。しかしホルスは全く罪悪感を抱いておらず、「奴がいないとセトの炎は消せない」と言う。ハトホルはザヤを心配するベックに歩み寄り、「私は昔、西方の女神と呼ばれ、死者の魂を迎えるのが仕事だった。若かったから、簡単に悪魔の誘惑を受けた。これが守ってくれた」と悪魔除けの腕輪を見せた。彼女はザヤの魂を呼び出し、ベックと喋らせる。ベックはザヤに、「この世に戻れるぞ。ホルスと取引した」と告げた。ザヤはアヌビスに呼び戻され、死後の世界へ戻った。ホルスたちはピラミッドに到着し、スフィンクスの謎を聞く…。監督はアレックス・プロヤス、脚本はマット・サザマ&バーク・シャープレス、製作はベイジル・イヴァニク&アレックス・プロヤス、製作総指揮はスティーヴン・ジョーンズ&トファー・ダウ&ケント・クベナ、製作協力はブライアン・ブックマン、共同製作協力はシェン・ボー&ロン・ヤン、撮影はピーター・メンジースJr.、美術はオーウェン・パターソン、編集はリチャード・リーロイド、衣装はリズ・キーオ、シニア視覚効果監修はエリック・ダースト、音楽はマルコ・ベルトラミ。
出演はニコライ・コスター=ワルドー、ジェフリー・ラッシュ、ジェラルド・バトラー、ブレントン・スウェイツ、チャドウィック・ボーズマン、エロディー・ユン、コートニー・イートン、ブライアン・ブラウン、ルーファス・シーウェル、エマ・ブース、レイチェル・ブレイク、ヤヤ・デン、アビー・リー、アレクサンダー・イングランド、ゴラン・D・クルート、マイケル=アンソニー・テイラー、ケネス・ランソム、ブルース・スペンス、ロビン・ネヴィン、ポーラ・アランデル、アリア・セラー=オニール、エミリー・ウィートン他。
『アイ,ロボット』『ノウイング』のアレックス・プロヤスが監督&製作を務めた作品。
脚本は『ドラキュラZERO』『ラスト・ウィッチ・ハンター』のマット・サザマ&バーク・シャープレス。
ホルスをニコライ・コスター=ワルドー、ラーをジェフリー・ラッシュ、セトをジェラルド・バトラー、ベックをブレントン・スウェイツ、トトをチャドウィック・ボーズマン、ハトホルをエロディー・ユン、ザヤをコートニー・イートン、オシリスをブライアン・ブラウン、ウルシュをルーファス・シーウェルが演じている。冒頭、ベックがドレスを盗み、それを知ったザヤも注意せず普通に喜んで受け取っている。
それはダメだろ。盗んだ物だと知らずに喜ぶか、盗んだと知って注意するかの二択だろ。
あと、ホルスが人間を騙す利己的な神として造形されているんだから、ベックは「誠実な人間」にしておくべきじゃないのか。人間と神というだけでなく、そういうトコでも対比の関係にしておくべきじゃないかと。なぜ登場シーンで、2人とも好感の持てない奴として描くのか。
「2人とも高価な物を女に贈る偉そうな態度の奴」という、そんなトコで共通項を作っても、何の得も無いでしょ。セトは大軍を式典会場へ乗り込ませ、大勢の市民や神々が見ている前でオシリスを始末する。
その行動が、底抜けのバカにしか見えない。
なぜ卑劣な方法で国王を殺害し、クズであることを堂々とアピールするのかと。バレないように暗殺しろよ。
脅しを掛けて恐怖による支配を狙っているけど、のっけからバカっぷりを露呈しているようにしか見えない。主人公が戦うラスボスのポジションとしては、あまりにも知恵の足りない浅はかな筋肉バカだ。あと市民はともかく、神々も一斉に服従しちゃうのは何なのかと。
セトって、そんなに強い力を持っているのかと。
だとしたら、そこまで耐えている必要ってあんのか。ずっと自分の環境に納得できずオシリスに恨みや憎しみを抱いていたのなら、ホルスへの王位継承を待たずして行動すれば良かっただろ。
戴冠式のシーンが終わった後、ナレーションで「多くの神々が立ち向かったが、ことごとく命を落とした」という説明が入るけど、都合の良さというか、雑な片付け方だと感じる。戴冠式ではホルスだけが立ち向かっているが、そこで彼の攻撃を簡単に許している。
、自信があるからってことかもしれないが、セトの脇が甘いなあと感じる。
軍隊はステージの下で待機しているけど、もしも神々が一斉に襲って来たら、どうするつもりだったのかと。
そこは「変身バトルを序盤から見せておきたい」という狙いも感じるけど、何の説明も無く唐突に変身して戦い始めるので興奮ではなく困惑ばかりが感情として湧く。そもそも、「神が国を治めており、人間から信奉される対象なのに、君主と市民の関係で存在している」という世界観に、どうにも違和感 を覚えてしまう。
会いに行けるアイドルならぬ、会いに行ける神様みたいな感じなのよね。そこまで近くは無いけど、すげえ距離感が近いのよね。
「エジプト神話だと普通だから」ってことなのかもしれないけど、ちょっと調べてみたら、エジプト神話とはキャラ設定や物語が大幅に異なるらしいのよね。
だからエジプト神話に詳しい人が見たら、違和感の連続になるだろう。
一方で詳しくない人はノーストレスなのかというと、「神話を知った上で脳内補完したり勝手に解釈したりする必要がある」という状態なので、こっちはこっちで「説明不足で分かりにくい」という問題がある。
どっちにしても、あまり親切設計とは言えない。ハトホルがセトの女になったのは、一応は「ホルスを助けるため」という理由がある。
しかしベッドでベタベタしている時の様子からは、ちっとも「嫌々ながら服従している」という雰囲気が感じられない。
「自信のある女」という造形なのかもしれないけど、ただのアバズレにしか見えない。
その態度は「セトを欺くための芝居」ってことなのかもしれないが、だとしても結果としてはビッチにしか見えないのだから、失敗ってことになるわな。ベックはザヤを救うため、ホルスに取り引きを持ち掛ける。しかしホルスが「手は尽くした」と言ってザヤを死後の世界へ送る時には、ただ傍観しているだけだ。
じゃあ諦めたのかというと、そうではない。片目を奪い取ったホルスに、「もう片方はピラミッドにある。ザヤを戻せたら案内する」と別の取り引きを持ち掛ける。
それはキャラの動かし方として変だろ。
「死後の世界へ行く前に9つの門をくぐる。それまでにザヤを助けようとする」という展開にしたいのは分かるけど、そこからの逆算が下手すぎてベックの行動が不可解になっている。
そこは例えば「ザヤがウルシュに殺された直後に死後の世界へ向かっている」ってことにすれば、問題は解決できるでしょ。神殿でのベックとホルスのやり取りが、無駄にしか思えん。ホルスはラーの元へ行く際、「片目ではハヤブサに変身できない」とベックに言う。しかしラーに祈ると、あっさりとハヤブサに変身して空を飛ぶことが出来る。
ラーは嫌味っぽい態度で「手を休めて、お前の命令を聞かねばな」と言うが、ただ座っていただけだ。その直後、彼は立ち上がって戦うのだが、相手は何だか良く分からない存在だ。それがアポピスなのだが、エジプト神話を知らない人からすると名前を言われてもサッパリだし、どれぐらい強い相手なのかも全く伝わらない。
ただ、その強さは全く伝わって来ないが、設定として「アポピスがめちゃんこ強い相手で、それを撃退できるほどラーの方が強い」というパワーバランスになっているのは理解できる。
で、それを理解した時に、「ラーが本気になったら、セトなんてイチコロじゃないのか」と感じる。そして、それを感じた時に、地上でのゴタゴタが些細なことに思えてしまうのだ。
本来ならセトが劇中でダントツの強さを誇る存在じゃないとマズいはずだが、それより圧倒的に強そうな奴らが出て来ちゃうんだよね。ハトホルはセトから「俺を死後の世界へ連れて行け」と要求され、「死者の魂しか行けない」と告げる。それに対してセトは、「死者を導いていた時、君の魂は生きていた」と言う。
だけど、そんなシーンなんて、そこまでに無いのよね。
つまり、「かつてハトホルは死者を導いていた」という設定なのだが、そんなの急に言われてもピンと来ない。
「西方の女神」と言われたハトホルが嫌がって「昔のことよ」と告げるのも、この映画を見ているだけでは何のことやらサッパリだ。
「その腕輪が悪魔から守ってくれる」とセトは説明するが、それも初めて触れる設定だし。っていうか、そこにきて急に「死後の世界も征服するつもり」というセトの目的が出て来ることからして、手を広げ過ぎだと感じるのよ。
もちろんオシリスを殺して人間を奴隷にしている時点で「世界征服」みたいな野望はあるんだろうけど、途中で死後の世界も云々とか口にするのは余計だなあと。
そもそもホルスにしろベックにしろ、セトの世界征服を阻止するために行動しているわけではない。
で、一方のセトが彼らを始末するために手下を派遣しているものの、それよりも世界征服への意識が強くなっちゃうと、対決の図式が鮮明に見えなくなってしまう。結果としてはハトホルが死後の世界を案内する前に逃げちゃうから、その筋は消えている。
だけど、どっちにしろ要らない寄り道にしか思えない。
っていうか、死後の世界の案内を命じられたハトホルがホルスの居場所を調べる手順があるので、「最初からセトはホルスの居場所を突き止めるため、ハトホルに死後の国を案内するよう命じた」という仕掛けだった可能性が高い。
だけど、そうだとしても、それが作戦ってことが無駄に分かりにくいんだよな。なので、やっぱり要らないなあと。その辺りの手順って、実は「ホルスが生きていると知ったハトホルがセトの元から逃亡する」という要素だけ消化できれば、それでOKじゃないかという気がするんだよね。
そこから考えると、余計な飾りが多すぎる。
その辺りで悪魔から身を守る腕輪を登場させたいという狙いも関係しているのかもしれないけど、それも含めて要らなくないかと。
っていうか、実は「ハトホルがセトから逃げてホルスと合流する」という筋書きそのものが、疎ましく感じてしまうんだよね。ハトホルって本作品のヒロインなんだけど、まるで魅力を感じさせないキャラなのよ。ハトホルがザヤの魂を呼び出すと、ベックは「この世に戻れるぞ。ホルスと取引した」と告げる。その直前、ハトホルはホルスと話し、彼が「ザヤを蘇らせることが出来る」と嘘をついていることを知って非難している。
それを申し訳ないと思ったからこそ、彼女はベックに声を掛けたりザヤの魂を呼び出したりしているはずだ。
ところが、ベックが「ホルスと取引して、この世に戻れる」と教えてザヤが喜んだ時、それに対するハトホルの反応を見せないまま、そのシーンを終わらせてしまう。
それは明らかに手落ちだろ。ハトホルの表情を見せるなり、ベックに何か言い掛けて止めるなり、何かしらのリアクションを見せるべきだろ。ピラミッドには番人のスフィンクスがいて、謎が解けないと通してもらえず殺されるという設定が途中で説明されている。
ところが、いざスフィンクスの前に立つと、提示された謎への答えをトトが間違ったのに、張り手で激しく振り飛ばされるだけで殺されていない。
「その攻撃で普通なら死ぬ」ってことかもしれないが、トトにしろホルスにしろ、ほぼダメージを受けていないので「謎を解けないと殺される」という説明と矛盾しているようにしか思えん。
しかも、2度も答えを間違ったのに3度目に答えることも許されるんだから、試練としてはヌルすぎるだろ。ハトホルが腕輪を外すと、突如として異空間から出現した何か(悪魔ってことなんだろう)に引きずり込まれる。
これは「悪魔除けの効果が消えたから、悪魔に連れ去られた」ということなんだろう。
でも、今は死後の世界にいるわけじゃないので、なぜ急に消えるのか腑に落ちない。どこにいようと、腕輪が無くなったら悪魔の餌食になるってことなのか。
そこは事前の説明が不足しているから、違和感のあるシーンになっちゃってるわ。ハトホルが腕輪を外したのは、ホルスの嘘が露呈したことを受け、「このままだとベックとザヤが可哀想」と考え、ザヤのために宝物を用意しようと考えてのことだ。それをベックにプレゼントし、最後の門の前で捧げ物を要求されているザヤに渡すよう促したのだ。
だけど、その腕輪をザヤに渡したところで、現世に戻って来られるわけではないのよね。
所詮は「死後の世界にある最後の門をくぐることが可能になる」というだけであって。
そうなると、ハトホルの自己犠牲って、あまり意味が無いように思えてしまうんだよな。ホルスたちがスフィンクスの謎を突破した後、セトが現れてトトの脳を抜き取り、全て自分の計略通りだったことを明かす。彼は宮殿に戻ると、トトの脳だけでなくネフティスの翼やオシリスの心臓などを自分の体に合体させてパワーアップする。
そこで初めて、彼が色んなパーツを集めてパワーアップし、ラーを殺すという目的が明らかにされる。
唐突にそんな目的が明かされるので、行き当たりばったりにしか思えない。
こいつの目的が、ずっとボンヤリしているというか、フラフラしているんだよね。セトがラーの元へ行くと、「死後の世界を滅ぼし、混沌を解き放つ。何もかも破壊する」という新たな目的が明かされる。
つまりラーを始末するのも、そのための手段に過ぎないわけだ。
だけど、せっかく手に入れた王国を潰して、何がしたいのかと。
「創り直す」とセトは話すけど、そんなことをする必要が全く無いでしょ。彼はアポビスを解き放ち、全ての生き物を滅ぼそうとするけど、そんなことをしたら自分のために動いてくれる奴隷もいなくなるわけで。
メリットが何も見えない行動なのよ。ホルスは最初からセトを倒して復讐することが目的だけど、ベックからすると直接の敵ではない。ザヤを救うことさえ出来れば、極端に言えば、セトはどうでもいい存在だ。
終盤に入るとセトがアポビスを解き放って全て破壊しようとするので、ベックにとっても止めなきゃマズい相手になる。
ただし、もちろんマトモに戦っても全く歯が立たないので、「ちょっとだけホルスを手伝う」という程度だ。
ホルスとベックのパワーバランスや目的意識のズレは、最後までストーリー展開を難しくしている印象を受ける。この映画はアメリカで興行的に惨敗を喫し、その影響でイギリスでは配給会社が劇場公開を中止した。
アレックス・プロヤス監督は映画の失敗について、「ホワイトウォッシング」に対する批評家の過剰な糾弾が原因だとして批判している。
ホワイトウォッシングとは、本来は非白人の主要人物を白人の俳優に演じさせることを意味する言葉だ。この映画では、エジプトの神にニコライ・コスター=ワルドーやジェラルド・バトラーを起用したことが槍玉に挙げられた。
それが興行成績に影響したことがゼロとは言えない。
ただ、それが無くても、単純に映画の出来栄えがポンコツだったってことが圧倒的に大きいぞ。(観賞日:2018年3月7日)
第37回ゴールデン・ラズベリー賞(2016年)
ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低主演男優賞[ジェラルド・バトラー]
<*『キング・オブ・エジプト』『エンド・オブ・キングダム』の2作でのノミネート>
ノミネート:最低監督賞[アレックス・プロヤス]
ノミネート:最低スクリーン・コンボ賞[任意のエジプトの神or人間2名]