『愛という名の疑惑』:1992、アメリカ
精神分析医アイザック・バーは、悪夢に悩まされている患者ダイアナ・ベイラーから、姉のヘザーに会って欲しいと言われた。やがて、ヘザーは自分からアイザックの診察所に現れた。アイザックはヘザーに心を惹かれ、口説きに掛かった。
ヘザーの夫ジミーはギャングで、彼女は怯えながら暮らしていた。アイザックは同僚アランから咎められても、ヘザーへの気持ちを抑えられなかった。そんな中、ヘザーがジミー殺害容疑で逮捕された。病的酩酊症のヘザーは、その時の記憶が無いと語る。
アイザックは友人の弁護士マイクに協力を求め、裁判でヘザーの無罪を勝ち取った。治療を義務付けられたヘザーは、病院に入ることになった。数日後、シンポジウムに出席したアイザックは、ダイアナの語った夢の内容が、全てフロイトの引用だったことに気付いた。そしてアイザックは、ジミーに多額の保険金が掛けられていた事実を知る…。監督はフィル・ジョアノー、原案はロバート・バーガー&ウェズリー・ストリック、脚本はウェズリー・ストリック、製作はチャールズ・ローヴェン&ポール・ユンガー・ウィット&トニー・トーマス、共同製作はジョン・ソロモン、製作協力はケリー・スミス、製作総指揮はリチャード・ギア&マギー・ワイルド、撮影はジョーダン・クローネンウェス、編集はトム・ノーブル、美術はディーン・タヴォラリス、衣装はオード・ブロンソン=ハワード、音楽はジョージ・フェントン。
出演はリチャード・ギア、キム・ベイシンガー、ユマ・サーマン、エリック・ロバーツ、キース・デヴィッド、ポール・ギルフォイル、ロバート・ハーパー、アグスティン・ロドリゲス、リタ・ゾハー、ジョージ・マードック、シャーリー・プレスティア、トニー・ジナーロ、キャサリン・コルテス、ウッド・モイ、コーリー・フィッシャー、ジャック・シアラー、リー・アンソニー、デリック・アレクサンダー他。
『アラクノフォビア』『ケープ・フィアー』のウェズリー・ストリックが脚本を書いたサスペンス映画。アイザックをリチャード・ギア、ヘザーをキム・ベイシンガー、ダイアナをユマ・サーマン、ジミーをエリック・ロバーツ、マイクをポール・ギルフォイルが演じている。
たぶん、ヒッチコック映画へのオマージュを意識して作られているのだと思われる。
主人公の男が美しい金髪の女性に心を奪われ、事件に巻き込まれていく。これは、ヒッチコックが得意とした巻きこまれ型サスペンスのパターンそのものだ。
クライマックスでは、螺旋階段のある灯台が舞台となる。灯台の上に女が登り、それを主人公が追い掛ける。このシーンは、完全に『めまい』からの拝借だ。
ただし、「こんなのをオマージュと呼んでいいのか」という問い掛けに、私は答えられない。アイザックは、州立病院で犯罪心理学の主任をするぐらいだから、優秀な精神分析医のはずだ。ところが、とてもじゃないが優秀には見えない。あまりにも簡単に、会ったばかりの患者の姉を口説き落として関係を持ってしまう辺り、ちょっと軽すぎる。
そこが軽く見えてしまうのは、ヘザーにも原因がある。「どんな女と会っても驚きが無い」と言っていたアイザックが、会ってすぐに口説くぐらいだから、ヘザーには余程の衝撃が無ければならない。しかし、特に劇的な出会いというわけでもなく、アイザックが瞬時にして惚れてしまう要素が見当たらないので、説得力を欠いてしまうただし、私が「アイザックが優秀に見えない」と書いた最も大きな理由は、そこではない。
この男、序盤で「フロイトの言葉を借りれば」などと口にしているのに、後半になるまで、ダイアナの語った内容が全てフロイトの『夢判断』からの引用だったことに、全く気付かないのだ。
精神分析医なのにフロイトの『夢判断』を知らないとは、どうなっているのか。さて、アイザックとヘザーのことはこの辺りにして、物語の内容に移るとしよう。
前半、ヘザーはダイアナが父親にレイプされたことや、父親が火事で死んだことを語る。何か意味ありげな伏線に思えるかもしれないが、ストーリー展開には全く影響を及ぼさない。
ジミーはヘザーの夫である。結婚したばかりというわけでもない。しかし、なぜか劇中でヘザーが発作を起こすまで、彼女の病気について全く知らない。「1年前にも同じような発作を起こしている」にも関わらずだ。かなり不自然にも思える。
ただし、「病的酩酊症は一般的には知られておらず、認めていない医者も多い」ということらしいので、それも仕方が無いのだろう。
実際、その病気を知っている観客は皆無だろう。
たぶん、この映画で勝手に作り出した、都合良く話を進めるためのインチキ病だろう。序盤にアイザックはダイアナの診察をするが、その後はヘザーとの関係がずっと続く、いつの間にか、ダイアナの診察は忘れられていく。そのため、ボーッと見ていると、シンポジウムの場面になった時に、ダイアナの言葉を忘れ去っているかもしれない。
殺人が発生した時点で、ヘザーに病気の症状が出たのではなく、明らかに殺意を持ってジミーを殴ったことが分かってしまう。その場面を、ハッキリと映像で提示するからだ。その前に症状が出た時とは、明らかにヘザーの態度が違う。
病気の症状で言えば、事件発生前に、アイザックの前でヘザーが症状を起こし、彼が病気のことを知る場面が無いのは手落ちだろう。アイザックが実際にヘザーの症状を目撃したことで、「殺人時に症状が起きた」と信じることへの説得力が生まれるはずだ。裁判のシーンには、それなりの時間が費やされている。
ただし、ここ必要なのは、「ヘザーが無罪になり、治療のために病院に入ることになる」という結果だけだ。裁判の内容や証人の証言、ヘザーやダイアナの様子などに、サスペンスの種は落ちていない。
終盤に入って、ヘザーは本性を表す。ただし、たぶん「恐ろしい女」に見せたいのだろうが、「頭がラリパッパな女」にしか見えない。
で、最後は灯台から転落するのだが、仰向けで落ちていく姿は、ほとんど安物のコントみたいだ。
第13回ゴールデン・ラズベリー賞
ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低主演女優賞[キム・ベイシンガー]
<*『クール・ワールド』『愛という名の疑惑』の2作でのノミネート>