『エクソシスト3』:1990、アメリカ

1990年、ジョージタウン。ポトマック河畔で黒人少年トーマス・キントリーの死体が発見された。キンダーマン警部は現場に到着し、死体 を確認した。一方、ダイアー神父は学長と会い、友人のキンダーマンを連れて映画『素晴らしき哉、人生!』を見に行く予定を語る。 キンダーマンは部下のアトキンスたちに、双子座殺人事件の資料をリッチモンド署から取り寄せろと指示する。犯人は15年前に死んでいる が、それでもキンダーマンは資料を取り寄せるよう命じた。
キンダーマンは帰宅し、泊まりに来ている妻の母シャーリーに挨拶する。娘のジュリーは、ダンス学校へ出掛けて行く。キンダーマンは 映画館へ行き、ダイアーと共に『素晴らしき哉、人生!』を観賞した。その後、レストランに入ったキンダーマンは、ダイアーに「最近は 殺人事件が多くて大変だ。特に子供の被害が多い。それなのに君の神は宇宙で踊っているのか」と言う。ダイアーが「必ず治まる」と口に すると、彼は「いつ?」と尋ねる。ダイアーが「終末の時」と答えるので、キンダーマンは「遅いよ」と言う。ダイアーは「すぐさ。人間 は死んで霊魂になる」と、平然とした表情で告げた。
ダイアーはキンダーマンに、河畔で発見された死体のことを尋ねた。キンダーマンは、犯人がトーマスの目を潰して首を切断していること 、ピエロのメイクを施したキリスト像の首と挿げ替えていること、胴体はオールの上に磔にされていたことを説明した。カナヴァン神父が 教会の告解室にいると、老女が懺悔にやって来た。彼女は「些細なことでも懺悔したくなる。ウェイトレスの喉を切って殺害した。血を 流させるのが私の困った習慣です」と言って笑った。後から教会に来た夫妻が、カナヴァンの死体を発見した。
キンダーマンは教会を訪れ、死体を確認した。アトキンスは彼に、トーマスがショック療法に使うサクシニルコリンという薬を注射され、 麻痺した状態で生きたまま首を切断されたことを報告した。検査入院したダイアー神父の見舞いに赴いたキンダーマンは、警察署に戻った 。彼は部下のステッドマンから、カナヴァンが薬で声帯を麻痺させられていたことを知らされる。告解室からはカナヴァンと別人の指紋が 検出されていたが、トーマスの現場で採取された指紋とは一致しなかった。
その夜、キンダーマンは駅で天国行きの列車を待っている人々が登場する夢を見た。彼が歩いていると、ダイアーの姿があった。彼は死の 天使と一緒におり、「私のは夢じゃない」と言う。翌朝、目を覚ましたキンダーマンは、ダイアー神父が病院で殺害されたという連絡を 受けた。病室に行くと、棚には標本瓶が並んでいた。犯人がダイアーの血を抜き取り、瓶に詰めたのだ。壁には『素晴らしき哉、人生!』 のタイトルを記した血の落書きが残されていた。
死体が発見された時、神経科に入院しているクレリアという老女が目撃されていた。廊下で気を失って倒れていたのだ。キンダーマンは クレリアに会うが、彼女は「ラジオを直して。死人が話すのよ」と訳の分からないことを言い、鼻歌を歌ったたけだった。キンダーマンは テンプル医師に案内してもらい、隔離病棟へ赴いた。その病棟は暗証番号が無いとドアが開かず、番号は日ごとに変更される。「ビル」と 呼び掛ける声が聞こえて、キンダーマンは11号独房を覗き込む。拘束衣の患者が座っているが、顔は見えなかった。
アトキンスが「院長が怒っています」と呼びに来たので、キンダーマンは隔離病棟を去った。院長は「病院の安静を乱さないでください。 患者が動揺します」と怒鳴った。キンダーマンは「双子座殺人犯ですよ。奴は死にましたが、奇妙な手口でした。被害者は左手の中指を 切断され、背中には犯人が彫った双子座のマークがあった。しかし発表された手口は嘘で、切られていたのは右の人差し指だった。双子座 のマークも、背中ではなく左の掌だった。犯人と名乗り出る連中を見分けるため、事実は隠したのです」と語った。
さらにキンダーマンは、「今度の連続殺人では、被害者の右の人差し指が切り落とされ、双子座のマークが左の掌に彫られている。それと 双子座殺人犯は新聞に犯行を知らせている。その予告状では語尾のLを2つ書く癖があった。被害者の名前は必ずKで始まっている」と 語る。院長が「ダイアーはKが無いですよ」と指摘すると、キンダーマンは彼のミドルネームがケヴィンであることを告げた。
キンダーマンは3つの殺に宗教的な繋がりがあるかもしれないと考え、学長に相談する。すると学長は、15年前に行われたリーガン・ マクニールの悪魔祓いが関係しているのではないかと語る。その悪魔祓いでは、ダミアン・カラス神父が命を落としている。学長は 悪魔祓いの経験があるモーニング神父に協力を求めるよう促した後、「ダイアーはカラスの親友だった。カナヴァンは自分の前任者で、 カラスにリーガンを調査させた。トーマスの母親は、リーガンの悪魔憑きの声を分析した職員だった」と語った。
標本瓶から発見された指紋が、クレリアの指紋と合致した。キンダーマンは改めて尋問。しかし、やはりクレリアはマトモに答えることが 無かった。キンダーマンはテンプルから、隔離病棟で見た患者について聞かされる。その患者は15年前、記憶喪失の状態で徘徊していた ところを警察が発見して連れて来たのだという。男は分裂症で死んだような状態だったが、6週間ほど前からになって意識が回復した。 しかし急に凶暴になり、2週間前に「自分は双子座殺人犯だ」と名乗ったのだという。
キンダーマンは患者の顔を見て驚愕した後、テンプルからファイルを見せてもらうが、知りたい情報は何も得られない。彼はアトキンスに 、病院を厳重に警備するよう命じた。そして「カラスに関する詳しい情報を調べて報告しろ。それで身許が分かる。11号独房の男はカラス だ」と告げる。再び患者と対面したキンダーマンは、「お前は誰だ?」という尋ねる。患者は「誰でもない。大勢だ」と答えた。続く 「カラスか?」という質問に、彼は「俺は双子座殺人犯のジェームズ・ヴェナマンだ」と答えた。
キンダーマンが「奴は処刑された」と告げると、患者は「死んでない」と言い、双子座殺人犯しか知りえない事実を語る。さらに患者は 「黒人少年も神父も殺した。俺には楽しみ以外に動機は無いが、あの3人は例外だ。別世界の友人に復讐を頼まれた」と語り、異様な咆哮 を上げる。彼は「新聞に双子座殺人犯と書かせろ。俺は死んでないぞ」と要求し、キンダーマンが「お前はダミアン・カラスにしか 見えない」と言うと「信仰があれば俺の姿は見える。俺が双子座殺人犯だと発表しないと罰を与えるぞ」と述べた。
患者は自分の殺人を芸術と称して微笑し、「少し面倒だったが、ダイアーも俺が殺した」と手口を説明した。キンダーマンは激怒し、男を 殴り付ける。男は「もっと面白い話をしよう。ご主人様が働いた褒美をくれる。俺も楽しませてもらった」と語った後、意識を失った。 キンダーマンは看護婦のアラートンから、男が今週に入って何度か失神しているという情報を得た。失神すると彼は体の機能が全て低下 するが、脳波だけは活発になるという。
アラートンによると、患者は普段と全く違う上品な声で、「貴方の下僕をお救い下さい」と言ったことがあったらしい。キンダーマンが 聖書を調べると、その言葉が掲載されていた。その夜、病院でキーティング看護婦が殺害される。彼女は腹を縦に切り裂かれて内臓を 取り去られ、ロザリオを詰めて縫い合わされた姿で発見された。翌朝、連絡を受けて病院を訪れたキンダーマンは、あの患者の部屋に行く 。すると患者は「キーティングはいい女だった」と言い、犯行を示唆した。
患者はキンダーマンに、「この体について話そう。俺は死刑になった。もっと殺したかったが、霊魂の世界に送られた。そこへ俺の味方が 来た。ご主人様は俺が仕事を続けるべきだと考え、この体を選んだ。復讐のためだ。悪魔祓いを信じる人々はカラスが成功したと思って いるが、それが許せない。そこでご主人様は復讐を計画した。神父の体を使って俺の仕事をさせることだ。しかし何よりの目的は、カラス を苦しめることだ。俺が奴の友人や罪の無い連中を切り刻むのを見せてやってる。逃げられないし、苦痛も終わらない」と語る…。

脚本&監督はウィリアム・ピーター・ブラッティー、原作はウィリアム・ピーター・ ブラッティー、製作はカーター・デ・ヘイヴン、製作協力はスティーヴ・ジャッフェ、製作総指揮はジェームズ・G・ロビンソン&ジョー・ロス、撮影はジェリー・ フィッシャー、編集はトッド・ラムゼイ&ピーター・リー・トンプソン、美術はレスリー・ディリー、音楽はバリー・デヴォーゾン。
出演はジョージ・C・スコット、ジェイソン・ミラー、ニコル・ウィリアムソン、エド・フランダース、ブラッド・ドゥーリフ、スコット ・ウィルソン、ナンシー・フィッシュ、リー・リチャードソン、バーバラ・バクスレイ、グランド・L・ブッシュ、ハリー・ケリーJr. 、ジョージ・ディセンゾ、タイラ・ファーレル、ロイス・フォレイカー、ドン・ゴードン、メアリー・ジャクソン、ゾーラ・ランパート、 ケン・ラーナー、ヴィヴェカ・リンドフォース、 トレイシー・ソーン、シェリー・ウィリス、エドワード・リンチ、クリフォード・デヴィッド、アレクサンダー・ザッカーマン、 ジェームズ・バージェス、ケヴィン・コリガン他。


シリーズ第3作。
今回は原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティーが監督と脚本を務めている。
キンダーマンをジョージ・C・ スコット、カラスをジェイソン・ミラー、モーニングをニコル・ウィリアムソン、ダイアーをエド・フランダース、ヴェナマンをブラッド ・ドゥーリフ、テンプルをスコット・ウィルソン、アラートンをナンシー・フィッシュ、学長をリー・リチャードソン、シャーリーを バーバラ・バクスレイ、アトキンスをグランド・L・ブッシュ、カナヴァンをハリー・ケリーJr.が演じている。
他に、キンダーマンが見る悪夢のシーンでは、盲目の男役でサミュエル・L・ジャクソン、死の天使役でパトリック・ユーイング(当時は ニューヨーク・ニックスの選手)、アンクレジットだが天使役でファッション・モデルのファビオが出演している。
なお、1作目に登場したキンダーマン、カラス、ダイアーという3人のキャラクターが再登場しているが、当時と同じ配役はカラスのみだ。

ブラッティーは1作目に登場したキンダーマン警部を3作目の主人公に据えている。
しかし1作目で印象に残る人物と言えば、悪魔に憑依されたリーガン、悪魔祓いの儀式を行って命を落としたメリン神父とカラス神父の 3人だろう。
ぶっちゃけ、キンダーマン警部というのは、それほど必要性の高いキャラではなかった。
そんなキャラを主人公にしている時点で、どうなんだろうかという気はする。

それでもキンダーマンを再登場させるなら、1作目と同じ人物が演じることに意味を持たせるべきだろう。
しかし、本作品でキンダーマンを演じているのは、1作目のリー・J・コッブではなくジョージ・C・スコットだ。
そうなると、同じキャラであっても、そこに訴求力や意味を見出すことが難しい。
もちろん、既にリー・J・コッブは亡くなっていたので、続投が無理だったことぐらいは分かる。
ただ、そうであるならば、キンダーマンではなく別のキャラクターで良かったのではないか。原作の主人公がキンダーマンであっても、 映画版では変更すれば良かったのではないか。

というか、刑事が主人公という時点で引っ掛かりはあるが、もっと引っ掛かるのは、この映画が「刑事が猟奇殺人事件を追う」という サイコ・スリラーになっていることだ。
終盤に入ると悪魔が行動を起こすが、悪魔祓いはチラッと描かれるだけだし、モーニング神父の存在意義も薄い。
悪魔祓いの儀式や神父の存在をメインで扱わなかったら、『エクソシスト』というタイトルが泣くでしょ。

分かりにくかった前作の反省なのか、やたらと言葉で説明しようとしている。
分かりやすくすることは必要かもしれんが、ベラベラとセリフで全て説明するのは、あまり格好の良いものではない。
終盤、ヴェナマンの霊魂が「いかにして自分は復活し、殺したか」をキンダーマンに解説するシーンなんて、だんだん退屈になって 来るし。
そんなことより話を次に進めてくれと言いたくなる。7分ぐらい喋り続けるんだぜ。そこまで詳しく解説する必要は無いよ。

『エクソシスト2』を見たウィリアム・ピーター・ブラッティーが「こんなのは『エクソシスト』の続編じゃない」と激怒し、自ら監督を 務めて『エクソシスト3』を作ることにしたのは有名な話だ。
だったら、1作目をないがしろにした『エクソシスト2』とは違い、1作目にあった要素をヴァージョン・アップさせたり、捻りを 加えたりするのかと思ったら、そうではなかった。
ブラッティーも2作目の監督であるジョン・ブアマンと同様に、やはり1作目を無視しているのである。

『エクソシスト』はコケ脅しの映像と信仰に苦悩する心理ドラマを組み合わせた映画であり、そこに面白さがあった。
コケ脅しの映像というのは、リーガンが放尿したり、ナイフで自分の性器を突き刺して血だらけになったり、首から上が後ろに一回転 したり、緑のゲロを吐いたりといったモノだ。
可愛い少女がヒドい目に遭わされる映像のインパクトが、1作目の大きな魅力になっていた。
しかしウィリアム・ピーター・ブラッティーは、そういうコケ脅しの映像を描こうという意識を全く見せていない。
1作目のリンダ・ブレアのような少女が悪魔に憑依されることは無いから、「少女が少女らしからぬ行動をとる」というインパクトは 作り出せない。そこは少女ではなく少年や美女でもいいのだが、そういう「見た目と行動のギャップを使った面白さ」を持ち込む意識は 無かったようだ。

それに、ギャップ以前の問題として、今回は「悪魔に憑依された人間が異様な行動を取る」という描写が薄い。
自分の性器を突き刺すとか、緑のゲロを吐くとか、そういうコケ脅しをやろうという意識をブラッティーは持っていなかったようだ。
そもそも今回は、オカルトに対する意識も低い。
終盤になって悪魔祓いの儀式があるが、そこまではオカルトっぽさがあまり感じられない内容になっている。

1作目にあった「信仰に苦悩する心理ドラマ」という要素も、ほとんど描かれない。キンダーマンは信仰心に厚くないし、彼を使って信仰 を巡る心理ドラマを描こうともしていない。
じゃカラスの苦悩や悲哀が見えるのかというと、それも無い。
自分に憑依したヴェナマンが殺人を繰り返しているのをカラスが認識していることが観客に伝わってこそ、カラスの再登場に意味が 出て来ると思うのよ。でもカラスの魂はほとんど自己主張しないので、その苦悩や葛藤は見えて来ない。
実はカラスを絡めている意味って、ほとんど無いんじゃないか。
「処刑された双子座殺人犯の魂が別の人間に憑依して殺人を繰り返している」という設定でも、それほど大きな支障が無い。
憑依しているのが悪魔じゃなくて殺人犯の魂だから、悪魔祓いの儀式に持って行くことは出来なくなるけど、どうせ本作品において 悪魔祓いの儀式って、それほど重要視されている要素でもない感じだし。

キンダーマンは河畔の事件についてダイアーから訊かれ、「犯人は目を潰して首を切断している。ピエロのメイクを施したキリスト像の首 と挿げ替えている」などと説明する。
でも、その死体を発見した時、それを映像で見せることは無い。
まあレーティングのこともあるから難しかったのかもしれんが、これを映像で見せられないというのは痛いな。
後からセリフで淡々と説明されても、その残酷さやインパクトが伝わらないんだよね。
局部的に見せるなどして、どうにか映像化することは出来なかったものかと。

カナヴァンが殺されるシーンでは、老女が告白した後、シーンが切り替わると夫婦の奥さんが泣いており、それを子供たちが眺めている。 で、老女が出て行く様子、床に血が流れて来る様子が描かれるけど、状況が分かりにくい。
あと、ここでも死体を見せない。ダイアーの時も、やはり死体を見せてくれない。
そこは先にキンダーマンが幾つも並んだ標本瓶を見て、中身を確認したら血が入っていて、シーツをめくったら死体が干からびている 異様な状態なのでショックを受けるという流れにした方がいいのに。
とことんショッキングな映像表現を避けて通っちゃうのね。
隔離病棟の患者が、「薬で麻痺させて、チューブを静脈から血管に差し込んで血を抜いた」というダイアーの殺害方法を嬉しそうに説明 するシーンがあるけど、それも実行シーンは描かれない。
そういうのはセリフで言われてもピンと来ないし、恐怖に繋がらないのよ。残虐で手の込んだ殺害方法を取っていても、実行シーンを 描かずセリフで説明しているだけでは、ケレン味もへったくれもない。

キンダーマンが院長に語るシーンになって、被害者に双子座のマークが彫られていることが明らかにされるが、死体を確認するシーンでは 、まだ観客には分からないままなんだよね。
そういう重要なことを、なぜ隠そうとしているのか。その段階で描くべき事柄を隠して、何の意味があるのか。
カナヴァンの時なんかは、もう殺し方も含めて描いた方がいいのに。
残酷な殺人という部分のケレン味を、セリフだけで全て処理してしまうと、凝った手口で殺していることの映画的な意味がほとんど 無くなってしまう。
それと、キンダーマンは双子座殺人犯の手口を院長に語り、「発表された手口は嘘で、切られていたのは右の人差し指だった。双子座の マークも背中ではなく左の掌だった。今回の殺人では右の人差し指が落とされ、マークが左の掌にある」と語っているけど、今回の手口は そこで初めて明かされるし、双子座殺人についての詳しい情報もそこが初めてなので、「双子座殺人犯しか知らないはずの手口を今回の 犯人がやっている」という驚きも、まるで伝わって来ない。
そういうのは、先に双子座殺人について情報を示し、今回の手口も見せておいて、誰かが「模倣犯でしょ。しかも微妙に手口が違う」と 指摘した時に、キンダーマンが「実はこういうことで」と説明してこそ、観客に衝撃を与えることが出来るはずでしょ。

この映画、変なトコでシーンを省略している。
前述した告解室のシーンもそうだし、キンダーマンが隔離患者を見に行くシーンも、その前のテンプルの説明が終わったらシーンが 切り替わって、患者を見て驚いているキンダーのアップになっている。
で、患者の姿は見せず、部屋から出て来たキンダーがテンプルに患者の資料を見せてくれと頼むシーンになる。
そこは「キンダーマンがテンプルから話を聞いて隔離病棟へ行き、ドアを開けて呼び掛けたら顔を上げた相手がカラスなので驚く」という 描写にした方がいいだろうに。
色んなことを隠しているんだけど、それが全くプラス効果に繋がっていない。
むしろ、どれも見せた方が効果的だと思えるモノばかりだ。

殺しを実行しているのは悪魔じゃなくてヴェナマンの霊魂だから、やってることは単なる猟奇殺人なんだよね。
注射を打って麻痺させてから殺すというのは、人間の力を使っての殺害なんだよね。
そうなると、霊魂が憑依していなくても、「悪魔が憑依している」と思い込んでいるキチガイでも可能な殺人行為になってしまう。
っていうか、カラスの体にはヴェナマンの霊魂だけでなく悪魔も憑依しているんだけど、「悪魔が憑依しているのなら、ヴェナマンの 霊魂は要らないだろ」と思ってしまうぞ。

事件の真相は「悪魔がヴェナマンの霊魂をカラスの体に憑依させ、精神病患者に憑依して殺害している」ということなんだけど、無駄に ややこしいなあ。
霊魂がカラスの体に憑依しているのなら、そのカラスが殺人を実行すべきでしょ。
ただしカラスは隔離されているから実行できず、だから精神病患者を利用しているんだけど、そうなるとカラスに憑依している意味が 無いのよね。
悪魔がカラスへの復讐を目的としているのなら、ヴェナマンの霊魂がカラスの体を使って殺人を繰り返すという形になっているべきなん じゃないの。
っていうか、それだけでは「復讐」として受け取ることが難しいよな。

(観賞日:2012年5月22日)


第11回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[ジョージ・C・スコット]

 

*ポンコツ映画愛護協会