『殺しのドレス』:1980、アメリカ

中年女性のケイト・ミラーは夫のマイクと情事に及び、激しい喘ぎ声を上げる。しかしケイトは、夫とのセックスに満足できていない。息子のピーターは機械オタクで、科学コンクールに出品するための発明品を作っている。ケイトは精神分析医のエリオットを訪ね、診察を受ける。ケイトは彼のクリニックに通っており、今回はフロリダから半年ぶりに出て来る母のことを話す。母が嫌いなわけではないが、会うのは何となく気が進まない。また、ケイトは夫からセックスを求められ、感じている芝居をしたことも語った。エリオットは彼女に、「セックスが下手だと、旦那さんに正直に話しなさい」と助言した。
メトロポリタン美術館に立ち寄ったケイトはベンチに座り、手帳を開いてメモを取った。隣に座った見知らぬ男の存在が、ケイトは気になった。彼が移動すると、ケイトは後を追ってしまう。男を見失ったケイトは、必死で捜し回る。しかし男は見つからず、ケイトは諦めて美術館を出た。するとタクシーの中に男がいて、ケイトが美術館で落とした片方の手袋をヒラヒラとさせていた。ケイトがタクシーに乗り込むと、男はいきなり唇を奪った。発進したタクシーの中で、2人は激しい情事に及んだ。
男のアパートに赴いたケイトは、そこでも激しく求め合った。男が眠っている間にケイトはベッドを抜け出し、服を着て帰り支度をする。引き出しを開けたケイトはスポーツクラブの会員証を見つけ、男がウォーレン・ロックマンという名前であること、ウォール街で働いていることを知った。メモを残して立ち去ろうとしたケイトは健康診断書を見つけ、ウォーレンが性病だと知った。慌てて部屋を出たケイトは、結婚指輪を忘れたことに気付いた。ウォーレンの部屋に戻ろうとした彼女は、エレベーターの扉が開いたところで待ち伏せていたサングラス姿のブロンド女に剃刀で体を切り裂かれた。
娼婦のリズは、中年男性と共にエレベーターを待っていた。扉が開いた途端、男は逃げ出した。リズがエレベーターに視線を向けると、血まみれのケイトが助けを求めて手を伸ばした。しかし中にいた犯人がボタンを押し。扉を閉めた。その際、リズはブロンドの女を目撃し、彼女が落とした凶器の剃刀を掴んだ。それを清掃係の女が目撃し、悲鳴を上げた。リズが「警察を呼んで」と頼んでも、彼女を犯人と誤解した彼女は逃げてしまった。
帰宅したエリオットが留守電を確認すると、ボビーという患者からのメッセージが入っていた。性的倒錯者のボビーは、「先生と話すのも最後になるわ。先生が治療してくれないから医者を替えたの。リヴィー先生は手術を認めてくれるって。先生の剃刀は借りたから。明日の新聞を見て。目撃者の金髪女も始末するわ。リヴィー先生に喋ったら、また殺すわよ」と語っていた。次の留守電メッセージは、13分署のマリーノ刑事の声だった。ケイトが殺されたため、警察署に来てほしいということだった。
エリオットが警察署へ行くと、リズが事情聴取を受けていた。ベンチに座っているピーターを見つけたエリオットは、「何かあれば力になる」と名刺を渡した。エリオットがマリーノのいる取り調べ室に入ると、ピーターは密かに盗聴器を作動させた。マリーノの事情聴取を盗聴したピーターは、犯人がエリオットの患者の中にいると確信した。エリオットが去った後、マリーノはリズの取り調べを行う。彼は前科のある娼婦のリズを疑い、高圧的な態度を取った。マリーノは彼女に、一緒にいた客を連れて来て証言させろと要求した。
ピーターはエリオットのクリニックを張り込み、出入りする患者をチェックした。彼は監視カメラを密かに設置し、写真を撮影した。一方、エリオットはボビーからの新たな留守電メッセージを確認した。ボビーは「あの女の住所は分かったわ。出て来るのを待つ。アバズレを始末したいの。だから剃刀を借りたのよ」と話していた。ホテルでサムという客の相手をしたリズは、外へ出たところでブロンド女が見張っているのに気付いた。リズがタクシーに乗り込むと、犯人は車で追い掛けて来た。
リズはタクシーを降りて地下鉄の駅に駆け込むが、犯人は追い掛けて来た。犯人を避けようとしたリズは、駅にいたチンピラ4人組に絡まれた。リズは到着した列車に乗って逃げようとするが、チンピラたちは追って来た。チンピラから逃げるために車両を移動した彼女は、ブロンド女に襲われる。しかしピーターがスプレーを噴射してブロンド女を退散させ、リズを助けた。ピーターはリズに「エリオットの患者だ。オフィスから尾行して来たんだ」と説明した。リズとピーターは、クリニックの診察カードを調べようと考える…。

脚本&監督はブライアン・デ・パルマ、製作はジョージ・リットー、製作協力はフレッド・カルーソー、撮影はラルフ・ボード、編集はジェリー・グリーンバーグ、美術はゲイリー・ウェイスト、衣装はアン・ロス&ゲイリー・ジョーンズ、音楽はピノ・ドナッジオ。
出演はマイケル・ケイン、アンジー・ディッキンソン、ナンシー・アレン、キース・ゴードン、デニス・フランツ、デヴィッド・マーグリーズ、スザンナ・クレム、ケン・ベイカー、ブランドン・マガート、アマリー・コリアー、メアリー・ダヴェンポート、アネカ・デ・ロレンゾ、ノーマン・エヴァンス、ロビー・L・マクダーモット、ビル・ランドルフ、ショーン・オリン、フレッド・ウェバー、サム=アート・ウィリアムズ、ロバート・リー・ラッシュ、アンソニー・ボイド・シュリヴェン、ロバート・マクダフィー、フレデリック・サンダース他。


『キャリー』『フューリー』のブライアン・デ・パルマが脚本&監督を務めた作品。
エリオットをマイケル・ケイン、ケイトをアンジー・ディッキンソン、リズをナンシー・アレン、ピーターをキース・ゴードン、マリーノをデニス・フランツ、レヴィーをデヴィッド・マーグリーズ、ベティーをスザンナ・クレム、ウォーレンをケン・ベイカー、サムをブランドン・マガートが演じている。

ブライアン・デ・パルマがアルフレッド・ヒッチコックを敬愛していることは有名だが、そんな彼が『サイコ』を模倣して作ったのが、この映画である。
実は、この説明、ほぼネタバレになっている。
と言うのも、そんな風に書いてしまうと、犯人は容易に推測できるからだ。
ただ、そういうことを書かなくても、『サイコ』を模倣していることを知らなくても、犯人を当てるのは、そんなに難しくない。

まず、ブロンド女が登場した時点で、体がゴツいので男装ってのはバレバレ。
「ボビーという性的倒錯者」ってトコロにミスリードを狙っているけど、「謎解き」に対する意識をちょっと高めながら観賞すれば、真相は分かっちゃうだろう。容疑者が少ないのでね。
ちなみに、犯人の初登場は、ケイトを殺害するシーンではない。ケイトが美術館から出て来た際、カメラがパンしてタクシーを捉える途中で、立っている犯人がチラッと写っている。
ほんの一瞬なので、よっぽど注意深く見ていないと分からないだろうけど。

同じようにサイコ・スリラーを撮っても、ヒッチコックとデ・パルマには「そこに含まれる別の要素」という部分が決定的に異なっている。
ヒッチコックにはユーモアがあった。
デ・パルマにユーモアの感覚は無いが、その代わりにエロスがある。しかも、洗練されたエロスではなく、かなり下品なエロスだ。
彼には「仄かに醸し出される艶っぽさ」とか、「見えそうで見えないチラリズム」とか、そういうモノは無い。
上品さや繊細さで表現するのではなく、もっとケバケバくしてドギつい方法で彼はエロスを表現する。

そんなわけで、この映画でデ・パルマは「女性のヌード」という形でエロスを表現する。しかも、若くて美人のネーチャンを脱がせるのではなく、御年49歳だったアンジー・ディッキンソンを脱がせてシャワーを浴びさせたり濡れ場を演じさせたりする。
女の裸でエロスを表現するのなら、この映画だとナンシー・アレンが適役のはずだが、「リズがエリオットを油断させるために誘惑する」というシーンでは下着姿になるだけで裸は見せない。
デ・パルマの当時の奥さんだから、観客に裸は見せたくなかったのかと思っていたら、ラスト近くのシャワーシーンで全裸になっていた。
そりゃあ、彼女も脱がさなきゃダメだよな。
そこは素直に評価する(何の評価だよ)。

デ・パルマは本作品において、本筋とは何の関係も無いポイントで演出に力を入れる。
まず冒頭、シャワーを浴びているケイトが洗面所にいる男を見ながらオナニーしていると、侵入者が背後から口を塞いで彼女を殺そうとする。
だが、すぐにシーンが切り替わり、ケイトがマイクとセックスしている様子が写る。
つまり、冒頭シーンは現実の出来事ではなく、ケイトの心象風景ってことだ。
「セックスしながら、そんな幻覚や夢を見た」というわけでもない。それが予知夢となり、ケイトがシャワーを浴びている時に殺されるという現実の展開があるのかというと、そんなことも無い。
「じゃあ何の意味があるのか」と問いたくなる描写である。

例えば、「ケイトは夫との関係に不満を抱き、他の男性との情事を求めている。
ケイトが口を塞がれて殺されそうになるのは、マイクとのセックスが苦痛であるということの暗喩」と解釈できないことも無い。
ただ、それを「ケイトの心情表現」として受け入れるとしても、やっぱり「だから何なのか」ということになるのだ。
というのも、ケイトが何を考えていようと、夫との関係がどういう状態であろうと、それは本筋に何の影響も及ぼさないからである。

この映画の本筋は、「ケイトが殺され、目撃者のリズが疑われる。リズはピーターと協力して犯人を見つけようとする」という部分にある。
つまり『サイコ』のジャネット・リーと同じで、ケイトは「ヒロインだと思ったら、前半で殺されてしまう被害者」という位置付けだ。
だから彼女の置かれている状況なんてのは、ほぼ必要が無い。エリオットとの関係だけがあれば充分だ。
これが仮に「ケイトが殺されて夫が疑われる」という展開でもあれば夫婦関係の描写は必要性が生じるが、そんなことは無いんだから。
っていうか、警察が捜査に乗り出しても、夫が全く疑われないどころか、登場することさえ無いってのは明らかに手落ちでしょ。

美術館のシーンには、かなり時間を割いている。
歩き回るケイトをカメラが長回しで追い掛けたり、カメラが彼女の視点になったりする。
これがヒロインの「よろめき」を描くメロドラマであれば、そこに力を入れて演出するのも分からないではない(そうだとしても長すぎるとは思うが)。
しかし本作品はサイコ・スリラーであり、ケイトが見知らぬ男とセックスに及んでも本筋には全く関係が無いのだ。

ケイトはウォーレンとタクシーでセックスし、彼のアパートに入る。そこで彼が性病だと知り、慌てて部屋を出る。
それって、何の意味があるのかと。そんなトコにサスペンスを用意しても、本筋とは何の関係も無い。
結婚指輪を取りに戻ったケイトは殺されるのだが、別にウォーレンがいなくても「ケイトが初めての場所で殺される」という状況を作ることは出来る。
しかも、その後、ウォーレンが容疑者として事件に関わることも無い。彼が性病だったことも、ケイトが肉体関係を持ったことも、本筋には何の関係も無いのだ。

ケイトは地下鉄でチンピラたちに襲われるが、このサスペンスも本筋とは無関係。
「地下鉄でピーターに助けれて彼と知り合う」という展開だけを考えれば、「地下鉄で犯人に狙われる」という部分だけを使えば充分であり、チンピラたちは要らない。
本筋だけでは上手く物語を膨らませることが出来ず、1本の長編映画を構築することが出来ないから、余計な要素を幾つも雑にくっ付けているだけ、という風に思えてしまう。

事件が解決して真相が明らかになった後、「性的倒錯者である犯人は病院に収容されるが、やって来た看護婦を殺害する」→「シャワーを浴びていたリズは侵入者に気付いて警戒するが、犯人に剃刀で首を斬られる」という展開がある。
ただ、「それは全てリズの見ていた夢でした」という着地になっていて、彼女が悲鳴を上げてパニクっているところで終幕となる。
『キャリー』のセルフ・パロディーみたいなことをやっているんだけど、要るかねえ。
犯人が判明したら、短いエピローグでさっさと終わらせた方が締まりがいいと思うけど。

(観賞日:2014年1月30日)


第1回ゴールデン・ラズベリー賞(1980年)

ノミネート:最低監督賞[ブライアン・デ・パルマ]
ノミネート:最低主演男優賞[マイケル・ケイン]
<*『殺しのドレス』『アイランド』の2作でのノミネート>
ノミネート:最低主演女優賞[ナンシー・アレン]


1980年スティンカーズ最悪映画賞<エクスパンション・プロジェクト>

ノミネート:【最悪の主演女優】部門[ナンシー・アレン]

 

*ポンコツ映画愛護協会