『クレイジー・イン・アラバマ』:1999、アメリカ

1965年夏、アラバマ。幼くして両親を失った13歳の少年ピージョー・ブリスは、兄ワイリーと共に祖母ミーモウの家で暮らしていた。そこへミーモウの娘ルシールが現れ、女優になるためにハリウッドへ行くので、7人の子供を預けると言い出した。ルシールは夫チェスターに「女優になんかなれない」とバカにされ、昨日の夜に彼を殺害したことを平然と語った。
ルシールはピージョーに、「人生は一度きりだから、チャンスをモノにしなきゃ」と告げる。ルシールは切断した夫の生首を冷凍容器に入れ、紙袋に詰めてハリウッドへと旅立った。いきなり7人の子供を押し付けられたミーモウは、葬儀屋をしている息子ダヴを呼んだ。ミーモウはダヴに、ピージョーとワイリーの世話を任せることにしたのだ。
ピージョーとワイリーはダヴに連れられ、彼の暮らすインダストリーの町にやって来た。ダヴは妻アーリーンと共に、葬儀社から借りた屋敷の2階に住んでいた。ダヴの友人の保安官ジョンは、ルシールの事件を担当していた。そのルシールは帽子を購入し、その箱に生首の冷凍容器を入れた。彼女は立ち寄った酒場でバーテンに娼婦扱いされ、銃で脅して彼の車を奪った。
インダストリーの町では今も根強い黒人差別が残っており、ジョンやアーリーンも黒人への差別意識を強く持っていた。ピージョーがワイリーと一緒にプールで遊んでいると、黒人少年テイラー・ジャクソンが監視員とトラブルを起こす。プールは白人専用で、黒人は立ち入り禁止なのだ。テイラーは仲間を集めて座り込みを始めるが、保安官が駆け付けて力ずくで排除しようとする。金網を登って逃げようとしたテイラーは、ジョンにシャツを引っ張られて転落し、命を落とした。
ダヴは友人だったテイラーの父ネヘミアに、息子の死を伝えた。テイラーは事故死したことになっていたが、ピージョーはダヴとネヘミアにジョンが殺したのだと告げた。一方、カジノで大儲けしたルシールは、ホテルのボーイを誘惑してベッドを共にした。翌日、ルシールはノーマンという運転手を雇い、エージェントのハリーに会いに向かった。
ピージョーは故障した芝刈り機が飛ばした石のせいで、右目を負傷した。しかし町では、黒人と親しくしていたピージョーが白人に銃で狙撃されたいう噂が広まった。テイラーを埋葬する行列が行われ、ピージョーはワイリーと共に加わった。葬列はテイラーが死んだプールに入るが、ジョン達が駆け付けて暴力的に押さえ付け、ネヘミアは逮捕された。
ルシールはテレビドラマ『奥様は魔女』の製作者シェーグマンに気に入られ、主人公サマンサのライバル役としてゲスト出演することになった。一方、ピージョーは黒人と抱き合っている写真が雑誌に掲載され、望まぬ内に有名人になってしまった。ピージョーはジョンにマークされ、黒人嫌いのアーリーンは家から追い出してくれとダヴに頼む。
『奥様は魔女』でのルシールの芝居は好評で、さらに数回のゲスト出演が決まった。ルシールはパーティーに出席するが、女優ジョーン・ブレイクが密かに冷凍容器の中身を覗き、パニックに陥る。成功の邪魔をされたくないと考えたルシールは、生首を捨てようとする。しかし自殺と勘違いした警官が冷凍容器を開けてしまい、ルシールは逮捕されて裁判に掛けられる…。

監督はアントニオ・バンデラス、原作&脚本はマーク・チルドレス、製作はメール・テパー&リンダ・ゴールドスタイン・ノウルトン&デブラ・ヒル&ダイアン・シラン・アイザックス、製作総指揮はジェームズ・R・ダイアー、撮影はジュリオ・マカット、編集はメイシー・ホイ&ロバート・C・ジョーンズ、美術はセシリア・モンティエル、衣装はグラシエラ・メイゾン、音楽はマーク・スノウ。
出演はメラニー・グリフィス、デヴィッド・モース、ルーカス・ブラック、キャシー・モリアーティー、ミート・ローフ・アディー、ロッド・スタイガー、リチャード・シフ、ジョン・ビーズリー、ロバート・ワグナー、ノア・エメリッヒ、サンドラ・シーキャット、ポール・ベン=ヴィクター、ブラッド・ベイヤー、ファニー・フラッグ、リンダ・ハート、エリザベス・パーキンス、ポール・マザースキー、ホームズ・オズボーン、ウィリアム・コンヴァース=ロバーツ、デヴィッド・スペック、フィリップ・カーター、カール・ルブランク三世、ルイス・ミラー他。


マーク・チルドレスの小説を、彼自身の脚本で映画化した作品。俳優アントニオ・バンデラスが、妻のメラニー・グリフィスを主演に据えて初監督を務めている。ルシールをメラニー、ダヴをデヴィッド・モース、ピージョーをルーカス・ブラック、アーリーンをキャシー・モリアーティー、ジョンをミート・ローフ・アディーが演じている。
他に、ルシールを裁くミード判事をロッド・スタイガー、ノーマンをリチャード・シフ、ネヘミアをジョン・ビーズリー、ハリーをロバート・ワグナー、ジョーンをエリザベス・パーキンス、シェーグマンをポール・マザースキーが演じている。また、ルシールの子供役の内、2人はメラニー・グリフィスの本当の子供だ(1人はバンデラスとの子、もう1人は前夫ドン・ジョンソンとの子)。

映画は冒頭でピージョーとルシールを会わせた後、2人の物語を同時進行で描いていく。ハリウッド女優を目指すルシールの物語は、最初に夫を殺して生首を持ち去ったという設定があるにも関わらず、かなり陽気なテイストに溢れている。ルシールはイカれ頭であるかのように明るいし、ブラックな味付けのクライム・コメディーという印象を受ける。
一方、ピージョーの物語はと言えば、いきなり黒人差別の問題が持ち込まれ、完全に重たくてシリアスなテイストになっている。ルシールの話とピージョーの話、この2つの話がバラバラになっているのだ。一応は「本当の自由の意味」というキーワードで結び付いているようなのだが、その繋がりを感じ取ることは難しいと思う。

例えばピージョーのストーリーは、そこだけを取れば「社会の現実を見つめながら、苦い経験を重ねながら成長していく青春ドラマ」として1本の映画に出来るだろう。ルシールのストーリーも、「イカれた殺人者がハリウッドで成功を目指すブラック・コメディー」として、1本の映画になるだろう。
しかし、2つを組み合わせると、上手く混ざらない。

2つのストーリーは、割合としては同じ程度ではない。描写の多さから考えて、ピージョーのストーリーがメインになっている。そして、たまにルシールの様子が描かれるという具合だ。作品の滑り出しから考えると、その構成は違うんじゃないかと思う。どちらかの扱いを上にするならば、ルシールの話だろう(ホントは同じぐらいの割合が適切だろうが)。
ルシールのストーリーは前述したようにブラックな味付けを感じさせるのだが、それも次第に薄まっていく。ハリウッドで仕事を始める辺りから、リリカルな方向へ傾いていく。まあメインのストーリーにテイストを合わせるという意味では適切かもしれないが、そんな意図ではないだろう。というか。どうやったところで2つの話は合わないと思うが。

終盤、「逮捕されたルシールを死刑にしないため、ダヴがジョンと取引をする。ピージョーは裁判を傍聴する」という流れになって、2つの話は合体する。しかし、そこに至るまでの2つの話に、ほとんど関係性が無い。ルシールとピージョーが互いのことを気にしながら日々を送るという描写は、それほど多いわけではない。ピージョーがルシールの影響でリベラルな考え方になったということも無い。
そして、2つの話が合体したら合体したで、ピージョーの存在感はめっきり薄くなり、黒人差別の問題も消えていく。証言台に立ったピージョーが急に「ジョンがテイラーを殺した」と叫び、強引に黒人差別問題を絡めようとしているが、そこから差別問題が描かれていくわけではなく、すぐにルシールの証言シーンに移る。

裁判は、陪審員が暗に死刑を要求する有罪判決を出したにもかかわらず、ヨレヨレの判事が独断で懲役刑にした上、執行猶予まで付けて釈放するというメチャクチャな結果で終わる。最終的に殺人行為を肯定するような形になっているのだが、それはコメディーならともかく、シリアスな話でやってもいいんだろうか。

アントニオ・バンデラスは初監督作品として、難しい題材を選んでしまったんじゃないかなあと思う。これって、このシナリオのままだと誰がやっても上手く行かなかったような気がする。
ピージョー側のストーリーを大幅に変更するとか、いっそのこと完全に削ってルシールの物語だけにしてしまうか、そうすれば改善されたかもしれない。
まあ、原作者が脚本を書いているので、そりゃ絶対に無理だが。


第20回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演女優賞[メラニー・グリフィス]


第22回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演女優】部門[メラニー・グリフィス]
受賞:【最悪のヘアスタイル(女性)】部門[メラニー・グリフィス]

ノミネート:【最悪の助演男優】部門[ロッド・スタイガー]
ノミネート:【最悪のインチキな言葉づかい】部門[メラニー・グリフィス]

 

*ポンコツ映画愛護協会