『コットンクラブ』:1984、アメリカ

1928年、ハーレム。バンビル・クラブで演奏していたコルネット奏者のディキシーは、ギャングのダッチに気に入られる。ディキシーは命を狙われたダッチを助け、店にいた女性ヴェラを部屋まで送り届ける。一方、コットン・クラブのオーディションを受けたタップ・ダンサーのサンドマンは、責任者のスタークから合格を言い渡される。
ダッチからパーティーでの演奏を要請されたディキシーは、会場で弟ヴィンスと出会う。ヴィンスはディキシーの名前を出して、ダッチに雇ってもらったらしい。会場には歌手として現れたヴェラは、ナイトクラブを持つ夢のためにダッチの愛人になる。
ダッチは別の部屋に行き、敵対しているフリンと話し合いをする。調停役はコットン・クラブのオーナーでもあり、ブロードウェイとの関係も深い裏社会の大物、オニーだ。オニーから休戦を指示されたダッチだが、挑発に怒ってフリンを殺してしまう。
コットンクラブのショーに兄クレイと共に出演していたサンドマンは、踊り子のライラに惹かれる。ディキシーはダッチに強引に雇われ、ヴェラの相手役を任される。大女優グロリア・スワンソンと出会ったディキシーは、映画の世界に誘われる。
ディキシーはヴェラと惹かれ合うようになり、性的関係を持つ。ダッチと手を切ろうと考えた彼はオニーに近付き、西海岸の縄張りを仕切る仕事を引き受ける。オニーの口利きで映画に出演したディキシーは、関係者から高く評価される。ソロでのパフォーマンスを任されたサンドマンは、それが原因でクレイと険悪な関係になる。
1930年、ディキシーはハリウッドで新しいスターとなっており、ヴェラはダッチからナイトクラブを任されている。サンドマンはヴェラの店に行き、そこで歌っていたライラと再会する。ダッチと反目するようになったヴィンスは、仲間のエドを殺される。
ヴィンスは報復しようとするが、間違えて通行人を殺してしまう。彼は逃走資金を得るため、オニーの仲間フレンチーを誘拐する。ディキシーはオニーに金を渡され、ヴィンスに届ける。フレンチーを解放したヴィンスは、襲撃を受けて命を落とす…。

監督はフランシス・コッポラ、原案はウィリアム・ケネディ&フランシス・コッポラ&マリオ・プーゾ、脚本はウィリアム・ケネディ&フランシス・フォード・コッポラ、製作はロバート・エヴァンス、共同製作はシルヴィオ・タベット&フレッド・ルース、製作総指揮はダイソン・ラヴェル、撮影はスティーヴン・ゴールドブラット、編集はバリー・マルキン&ロバート・Q・ラヴェット、美術はリチャード・シルバート、衣装はミレーナ・カノネロ、音楽はジョン・バリー、音楽コンサルタントはジェリー・ウェクスラー。
出演はリチャード・ギア、グレゴリー・ハインズ、ダイアン・レイン、ロネット・マッキー、ボブ・ホスキンス、ジェームズ・レマー、ニコラス・ケイジ、アレン・ガーフィールド、フレッド・グウィン、グウェン・ヴァードン、リサ・ジェーン・パースキー、モーリス・ハインズ、ジュリアン・ベック、ノヴェラ・ネルソン、ラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ジョン・ライアン他。


1920年代から1930年代のハーレムを舞台に、実在した高級クラブ“コットンクラブ”に集まる人々の生き様を描いた作品。当時の衣装や店の様子が再現され、デューク・エリントンの曲が使われ、ジャズ全盛時代の雰囲気が見事に再現されている。

ディキシーをリチャード・ギア、サンドマンをグレゴリー・ハインズ、ヴェラをダイアン・レイン、オニーをボブ・ホスキンス、ダッチをジェームズ・レマー、ヴィンスをニコラス・ケイジ、フレンチーをフレッド・グウィン、ディキシーの母をグウェン・ヴァードンが演じている。
劇中ではジャズの演奏シーンが何度も登場するが、ディキシーがコルネットのソロ演奏を披露する場面では、実際にリチャード・ギアがコルネットを吹いている。それは立派なことだろうが、リチャード・ギアはお上品すぎて、やはりミスキャストだろう。

他にバンピー役でローレンス・フィッシュバーン、スターク役でトム・ウェイツ、ヴィンスの妻パッツィ役でジェニファー・グレイ、ラッキー・ルチアーノ役でジョー・ダレッサンドロ、グロリア・スワンソン役でダイアン・ヴェノーラが出演している。
さらにヴィンスの仲間役でジェームズ・ルッソ、バンピーの仲間役でジャンカルロ・エスポジート、他にニコラスの弟マーク・コッポラ、ジェームズ・アール・ジョーンズの父ロバート・アール・ジョーンズ、監督の娘ソフィア・コッポラも顔を見せている。

前述したように当時の雰囲気は見事に漂ってくる。
でも、それだけだ。
話は散漫なままで、雰囲気に飲み込まれている。
で、大きな転換期になると省略される。
例えばディキシーが裏の世界で成り上がっていく様子などは、完全にカットされている。

最初はディキシーとサンドマンを同列に扱うように見せ掛けておきながら、あっという間にサンドマンのストーリーは別にあっても無くても構わない程度の扱いになる。
だったら、最初からディキシーだけを軸にすべきだろう。
ディキシーはギャングの世界、サンドマンはショーの世界と、それぞれに分けてドラマを広げていけば良かったのに。

一応は群像劇のような匂いも無いことは無いのだが、各キャラクターごとの時間配分や出し入れ、絡ませ方が上手くないので、非常にバランスが悪い。
前述したように、まるでダブルメインのように登場したサンドマンでさえ、扱いが悪いのだから。

クラブでの演奏やショーがクローズアップされるのかと思ったら、それも中途半端な扱い。例えば丸々1曲分の演奏風景を見せたり、タップ・ダンスをミュージカル映画ぐらいの扱いで見せたりすれば、大きな見せ場になっただろう。
映画全体の評価は別として。

実際、この映画で最も魅力的だと感じるのは、サンドマンが仲間達とタップを踏んでいるシーンなのよね。
というか、正直なところ、音楽とダンスを除くとスッカラカン。
でも、最大の見せ場と成り得るタップのシーンに、見せ場として作ろうとする配慮は乏しい。
例えばケンカしていたサンドマンが兄クレイとタップを踊って和解するシーンなど、本当なら感動の名場面になってもおかしくない(クレイを演じるのは、実際にグレゴリー・ハインズの兄であるモーリス・ハインズ)。
でも、そこまでの2人のドラマが弱い上に、和解のタップを踊る場面の見せ方もマズイから、ちっとも感動的な盛り上がりが無い。

描くべきドラマを描かずに、別に描かなくてもいいんじゃないとか思えるようなエピソードが挿入されたりする。
例えば終盤になってギャングのバンピーと踊り子ウィニーの関係が描かれたりするが、そこからの発展なんて無いんだから、明らかに余計。
映画を締める辺りになるとディキシーとヴェラの関係を軸にしようとしている向きもあるが、それまでに2人の恋愛関係が消えている時間が長い。
で、終盤になって、思い出したように恋愛ドラマを引っ張り出してくる。
でも、その関係は要らないような気さえする。

終盤に入ると、中心キャラクターのディキシー、サンドマン、ヴェラといった面々の影が薄くなり、ギャング達がゾロゾロと出てきてゴチャゴチャとやっている。
で、何となくディキシーとダッチの対決ムードを醸し出すが、そこは見事に消化不良のままで終わる。


第5回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低助演女優賞[ダイアン・レイン]
<*『コットンクラブ』『ストリート・オブ・ファイヤー』の2作でのノミネート

 

*ポンコツ映画愛護協会