『虚栄のかがり火』:1990、アメリカ

ピーター・ファローは、今をときめく時の人となり、マスコミの注目を浴びていた。執筆した本がベストセラーになったからだ。物語は1年前の雨の夜、ウォール街のトップ・トレーダー、シャーマン・マッコイが電話を掛けようとするところから始まった。
シャーマンは豪雨の中、自宅を出て外で電話を掛けようとする。浮気相手への電話なので、妻ジュディに知られては困るからだ。浮気相手のマリアは、富豪アーサー・ラスキンの妻である。だが、シャーマンは間違えて、ジュディに電話を掛けてしまう。シャーマンは慌てて誤魔化そうとするが、ジュディから「汚いウソつきだ」と言われてしまう。
シャーマンは旅行から戻ったマリアを迎えに行くが、戻る途中でブロンクスに迷い込んでしまう。シャーマンが車の外に出ている時、2人の黒人に取り囲まれた。シャーマンは急いで車に乗り込み、マリアが運転して逃げ出す。その際、黒人の1人ヘンリー・ラムをはねてしまう。だが、シャーマンとマリアは、そのまま現場から逃走した。
ヘンリー・ラムが意識不明の重体に陥り、マーティン刑事が捜査を担当することになった。黒人のべーコン牧師は、ヘンリーの母の代弁者として強硬に裁判を主張した。クレイマー地方検事補が起訴は難しいと告げても、聞く耳を持たなかった。
酒に溺れるクビ寸前の新聞記者ピーターは、べーコン牧師と親しい弁護士アルバートフォックスから事件について聞かされた。ピーターはべーコン牧師の利益になるような、「善良な高校生のヘンリーが白人にひき逃げされた」という記事を書いた。
ニューヨーク市長選への出馬を狙うユダヤ系の地方検事ワイスは、黒人の票を得るため、部下のレイやクレイマーに車の割り出しを命じた。レイ達が事情聴取に訪れた際、シャーマンは激しく動揺した。証拠は無かったが、「豪邸に住む白人」という“うってつけの人物”だったため、ワイスはシャーマンの逮捕を命じた。
ひき逃げ犯として逮捕されたシャーマンは、マスコミや黒人達から激しい非難を浴びた。シャーマンはマリアに証言を頼もうとするが、彼女は画家フィリッポと海外へ旅立ってしまった。シャーマンはホワイト判事によって、1万ドルで保釈された。だが、ジュディは彼の元を去り、マンションの管理人からは出て行くように要求されてしまう。
一方、ファローはマリアの友人キャロラインから、事件に関わる有力情報を得た。ファローはマリアが車を運転していたという記事を書くが、ベーコンやアルバートは自らの利益にならないため、批判的な態度を示す。ワイスも、マリアが犯人では自らの利益にならないため、旅から戻った彼女に嘘をつかせてシャーマンを有罪にしようとする…。

監督はブライアン・デ・パルマ、原作はトム・ウルフ、脚本はマイケル・クリストファー、製作はブライアン・デ・パルマ、共同製作はフレッド・カルーソ、製作協力はモニカ・ゴールドスタイン、製作総指揮はピーター・グーバー&ジョン・ピーターズ、撮影はヴィルモス・ジグモンド、編集はデヴィッド・レイ&ビル・パンコウ、美術はリチャード・シルバート、衣装はアン・ロス、音楽はデイヴ・グルーシン。
出演はトム・ハンクス、ブルース・ウィリス、メラニー・グリフィス、モーガン・フリーマン、キム・キャトラル、ソウル・ルビネック、アラン・キング、ジョン・ハンコック、クリフトン・ジェームズ、バートン・ヘイマン、ケヴィン・ダン、ドナルド・モファット、ノーマン・パーカー、ルイス・ジャンバルヴォ、メアリー・アリス、カート・フラー、ロバート・スティーヴンス、リチャード・リベルティーニ、アンドレ・グレゴリー他。


トム・ウルフの全米ベストセラー小説を基にした作品。
ただし、「どうやら基にしているらしいが、似ても似つかぬ別の作品」というのが、公開当時の多くの観客の解釈だったようだ。つまり、原作とは全く内容が違っているわけだ。
原作と大幅に違っていても、別のモノとして評価される作品もあるだろうが、この映画は見事にコケた。

シャーマンをトム・ハンクス、ピーターをブルース・ウィリス、マリアをメラニー・グリフィス、ホワイトをモーガン・フリーマン、ジュディをキム・キャトラル、クレイマーをソウル・ルビネック、アーサーをアラン・キング、ベーコンをジョン・ハンコック、アルバートをクリフトン・ジェームズ、マーティンをバートン・ヘイマンが演じている。
他に、シャーマンの父をドナルド・モファット、冒頭でピーターを案内する女をリタ・ウィルソン(トム・ハンクス夫人)、シャーマンの娘をキルステン・ダンストが演じている。また、アンクレジットだが、ワイス判事をF・マーリー・エイブラハムが演じている。

この話は、そもそも「エゴイスティックでイヤな性格の奴らが、醜悪な姿を見せ付ける」というシニカルなコメディーだったはずなのだ。
しかし、ブルース・ウィリスやメラニー・グリフィスはともかく、トム・ハンクスやモーガン・フリーマンに、「エゴイスティックで醜い人物」がフィットするだろうか。
いや、彼らは、どう考えても善良な役を演じる俳優だ。
だから、前述したような「エゴイスティックで〜」という内容からは、キャスティングの段階で遠ざかることになる。“宇宙の支配者”を自認するブルジョアな男、黒人少年を車でひいて逃亡する男のシャーマンは、どんどん良心を見せるようになっていく。

そもそもシャーマンは序盤から、何度もマリアに「警察に行こう」と言っているのだ。保身のために罪から逃れようとしているのだが、それでも警察に行こうと考えているという態度を見せることで、エゴイスティックではないことを観客に示そうとしている。
しかし、彼は最後まで保身のために行動しているし、ウソをつくことで無罪判決を勝ち取っている。完全なる善人というわけでもない。ある意味では人間らしいキャラクターと言えるのかもしれないが、映画的には中途半端な人物ということになる。

本来は、ひき逃げ事件を起こしたシャーマンが悪いはずなのだ。
しかし、「野望や利益のために魂を失った周囲の連中に陥れられ、バッシングを浴びる被害者」としてのシャーマン、観客の同情を集めようとする。
シャーマンは法廷で謝罪の言葉を述べ、ピーターの前で涙を見せ、ひき逃げ犯ではなく臆病な善人としての姿を示す。

ホワイト判事の場合、もっと明快だ。
最初から彼にはエゴイスィックな部分が微塵も無く、“善の番人”としての位置を守り続ける。
そして終盤には、「正義とは何か、節度とは何か」と説教をして、エゴイスティックに利益を追求する連中を非難する。
なぜだか分からないが、「心洗われる感動的なシロモノ」として話を着地させようとするのだ。

この映画はシニカル・コメディーに成り切れなかったが、おそらく製作サイドが予想しなかったところで、立派にシニカル・コメディーとして成立している。
というのも、シニカルなコメディーを作るはずだった監督や脚本家が、観客の笑い者になったからだ。
すなわち、映画の枠を越えたところで、シニカルなコメディーになっているのだ。


第11回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ブライアン・デ・パルマ]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低主演女優賞[メラニー・グリフィス]
ノミネート:最低助演女優賞[キム・キャトラル]


第13回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:最悪作品賞

 

*ポンコツ映画愛護協会