『アンドリューNDR114』:1999、アメリカ

近未来のアメリカ。リチャード・マーティンは家族のため、家事全般をこなすロボテックス社の最新型ロボットを購入した。アンドリューと名付けられたロボットは、リチャードを「サー」、彼の妻を「マム」、長女グレースを「ミス」、次女のアマンダを「リトル・ミス」と呼ぶ。
ロボットには、「人間の命令に服従しなければならない」という原則があった。そのことをアンドリューから聞いたグレースは、2階の窓から飛び降りるよう彼に命じた。アンドリューはグレースの命令に従って窓から飛び降り、体に大きな損傷を受けた。リチャードは家族に対して、「これからはアンドリューを人間と同様に扱う」と告げた。
アマンダはグレースと違って、最初からアンドリューに対し、人間の友達のような態度を示した。浜辺でピクニックをしていた時、彼女は宝物にしている小さなガラスの馬をアンドリューに見せた。だが、アンドリューは馬を落として壊してしまった。
アマンダから「大嫌い」と言われてしまったアンドリューは、その夜、彼女のために流木を使って木彫りの馬の人形を作った。リチャードは、アンドリューが普通のロボットとは違う個性を持っていることに気付いた。ロボテックス社は、規格を外れた神経回路を持つアンドリューを廃棄しようとするが、リチャードは拒否した。
時は過ぎ、アマンダは大人へと成長した。彼女はアンドリューに好意を抱いていたが、機械に愛情を注いでも仕方が無いとも考えていた。やがて彼女はフランクという男性と結婚した。12年後、アマンダにはロイドという息子が生まれていた。
自由になりたいとリチャードに申し出たアンドリューは、家を出ていくよう告げられた。自分の家を持って暮らし始めたアンドリューは16年後、リチャードの最後を看取った。アンドリューは自分と同じように個性を持つロボットを探すため、旅に出た。
アンドリューは、市場でダンスをしているガラテアというロボットと出会った。彼女には、父の後を継いでロボットの研究をしているルパートによって、個性用チップが埋め込まれていた。それは、アンドリューが考えている「自分と同じロボット」ではなかった。
アンドリューはルバートに研究資金を提供し、人工の皮膚によって外見を人間そっくりに変えた。そして彼は、すっかれ年老いたアマンダと彼女の孫娘ポーシャに会った。アマンダが亡くなった後、アンドリューは人工臓器によって中身も入れ換えた。
アンドリューはポーシャに恋心を抱いていたが、彼女は別の男との結婚を考えていた。アンドリューは性器も人間同様にグレードアップして、ポーシャと結ばれた。アンドリューは彼女との結婚を認めてもらおうとするが、それは困難なことであった…。

監督はクリス・コロンバス、原案はアイザック・アシモフ、原作はアイザック・アシモフ&ロバート・シルヴァーバーグ、脚本はニコラス・カザン、製作はウォルフガング・ペーターゼン&ゲイル・カッツ&ニール・ミラー&ローレンス・マーク&クリス・コロンバス&マーク・ラドクリフ&マイケル・バーナサン、製作協力はポーラ・デュプレ・ペスマン、製作総指揮はダン・コルスラッド、撮影はフィル・メヒュー、編集はニール・トラヴィス、美術はノーマン・レイノルズ、衣装はジョセフ・G・オーリシ、音楽はジェームズ・ホーナー。
主演はロビン・ウィリアムズ、共演はサム・ニール、エンベス・デイヴィッツ、オリヴァー・プラット、カーステン・ウォーレン、ウェンディ・クルーソン、ハリー・ケイト・アイゼンバーグ、リンジー・レザーマン、アンジェラ・ランディス、ジョン・マイケル・ヒギンズ、ブラッドリー・ホイットフィールド、イゴール・ヒラー、ジョー・ベラン、ブレット・ワグナー、スティーヴン・ルート他。


アイザック・アシモフの短編小説を基にした作品。
アンドリューをロビン・ウィリアムズ、リチャードをサム・ニール、アマンダ&ポーシャをエンベス・デイヴィッツ、ルパートをオリヴァー・プラット、ガラテアをカーステン・ウォーレンが演じている。

アンドリューは家庭用のロボットなのに、「おやすみ」という言葉がインプットされていない(そのくせ「ハロー」はインプットされている)という、困った奴である。
これが試作品なら分からないでもないが、アンドリューは最新型ロボットのはずなのだが。

それにしても、最初から最後まで、やたらと気持ちの悪い話だった。
まず、アンドリューの見た目が気持ち悪い。
ロビン・ウィリアムズがボディ・スーツを着用してアンドリューを演じているのだが、このボディ・スーツがロビン・ウィリアムズそのものというのが困りもの。
途中で顔の表情が出るようになると、ますます気持ち悪くなる。

アマンダも、かなり気持ち悪い。
何しろ、アンドリューに惹かれてしまうのだ。
まだ外見が人間らしいのならともかく、その時点では、アンドリューの見た目は完全にロボットだ。
ハッキリ言って、フェチシズムが行き付く所まで行ってしまったようにしか見えない。

話の中身も、感動劇を装っているが、実は気持ちが悪い内容だ。
この映画の最大の失敗は、ロボットと人間の間の恋愛&結婚&セックスを描いてしまったことだと思う。
深い所まで突っ込みすぎたせいで、ファンタジーでは済まされなくなっている。
これが友情や師弟関係なら、それほど気持ち悪い印象は受けなかったと思う。
ところが、セックスが入ってくると、ヘンな生々しさがあって、気持ちが悪い。
セックスするロボットって、ようするに機械仕掛けのダッチワイフみたいなモノでしょ。

この映画では、「ロボットは人間になれる」という考え方に基づいてストーリーが構築されている。
それをロマンティックだと思う人もいるかもしれない。
しかし、私は安易すぎると思うし、前述したようなセックスの問題もあって、グロテスクなものを感じてしまう。
何しろ、アンドリューは「ポーシャとセックスするため」に性器を入れ換えるのだから。

どれだけロボットが人間に近付いても、ロボットであることに変わりは無いのだ。
人工皮膚で外見を変え、臓器を埋め込み、ペニスを装着し、不死身であることを拒否しても、それは「限りなく人間に近付いた」だけであり、完全に人間になったわけではない。
人間には、単純には割り切れない感情の機微がある。
アンドリューの持っている感情は、神経回路が生み出した表面的な感情でしかない。
作り物に過ぎないのだ。
だから、アンドリューは態度の悪さで簡単に相手を怒らせる。相手の気持ちを考える細かい配慮が無いからだ。アンドリューは、本物の人間になった「つもり」に過ぎないのだ。
「ロボットがどれだけ頑張っても人間になることは出来ない」という考え方に基づいて話を作った方が、感動的な内容にしやすかったと思う。
必ずしもポジティヴな考え方が良い結果に結び付くとは限らないことを、この映画は教えてくれた。

この映画、ロビン・ウィリアムズというキャスティングも、かなりのマイナスになっていると思う。
ニヤケた顔のオッサン型ロボットが欲望剥き出しで行動するってのは、どうなのか。
もちろん、個人的な趣味嗜好はあるだろう。
ただ、例えばアンドリューをジョニー・デップ辺りが演じていたら、かなり受け入れやすくなったような気がしてならない。


第20回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[ロビン・ウィリアムズ]
<*『アンドリューNDR114』『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』の2作でのノミネート>


第22回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演男優】部門[ロビン・ウィリアムズ]
<*『アンドリューNDR114』『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』の2作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会