『類猿人ターザン』:1981、アメリカ

1910年、西アフリカ。まだ見ぬ実父のジェームズに会うため、ジェーン・パーカーは1人で探検隊の駐留地へ赴いた。ジェームズは探検家で、カメラマンのハリー・ホルトや現地人のリアノたちを率いてアフリカの奥地に来ていた。ジェームズはジェーンが来ることを事前に知らされておらず、船で彼女が到着しても届いた大砲にばかり関心を示した。ホルトはジェーンに挨拶し、ジェームズに現地人のアフリカという妻がいることを教えた。
夕食会でジェーンが「私が1歳の時に母を捨てて姿を消した」と言うと、ジェームズは「私をけなしに来たのか。旅立つ時、彼女は何と言った?」と告げる。ジェーンが「母は死んだわ」と教えると、ジェームズは「私は彼女を愛してた」と口にした。ホルトはジェーンに、「ジェームズはジャングルの奥地にある象の墓場を探してる」と話す。ジェーンが「伝説ね。彼は信じてるの?」と言うと、彼は「発見に夢中だ。僕も全てを懸けてる」と述べた。ジェーンはジェームズに、「私も行くわ」と告げた。
探検隊は巨大な断崖の下でキャンプを張り、ジェームズはジェーンに「ベースキャンプに戻って、我々が順調だと報告してくれ」と頼む。咆哮が聞こえたのでジェーンが「あれは何?」と尋ねると、ジェームズは「ターザンだ。白い類人猿で、身長は推定30メートル」と説明し、ホルトは「人と猿が半々だそうだ」と付け加えた。ジェームズはリアノから「皆が怖がってる」と言われ、「逃げ出さないように金をやれ」と命じた。するとアフリカは、「お金では無理よ。崖の上から生きて帰った者はいない」と告げた。
戻って来たリアノが「40人が逃げて、あと10人が逃げそうです」と知らせると、ジェームズはアフリカに「荷物の運び手が足りない。上に行ってくれ」と要請した。ジェーンは父に、「私の登る」と申し入れた。翌朝、探検隊は崖を登り、エジプトの探検隊が象の墓を発見した場所に近くにある西の内海へ向かった。ジェームズが先へ進もうとすると、ジェーンは「先に行ってる汗を流してから行くわ」と述べた。ジェームズは「岬まで行く」と言い、探検隊を率いて出発した。
ジェーンが海に入って寛いでいると、ライオンが浜辺に追って来た。ライオンを追ってターザンが浜辺に来るが、正体は類人猿ではなく人間だった。ターザンはジェーンに気付くと、海から強引に引っ張り上げた。ジェーンが悲鳴を上げて抵抗すると、ジェームズとホルトが戻って来た。ホルトがライフルを発砲すると、ターザンはライオンと共に逃亡した。ジェームズはジェーンに、「猿の望みは何だ?」と訊く。ジェーンが「猿じゃないわ」と言うと、彼は「猿は君を欲しがった」と述べた。
ジェーンが「何もしなかった」と告げると、ジェームズは「信じられん。決めた。ターザンを銃で仕留めて剥製にする」と言う。ジェーンが「あれは人間よ」と反発しても、彼は「奴の頭をトロフィーにする」と耳を貸さなかった。翌日、移動中に原住民がアフリカを拉致すると、ジェームズはターザンの仕業だと決め付けた。彼は激怒し、「人間でも構わん。剥製にしてやる」と言い放った。その夜、ジェームズは原住民の遺体を発見した。ジェーンは「アフリカをさらったのは彼らよ」と言うが、ジェームズは「ターザンだ」と否定した。
ジェーンは水筒に水を入れるため、川に近付いた。ジェームズは隊列を先に進ませ、ホルトに見張りを命じた。ターザンは水中に潜って静かに近付き、ホルトに気付かれずにジェーンを連れ去った。ジェーンが威嚇発砲すると、ターザンは驚いて逃走した。ジェーンが大蛇に襲われると、ターザンが駆け付けた。彼はジェーンを救うが、大蛇に噛まれて意識を失った。するとオランウータンやチンパンジーが現れ、ターザンに近付いた。さらに象も現れ、ターザンを泉に連れて行く。ジェーンはターザンの呼吸を確認し、優しく介抱した…。

監督はジョン・デレク、キャラクター創作はエドガー・ライス・バローズ、脚本はトム・ロウ&ゲイリー・ゴダード、製作はボー・デレク、撮影はジョン・デレク、美術はアラン・ロデリック=ジョーンズ、編集はジミー・リン、音楽はペリー・ボトキン。
出演はボー・デレク、リチャード・ハリス、ジョン・フィリップ・ロー、マイルズ・オキーフ、アクシュラ・セラヤー、スティーヴ・ストロング、マキシム・フィロー、レナード・ベイリー他。


エドガー・ライス・バローズの小説『ターザン』シリーズのキャラクターを使った映画。
監督は『ファンタジー』のジョン・デレク。
脚本は『ガンマー第3号/宇宙大作戦』『カーク・ダグラスとユル・ブリンナーの 世界の果ての大冒険』のトム・ロウと、これがデビュー作のゲイリー・ゴダードによる共同。
ジェーンをボー・デレク、ジェームズをリチャード・ハリス、ハリーをジョン・フィリップ・ロー、ターザンをマイルズ・オキーフが演じている。

オープニングのナレーションでは、「皆さん、驚くなかれ。世にも不思議なお話だよ。今の話題は皇太子の結婚さ。話に入る前に、幸福を祈ろう。ダイアナ妃とずっとお幸せに」と語る。
この映画が公開されたのは、イギリス王室のチャールズ皇太子(現在の国王チャールズ3世)とダイアナ妃が結婚した1981年だったのだ。
でも、わざわざ冒頭で触れる必要は無いよね。映画の内容にも全く関係ないし。
そんな話題を軽いノリで適当に持ち込んでいる時点で、早くも安っぽさが出ていると感じてしまうのは偏見かな。

ジェーンは現地の人間に金を渡し、キャンプまでの案内を頼む。夜、彼女が部屋にいると、その現地人たちが乗り込んで来る。
ジェーンは拳銃を発砲し、そこで『Tarzan』というタイトルが出る。そしてカットが切り替わると、ジェーンは船で探検隊の元に赴いている。
なので、ジェーンの発砲で現地人が死んだのか、あるいは単なる威嚇発砲で現地人を追い払ったのか、その辺りは全く分からない。
この出来事が後に繋がるわけでもないので、「そんなシーンはホントに必要なのか」と言いたくなるし。

ジェームズは無駄にエキセントリックで、かなりクセの強いキャラになっている。
ジェーンが船で来た時、彼は「エリザベス」と漏らす。「ジェーンよ」と言われると「誰だか分かるぞ」と睨み付け、大砲のことばかり気にする。
ではジェーンを冷たく拒絶するのかというと、夕食会に招いて「ジェーンの母と私は彼女が幼い頃に離婚した」とホルトたちに説明する。
ジェーンが母の死を明かすとショックを受けた様子を見せ、「彼女を愛してた」と言う。

ジェーンが「父親がいなくても不自由は無かったわ」と話すと、ジェームズは「誰に向かって言ってるんだ」と怒鳴る。ジェーンが「貴方はジェームズ・パーカーでしょ?」と告げると、「そういうこと」と笑顔を浮かべる。
ジェーンが自分と母の前から姿を消したことを非難すると、真剣な様子で「彼女は弱かった。妊娠で死に掛けた。ずっと一緒にいたら壊してしまったかもしれない」と全く言い訳にならない言い訳をする。
この短い会話シーンの中で、ジェームズの感情はコロコロと移り変わる。
会話を終えて外へ出ると、「お休み、ジェーン」と言いながら大砲を撃つ。
どういう奴なんだよ。

ジェーンはジェームズやホルトから「ターザンは巨大で恐ろしい類人猿」という情報を聞いても、ワクワクして全く怖がらない。
40人が逃げたと聞いても「大丈夫なのか」と不安を抱くことは無く、それどころか自分も崖を登って同行することを志願する。
ジェームズは隊員の逃亡を防ぐためにギャラの吊り上げだけで対処しようとするが、そんな考え方をジェーンは全く否定も批判もしない。
アフリカに同行を要求するのも、全く反対しない。

ジェームズはジェーンから「悪い人ね」と言われると、全く悪びれずに「そうだ。始末が悪い。自惚れの塊だ。自分のキザな言葉や態度を楽しんでる。完全に自己満足だ」と語る。
そして笑みを浮かべ、「君も真似したまえ。一生を楽しい物にするんだ。自分を神に変えれば、他の神を求める必要は無い」と告げる。
親子揃って、まるで魅力を感じさせないキャラクターになっている。
たぶんジョン・デレク監督は、「登場人物に魅力を吹き込む」という作業に対して、何の関心も無かったんだろう。

断崖のシーンでは、ジェームズ、リアノ、アフリカ、ホルト、ジェーンが順番にロープを使って登る様子を描いている。
それぞれに同じぐらいの時間を使い、同じようなカメラワークやカット割りで順番に登らせるので、「すんげえチンタラしてるなあ」と感じる。
「順番に登る中で、どんどんロープが痛んで切れそうになっていく」ってのを見せているので、そこで緊迫感を煽ろうという狙いがあるんだろう。でも、どうせ前述の面々は誰も落ちないどころかピンチにも陥らないので、見事なぐらいの肩透かしだし。
最終的に1人が落下するけど、顔も映らず誰だかサッパリ分からない奴だし。
しかも、そこからカットが切り替わると、誰も彼の死を気にしていないし。

完全にジェーンが主人公であり、肝心のターザンは映画開始から45分ぐらい経たないと登場しない。それは浜辺のシーンだが、そもそもジェーンが「海に残って汗を流す」と言い出すのは、「ボー・デレクのヌードを見せる」という目的のためだ。
しかも、ジェーンは全裸になって泳いだ後、今度は服を着て再び海に入る。「濡れた服から体が透けて見えるボー・デレクもセクシーでしょ」ってことだ。
ジョン・デレクは『ターザン』という有名な作品を利用して、妻を主演に据えた映画を撮りたかっただけなのだろう。
前作の『ファンタジー』と同様に、「とにかくボー・デレクを見てくれ」ということなのだ。みんなに愛する妻を自慢したかったのだ。

アフリカが拉致されるシーンは、まず移動中に探検隊に参加していた地元女性の悲鳴が上がる。そこへホルトが行くと、女性が顔を覆って遠くを指差す。そこへジェームズが来て「アフリカは?」と訊くと、ホルトは「ターザンが」と告げる。
色々と変なことばかりが多い描写になっている。
まず、アフリカは隊列と一緒に移動していたんから、原住民が拉致する様子を近くにいた面々も目撃していたはず。なのに、女性が悲鳴を上げるだけで、その周囲の面々は落ち着いているってのは変だろ。
原住民がアフリカを拉致する時に、なぜ周囲の面々は全く慌てたり怖がったりしないのか。

あと、なぜ原住民がアフリカだけを標的にして拉致したのかも分からんぞ。悲鳴を上げたのも女性なのに、そいつは拉致しないのかよ。
ジェームズの質問を受けたホルトが、「ターザンが拉致した」と言うのも変でしょ。もし彼が現地女性の言葉を理解しているなら、原住民が拉致したことは聞いているはずだ。
言葉が分からないとしても、何の根拠も無いのに急に「ターザンの仕業」と言い出すのは変だし。
他にも原住民が拉致したのを目撃した面々は何人もいるはずなのに、証言を集めずに「ターザンの仕業」と断定した上でアフリカを捜索しようとするのも不可解だし。

ジェーンは陸上で大蛇に襲われるが、ターザンが駆け付けた時には、なぜか川の中にいる。
ターザンがジェーンを助けようとするシーンはスローモーションで描かれ、細かく割ったカットを重ね合わせるような演出になっている。
たぶん、そんな演出にした理由は「誤魔化すため」ってことだろう。
そのまま普通に見せた場合、大蛇がジェーンやターザンを攻撃していないことも、まるで格闘していないことも、バレバレになってしまうだろう。

ついさっきまでターザンを怖がっていたジェーンだが、象に付いて行く時には、もう完全に気持ちが変化している。彼女はターザンの頬や唇に触れ、体を撫で回す。
明らかに彼女は、メスとして欲情しているのだ。だから目を覚ましたターザンがオッパイを揉んで嫌がらず、それどころか興奮している様子を見せている。
ジェーンは処女の設定なのに、やたらとビッチ感が強くなっている。
だけど、「いかにもジョン・デレク監督作っぽい」「いかにもボー・デレクっぽい」とは言えるだろう。

大蛇に襲われたターザンが意識を取り戻し、ジェーンが彼に付いて行くと、そこから20分ぐらいは「ジェーンとターザンが触れ合う様子」と探検隊がジェーンを捜索する様子」が並行して描かれる。
ザックリ言うと、それは「何も話が進まない時間帯」である。
そこからは、ジェーンと探検隊が原住民に拉致される展開になる。そしてジェーンが全裸にされて体を洗われ、白塗りにされる。
この辺りも、「ボー・デレクのエロさを見てくれ」というジョン・デレク監督の方針が明確に見えるシーンだ。

ターザンが駆け付けて原住民の王と戦うシーンは、大蛇の時と同じくスローモーション映像で描かれる。ここは相手が大蛇ではなく人間なので、普通に格闘できるはずだ。
しかしシンプルにマイルズ・オキーフの格闘能力が低かったのか、ジョン・デレク監督の演出能力が乏しかったのか、その中身は普通に見せたらキレも迫力も皆無のアクションだ。
そしてターザンが王を倒すとジェーンは彼に付いて行き、映画は「オッパイ丸出しのジェーンがターザンやオランウータンと戯れる様子」で終わる。
この映画は酷評を浴びて興行的にも惨敗したが、「そりゃそうだよな」と納得できる出来栄えである。

(観賞日:2024年10月22日)


第2回ゴールデン・ラズベリー賞(1981年)

受賞:最低主演女優賞[ボー・デレク]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ジョン・デレク]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低主演男優賞[リチャード・ハリス]
ノミネート:最低新人賞[マイルズ・オキーフ]


第4回スティンカーズ最悪映画賞(1981年)

受賞:作品賞

 

*ポンコツ映画愛護協会