『レディ・イン・ザ・ウォーター』:2006、アメリカ

かつて人間と海の精は共存していた。海の精の導きと未来の予言に、人間は耳を傾け、それは現実となった。しかし、いつしか人間は耳を塞ぎ、全てを支配する欲求にかられ、内陸へと去って行った。海の精が暮らす魔法の世界と人間の世界は、切り離された。海の精は、その後も数世紀に渡って語り続けたが、ついに背を向けた。人間の世界は、より凶暴になった。導く物がいないので、至る所で戦争が絶えない。そして今、海の精は再び我々に手を差し伸べ始めた。大切な子供たちを、人間の世界へと送り出したのだ。子供たちは真夜中、人間の世界へ連れて来られる。彼らを一目見ただけで人間は気付き、目覚めるだろう。しかし、そこには敵も潜んでいる。多くは命を落とす。それでも海の精は、なおも手を差し伸べている。
フィラデルフィアに住むクリーヴランド・ヒープは、コープ・アパートの管理人を務めている。最近、夜中にプールを使っている住人がいる形跡があるが、その犯人は分かっていない。新聞社に雇われた映画評論家のハリー・ファーバーが引っ越して来たので、ヒープは数名の住人を彼に紹介する。韓国人女子大生のヤンスンは母親のチェ夫人と2人暮らしで、レジーは体の片側だけ鍛えている筋トレ男だ。古株のリーズは無口な老紳士で、ベルは動物好きの中年女性だ。
アパートは喫煙であるにも関わらず、昼間から煙草を吹かしている5人組の若者がいる。しかしヒープは不快に思いながらも、それを黙認している。その夜、プールで女性の姿を見つけたヒープは、「出て来なさい」と叫んだ。しかし女性が潜ったまま出て来ないので、不安になって飛び込んだ。誰も見つからずにプールから上がった彼は、転んで気を失ってしまう。目を覚ますと彼は管理人室にいて、傍らには若い女性の姿があった。それはプールにいた少女だった。
「どこから来た?」というヒープの質問に、少女は「ブルー・ワールド」と答えた。「目が覚めた感じ?心の奥を針で刺されたように感じない?」と少女は問い掛けるが、ヒープが困惑している様子を見ると「貴方じゃないのね」と落胆を示した。彼女は「ストーリー」と名乗り、「怖い、貴方と一緒にここに居たい」と言う。そこでヒープは、「君が怖くなくなるまで、ここに居なさい」と告げた。「君は何者なんだ?」とヒープが訊くと、ストーリーは「ナーフ」と答えた。ヒープは「新鮮な空気を吸うといい」と言い、彼女をだっこして庭へ連れ出す。しかし不気味な獣が迫って来たので、慌てて管理人室に戻った。
翌朝、ヒープはヤンスンに「ナーフっていう言葉を調べてほしい」と頼む。すると彼女は「確か東洋の御伽噺に良く出て来る」と告げるが、その内容は良く覚えていないらしい。曾祖母が良く話してくれたとヤンスンが言うので、ヒープは彼女の母に尋ねてみることにした。チェ夫人は嫌がりながらも、ナーフが海の精であること、実際に見た人がいることを話す。さらに彼女は、ナーフは「選ばれし器」と言われる定められた人間に会わねばならないこと、その人間はナーフを見ると目覚めが起こること、それが成し遂げられるとナーフは巨大なワシで故郷に帰って自由になることを説明した。
管理人室に戻ったヒープは、ストーリーに「君はアパートの住人の誰かに会いに来たのか?会うべき人間がいるのか?」と尋ねた。するとストーリーは「その人は作家」と告げるが、それ以上は分からないという。「その人に会えば今夜にでも発てる」と彼女が言うので、ヒープは「じゃあ僕が捜そう」と申し出た。ヒープは住人たちと会い、何か重要な文章を書いていないか質問する。だが、それらしき人物は見つからなかった。
ヤンスンはヒープに、御伽噺には続きがあること、スクラントという獣がナーフを殺そうとすることを教えた。平面になることが出来て背中は草のような毛に覆われ、人間は気付かないというスクラントは、ヒープが昨晩に見た獣と特徴が一致した。廊下を歩いていたヒープは、ヴィックとアナの兄妹と遭遇した。ヴィックが本を執筆中だと思い出したヒープは、電気の修理を名目にして2人の部屋へ入った。ヴィックが書いていたのが料理本だと知り、ヒープは彼が「選ばれし器」ではないと感じる。
ヒープは修理を終え、再びヴィックとアナに会う。料理本というのはタイトルに過ぎず、今の文化や指導者が抱える問題を論じた内容だと聞かされたヒープは、やはりヴィックが「選ばれし器」だと確信した。管理人室に戻ったヒープは、ストーリーから「貴方の心は過去の出来事で一杯なのね。ある夜、貴方の留守中、家に強盗が入り、奥さんと子供たちを殺した。それ以来、貴方は心を閉ざしている。医者だったのね。同情するわ。でも貴方には、ここの住人を救う役目があるわ」と告げられた。
ヒープはストーリーに、選ばれし器を見つけたことを話す。彼は嘘の理由でヴィックを呼び出し、ストーリーと会わせた。ヴィックの様子を見たヒープが「心の奥を刺されたような感じがする?」と尋ねると、彼は「その通りだ」と口にした。ストーリーが元の世界へ帰ることになったので、ヒープはプールへ送り出した。見てはいけないと言われたので、ヒープは管理人の仕事に赴いた。しかしナーフは掟で守られているはずなのに、ストーリーはスクラントに襲われて逃げ帰った。
ヒープはナーフがスクラントに襲われた時の対処方法を知るため、チェ夫人とヤンスンに話を聞く。その結果、スクラントはナーフを殺す猛毒を持っていること、しかしナーフはキイという治療薬を住処に持っていることが分かった。ワシが来た時、ナーフがスクラントに襲われない方法についても、ヒープが尋ねる。すると、旅立ちの夜に襲うのは向こう見ずなスクラントだけで、普通はタートゥティックという掟の番人3名を恐れているので手を出さないことが分かった。タートゥティックは木の上に居て、猿に似た生き物らしい。凶暴な連中で、生きている姿を見た者はいないという。
ヒープはプールに潜ってストーリーの住処に入り、キイを見つけた。管理人室を訪れたヤンスンは、スクラントが掟を破る理由について説明した。スクラントが掟を破ってでも襲撃するのは、何十年かに1度現れるマダム・ナーフだけだ。彼女が見つける器は、人間の世界を帰ることが出来る。それにマダム・ナーフはブルー・ワールドの女王であり、彼女の帰還は故郷に偉大なる啓示をもたらすのだ。ただしマダム・ナーフは、自分が女王だという自覚が無いらしい。
ヒープはストーリーに薬を渡し、彼女を救った。ヒープから話を聞いたアナとヴィックは、その内容を全面的に信じた。ストーリーはヴィックに「貴方の未来を知りたい?」と問い掛け、「大陸の中西部に住む少年が貴方の本に影響を受け、思想を受け継ぐ。成長した彼の言葉は世界中の人々に影響を与え、この国の指導者となって素晴らしい変革を起こす。彼は貴方の言葉を語り継ぐ。貴方の本は変革の種になるのよ」と述べた。
翌朝、ヒープはチェ夫人と会い、さらに詳しい話を聞き出した。彼はブルー・ワールドについて話すことを禁じられているストーリーに、幾つかの質問を投げ掛けた。仲介役に入ったアナを通じて、ストーリーはイエスかノーかだけを返答した。地上にはナーフを救う能力を備えた人間がいて、無意識の内に「選ばれし器」の周囲に集まる。通訳、守護者、複数のギルド、そしてヒーラーと呼ばれる女性だ。ストーリーはヒープが守護者であることを指摘したが、他は分からないという。
あと1度だけワシが戻ってくると聞いたヒープは、住人の中に他のメンバーがいるはずだと考えて捜索を開始する。まず彼はファーバーと会い、物語におけるパターンを聞き出した。そしてヒープは、クロスワード好きのミスター・デュリーが「通訳」、ヘビースモーカーの集団が「ギルド」、ベルが「ヒーラー」だと確信し、ストーリーの元へ連れて行く。ヒープはデュリーがクロスワードを通じてストーリーのメッセージを受け取ると考えていた。デュリーはクロスワードの答えから、「パーティーを開いて体臭でスクラントを混乱させ、客を室内に集めてバンド演奏を聴いてもらい、ここにいる面々だけがストーリーの元に残って敵から守る」という計画を提案した。
ヒープはスクラントを倒そうと考え、管理人室の外へ出た。レシーバーでストーリーの助言を受けた彼は、スクラントの目を発見した。「守護者はスクラントに催眠術を掛けることが出来る。真っ直ぐ目を見れば動きを止められる」とストーリーは言うが、スクラントは前に進んで来た。慌てて逃げ出したヒープは、何とか襲われずに済んだ。ストーリーは「守護者じゃないのね。どういうことか分からない」と弱々しく言い、ヒープは「僕には君を守れない」と漏らした。
翌朝、ヒープはリーズから、「君の家族のことは知っている。君が来た時に調べた。決して過去は消せない。逃げることは出来ないんだ」と告げられる。本を書き上げたヴィックは、ストーリーに「指導者となる少年は、なぜ僕と会わないんだ?なぜ人々は突然、僕に注目するんだ?この本が原因で、僕は死ぬのか?」と尋ねる。ストーリーは「そうよ」と答え、「この世の人は、みんな繋がってる。一人の死が、やがてすべてに影響を与える」と述べた。その夜、盛大なパーティーが開かれ、ヒープは「なぜ私がマダム・ナーフなの。私は世界なんか導けない」と不安を吐露するストーリーを励まして会場へ連れ出した…。

脚本&製作&監督はM・ナイト・シャマラン、製作はサム・マーサー、製作協力はホセ・L・ロドリゲス&ジョン・ラスク、撮影はクリストファー・ドイル、編集はバーバラ・タリヴァー、美術はマーティン・チャイルズ、衣装はベッツィー・ハイマン、クリーチャー・デザインはクラッシュ・マックリーリー、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード、音楽監修はスーザン・ジェイコブス。
出演はポール・ジアマッティー、ブライス・ダラス・ハワード、ボブ・バラバン、ジェフリー・ライト、サリタ・チョウドリー、シンディー・チャン、フレディー・ロドリゲス、ビル・アーウィン、ジャレッド・ハリス、メアリー・ベス・ハート、ジョセフ・D・ライトマン、トヴァ・フェルドシャー、M・ナイト・シャマラン、ノア・グレイ=ケイビー、グラント・モノホン、ジョン・ボイド、イーサン・コーン、ジューン・キョウコ・ルー、トム・マーデロシアン他。


『サイン』『ヴィレッジ』のM・ナイト・シャマラン大先生が監督&脚本&製作を務めた作品。
自分の子供たちのために創作した物語を基にしている。
とうとうディズニーから相手にされなくなってしまい、今回はワーナー・ブラザーズと組んでいる。
ヒープをポール・ジアマッティー、ストーリーをブライス・ダラス・ハワード、ファーバーをボブ・バラバン、デュリーをジェフリー・ライト、アナをサリタ・チョウドリー、ヤンスンをシンディー・チャン、レジーをフレディー・ロドリゲス、リーズをビル・アーウィンが演じている。アンクレジットだが、デヴィッド・オグデン・スティアーズがナレーターを担当している。

M・ナイト・シャマラン大先生は『シックス・センス』で脚光を浴び、巨匠アルフレッド・ヒッチコックと比較されるほど高く評価された。
しかし『アンブレイカブル』以降は、作品を発表するごとに評価を落としていった。
そんなシャマラン先生は、また今回もダメな映画を作り上げ、「やはり『シックス・センス』は『恐怖の足跡』を模倣したのが上手く行っただけのマグレ当たりだったんだな」ってことを再認識させられる結果となった。
まあ今さら確認しなくても、とっくに分かっていることなんだけどさ。

シャマラン先生が子供たちのために考えた物語の映画化なんだから、それなら子供向け映画、ファミリー映画として作るべきじゃないかと思うんだが、なぜか大人向けの映画に仕上げている。
じゃあ大人向けに改変してあるのかというと、そこは明らかに子供向け、っていうか幼稚な中身になっている。
でも登場するのは大人ばかりで、「子供向けの物語を読み聞かせる相手と同年代のキャラクター」は存在しない。主人公はオッサンだし、若者は少ない。
子供向けなんだか大人向けなんだか、どうにも良く分からない。

ともかく、この映画を見る時に何より重要なのは、「これはメルヘンである」と認識し、ものすごく寛容な気持ちを持つことだ。そういう心構えが無ければ、この映画を受け入れることは難しい。
何しろ、登場人物は揃いも揃って、「何も疑わない」のである。
ストーリーが御伽噺に出て来る水の精であることも、彼女が「選ばれし器」と言われる定められた人間に会おうとしていることも、ヒープは最初から全面的に信じている。アパートの住人たちも、ヒープに頼まれると何の反発もせずに協力する。
そこは普通の感覚であれば、「なぜヒープはストーリーが頭のおかしな女性だと思ったり警察に連絡したりしないのか」「なぜヒープは最初から御伽噺が現実に起きていると信じるのか」「なぜ住人たちはヒープの与太話に協力するのか」などと、次々に疑問が生じるはずだろう。
それなのに本作品の登場人物は、全て簡単に受け入れてしまう。

だが、メルヘンの場合、そういうのは特に珍しいことではない。むしろメルヘンの基本ルールでは、主人公は不可思議なことに疑いを抱かず、平気で受け入れてしまうものだ。だから本作品を「メルヘン」として解釈すれば、そこは受け入れる必要がある。
ただし問題は、何も疑わないのが、いい歳をした大人たちばかりだってことだ。
メルヘンで不可思議なことに疑いを持たないのは、子供や若者である。その場合、「まだ未熟で純真だから、奇妙なことでも素直に受け入れる」ということで納得しやすい。
しかし、色んなことを経験して、良くも悪くも知恵を付けているはずの大人たちが何の疑問も抱かないってのを「メルヘンだから」ということで受け入れるのは、なかなか厳しいモノがある。

そもそも、シャマラン先生がメルヘンの原則を踏まえて、何も疑わない登場人物ばかりを揃えたとは到底思えない。
単に「最初は疑問を抱くが、何かの出来事をきっかけにして、あるいはストーリーと触れ合う中で次第に、彼女の言うことを信じるようになっていく」という作業を放棄しているだけにしか感じない。
何しろ、冒頭のナレーションで「かつて人間は海の精と共存し、未来の予言に耳を傾けていた。海の精は再び手を差し伸べ、子供たちを人間の世界へ送り出した。真夜中に人間の世界へ連れて来られるが、敵も潜んでいるので多くは命を落とす」ってのを全て説明してしまうぐらいなんだから。
それは物語を進める中で明らかにしていくべき事柄でしょうに。

しかしシャマラン先生は観客に対しても、「メルヘンの主人公」であることを強要する。
「ヒープが最初にナーフのことを尋ねたヤンスンが、そのことを知っているってのは、あまりにも御都合主義が過ぎるんじゃないか」「チェ夫人が水の精の御伽噺について詳しいのも、やはり都合が良すぎるんじゃないか」「っていうか、韓国で広く知られている御伽噺の内容が、なぜフィラデルフィアで発生するのか」「ヒープがブルー・ワールドに関してストーリーに質問する際、なぜアナを通訳に置くのか」など、数々の疑問が本作品にはある。
そして、それに対する答えは何も用意されていない。

シャマラン先生は「貴方もメルヘンの主人公になって、何も疑問を抱かずに全てを信じ、受け入れなさい」と要求している。
前述した事柄以外にも、「ヤンスンの登場シーンで背中しか見せず、顔が出ないまま次のシーンへ移ってしまう演出に何の意味があるのか」「最後に判明する本当の守護者が存在感の薄かった奴ってのは、いかがなものか」など、演出やシナリオに関して色々と疑問が沸く。
だが、それらを全て無条件で受け入れることを、シャマラン先生は我々に求めているのだ。

出たがりシャマラン先生は今回も登場し、アナの兄のヴィックを演じている。
ヴィックは「世界に変革をもたらす種となる本を書く男」として位置付けられているが、シャマラン先生は彼を通じて「私は素晴らしい映画を撮る男だ」ということをアピールしたいのだ。
そして「私の素晴らしい映画を酷評する見当外れの評論家は死ね」と言う意味を込めて、ファーバーをスクラントに殺させているのだ。

これはシャマラン先生なりのメルヘンであり、別の見方をすればシャマラン教の布教フィルムである。
何しろ、自分自身が「選ばれし器」として出演しちゃうぐらいなんだから。
もはやシャマラン先生は、新興宗教の教祖のような存在になってしまったのだ。
「全ての生き物には果たすべき役割がある」というのが表向きはテーマだが、「私を信じなさい。そうすれば救われる」というのが、この映画を通じてシャマラン先生が信者に訴えたい本当のメッセージである。

(観賞日:2014年3月12日)


第27回ゴールデン・ラズベリー賞(2006年)

受賞:最低監督賞[M・ナイト・シャマラン]
受賞:最低助演男優賞[M・ナイト・シャマラン]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低脚本賞


第29回スティンカーズ最悪映画賞(2006年)

受賞:【最悪の助演女優】部門[シンディー・チャン]
受賞:【最も腹立たしい言葉づかい(女性)】部門[シンディー・チャン]
受賞:【ちっとも怖くないホラー映画】

ノミネート:【最悪の作品】部門
ノミネート:【最悪の作品】部門[M・ナイト・シャマラン]
ノミネート:【最悪の脚本】部門
ノミネート:【最悪の集団】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会