『2番目に幸せなこと』:2000、アメリカ

ヨガのインストラクターをしているアビーは、音楽プロデューサーの恋人ケヴィンに捨てられた。アビーは結婚を望んでいたのだが、ケヴィンは「もっとシンプルな女性がいい」と捨て台詞を吐いた。すっかり落ち込んだアビーは、ゲイの友人ロバートに慰めてもらう。ロバートはケヴィンの元に乗り込み、アビーの家の合い鍵を返却させた。
ロバートはアビーを伴ない、エイズで亡くなった友人ジョーの葬儀に参列した。互いに傷付いたアビーとロバートは大量に酒を飲み、その勢いでベッドを共にしてしまった。しかもアビーが妊娠してしまったため、一夜の過ちで済ますことも出来なくなった。
アビーは出産することを決め、ロバートに「子供の父親になってほしい」と告げた。しばらく迷ったロバートだが、結局はアビーと同居し、子供の父親になると決めた。やがて息子サムが生まれ、アビーとロバートは彼の成長を両親として見守った。
サムが6歳になった頃、アビーにベンという恋人が出来た。アビーはベンとの結婚を決めるが、それを聞かされたロバートは怒りを露にする。アビーはロバートの留守中、サムを連れて家を出た。ロバートし共同親権を得るため、裁判を起こすことにした…。

監督はジョン・シュレシンジャー、脚本はトーマス・ロペールスキー、製作はトム・ローゼンバーグ&レスリー・デクソン&リン・ラドミン、共同製作はマーカス・ヴィシディー&リチャード・S・ライト、製作協はメレディス・ザムスキー、製作総指揮はゲイリー・ルチェ力ッシ&テッド・タネンバウ&ルイス・マニロウ、撮影はエリオット・デイヴィス、編集はピーター・ホーネス、美術ハワード・カミングス、衣装はルース・マイヤーズ、音楽ははガブリエル・ヤーレ。
出演はマドンナ、ルパート・エヴェレット、ベンジャミン・ブラット、リン・レッドグレーヴ、イレーナ・ダグラス、マイケル・ヴァルタン、ジョセフ・ソマー、マルコム・スタンプ、ニール・パトリック・ハリス、マーク・ヴァレー、スザンヌ・クルール、ステイシー・エドワーズ、ジョン・キャロル・リンチ、フラン・ベネット、リッキー・ロペス、ラミロ・ファビアン、ティファニー・ポールセン他。


『エビータ』で珍しく女優としての株を上げたマドンナが、あっさりとダメ女優の評価に逆戻りした作品。アビーをマドンナ、ロバートをルパート・エヴェレット、ベンをベンジャミン・ブラット、ロバートの両親をジョセフ・ソマーとリン・レッドグレーヴが演じている。

冒頭、ケヴィンがアビーに対して「面倒じゃない女がいい」など色々と文句を言って、アビーを捨てて出て行く。そのことにより、アビーを「冷たい男に捨てられた可哀想な女」として印象付けようとする。しかし後半に入ると、そのアビーに関する印象付けは、全くの無意味なモノと化してしまう。なぜ無意味になるのかという理由は、後述する。
アビーとロバートが肉体関係を持つシーンからして説得力に欠けるが、全体を通して見れば、そこは余裕で許せる範囲だ。「なぜベンが出会ったばかりでアビーに惹かれたのか」「それぐらい魅力的な女性なのだとしたら、それまで全く声を掛けられなかったのは不自然ではないか」など、その後には不可解な出来事が色々と登場する。

とにかく前半は中身が薄くて、それを無理矢理に引き延ばしているような状態だ。色々とエピソードを作ってやればいいのに、ただノンビリと時間が経過するのをやり過ごす。スロー・フードならぬ、スロー・ムーヴィーでも目指しているかのようだ。
しかし一方で、アビーの妊娠から出産までの過程、そして出産からサムが6歳になまでの過程は、バッサリとカットされている。たぶん、そこでは大した苦労も無く、平穏無事な暮らしが続いたので、わざわざ描く必要も無いということなんだろう。

いわゆるアブノーマルな夫婦関係なのだから、アビー&ロバート&サムの家族関係に色々と言ってくるような奴がいたりして波乱や苦労もありそうだが、何も無かったんだろう。どうやら、随分と物分かりがいい人々に囲まれて暮らしているようだ。サムでさえ物分かりが良く、彼がロバートはゲイだと知っても、そこから何のドラマも発生しない。
友人キャラが大勢いるのだが、その大半は「ただ周囲にいるだけ」という存在だ。ベンとケヴィン以外は、ドラマに深く関わったり、アビー&ロバートの物語に影響を与えたりすることは無い。とにかく必要以上に、つつましい連中ばかりが揃っている

つつましさは後半に入ると一層強まり、友人は揃って姿を消している。ロバートの両親は物語に深く関わってくる可能性を感じさせる数少ないキャラクターだが、やはり後半に入ると、ほとんど出番は無くなっている。アビーとロバートの物語が何より大切ということで、それ以外の要素は出来る限り排除してしまおうという考えなのだろう。
なるべくドラマティックな出来事を起こさないように心掛けて、映画は後半へと入っていく。そし後半に入ると、とにかくアビーのイヤな部分をアピールしようと心掛ける。彼女はベンを簡単に家に連れ込み、彼のことを楽しそうにベラベラと喋りまくる。

ロバートやサムに対する思いやり、配慮する気持ちというのは、アビーの中には微塵も無い。ベンを自宅に連れ込んでセックスし、そのまま朝を迎えたことをロバートから「サムに悪い影響が出る」と注意されると、逆ギレした上に「ベンと結婚する」と言い放つ。結婚を決める際にも、ロバートのことを考えて迷ったりすることは全く無い。
どこからどう見ても、一方的にアビーが悪者であり、ロバートには責められるような要素が見当たらない。アビーは内緒でサムを連れて逃げたりするのだが、それに対して裁判で親権を得ようとしたロバートを卑怯者呼ばわりする。そして、ロバートは罪悪感を感じたりする。後半は、完全に「ロバート受難の物語」になっている。

ロバートが裁判を起こそうとしているのを知ったアビーは、「実はサムはケヴィンの子供だった」と暴露する。以前から知っていたのに、今さら明かすのである。そして泣き落としに見せ掛けた脅迫によって、ロバートに裁判を断念させようとする。
劇中で、ロバートは弁護士から「アビーを悪い女だと示すための証拠はあるか」と尋ねられ、「何も無い」と答える。しかし、映画を見ている観客は全員、アビーが悪い女だと知っている。一点の曇りも無く、完全にアビーは悪い女である。

これが「親権の裁判でゲイは圧倒的不利な状況にある」ということを問題視し、それを訴えようとする社会派映画なら、そういう展開、そういう物語でもいいのかもしれない。しかし、なぜか今作品は、ハッピーエンドの物語のように終わらせている。
悲劇的に終わらせれば面白くなったのかというと、そういうわけではない。
しかし、ハッピーエンド的に装うのは、強引過ぎる捻じ曲げだろう。
では、どうすれば良いのかと問われても、答えは存在しない。
なぜなら、終盤に辿り着くまでに、勝負は完全に付いてしまっているからだ。


第21回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低主演女優賞[マドンナ]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ジョン・シュレシンジャー]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低スクリーンカップル賞[マドンナ&ルパート・エヴェレットかベンジャミン・ブラットのどちらか]


第23回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演女優】部門[マドンナ]
受賞:【芝居をすべきではないミュージシャン&アスリート】部門[マドンナ]

 

*ポンコツ映画愛護協会