『ドリヴン』:2001、アメリカ
CARTの世界では、無名の新人ジミー・ブライが昨年度王者ボー・ブランデンバーグの地位を脅かす活躍を見せ始めていた。しかしシカゴのレースで、ジミーはチームの指示を無視して加速する。彼はボーのマシンに接触し、レースを途中放棄した。
チーム・オーナーのカール・ヘンリーは未熟なジミーの教育係として、引退した元相棒のジョー・タントにレース復帰を促した。ジョーは試験走行で見事な腕前を披露し、取材に来ていた記者ルクレシア・ジョーンズは彼に興味を抱く。ジミーもジョーの腕前に感心するが、彼の兄でマネージャーのデミルは不快感を露にした。
ジミーは、ボーと別れたばかりのソフィアと接近する。だが、ソフィアはボーのことが忘れられずにいた。一方、ジョーは別れた妻キャシーと再会する。キャシーはジミーの同僚メモと再婚しており、夫の立場を危うくするジョーの復帰を快く思っていなかった。メモはジョーの復帰によって、テスト・ドライバーに降格させられていた。
ボーはソフィアのことが気になり、レースに集中できない状態が続いていた。ボーはソフィアに気持ちを打ち明け、彼女とヨリを戻した。ショックを受けたジミーは、ディスプレイ用のマシンに乗り込んで公道へと飛び出した。ジョーは別のマシンに乗り込み、ジミーの後を追った。ジョーはジミーの車を停止させ、レーサーとしての心構えを説いた。
ジョーはドイツのレースでカールから出場停止を言い渡され、代わりにメモがセカンド・ドライバーを務めることになった。雨の振る中でレースは開始されるが、チームの指示を無視したメモがトップのボーを追い抜こうとしてクラッシュしてしまう…。監督はレニー・ハーリン、原案はジャン・スクレントニー&ニール・タバクニック、脚本はシルヴェスター・スタローン、製作はレニー・ハーリン&エリー・サマハ&シルヴェスター・スタローン、共同製作はレベッカ・スパイキングス&トレイシー・スタンリー、製作協力はミシェル・デイヴィス&リーザ=マリア・エル・カゼン、製作総指揮はドン・カーモディー&ケヴィン・キング&アンドリュー・スティーヴンス、撮影はマウロ・フィオーレ、編集はスティーヴ・ジルソン&スチュアート・レヴィー、美術はチャールズ・ウッド、衣装はメアリー・マクラウド、音楽はBT。
出演はシルヴェスター・スタローン、バート・レイノルズ、キップ・パルデュー、ステイシー・エドワーズ、ティル・シュヴァイガー、ジーナ・ガーション、エステラ・ウォーレン、クリスチャン・デ・ラ・フエンテ、ブレント・ブリスコー、ロバート・ショーン・レナード、ヴェノーラ・フェルドバスク、ジャスミン・ワグナー、ジョン・デラ・ペーニャ、ダン・デュラン、ロブ・スミス、リチャード・ゼッピエリ、ティノ・モンテ、ブライアン・ヘイトン、レニー・ハーリン他。
シルヴェスター・スタローンが脚本を執筆し、製作にも携わった作品。
実は、この企画、エリー・サマハが引き受ける以前にスタローンが数名のプロデューサーに製作を持ち掛けたものの、ことごとく断られたらしい。どうやら企画に乗らなかったプロデューサー達の判断は正解だったようで、この映画は見事に大コケした。ジョーをシルヴェスター・スタローン、カールをバート・レイノルズ、ジミーをキップ・パルデュー、ルクレシアをステイシー・エドワーズ、ボーをティル・シュヴァイガー、キャシーをジーナ・ガーション、ソフィアをエステラ・ウォーレン、メモをクリスチャン・デ・ラ・フエンテ、デミルをロバート・ショーン・レナードが演じている。
CARTの世界が舞台ということで、ジャン・アレジやマイケル・アンドレッティー、クリスティアーノ・ダ・マッタ、クリスチャン・フィッティパルディー、ファン・パブロ・モントーヤ、ロベルト・モレノ、ジャック・ヴィルヌーヴなど、本物のレーサーが多く登場する。今回のスタローンは、どうやらキップ・パルデューを主役にして自分は脇に回ろうとしているらしい。しかし、そのポジショニングが中途半端なので、結局は2人が食い合い、王者の威厳と苦悩を見せるティル・シュヴァイガーや善人の優しさと焦燥を見せるクリスチャン・デ・ラ・フエンテの方が結果的には美味しい扱いになっている。
この映画、スタローンは故アイルトン・セナに捧げる意味で脚本を書いたらしいが、なぜか舞台はF1ではなくCARTのチャンプカー・シリーズだ。そこからしてヤバい匂いが漂ってくるのだが、他にもツッコミを入れたくなるようなポイントは色々と登場する。
この映画の人間ドラマの内、最も重要なのはジミーが挫折や苦悩を乗り越えて成長するという部分だ。それ以外の人間模様は、ある種の添え物で構わない。しかし実際には、カールが苛立ち、ボーが苦悩し、キャシーが出しゃばり、メモが功を焦り、とにかく脇の人間模様がメインであるジミーのドラマを侵食するが如くに用意されている。
しかし、割合としてジミーのドラマが多かろうが、脇のドラマが多かろうが、どっちでもいいことだ。なぜなら、結果的に人間ドラマなど無意味に等しいからだ。そう、間違い無くスタローンは熱い男のドラマとして脚本を執筆しているが、そんなことに全く興味の無いレニー・ハーリンは、人間ドラマを思いっきり削ぎ落としているのだ。この映画のセールスポイントは、もちろんレースのシーンだ。しかし、緻密なチーム戦略とか、レーサー同士の駆け引きとか、張り詰めた緊張感とか、息詰まる攻防戦とか、そういうものは全く無い。御機嫌な音楽に合わせて、ただ猛スピードで車が走るだけだ。
レースというのは、ピットクルーも重要な役割を担っている。給油やタイヤ交換では、1秒でもタイムを縮めようとする必死の行動がある。しかし、この映画のピットクルーは、単なる駒に過ぎない。この映画では、CARTレースは全てドライバーの腕次第で順位が決まるもので、マシンの性能やピットクルーは無関係という解釈なのだろう。とにかくスピードをガンガン出して飛ばしまくる様子を色々な角度や様々な形で見せていけば客は満足するだろうという、頭を使わず筋肉で演出したかのような映画だ。レニー・ハーリンはアメリカ人ではないのに、マッチョ精神剥き出しの演出を見せるのだ。
最大の見せ場は、公道でのカーチェイスだ。ジミーが女にフラれてマシンを走らせるという発端からしてバカだが、その後も女のスカートがめくれ上がって下着が見えるとか、屋台の雑誌が散乱するとか、目的無きカーチェイスは荒唐無稽に進む。そして明らかにタイミングを間違えたジョーの説教の後、警察に捕まることも無く次のシーンへ映る。
その後には、メモがクラッシュするシーンも待っている。ここは、マシンが縦になって吹っ飛び、後続にマシンに跳ね飛ばされて大きくコースを外れ、森の中の川に突っ込むという爆笑シーンになっている。
ここまで徹底してバカを貫くハーリン監督は凄い。レニー・ハーリンという人は、豪快でパワフルな監督だ。大爆発や猛スピードなど、ド派手で分かりやすい映像描写でイケイケドンドンの映画を作る人だ。細かいことは気にせずに、出会い頭とハッタリとコケ脅し、それこそがハーリンの真骨頂なのだ。
そう、ハーリンの映画で、細かいことを気にしてはいけない。だから、前述した同じチームでカラーリングが全く違うことなんて、気にしてはいけない。赤旗でレースが中断しそうな事故があってもイエローフラッグでレースが続行されるが、気にしてはいけない。
CARTの燃料は「水で消火できる」という理由でメタノールなので、川に落ちた車が燃え上がるのは奇妙なのだが、気にしてはいけない。メタノールの炎は目に見えないはずなのに、思いっきり見えているのだが、それも気にしてはいけない。
第22回ゴールデン・ラズベリー賞
受賞:最低助演女優賞[エステラ・ウォーレン]
<*『ドリヴン』『PLANET OF THE APES 猿の惑星』の2作での受賞>ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[レニー・ハーリン]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低助演男優賞賞[バート・レイノルズ]
ノミネート:最低助演男優賞賞[シルヴェスター・スタローン]
ノミネート:最低スクリーンカップル賞[バート・レイノルズ&シルヴェスター・スタローン]
第24回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最悪の演出センス】部門[レニー・ハーリン]
ノミネート:【最悪の主演男優】部門[シルヴェスター・スタローン]
ノミネート:【最悪の助演女優】部門[エステラ・ウォーレン]
<*『ドリヴン』『PLANET OF THE APES 猿の惑星』の2作でのノミネート>