『ビッグ・ダディ』:1999、アメリカ

ソニー・コーファックスは弁護士の父を持ち、自分もロースクール出身だ。しかし彼は弁護士にならず、料金所で1週間に一度、わずかな時間だけ働くだけだ。それ以外はテレビを見るなどしてブラブラと過ごしているが、マイクロソフトの株で儲けているので生活費には困らない。そんなソニーは、パーティー・プランナーのヴァネッサと付き合っていた。しかしヴァネッサはソニーと別れることを考え、しばらくシラキュースにある母の実家へ戻ると告げた。
ソニーのルームメイトのケヴィン・ギャリティーは、法律事務所で働いている。彼は事務所の代表として中国へ出張することになり、仲間を集めてパーティーを開いた。コリーンはサプライズ・パーティーにするつもりだったが、ソニーが台無しにした。ソニーやゲイの恋人トミー&フィルなど大勢が集まる中で、ケヴィンは恋人コリーンにプロポーズしようとする。大事な言葉を言う前に、またもソニーが台無しにしてしまうが、それでもコリーンはケヴィンの求婚を受け入れた。
翌日、ケヴィンが空港へ発った後、ジュリアンという名の少年がアパートにやって来た。ジュリアンの持っていた母親からの手紙には、彼がケヴィンの息子だと書いてあった。ソニーはケヴィンに電話を掛けるが、全く見に覚えが無いという。ソニーは自分に任せておけと告げてケヴィンを出張に行かせ、手紙に書いてあった社会福祉課に電話するが、休みだった。
ソニーは、ジュリアンを引き取ればヴァネッサに見直してもらえるのではないかと考えた。翌日、彼はケヴィンに成り済まし、社会福祉課のブルックスに電話を掛けた。そして自分がジュリアンを育てると告げ、里親への引渡しを断った。しかしソニーはジュリアンに生活のペースを乱され、面倒を見切れないと考えた。そこで彼は、シラキュースから戻ったヴァネッサの元へジュリアンを連れて行く。だが、彼女はシドという老人と交際を始めていた。
ソニーはブルックスの元を訪れ、ジュリアンを母親に返そうとする。しかしブルックスは、ジュリアンの母が前日に亡くなったことを告げた。施設に入れるのは忍びないと考えたソニーは、里親が見つかるまでという条件でジュリアンを預かることにした。ソニーは父レニーに電話を掛けて助けを求めるが、すぐに子供を返して来いと告げられる。
公園に出掛けたソニーはジュリアンをナンパの道具に利用し、コリーンの姉で弁護士のレイラに声を掛けてデートに誘った。ジュリアンが学校に行きたいと言い出したので、ソニーは手続きをして通わせた。ブルックスからは里親が見つかったとの電話が入るが、ソニーは無視した。担任教師フットからジュリアンの衛生状態が悪く成績も最低だと言われたため、ソニーは彼を風呂に入れて勉強させた。そんな中、ソニーがケヴィンではないと知ったブルックスが訪れたため、ジュリアンを引き渡さざるを得なくなった…。

監督はデニス・デューガン、原案はスティーヴ・フランクス、脚本はスティーヴ・フランクス&ティム・ハーリヒー&アダム・サンドラー 、製作はシドニー・ギャニス&ジャック・ジャラプト、共同製作はアレックス・シスキン、製作総指揮はアダム・サンドラー&ロバート・ シモンズ&ジョセフ・M・カラチオッロ、撮影はテオ・ヴァン・デ・サンデ、編集はジェフ・ガーソン、美術はペリー・アンデリン・ ブレイク、衣装はエレン・ラッター、音楽はテディー・カステルッチ、音楽監修はマイケル・ディルベック。
出演はアダム・サンドラー、ジョーイ・ローレン・アダムス、ジョン・スチュワート、レスリー・マン、アレン・コヴァート、ロブ・ シュナイダー、ジョシュ・モステル、コール・スプラウス、ディラン・スプラウス、 クリスティー・スワンソン、ジョー・ボローニャ、ピーター・ダンテ、ジョナサン・ラフラン、スティーヴ・ブシェーミ、 ティム・ハーリヒー、エドモンド・リンデック、ラーキン・マーロイ、サマンサ・ブラウン他。


『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル』の監督&主演コンビが再び組んだ作品。
ソニーを演じる主演のアダム・サンドラーは、脚本と製作にも携わっている。レイラをジョーイ・ローレン・アダムス、ケヴィンをジョン・スチュワート、ジュリアンを双子のコール・&ディラン・スプラウス兄弟、ブルックスをジョシュ・モステル、コリーンをレスリー・マン、フィルをアレン・コヴァート、ヴァネッサをクリスティ・スワンソン、レニーをジョセフ・ボローニャ、トミーをピーター・ダンテが演じている。
他に、ソニーの親友の出前持ち役でロブ・シュナイダー、親しくなるホームレス役でスティーヴ・ブシェーミ、ジュリアンが見るビデオの中でカンガルーの着ぐるみを着て歌う「シンギング・カンガルー」役で共同脚本のティム・ハーリヒー、ハロウィンの日にジュリアンとソニーを追い払おうとする男役で監督のデニス・デューガンが出演している。

もう主人公の初期設定からしてダメだと思う。
「大人に成り切れないとっちゃん坊や」ってのは、別にいい。問題は、「父は弁護士で、自分も法律に詳しいエリート。株で儲けているから金の心配は無くて、ちょっとバイトする以外はブラブラしている」という部分。
つまり、彼は有閑貴族のような男なのだ。だから余裕のよっちゃんなのだ。
にも関わらず、まるで「あなたの隣にいる、愛すべき落ちこぼれのダメ人間」のように見せようとしていることが、どうにも鼻に付いて仕方が無い。

ソニーはただロースクール出身というだけでなく、弁護士をしている友人が「それだ、素晴らしい」と感嘆するようなアドバイスをするぐらい賢い奴になっている。
これがギークな面での才能なら別にいいのよ。例えば刑事コロンボに異常に詳しいとかね。だけど法律だと、普通に学のある奴ってことになる。
ますます鼻に付くぜ、この男。
そんな奴がサプライズ・パーティーやプロポーズを台無しにしてヘラヘラしているのを見て、笑えるかっての。ワシは無理だね。

「本当の子供を引き取ることで、中身が子供だったソニーが人間的に成長し、生活態度が変化する」という筋書きになるのかと思いきや、これが相変わらず野放図で身勝手でグータラなのだ。ジュリアンがオネショしたり牛乳をこぼしたりしても、新聞紙を上から被せるだけ。で、どこでも壁があれば立ちションすることや、ローラースケーターを転倒させることを教える。
結局、ソニーは父親的な立場としては、全くジュリアンの面倒を見ていない。ようするに、ソニーとジュリアンの関係は完全に子供同士の付き合いなのだ。
いやね、そういう関係描写でいい作品もあるだろうよ。だけど、ソニーは押し付けられたわけではなく自分の意思でジュリアンを引き取るわけだし、この話の核を考えても、大人としての成長を見せなきゃマズいだろうに。

で、里親が見つかるまでということで再び預かるので、今度こそソニーがマトモに世話するのかと思ったら、すぐに父親に助けを求める。しかもコレクト・コールでだ。相変わらず適当で身勝手で、無責任極まりない。
「お前には何も指図しない、好きなようにやれ」と言うが、それは放任主義じゃなくて育児放棄だ。
担任教師に言われて、ようやく風呂に入れたり勉強させたりするが、マトモに大人として面倒を見る描写は、その程度。
で、そんな野郎が主人公なのに、マジで感動させようとして作っているんだが、無理。


第20回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低主演男優賞[アダム・サンドラー]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[デニス・デューガン]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低助演男優賞[ロブ・シュナイダー]


第22回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の子役】部門[コール&ディラン・スプラウス]
ノミネート:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門
ノミネート:【最も痛々しくて笑えないコメディー】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会