『スウェプト・アウェイ』:2002、イギリス&イタリア
3組の金持ち夫婦が一隻の船をチャーターし、ギリシャからイタリアへ向かうプライベート・クルーズへと出発した。製薬会社の社長夫人であるアンバー・レイトンと夫のトニー、マリーナとマイケル、デビとトッドという3組だ。アンバーが普段とは違うことをやりたいと言ったので、トニーが手配したのだ。だが、そのアンバーは不満たらたらで、船長や船員ジュゼッペたちに挨拶さえしなかった。本職が漁師で、船長の依頼で手伝うことになったジュゼッペは、アンバーに強い不快感を覚えた。
他の面々がそれなりにクルーズを楽しむ中、アンバーは不平不満を並べ立てた。彼女の苛立ちは、その大半がジュゼッペに向けられた。アンバーはジュゼッペの名前さえマトモに呼ばず、理不尽な注文を繰り返した。船長の手前もあって従順に仕えるジュゼッペだが、怒りは募るばかりだった。彼は船長や他の船員2名の前で、アンバーへの憤懣を爆発させた。
ある日、トニーたちがボートで洞窟探検に出掛けてしまい、アンバーだけが出遅れてしまった。それを知ったアンバーは、「すぐに日が暮れるから無理だ」というジュゼッペの言葉を聞き入れず、ボートを出すよう命じた。だが、途中でエンジンで故障し、動けなくなってしまう。ジュゼッペは魚を獲り、アンバーに渡して食べるよう勧めた。しかしアンバーは食べないどころか、それを海に捨ててしまった。「どうせ捜索隊がすぐに来る」と開き直るアンバーに、ジュゼッペは怒りをぶつけた。
アンバーはボートにあった銃を手に取り、救難信号として発砲しようとする。慌ててジュゼッペが「自分がやる」と奪取しようとするが、アンバーは抵抗する。揉み合いになる中、アンバーは誤ってボートを撃ってしまった。ボートにしがみついて漂流していた2人は、やがて島を発見した。島に辿り着いた直後、アンバーは「弁護士に頼んで訴える」と息巻いた。しかし島を捜索したジュゼッペは、しばらくは訴えることも出来ないだろうと告げた。そこは無人島だったのだ。
サバイバル生活を開始したジュゼッペに、アンバーは相変わらず理不尽な命令を繰り返す。だが、そこでは権力も財力も、何の意味も持たない。ジュゼッペはアンバーに従わず、2人は別行動を取ることになった。しかし水や食料を手に入れる能力の無いアンバーは、1人で生活していくことなど不可能だった。彼女が喉の乾きと空腹感に襲われる一方、ジュゼッペは新鮮な生水や魚を順調に調達していく。アンバーは大金の支払いを約束し、食料を分けるよう要求する。だが、ジュゼッペは取引を冷たく拒絶した。
ジュゼッペはアンバーに対し、自分を「御主人様」と呼んで従順に仕えるのならば、水や食料を与えると持ち掛けた。飢えを凌ぐため、アンバーは強い反発を覚えつつも、ジュゼッペの要求を受け入れざるを得なかった。アンバーを扱き使う中、やがてジュゼッペは彼女を手篭めにしようとする。アンバーは激しく抵抗し、その場から逃げ出した。だが、すぐに彼女はジュゼッペの元へ戻り、2人は肌を重ねた。愛が芽生えた2人の生活はしばらく続くが、やがてアンバーは島の近くに来た船を発見する…。監督&脚本はガイ・リッチー、製作はマシュー・ヴォーン、製作協力はアダム・ボーリング&デヴィッド・レイド、撮影はアレックス・バーバー、編集はエディー・ハミルトン、美術はラッセル・デ・ロザリオ、衣装はアリアンヌ・フィリップス、音楽はミシェル・コロンビエ。
出演はマドンナ、アドリアーノ・ジャンニーニ、ジーン・トリプルホーン、ブルース・グリーンウッド、エリザベス・バンクス、デヴィッド・ソーントン、マイケル・ビーティー、ヨルゴ・ヴォヤギス、リカルド・ペルナ、ジョージ・イアスーミ、フランシス・パーディルハン、ローザ・ピアネッタ、ベアトリス・ルッツィー、ロレンツォ・シオンピ、パトリツィオ・リスポ、アンドレア・ラガツ。
1974年にリナ・ウェルトミューラーが手掛けたイタリア映画『流されて…』をリメイクした作品。
ガイ・リッチーがワイフのマドンナを主演に据え、脚本と監督を担当した。
ジュゼッペを演じるアドリアーノ・ジャンニーニは、オリジナル版に主演したジャンカルロ・ジャンニーニの息子。他に、マリーナをジーン・トリプルホーン、トニーをブルース・グリーンウッド、デビをエリザベス・バンクス、マイケルをデヴィッド・ソーントン、トッドをマイケル・ビーティーが演じている。
最初に封切られたアメリカ国内での成績が散々だったため、監督の本国であるイギリスでは劇場公開が見送られ、ビデオスルーとなった。ちなみに本作品に関しては、ガイ・リッチーとマドンナがヴィンセント・ドノフリオから訴えられたというゴシップがある。
ドノフリオがリメイクのアイデアを持ち込んで話し合いを持っていたのに、自分の名が削られたとして訴えたのだ。
しかしアイデアをパクったかどうかはともかく、ガイ・リッチーが妻のマドンナ主演で『流されて…』をやるという企画の段階で、止めるべきだったんじゃないかと思ったりするんだが。
そもそも、『流されて…』がリメイクすべき素材だったのかというところからして疑問を覚えるし。映画界のリメイクブームはとどまることを知らないが、なんでもかんでもリメイクすりゃいいってもんじゃないぞ。ジュゼッペから「歌え」と命じられたアンバーがステップを踏みながら『カモナ・マイ・ハウス』を歌い始めると、舞台がキャバレーに変わり、ラテン・バンドを従えたアンバーが本物の歌手になるというシーンがある。
もう開き直って完全にマドンナのプロモ・フィルムにする気なのかと思ったら、歌は吹き替え(声は『カモナ・マイ・ハウス』をヒットさせたローズマリー・クルーニーではなく、デラ・リースのもの)。
まあ吹き替えであろうがマドンナの声であろうが、「なんじゃ、こりゃ」という場面だが。ガイ・リッチー監督としては、ジョン・デレクよろしく自分の奥さんを皆に見せびらかしたかったのかもしれんが、彼は致命的なミスを犯した。
それは、ワイフを美しく撮ろう、キレイに見せようという意識が欠け落ちていたことだ。
どうやらガイ・リッチーは、何も加工しなくても、そのまんまでマドンナは充分すぎるほど魅力的だと考えていたようだ。だからなのだろう、マドンナの皮膚の衰えが目立っても、照明やカメラワークなどで誤魔化すことなく、そのまんまで顔のアップを撮りまくる。腹の緩みがモロに出てしまっていても、それを見せないよう努めるようなこともなく、やたらと水着姿のシーンを多く用意する。
たぶんマドンナ本人も整形で加工したりフィジカル・トレーニングで鍛えたりしているんだろうが、だからって、そんまんま見せて、誰もが納得する美女ってわけにはいかないのだ。マドンナのプロモーション・フィルムとして解釈すべきなのかもしれんが、仮にそういう解釈で受け止めるにしても、プロモーション・フィルムとしても出来映えが悪い。
ジュゼッペがアンバーに怒って「ダンナは何を考えているんだ、あんなに女房をのさばらせて」と言う箇所があるが、そのセリフ、そのまんまガイ・リッチー監督に返したい気分になる。メインの男女の魅力で引っ張っていかないと、他には何も無いような作りなのに、マドンナにしろアドリアーノ・ジャンニーニにしろ、てんでダメだ。
マドンナは上半身(特に両腕)のマッスルがゴツいし、ブルジョアの夫人というより、ただの成り上がりのビッチにしか見えない。色気や艶も著しく不足している。
アドリアーノ・ジャンニーニの方は野性味や荒々しさに欠けており、頼りがいの無いボンクラにしか見えない。コメディー・タッチは安っぽいだけ、ジュゼッペが船でアンバーたちを怒鳴り付ける妄想シーンは陳腐なだけにしか感じられない。
かなりノンビリとした進行なんだが、なんせそこで見せられる絵にも役者にも惹き付けるモノが全く無いので、たたダラダラしている、グダグダになっているとしか感じられない。
退屈で間延びしまくっているのだ。
上映時間は2時間半も3時間もあったわけではなく、むしろ89分で長編映画としては短い方なのに間延びを感じるのだから、いかにも中身が薄いかってことだ。それまで激しく拒絶していたアンバーが、掌を返したかのようにジュゼッペの元へ戻り、ひざまずいて足先を舐め、肉体関係を持つ。
その繊細な心情の揺れ動き、移り変わりが、全く伝わってこない。
アンバーだけでなく、それはジュゼッペにしても同様だ。
大きな動きのある幾つものエピソードを積み重ねていくわけではなく、無人島での2人ぼっちの生活風景が淡々と続くので、心理ドラマに切り込んでいかないと映画としてキツいと思うんだが、まあキツいことになってるわけだね。エンディングはオリジナル版と異なっている。
オリジナル版にあった、「やはり男は愚かしく、女は打算的で現実的だった」という風な冷然とした終わり方を選ばず、「どちらも心から愛しているが、男の手紙が上手く女に届かなかったせいで別れることになってしまう」という、すれ違いのメロドラマになっている。
監督が男性だからなのか、ロマンチシズムに溺れたわけだね。
第23回ゴールデン・ラズベリー賞
受賞:最低作品賞
受賞:最低リメイク・続編賞
受賞:最低監督賞[ガイ・リッチー]
受賞:最低主演女優賞[マドンナ]
受賞:最低スクリーンカップル賞[アドリアーノ・ジャンニーニ&マドンナ]ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低主演男優賞[アドリアーノ・ジャンニーニ]
第25回スティンカーズ最悪映画賞
受賞:【最悪の作品】部門
受賞:【最悪の主演女優】部門[マドンナ]
受賞:【最悪のカップル】部門[マドンナ&アドリアーノ・ジャンニーニ]ノミネート:【悪の演出センス】部門[ガイ・リッチー]
ノミネート:【最悪のリメイク】部門
ノミネート:【最もでしゃばりな音楽】部門