『GODZILLA』:1998、アメリカ

長年に渡ってフランスによる核実験が行われていた、フランス領ポリネシアのムルロア環礁。その近海を航行中の日本漁船・小林丸は謎の生命体の襲撃を受けて遭難する。タヒチ島パペートに流れ着いた生存者は、「ゴジラ」という言葉を発する。
チェルノブイリで放射能を浴びたミミズの調査を行っていた生物学者のニック・タトプロスは、アメリカ国防省の指示でパナマへと連れて行かれる。そこで彼は、巨大な生物の足跡を見せられる。米国東海岸沖では、巨大生物によって漁船が襲撃される事件が発生する。
ついに巨大生物“ゴジラ”はニューヨークに姿を現すが、軍の一斉攻撃を受けて姿を消す。ニックは採取したゴジラの血液を鑑定し、ゴジラが妊娠していることに気付く。テレビ局で働くオードリーは昔の恋人であるニックに近付き、出世のために極秘テープを盗み出す。
ニックはゴジラの巣を探すべきだと進言するが、極秘テープがテレビで放送されたため、対策チームから外される。そんなニックに、フランス対外治安総局員フィリップ・ローシェが近付く。ニックはフィリップと共に、ゴジラの巣を探し出そうとする…。

監督はローランド・エメリッヒ、原案はテッド・エリオット&テリー・ロッシオ&ディーン・デブリン&ローランド・エメリッヒ、脚本はディーン・デブリン&ローランド・エメリッヒ、製作は ディーン・デブリン、共同製作はピーター・ウィンザー&ケリー・ヴァン・ホーン、製作総指揮はローランド・エメリッヒ&ウテ・ エメリッヒ&ウィリアム・フェイ、共同製作総指揮はロブ・フリード&ケイリー・ウッズ、撮影はユーリ・スタイガー、編集はピーター・ アムンドソン&デヴィッド・J・シーゲル、美術はオリヴァー・ショール、衣装はジョゼフ・ポロ、 GODZILLAデザイン&監修はパトリック・タトプロス、視覚効果監修はフォルカー・エングル、音楽はデヴィッド・アーノルド。
出演はマシュー・ブロデリック、ジャン・レノ、マリア・ピティロ、ハンク・アザリア、ケヴィン・ダン、マイケル・ラーナー、ハリー・ シアラー、アラベラ・フィールド、ヴィッキー・ルイス、ダグ・サヴァント、マルコム・ダネア、 ロリー・ゴールドマン、クリスチャン・オベール、フィリップ・ベルシェロン、フランク・ブルインブローク、フランソワ・ジロデイ、 ニコラス・J・ジャンジュリオ、ロバート・レッサー、ラルフ・マンザ、グレッグ・キャラハン、クリス・エリス他。


円谷英二や田中友幸が作り出した怪獣ゴジラ。日本特撮映画界の宝であるゴジラは、これまで多くの日本人によって食い潰されてきた。アメリカに行けば違うだろうと願っていたが、残念ながらハリウッドでもゴジラは食い潰されてしまった。

冒頭、タイトルロールで何度も映し出されるイグアナの姿を見て、イヤな予感はした。そして、それは現実になった。スクリーンに登場した巨大生物の正体は、放射能の影響で甦った恐竜ではなく、放射能の影響で巨大化したイグアナだったのだ。

デザインを担当したパトリック・タトプロスは、元祖ゴジラから離れたイメージで新生ゴジラを作り出したそうだが、なぜ元祖ゴジラと全く別の形に作り上げる必要があったのか。別に元祖ゴジラを踏襲したデザインでも構わなかったのに。というより、そうすべきだったのに。

いや、それは仕方が無いのだろう。何しろ、これは「ゴジラ」ではなく、あくまでも「GODZILLA」なのだ。つまり、日本の「ゴジラ」の設定部分だけは拝借しているが、全く別の怪獣映画を作ろうとしているのだ。
しかし、だったら最初から「ゴジラ」を使わないでほしいと思ってしまうが。

ゴジラを知っている日本人からすれば、「ここに登場するのはゴジラではなく、単なる巨大イグアナだ」と言いたくなる。しかし、例えGODZILLAがゴジラらしくないという問題点を差し引いたとしても、「これはゴジラ以外の怪獣が登場する映画」だと考えても、やっぱり面白くないのである。

中途半端に生物としてのリアリティを持たせてしまったことで、GODZILLAにはキャラクターとしての深みは無くなった。この映画に登場するのは、意図を持って行動する怪獣ではなく、特に目的も無く暴れ回る巨大イグアナである。

そもそも、ローランド・“デカけりゃイイじゃん”・エメリッヒにゴジラ映画を任せたことが失敗なのだ。ローランド・エメリッヒには、巨大なハリボテを作り出す能力はあるが、そこに魂を吹き込む能力は持ち合わせていないのである。

後半にはミニGODZILLAが大量に発生し、ニック達に襲いかかる。前半は大きさ、後半は数で勝負しようということなのか。
大量に登場することでも分かるように、GODZILLAは唯一絶対の存在ではないわけだ。「GODZILLA」は個体名ではなく、生物の種類を示す名称なのだ。

ローランド・エメリッヒという人は見栄えで勝負する人なので、ドラマ展開に面白味は無い。何も考えずに敵を打ちまくるという、シューティング・ゲームのような感覚に満ち溢れた映画だ。人間ドラマの部分は、怪獣映画の醍醐味を消す役目しか果たしていない。

簡単に言うと、『ジュラシック・パーク』の亜流映画。『ジュラシック・パーク』に『インデペンデンス・デイ』や『エイリアン』の要素を合わせた感じ。元祖ゴジラ映画に対するリスペクトが微塵も感じられないのは、ある意味ではスゴイことなのかもしれない。

これは別に笑いを全面に打ち出した作品ではないが(失笑や嘲笑ならあるが)、実はゴジラのパロディ映画なのかもしれない。監督候補として名前が挙がっていた他の人物、例えばテリー・ギリアムかティム・バートン辺りが監督していたらどうなったのだろうと、思わず想像してしまったりする。


第19回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低リメイク・続編賞
受賞:最低助演女優賞[マリア・ピティロ]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ローランド・エメリッヒ]
ノミネート:ジョー・エスターハス最低脚本賞


第21回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門
受賞:【最悪の歌曲】部門「Come With Me」[パフ・ダディwithジミー・ペイジ]

 

*ポンコツ映画愛護協会