『グロリア』:1980、アメリカ

サウス・ブロンクスのアパートに、買い物をしたジェリ・ドーンが戻ってきた。階段で男と出会った後、彼女は部屋に戻った。部屋では、夫のジャックが娘ジョーンと息子フィル、ジェリの母マルガリータに出発の準備をさせている。ジャックはジェリに、下に誰かいなかったかと尋ねた。ジェリは、男がいたことを告げる。ジャックはギャングの会計係で、着服した上に情報をFBIに漏らしていた。さらに手帳に詳細な情報を記していると明かしてしまったことで、組織に狙われているのだった。
突然、ドアをノックする音がした。ジャックが恐る恐る覗き穴から確認すると、同じフロアに住むジェリの友人グロリアが立っていた。彼女はコーヒーを切らして借りに来たのだ。ジャックがドアを開けると、グロリアは尋常ではない空気を察した。ジェリはグロリアに事情を説明し、子供達を預かってほしいと頼んだ。ジェリは、殺されることを覚悟していた。
子供嫌いのグロリアは、最初は断ったものの、結局はジェリの頼みを引き受けることにした。だが、ジョーンは家族と別れるのを嫌がって部屋に閉じ篭もる。ジャックは6歳のフィルに手帳を渡し、絶対に手放さないよう言い含めた。グロリアはフィルを連れて、自分の部屋に戻った。直後、ジャック達の部屋で爆発が起きた。一家は組織によって惨殺されたのだ。一味は手帳を見つけ出すことが出来ず、アパートから立ち去った。
グロリアはフィルを連れて、部屋を出た。階下には、警察とマスコミ、野次馬が集まっていた。グロリアがフィルをアパートから外に連れ出すと、マスコミがカメラのシャッターを押した。グロリアは、リバーサイド・ドライブの部屋に移った。フィルが持って来た新聞で、グロリアは自分が誘拐犯扱いされていることを知った。その部屋にも、組織の連中はやって来た。グロリアは生意気で反抗的なフィルを連れ、部屋から逃げ出した。
グロリアは「前科があるから警察には届けられない。それに追っているのは仲間だ」とフィルに告げる。かつてグロリアは、組織の親分トニー・タンジーニの情婦だった。グロリアは「親戚の所へでも行って」と告げ、フィルをアパートへ戻らせようとする。だが、別方向へ行こうとするグロリアに、フィルは必死でしがみ付いた。そこへ、一味4人が車で現われた。子供と手帳を渡すよう迫られ、グロリアは拒否した。銃を取り出そうとした一味にグロリアは発砲し、車を横転させる。
グロリアとフィルはバスと電車を乗り継ぎ、安ホテルに辿り着いた。フィルは積極的に話し掛け、グロリアのことをあれこれと詮索する。グロリアとフィルは、同じベッドで眠りに就いた。グロリアは、ピッツバーグを目指して移動することにした。途中、グロリアは墓地に立ち寄る。そして彼女はフィルに、いずれかの墓を父のものだ見立てて、話し掛けるよう告げた。
ブロードウェイに到着した時、グロリアはフィルに「付いて来るのも別れるのも自由」と告げ、通りを越えてバーに入った。しかし、すぐにフィルのことが気になり、店を出た。周囲にフィルは見当たらず、グロリアはタクシーに乗って彼を探す。グロリアはフィルを発見するが、彼は一味によってアパートの一室に連れ込まれる。グロリアは部屋に乗り込み、一味の1人を射殺する。残った連中を銃で脅し、グロリアはフィルを連れて逃亡した。
地下鉄に乗り込んだグロリアは、途中で乗り換えることにした。だが、フィルが他の客に押され、取り残される。グロリアは追っ手を蹴散らし、フィルと合流した。ホテルに泊まったグロリアは、タクシーで一味の男に脅しを掛けられる。グロリアは決着を付けようと決意し、タンジーニに電話を掛けて手帳を渡しに行くと告げる。グロリアはフィルに、「3時間待って戻らなければピッツバーグへ行きなさい。そこで待ち合わせよ」と言い残し、タンジーニのアパートへ向かう…。

監督&脚本はジョン・カサヴェテス、製作はサム・ショウ、撮影はフレッド・シュラー、編集はジョージ・C・ヴィラセナー、美術はレネ・ドーリアック、衣装はペギー・ファーレル、音楽はビル・コンティー。
主演はジーナ・ローランズ、共演はバック・ヘンリー、ジュリー・カーメン、ジョン・アダムス、バジリオ・フランチナ、ジョージ・ユゼヴィッチ、トニー・ネシッチ、トム・ヌーナン、ロナルド・マッコーネ、ヴァル・エイヴァリー、エドワード・ウィルソン、カール・レヴィー、ウォーレン・セルヴァッジ、ネイサン・セリル、ウラジミール・ドラゼノヴィッチ、フェルッチオ・フルヴァティン、ルーペ・ガルニカ、ジェシカ・カスティーリョ、エドワード・ジェイコブズ、ローレンス・ティアニー他。


ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(監督賞)を受賞した作品。
ジョン・カサベテス監督と妻である主演女優ジーナ・ローランズにとって、代表作となる映画。
グロリアをジーナ・ローランズ、ジャックをバック・ヘンリー、ジェリをジュリー・カーメン、フィルをジョン・アダムス、タンジーニをバジリオ・フランチナが演じている。
リュック・ベッソン監督の『レオン』の元ネタになっていることは、有名な話である。

のっけから、話としては引っ掛かる点が多い。
なぜジャックやジェリはギャングに狙われていると分かった後、FBIに保護を求めようとしなかったのか。
なぜアパートにギャングが来たと分かった後、警察に電話をしなかったのか(電話線を切られたわけでもないのに)。
急いでアパートを出なきゃいけないと焦っている一方で、なぜジャックはジェリをわざわざバスで行かなきゃいけないぐらいのところまで買い物に行かせたのか。

ギャングが手帳を発見できずにアパートを去った後、なぜグロリアはすぐにフィルを連れて部屋から出るのか。
フィルのことを察知されたわけでも、グロリアがマークされたわけでもないのに。
ガキは嫌いだと言っているのに、なぜ警察に届けたりしないのか。
前科があるとかギャングが仲間だとか、警察に届けない言い訳をしているが、それは理由付けとしては弱い。

フィルは、ジョン・アダムズの芝居の稚拙さも手伝って、ただの疎ましいガキにしか見えない。
最初は生意気で反抗的だが、グロリアが家へ帰そうとするとギュッとしがみつくので懐いたのかと思わせる。
だが、バスで逃げるシーンでは、また悪態をつく。
安ホテルではグロリアに積極的に話し掛けるが、また場面が変わると悪態をつく。
それが理解できる、納得できる心情の変化によるものではなくて、ただ適当にコロコロと態度が変わっているとしか見えない。

悪党はタンジーニ以外は誰が誰だか分からないぐらい印象が薄いし、色々と挙げていくと欠点が多く、映画の総合評価として高いポイントを与える気にはなれない。
しかし、この映画がカルトな傑作とされていることに、異論を唱える気にもならない。
それは、この映画には欠点を抱えていても観客を惹き付ける大きな強みがあるからだ。
それは何かといえば、ジーナ・ローランズ演じるグロリアのカッコ良さである。

とにかく、掛け値無しにグロリアがカッコイイのである。たまらなくイカしているのである。
この映画の魅力は、その1点に尽きると言ってもいい。
ただし、彼女は最初からカッコイイわけではない。登場した時には、単なるくたびれたケバいオバサンに過ぎない。
だが、フィルを連れて逃避行を続ける中で、どんどんカッコ良さが出て来る。

ターニングポイントになるのは、車の4人組と対峙するシーンだろう。
最初、グロリアは愛想笑いなど浮かべつつ、やんわりとフィルを渡せないことを告げる。
しかしギャングが態度を変えずに拳銃をスーツの内ポケットから取り出そうとした時、スッと鋭い表情に変わる。銃を構えて1人を殺し、さらに発砲して車を横転に追い込む。
グロリアの銃を構える姿、アクションの体捌きは、決してカッコイイとは言えない。
アクション・ヒロインとしてのキレのある立ち回りを見せるカッコ良さではなく、「意固地なオバサンと生意気なガキの擬似親子関係」という人間ドラマを描写して、その中で「優しさを秘めた強くてタフなオバサン」としてのカッコ良さを見せるのである。

だから最もカッコイイと感じさせるのは銃を撃つシーンではなく、タンジーニの元に乗り込み、ギャングたちに臆せず堂々と渡り合って会話するシーンだ。
惹句の通り、タフでクールで優しいところを見せる。
「あの子は私がヘッドを共にした男の中では最高よ。この意味、分かるでしょ?」とタンジーニに余裕の笑みを浮かべて言い放つ辺り、アンタこそ最高だよグロリア。
最後に現実か幻か分からぬ中で再会を果たすシーン、初めて皮肉も何も込めない純粋な笑顔を浮かべるグロリアの表情が美しい。

(観賞日:2007年6月23日)


第1回ゴールデン・ラズベリー賞(1980年)

受賞:最低助演男優賞[ジョン・アダムス]

 

*ポンコツ映画愛護協会