『グリッター きらめきの向こうに』:2001、アメリカ

ビリー・フランクは、黒人のクラブ歌手リリアンと2人で暮らしていた。ビリーはリリアンに誘われてクラブで歌い、お客の喝采を浴びることもあった。2人の生活は貧しく、リリアンはピリーを連れて別れた白人の夫の元を訪れる。彼は金を渡し、冷たく追い払った。酒に浸るリリアンは、タバコの不始末で家を全焼させてしまった。ビリーはリリアンと離れ、孤児院で暮らすことになった。そこでビリーは、ルイーズとロクサーヌという2人の少女と出会い、親しくなった。
1983年。成長したビリーは、ルイーズとロクサーヌの3人でクラブのダンサーとして働いていた。そこへ音楽プロデューサーのティモシー・ウォーカーが、彼の恋人で歌手のシルクを伴って現われる。ティモシーは、シルクのバックコーラスをやらないかと3人に持ち掛けた。シルクの歌が下手だと知っているビリーは、やんわりと断った。しかし、ルイーズとロクサーヌが積極的な態度を示したため、結局は引き受けることにした。
曲のレコーディングの時、ティモシーは歌唱力のあるビリーにサポートとして旋律を歌うよう指示した。そして彼はエンジニアに、シルクの音量を下げてビリーの声を最大限に上げるよう要求する。つまり、シルクのゴースト歌手としてビリーを起用したのだ。クラブでシルクがビリー達を従えてパフォーマンスする際も、そのレコードが使用された。
クラブのパフォーマンスが終わった後、楽屋に人気DJのダイスがやって来た。カメラマンから写真を求められたシルクは、傲慢な態度でビリー達を追い払った。ビリーが口ずさむ歌声を耳にしたダイスは、先程のテープが彼女の吹き替えだと見抜いた。ダイスはクラブのパフォーマンス・タイムで、ビリーに歌わせた。集まった客は、彼女の歌声に拍手を送った。
ゴーストでも構わないというビリーに、ダイスはプロデュースしたいと持ち掛ける。「いずれMSGで歌えるようにする」と言うダイスの誘いに、ビリーは頷いた。ダイスはティモシーの元を訪れ、ビリー達3名を引き抜きたいと申し出た。ティモシーが拒絶すると、ダイスは「自分の歌手の曲を掛けてほしいだろ」と告げる。ティモシーは、賠償金10万ドルを支払えば譲り渡すと口にした。
ダイスはビリーのために曲を書き、クラブで流す。インディーズ・レーベル“タフ・ライド”を立ち上げたマーティンとゲイリーが契約を持ち掛けてくるが、ダイスは断った。彼は、大手レーベルしか相手にする気が無かった。ダイスはビリーを連れて、大手レコード会社CMZのリチャードソンとジャックに接触する。すると彼らは、翌日に事務所へ来るよう言ってきた。ダイスとビリーはスタッフのコリーン・ベネットらに会い、契約を結ぶことになった。
ビリーとダイスはレストランで祝杯を挙げ、2人はダイスのアパートで結ばれた。ダイスが手掛けたデヴュー曲がラジオで流れ、2人は大喜びする。MTVの撮影が行われるが、ディレクターはバックダンサーとして参加していたルイーズとロクサーヌを追い出した。下着姿にさせられたことをビリーは嫌がり、ダイスが抗議するが、ディレクターはセクシー路線を譲らない。
休憩中、宣伝担当のケリーと助手のピーターが挨拶に現われ、今後の多忙なスケジュールを説明する。休憩が終わり、ディレクターは男性ダンサー4名にビリーの体をベタベタと触るよう指示した。怒ったダイスは、ビリーを連れてスタジオを出た。ケリー達がビリーをセクシー路線で売り出そうとしていることを知り、ダイスは反発を口にした。そんなダイスの元にティモシーが現われ、10万ドルの支払いを要求する。だが、ダイスはキッパリと拒絶して立ち去った。
ダイスはビリーからキーボードをプレゼントされ、一緒に住もうと誘う。ビリーは喜んでOKし、同棲生活が始まった。荷物を運び込んだビリーは、リリアンの指輪や写真などを発見する。ビリーはダイスに、母のことを夢で見ると話した。ダイスはビリーに、「お母さんは、君を捨てたことを後悔しているはずだ」と告げた。ビリーは母とツーショットの写真を見ながら、バラードを書いた。
ビリーのデヴュー曲は10週連続でダンス・チャートの1位を記録した。だが、リチャードソン達はアルバム製作を前にして、ポップス・チャートなどにクロス・オーヴァーしてヒットする曲が欲しいのだとダイスに告げる。ダイスは曲を書き溜めていたが、リチャードソン達からは全てNGが出た。ビリーの曲も、「80年代は踊るる曲じゃないとダメ」という理由で酷評された。リチャードソン達は、ビリーのプロデューサーをダイスから別の人物に交替させることを決定した。
ビリーはUSAミュージック・アワードで歌うことが急に決まり、慌ててリハーサルに向かう。そこでビリーは、大物ミュージシャンのラファエルがピアノを弾きながら歌っている様子を目にした。授賞式の後、パーティーが開かれる。ダイスと共に出席したビリーは、映画プロデューサーからオファーを受ける。ビリーはダイスを紹介するが、プロデューサーは軽くあしらった。
ビリーはラファエルから大ファンだと言われ、一緒に曲を書かないかと誘われる。そこへダイスが現われ、挑発的な態度でラファエルを追い払う。ダイスはビリーを会場から連れ出し、一緒にキャブに乗っていたルイーズとロクサーヌを罵倒する。しばらくしてダイスは詫びを入れ、ビリーは「あなたがいないと意味が無いのよ」と告げた。
ビリーはティモシーの訪問を受け、初めて10万ドルの契約を知る。ティモシーは、ダイスが金を払わないとお前が痛い目に遭うと脅して立ち去った。ビリーから話を聞いたダイスは、ティモシーを襲って重傷を負わせ、警察に捕まった。ビリーは生放送の出番を直前でキャンセルし、ダイスの身柄を引き取った。耐えかねたビリーは、ダイスと別れることを決意する…。

監督はヴォンディー・カーティス=ホール、原案はシェリル・L・ウェスト、脚本はケイト・ラニアー、製作はローレンス・マーク、共同製作はE・ベネット・ウォルシュ、撮影はジェフリー・シンプソン、編集はジェフ・フリーマン、美術はヴィクトリア・トーマス、衣装はジョセフ・G・オーリシ、音楽はテレンス・ブランチャード、executive music producerはマライア・キャリー。
主演はマライア・キャリー、共演はマックス・ビーズリー、テレンス・ハワード、アン・マグナソン、ティア・テクサダ、ダ・ブラット、ドリアン・ヘアウッド、ヴァレリー・ペティフォード、イザベル・ゴメス、エリック・ベネイ、パドマ・ラクシュミ、グラント・ニコールズ、ドン・アッカーマン、エド・セーヒリー、カーメン・ウォン、ジェームズ・アロディー、デイモン・ドリヴェラ、マウリシオ・ローダス、マーシア・ベネット、アブドゥル・シャウィッシュ他。


歌手のマライア・キャリーが初主演し、音楽製作総指揮も担当した映画。監督はヴォンディー・カーティス=ホールは俳優で、1996年の『グリッドロック』以来となる2作目のメガホン。脚本は『SET IT OFF』『モッド・スクワッド』のケイト・ラニアー。
マライアの半自伝的な内容だとも言われているが、原案となっているのは『スタア誕生』だ。

ビリーをマライア、ダイスをマックス・ビーズリー、ティモシーをテレンス・ハワード、ケリーをアン・マグナソン、ロクサーヌを歌手やラテン・ダンサーの顔も持つティア・テクサダ、ルイーズをラップ・ミュージシャンのダ・ブラット、リチャードソンをドリアン・ヘアウッド、リリアンをヴァレリー・ペティフォード、少女時代のビリーをイザベル・ゴメス、ラファエルを歌手のエリック・ベネイ、シルクをパドマ・ラクシュミが演じている。

細かい引っ掛かりポイントを、先に書いておく。
ビリーはダンサーなのに、なぜかバックコーラスの仕事をオファーされる。
ティモシーは経験の長いプロデューサーなのに、なぜかダイスとの賠償金の取引に関して書面を作らず口約束だけで済ませている。
時代は1980年代に設定されているが、その意味をほとんど感じない(マライアの歌をアピールするなら1990年代か現在に設定した方がいいと思うが)。
ビリーとリリアンが音信不通になっている理由が良く分からない(ビリーが役所に頼んで簡単に見つかるのだから、ビリーがその気になればすぐに居場所は分かったと思うんだが)。

さて、この映画、まごうことなき見事な駄作である。
「マライア・キャリー主演のアイドル映画」という企画の時点で(これはスター映画ではなくアイドル映画と呼ぶべき作品だ)、あらかじめ駄作になることは決まっていたと言っても過言ではない。
もう30歳を過ぎているのに、アイドル映画ってさ。そりゃキツいでしょ。
オリヴィア・ニュートン=ジョンでもあるまいし。

1980年代、マドンナがゴールデン・ラズベリー賞の1980年代最低主演女優賞にノミネートされるぐらい「サイテー女優」としての評価を受けていたが、同じ歌姫のマライア・キャリーは、彼女とは比較にならないほどスゴい。
マドンナは、周囲に引き立て役ばかりを揃えて自分をスター歌手として飾り立てるようなマスターベーション映画には出演しなかった。
メインが俳優としては素人なのだから、脇は芝居の達者なメンツ、キャリア豊富なメンツで固めるべきなのに、マライアの女王様映画ってことで彼女以外は目立たないように配慮したのか、知名度の低い役者や若手俳優などを揃えている。

少なくとも、ダイスのポジションには主演クラスの俳優を起用すべきだった。キャラとしても単なるDJじゃなく、実績のある大物プロデューサーにすべきだった。話の入り方としては、『マイ・フェア・レディ』チックにして、そこから男を落ちぶれさせていけばいい。
そのダイスが、アンポンタンで傲慢な若僧にしか見えないというのは大きなマイナスだ。何の実績も無いダイスが、スターへの階段を上がっていくビリーをやっかんだり苛立ったりしても、そこに共感・同情できるだけのモノが無い。まだ有名俳優なら、その俳優の持つパーソナル・イメージが助けになったかもしれないが、マックス・ビーズリーにそんなモノは期待できない。

ダイスはティモシーにビリー達3名の引き抜きを拒絶されると、「自分の歌手の曲を掛けてほしけりゃOKしろ」と脅しを掛ける。さらに賠償金10万ドルを支払えば譲り渡すと言われた後、答える前にシーンが切り替わるのでノーと言ったのかと思ったら、どうやら取引は成立してたのね。
で、自分で取引したのに、後になって金を要求されたら平然と支払いを拒否する。10万ドルは法外な値段かもしれんが、それで引き抜いたのはテメエなんだから、金は払えよ。
もしかして、ダイスを魅力的なキャラにすると主役を食ってしまう可能性はゼロではないから(マックス・ビーズリーだとゼロに近かったと思うけど)、そのリスクを避けるために、わざと単なる身勝手なダメ男にしたのか。

終盤、ダイスがティモシーに殺されても、ちっとも悲劇を感じない。ロクでもない男と完全に袂を分かつことが出来て、ビリーにとっては良い出来事だったと思える。
ビリーがダイスの死という悲しみを振り払って、コンサートの舞台に上がって観客の前で歌うというクライマックスも、ビリーが何の魅力も無い男なので、気持ちがグッと来ないのよね。あんな奴のために悲しむ必要なんて無いもん。「愛する人がいたら絶対に離さないで」とビリーは観客に語り掛けるけど、彼女はダイスと離れて大正解だもんね。

『スタア誕生』だけでなく、ビリーと母親の関係も欲張って盛り込んでいる。しかも、最初にビリーが母親と別れ、ダイスの死を知ったビリーがコンサートで歌った直後に母がメリーランド州の小さな町にいることを知り、再会するところでエンド。
つまり、母との関係という薄いパンによって、ダイスとの関係という長い具材がサンドされているのだ。
これが、ヒドく不恰好な構成に感じられる。
それなら、母との関係をメインに据えた方が良かったんじゃないのかと。


第22回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低主演女優賞[マライア・キャリー]

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ヴォンディー・カーティス=ホール]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低助演男優賞[マックス・ビーズリー]
ノミネート:最低スクリーンカップル賞[マライア・キャリーのオッパイの谷間]


第24回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の主演女優】部門[マライア・キャリー]
受賞:【最悪の歌曲・歌唱】部門
「Loverboy」(マライア・キャリー)

ノミネート:【最悪の作品】部門
ノミネート:【最悪のカップル】部門[マライア・キャリー&マックス・ビーズリー]

 

*ポンコツ映画愛護協会