『華氏119』:2018、アメリカ

2016年11月7日、大統領選挙の投票日を前日に控えたフィラデルフィア。民主党候補のヒラリー・クリントンは勝利を確信して笑顔を見せ、会場に集まった大勢の支持者も余裕を見せいた。素人も専門家も、何ヶ月も前に結果を断定していた。次の日、投票が締め切られると、未開票の内にヒラリーの祝賀パーティーではシャンパンの栓が抜かれた。ヒラリーは各州で順調に勝利を重ね、イリノイ州も取った。だが、オハイオ州でトランプが勝利してから異変が起きた。そこからトランプの勝利が続き、ヒラリー陣営と支持者の面々は表情を曇らせた。そして11月9日、トランプは第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。
マイケル・ムーア監督はトランプの勝利について、ロシア人と当時のFBI長官であるコミーの責任を指摘する。しかし彼は、それよりも罪 が重いのは、グウェン・ステファニーだと断言した。トランプはNBCが自分より高いギャラを彼女に支払っていると知り、偽の出馬会見を開いた。自分の人気をNBCに見せ付け、ギャラを上げようと目論んだのだ。しかし会見での侮蔑的発言を重く見たNBCは、彼との契約を打ち切った。予定していた集会に出席したトランプは大勢の観衆に熱烈な歓迎を受け、本当に出馬することを決めた。
トランプの出馬を受けて、多くのテレビ局が飛び付いた。誰も彼が共和党候補に選ばれるとは思っていなかったが、視聴率の取れるネタとして歓迎したのだ。テレビ局の看板キャスターたちはヒラリー・クリントンを私用メール問題で厳しく糾弾したが、性犯罪者ばかりだった。トランプは出馬する以前から、公然と罪を犯してきた。黒人の入居を拒否して起訴され、無実の黒人少年5名に死刑を要求し、バラク・オバマの出生証明書を公表するよう訴えた。人種差別と女性蔑視は、公然と行われてきた。
2010年に選出されたミシガン州のスナイダー知事は、トランプと古い仲だ。まだトランプが世に放たれる前から、ミシガン州の住民は後に皆が経験することを既に知っていた。始まりは共和党のスナイダーが知事に当選した2010年だ。行政経験は全く無かったスナイダーだが、ゲートウェイ・コンピュータ社の元CEOで大富豪だった。彼は州を企業のように経営すると訴え、権力を強化するために緊急事態管理者法を成立させた。スナイダーは市政府から権力を奪うため、取り巻きを送り込んだ。それは公共事業を減らして民営化し、企業人間の自分が儲けるための計画だった。
スナイダーは黒人とアジア人地区を標的に定め、フリントを管理下に置いた。フリントは50年前からヒューロン湖の水を公営パイプラインで利用していたが、スナイダーは新たな不要なパイプラインを新たに建設することにした。大口献金者と銀行を儲けさせるためだ。2014年4月、彼は水源をフリント川に切り替え、汚染された水がフリントに流れ込んだ。鉛を摂取した子供たちが次々に発病し、調査官は水源をヒューロン湖に戻すよう進言した。しかしスナイダーは広報官に最高品質の水だとPRさせ、問題解決を図った。フリント川の水がGM社の工場で車を腐食させていると知り、スナイダーは激怒した。彼にとってGM社は、大口の献金者だからだ。そこでスナイダーは、工場で使われる水源だけをヒューロン湖に戻した。
トランプは黒人への差別発言を繰り返し、壁を築くよう主張した。彼は16人の共和党候補を撤退に追い込み、ヒラリー・クリントンよりリベラルな立場を打ち出して彼女の封じ込めに掛かった。トランプ陣営は激戦州で大規模集会を開き、「本当のアメリカ人」が鍵を握ると考えて労働者層の取り込みを狙った。しかしマイケル・ムーアは、「本当のアメリカ人」について大きな誤解があると考えている。彼によれば、アメリカは左派の国だ。それはアンケートでリベラルな意見が多数を占める結果にも表れている。しかしリベラルはアメリカにおける主流派のはずなのに、50州で民主党が統治しているのは8州だけだ。ただし、ここ最近の7回の大統領選で、6回は民主党が得票数で上回っている。選挙人制度に大きな問題があるのだと、ムーアは指摘する。
さらにムーアは、政界が「譲歩」の連続になっていることも問題視する。それが始まったのは、ビル・クリントンが大統領だった時期だ。当時の民主党は支持基盤である労働者階級がガタガタだったため、クリントンは盛り返すために共和党のような政策を進めた。犯罪法で黒人を大量投獄し、規制緩和で銀行を優遇した。自由貿易を装って、雇用をメキシコに移した。貧困者層への支援を廃止し、同性の結婚を非合法化した。
2018年の大統領選でトランプへの投票者数は6300万人、ヒラリーは6600万人だったが、棄権したのは1億人だった。民主党が共和党に似てくると、新聞の影響でリベラル支持層も似て来た。大手の新聞は大企業に寄り添い、バーニー・サンダースの当選を妨害する記事を書いた。サンダースはウェスト・ヴァージニア州の全ての郡を制したが、予備選の結果はヒラリーの勝利に改ざんされた。民衆とは他の州でも、同じ方法でヒラリーを勝たせた。
ミシガン州では市民の抗議運動が高まるが、スナイダーと広報官は嘘をつき続けた。保健局は子供たちを検査するが、血中濃度の数値を修正して真実を隠蔽した。フリントではレジオネラ症による死者が急増し、激しい抗議活動が起きた。ムーアもデモに参加し、マスコミの取材を受けて「大統領に来てほしい。国の助けが必要だ」と訴えた。彼はスナイダーを市民逮捕するため、手錠を持って州の議事堂に乗り込んだ。しかし広報局のアドラー局長が応対し、知事の不在を告げた。ムーアの陳情に対し、彼は水の安全性を主張した。しかしムーアが持参したフリントの水を差し出して飲むよう要求すると、アドラーは拒絶した。ムーアはフリントの水をタンクローリーに積み、知事の邸宅へ赴いた。インターホンを鳴らしても応答が無いので、彼は敷地に放水した。
ムーアはローガン郡へ行き、民主党候補者のリチャード・オジェダと会った。オジェグは戦場から帰還して故郷の子供たちの劣悪な環境を知り、立ち上がることを決めたのだと語る。彼のような熱い志を持つ新しい候補者が、他の州でも大勢いた。造反者の大半は女性だった。長年に渡って民主党を敗北に導いてきた支配者層に、反旗を翻したのだ。党の幹部たちはメディアを使い、民主党を本気で勝たせたいという夢と希望を全力で潰しに掛かった。コロラド州の民主党候補者であるレヴィ・ティルマンは、下院ナンバー2のステニー・ホイヤーから降りるよう要求される会話を録音した。
ムーアはチャールストンの教員たちと会い、経済的な苦境について話を聞いた。「ゴー365」という健康プログラムが、教員の状況を悪化させていた。教員が保険に加入するためには、強制的にデバイスを購入して装着することが義務付けられた。教員の活動は常に記録され、データベースの記録が不足すると年末に500ドルを徴収された。ゴー365を始めたのは、共和党のジャスティス知事だ。しかし教員組合はリスクを嫌い、ストライキを起こさなかった。
教員の有志は50人でストライキを決行し、他の郡からも賛同者が多く集まった。バス運転者と学校職員も、ストライキに加わった。組合のリーダーは州と妥協し、教員の賃上げだけで済まそうと目論んだ。教員たちは提案を拒否し、ストライキを続行した。ストライキは9日目に突入し、バス運転者の賃上げやゴー365の廃止を勝ち取った。この運動は他の州にも波及し、教員たちは次々にストライキを起こした。フロリダ州パークランドのダグラス高校で銃乱射事件が起きると、「政治問題にすべきではない」という意見が高まった。しかし学生たちは納得できず、銃規制に消極的なトランプ政権への抗議活動を開始した…。

脚本&製作&監督はマイケル・ムーア、フィールド・プロデューサーはコーナル・ジョーンズ&ニッキー・レーザー、アーチヴァル・プロデューサーはクリスティン・フォール、製作はカール・ディール&メーガン・オハラ、共同製作はロッド・バールソン&ジェフ・ギブズ&ヴェロニカ・ムーア&スティーヴン・ライズナー、製作総指揮はベイゼル・ハムダン&ティア・レッシン、スーパーバイジング・プロデューサーはデヴォラ・デヴリース、撮影はルーク・ゲイスバーラー&ジェイミー・ロイ、編集はダグ・アベル&パブロ・ブロエンザ。


『シッコ』『キャピタリズム マネーは踊る』のマイケル・ムーアが脚本&製作&監督を務めた作品。
ドナルド・トランプが合衆国大統領に当選した背景について、彼なりの考察から深く掘り下げている。
タイトルの『華氏119(Fahrenheit 11/9)』は、2004年の映画『華氏911(Fahrenheit 9/11)』の続編的な意味合いを込めてのタイトル。
「911」はアメリカ同時多発テロ事件が起きた2001年9月11日からの取った数字だったが、今回の「119」はトランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任した2016年11月9日から。

それがマイケル・ムーアの持ち味なのかもしれないが、急に話が違うトコへ飛んだりする。
粗筋では触れていないが、「ヒラリーを糾弾するキャスターが性犯罪者ばかり」ってのを指摘した後、ムーアが過去にトランプと共演していた出来事に触れる。ロザンヌ・バーが司会を担当する番組でムーアがトランプへの厳しい発言を封じられたことを、当時の映像と共に振り返る。さらにクシュナーやバノンとムーアの関係にも触れる。
トータルで考えれば、一応は「トランプ大統領の誕生」に関わる内容ではある。
だが、あちこちに話が飛びまくって脱線しまくっている印象で、お世辞にも取っ付きやすい映画とは言えない。

ムーアは「僕も貴方も抗議しなかった」と語るなど、トランプをのさばらせた市民の責任も指摘し、自分も戒めている。トランプという男は出馬するより遥か前からクソ野郎だったのだから、その時点で厳しく糾弾すべきだったのだと彼は主張する。
ただ、それでも基本的にはトランプを批判したいはずなのに、途中でミシガン州の水質汚染問題に目を向けている。
「そんなスナイダーを見たトランプが真似しようと思ったはず」ってことで再びトランプの話に戻るけど、「じゃあミシガンの話は何なのか」と言いたくなる。
ムーアはミシガンの出身だから、どうしても我慢できなかったんだろう。でも、それは手を広げすぎじゃないか。
ミシガン州の水質汚染問題を訴えたいのなら、そこにテーマを絞ったドキュメンタリー映画を撮った方がいいんじゃないかと。

ムーアはトランプ大統領が誕生した理由として、様々な問題を挙げている。そんな中で、「民主党が負けているのは選挙人制度のせいだ」ってのを説明するパートもある。
言いたいことは分かるけど、それなら選挙制度の問題を追求するドキュメンタリー映画を作ればいいんじゃないかと思うのよ。
「選挙人制度に大きな問題がある」ってことを言い出すと、「いかにトランプがクズ野郎なのか」ってのは全くの無関係になっちゃうでしょ。
それに、選挙人制度の問題を指摘したところで、それは急に変えられないわけで。だから、トランプの再選を阻止することには繋がらないでしょ。

「民主党と共和党は同じところから金を貰っている」「有権者と同じ目線に立っていない人ばかりが当選している」など、共和党を叩くだけでなく民主党も厳しく批判している。
古参の支配者層が無難な中道路線の候補者ばかりを出して、波風が立つのを避けて来たのだとムーアは指摘する。
だけど、そんな風に「民主党にも問題がある」と批判しちゃったら、大統領選で民主党候補に投票できなくなるよね。
劇中に登場する「本気で民主党を勝たせようとしている新しい候補者」の面々は、民主党の大統領候補じゃないし。

マイケル・ムーアは本作品より前から、「このままだとトランプ大統領が誕生する」と強い危機感を抱いて人々に訴えていた。
2016年にはドキュメンタリー映画『マイケル・ムーア・イン・トランプランド』を製作し、トランプ大統領の誕生を何とか阻止しようとしていたのだ。
しかし本作品でも言及しているように、多くの人々は「トランプの当選なんて絶対に有り得ない」と高を括っていた。
ムーアの言葉に、本気で全く耳を傾けようとしなかったのだ。

マイケル・ムーアは2004年の『華氏911』で、共和党のジョージ・ウォーカー・ブッシュを厳しく批判した。
そもそも2000年の大統領選挙において、彼はブッシュの当選を阻止するためにアル・ゴアへの投票を呼び掛けた。
しかしブッシュが当選したため、今度は再戦を阻止しようとして『華氏911』を製作した。
『華氏911』はドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録するが、そんなことは選挙に何の影響も及ぼさず、ブッシュは再選を果たした。

そんな経験を経たマイケル・ムーアは、「嫌いな奴を声高に批判したところで、効果は乏しい」と感じたのかもしれない。
実際、ブッシュにしてもトランプにしても、彼らを熱烈に応援している共和党の支持層は盤石だ。
そんな支持者の面々は、こんな映画など最初から見ないから、影響を受けることも無い。仮に見たとしても、余計に反発するだけだ。
つまり、共和党の候補者を批判する映画を見て「民主党候補に投票しよう」と思うような人は、そもそも民主党員である可能性が濃厚なのだ。

そんな中でムーアが目を付けたのは、「前回の選挙でオバマを積極的には応援しなかった民主党の支持層」だ。
もっと具体的に言うならば、「バーニー・サンダースを指示した若者たち」ってことになる。
劇中でムーアは、2016年の大統領選挙予備選で出馬した政治家たちの内、バーニー・サンダースだけは明確に指示する立場を示している。
ちなみにサンダースは、予備選に出るために民主党に入党したが、生粋の民主党員ではなく無所属の政治家だ。だから予備選でヒラリー・クリントンに負けた後は再び無所属に戻っている。

『華氏911』に比べると、ムーアは悲観的になっている。既存の民主党に対する期待感は皆無で、このままだとアメリカは終わってしまうと考えている。ミシガン州の水質汚染問題に絡めて、バラク・オバマへの失望も描いている。
それでも彼は完全に絶望しているわけではなく、わずかな希望はあるはずだと信じているのだ。そして最後の望みとして、声を上げて積極的に行動できる「本当のリベラル」である若者たちに、大きな期待を掛けているのだ。
ただし、仮に次の選挙でトランプが敗北を喫するとしても、この映画が及ぼす影響ってのは皆無に等しいと思うけどね。

(観賞日:2020年8月11日)


第39回ゴールデン・ラズベリー賞(2018年)

受賞:最低主演男優賞[ドナルド・トランプ]
<*『Death of a Nation』『華氏119』の2作での受賞>
受賞:最低助演女優賞[ケリーアン・コンウェイ]
受賞:最低スクリーン・コンボ賞[ドナルド・トランプ&尽きることの無いセコさ]
<*『Death of a Nation』『華氏119』の2作での受賞>

ノミネート:最低助演女優賞[メラニア・トランプ]

 

*ポンコツ映画愛護協会