『絵文字の国のジーン』:2017、アメリカ

高校の新入生であるアレックスが持つスマートフォンの中に、絵文字のジーンが住むテキストポリスの街は存在する。ジーンを始めとする絵文字たちは、そこで生活しながら自分の役目を果たしている。クリスマスツリーは常に突っ立っていて、プリンセスはティアラを付けて髪を整えている。悪魔やウンチや「いいね」マークは、そのままで意味が伝わる。しかし顔の絵文字は、例えば泣き顔なら常に泣いているし、笑い顔は笑っている。
ジーンの役目は「ふーん」なので、どんな時でも「ふーん」の表情を貫く必要がある。それは簡単なことではないので、彼は自宅の前で「ふーん」の表情を練習してから外出する。しかし彼は色んなことに無関心を装うことが出来ずに、すぐに表情を変えてしまうのだった。それでも彼は初めてスマホに載ることが決まっており、「キューブ」と呼ばれる施設へ赴いた。するとジーンの前に、両親のメル・メーとメアリー・メーが現れた。2人はジーンと違って絵文字のプロで、常に同じ表情を崩さない。
両親はジーンに、「今日の初仕事はキャンセルだ。まだ準備が足りない」と言う。「同い年でやってないのは僕だけだ」とジーンは訴えるが、父は「スマホから送信された時、もしも変な顔をしたら?」と懸念を口にする。母の後押しを受けたジーンは父を説得し、初仕事に臨むことを許可された。初仕事となる面々と合流した彼は、最初に生まれた絵文字のスマイラーと会った。スマイラーはキューブの責任者を務めており、仕組みについて説明した。
絵文字の面々は指定されたキューブに入り、アレックスに選ばれるのを待つ。選ばれたキューブは光って絵文字がスキャンされ、その画像がアレックスのテキストボックスにアップされる。お気に入りキューブには人気のある絵文字が並んでいるが、ハイタッチはアレックスに何週間も選ばれていないので入室を断られた。スマイラーはジーンたちに、「何より大切なのは役割を全うすること」と説いた。入力時間になり、キュープに入ったジーンは「ふーん」の表情を作った。
クラスメイトのアディーからメッセージを受け取ったアレックスは、歴史の授業中に返信することにした。アレックスは迷った末、ジーンを選んだ。するとジーンは「やっぱり無理」とパニック状態に陥り、全く別の表情がスキャンされてしまった。おまけに退去を命じられたジーンは、他のキューブを幾つも破壊してしまった。スマイラーは「不具合を起こしたことになる」と彼に通告し、重役会で処遇が決定されると通告した。
両親はジーンのことを心配し、しばらくアパートから出ないよう勧める。しかしジーンは反発し、「逃げる気は無い。僕にだって何かの役目があるはずだ」と言う。ジーンは役員室に呼び出され、スマイラーから削除すると告げられる。ウイルス駆除ボットの軍団に襲われたジーンは、慌てて逃げ出した。ハイタッチとぶつかったジーンは、「ここなら見つからない」と負け犬ラウンジへ案内される。そこは一度も使われたことの無い絵文字の溜まり場であり、ハイタッチは「絵文字の役割を果たしたいだけなら、ハッカーにプログラムを書き換えてもらえ」と話した。
ハッカーがいるのは、テキストポリスの外にある違法アプリだ。ハイタッチはジーンに、「スマホを出てクラウドに住んでるプリンセスがいるらしい。脱出を手引きしたハッカーはジェイル・ブレイクという名前だ」と教える。「一緒に探して。君も書き換えてもらえば、お気に入りに戻れるかもよ」とジーンが話すと、ハイタッチは承諾した。2人はメールアプリを抜け出すと、ホーム画面へ赴いた。ジーンはハイタッチの案内で、偽装した違法アプリに足を踏み入れた。
ウイルスやスパム、トロイの木馬たちがいるクラブに入った2人はジェイルを発見し、プログラムの書き換えを依頼した。「興味ない」とジェイルが断った直後、ボットがジーンたちを追って来た。ジーンが様々な表情を見せることに驚いたジェイルは、2人の逃亡を手助けする。3人はCandy Crushのアプリに飛び込むが、ジーンはゲームに巻き込まれた。ジェイルとハイタッチはゲームをプレイし、ジーンを救助した。しかしアプリが勝手に起動したことで腹を立てたアレックスは全てのデータを消去する必要があると考え、携帯ショップの技術サポートに翌日の予約を入れた。
ジェイルはジーンを助けることに決め、「まずはクラウドにアップロードする。そこに再プログラム用のソースコードがある」と説明する。Candy CrushからJust Danceへ行き、その隣にあるDropboxからクラウドにアップロードする手順をジェイルはジーンに教えた。ただし、クラウドの前には顔認識システムを使うファイヤーウォールが立ちはだかっており、過去に失敗しているジェイルは二度と突破できなくなっていた。しかしジーンは顔を変えられるので、突破することが可能だとジェイルは考えていた。
同じ頃、メルとメアリーはジーンを捜索するため、テキストポリスを出ていた。しかしメルの考え方に疑問を抱いたメアリーは、「お別れしましょう。貴方を分かっていなかったのかもしれないわ」と告げて彼の元から立ち去った。ジェイルはジーン&ハイタッチと裏道を進みながら、スマホを出てクラウドで暮らしたいという願望を明かした。彼女はジーンに、「スマホはルールが多すぎる。クラウドなら刺激的で色んなことが出来るはず。自由になる」と語った。
Just Danceに入った3人だが、ハイタッチが不用意にアプリを立ち上げてしまう。ジーンたちは仕方なくアキコ・グリッターがコーチするゲームに参加するが、ダンスが苦手なジェイルは苦戦する。ジェイルはゲームオーバーの危機に陥るが、ジーンの助言で踊れるようになる。ジェイルはジーンとのフリーダンスで盛り上がり、実はプリンセスの絵文字だとバレてしまった。そこへボット軍団が乗り込み、ジーンたちを攻撃する。アレックスは授業中にJust Danceのアプリが起動したため、慌てて削除した。
ジーンたちは急いで逃げ出すが、ハイタッチはアプリに巻き込まれてゴミ箱に転落した。ジーンはクラウドへ向かおうとするジェイルを説得し、ハイタッチの救助に向かう。同じ頃、携帯ショップの予約まで4時間と迫ったため、スマイラーは違法アップグレードという方法を取った。ジーンとジェイルはSpotifyのストリーミングを利用し、ゴミ箱へ向かった。2人はハイタッチを救出してDropboxへ向かうが、違法アップグレードされた凶悪なポッドが立ちはだかった。ポッドの攻撃をかわしたジーンたちはファイヤーウォールに着くが、なかなか顔認証を突破できずに何度もアクセスを拒否される…。

監督はトニー・レオンディス、原案はトニー・レオンディス&エリック・シーゲル、脚本はトニー・レオンディス&エリック・シーゲル&マイク・ホワイト、追加脚本はジョン・ホフマン、製作はミシェル・ライモ・クヤテ、共同製作はジョン・クリードマン、製作協力はテレサ・ベンツ、編集はウィリアム・J・キャパレラ、プロダクション・デザイナーはカルロス・サラゴサ、視覚効果監修はデヴィッド・アレクサンダー・スミス、アート・ディレクターはライアン・カールソン&ディーン・ゴードン、キャラクター・デザイナーはトニー・シルノ、シニア・アニメーション・スーパーバイザーはサーシャ・カピジンパンガ、追加シーン監督はコンラッド・ヴァーノン、音楽はパトリック・ドイル、音楽監修はジョジョ・ヴィリャヌエヴァ。
声の出演はT・J・ミラー、ジェームズ・コーデン、アンナ・ファリス、マーヤ・ルドルフ、スティーヴン・ライト、ジェニファー・クーリッジ、サー・パトリック・スチュワート、クリスティーナ・アギレラ、ソフィア・ヴェルガラ、レイチェル・レイ、ショーン・ヘイズ、ジェイク・T・オースティン、タチ・ガブリエル、ジュード・クヤテ、ジェフ・ロス、ハンター・マーチ、トニー・レオンディス、メリッサ・スターム、エリック・シーゲル、ショーン・ジャンブローン、ティモシー・ダーキン、リーアム・エイケン、ウェンデル・ブルックス、トム・ビショップス、ケヴィン・チェンバーリン他。


日本で生まれた“絵文字”をモチーフにした長編アニメーション映画。
監督はビデオ作品『リロ&スティッチ2』のトニー・レオンディス。
脚本はトニー・レオンディス監督、これが映画デビューのエリック・シーゲル、『スクール・オブ・ロック』『ナチョ・リブレ 覆面の神様』のマイク・ホワイトによる共同。追加シーンの監督を『シュレック2』や『マダガスカル3』のコンラッド・ヴァーノンが務めている。
ジーンの声をT・J・ミラー、ハイファイブをジェームズ・コーデン、ジェイルをアンナ・ファリス、スマイラーをマーヤ・ルドルフ、メルをスティーヴン・ライト、メアリーをジェニファー・クーリッジ、ウンチ(プープ)をサー・パトリック・スチュワート、アキコをクリスティーナ・アギレラが担当している。

根本的な問題として、なぜ絵文字をモチーフにした映画を製作しようと思ったんだろうか。どういう思考回路なら、そこに勝算を見出すことが出来るんだろうか。
原作が漫画でもなければ、ゲームでもないのだ。エッセイとか新聞記事とか、そういうことでもない。
絵文字がモチーフってことは、当然のことながら叩き台となるエピソードや物語が存在しない。なので、ゼロからシナリオを作る必要があるわけだ。
で、「絵文字を主役にした映画」と考えた時、ボンクラな私ごときだと、何のストーリーも思い付かないのよね。

これがさ、何か有名なキャラクターってことなら、まだ分からんでもないのよ。そのキャラクターには色んな設定があるだろうから、それを主人公に据えれば物語が動き出す可能性は高いしね。
でも絵文字ってことになるとキャラクターじゃないから、擬人化された存在として動かすことも難しい。
かなり頑張って頭を捻れば、「絵文字が暴走して人間社会がパニックに陥る」とか、「絵文字に隠されている秘密を子供たちが解き明かす」とか、まあ幾つかアイデアは浮かんだ。
ただ、どのケースでも、絵文字は主役じゃなくて、あくまでも「登場人物が関わる道具」としての扱いだ。当たり前だけど、絵文字は生きているわけじゃなくて、ただの絵、もしくは文字だからね。

ところが本作品は、こちらの想像を遥かに超越したアイデアを用意している。数々の絵文字を擬人化し、「絵文字の住む世界」を舞台にした物語を作っているのだ。
ただし大まかなプロットとしては、『インサイド・ヘッド』と類似している部分も少なくない。
なので、そこに斬新さや意外性があって、観客を引き付ける力が充分なのかと問われたら、答えはノーだ。
最初から「絵文字を擬人化して動かす」というアイデアありきで企画が立ち上がったのか、まず「絵文字の映画」ってことがあって後から擬人化のアイデアが浮かんだのかは不明だ。
ただ、どっちにしても公開は『インサイド・ヘッド』が先なので、順番としては「二番煎じ」になっちゃってるね。

とは言え、何から何まで『インサイド・ヘッド』を模倣しているわけではなく、あくまでも「作りとして似ている」というだけだ。
なので、「似ているからポンコツ」という短絡的な判定をするつもりはない。この映画は、そういうことを抜きにしても、立派にポンコツなのだ。
何しろ本国のアメリカでは、「あまりにもクソすぎる映画」という意味で映画界の大きなトピックになったぐらいだからね。
監督が大物ってわけでもなく、主演俳優が大物ってわけでもなく、多額の予算を投入した超大作映画ってわけでもないのに、そこまで「クソ映画」として騒がれるんだから、ある意味では凄いことだよね。

絵文字を擬人化する時点で、デザインとしては、かなり限定されてしまう。絵文字ってのは、その形が1つの意味を表しているので、それを大きく変えることは出来ないからだ。
また、絵文字は感情やメッセージを示しているケースも多いので、そういう意味でも大きく変化させることは難しい。例えば、笑顔を意味する絵文字を擬人化した場合、そいつに怒りの表情をさせることは出来ない。
キャラクターが自由に喜怒哀楽を表現できないってのは、ものすごく大きなマイナス要素と言わざるを得ない。
まあスマイラーは笑顔を浮かべながら怒りを示すという、竹中直人のネタみたいなこともやっているけどね。
ただ、もはや笑いながら怒っている時点で、それは「笑顔」の絵文字としての意味を失っているようにしか感じないぞ。形と意味が異なるなら、それは絵文字として失格でしょ。

この映画では「キャラの表情が限定されてしまう」という要素を使い、「1つの表情に縛られている主人公が、そこから解放されて自由になる」というストーリーを用意している。
でも、それは大きな間違いと言わざるを得ない。
前述したように、絵文字は何か1つの感情なりメッセージなりを示すための道具だ。この映画で主役に配置されているジーンってのは、「ふーん」を意味する絵文字だ。
そいつが別の感情を表して「ふーん」じゃなくなったら、もはや何者か分からなくなるでしょ。存在意義に関わる大きな問題だぞ。
この映画は、絵文字の特徴を否定するような内容になっているんだよね。

厄介なことに、ジーンは冒頭のナレーションで「ふーん」だから常に「ふーん」の表情をしなきゃならない」と言っておきながら、いざ彼が登場すると色んな表情を見せているんだよね。つまり、もはや登場した時点でジーンはジーンとしてのアイデンティティーを失っていると言ってもいい状態なのだ。
ところが、この映画の世界観だと、絵文字が常に同じ表情じゃなきゃダメな理由は無いのだ。テキストポリスでどんな表情を浮かべていても、スマホに送信されるまでは全く関係が無いからだ。
だったら、「常に同じ表情じゃないとダメ」ってわけではない。ジーンの両親が「絵文字のプロ」という設定で常に同じ表情を浮かべているけど、それがプロとは言えないでしょ。むしろ普段は色んな表情を浮かべていて、スマホの仕事をする時だけバチッと決められた表情をする方がプロじゃないかと。
そう考えると、この映画は基本設定からして間違っているように感じるぞ。

あとさ、ジーンにしろウンチにしろ、親も同じ表情や形の仕事をしているんだよね。
だけど絵文字って、同じ物は2つも3つも要らないでしょ。同じデザインは1つで充分なわけで、だからメル・メーとメアリー・メーがいればジーンの存在意義なんて無いわけで。
その辺りも、世界観の設定に失敗しているように感じるぞ。
そりゃあ、「親が死んだら子供が後を継がなきゃ同じ絵文字が消える」という解釈は出来るかもしれないけど、そういうトコまで世界観を作り込んでいる様子は無いし。

序盤、選ばれたジーンがパニックに陥ったため、アレックスがアディーに送信したのは全く別の絵文字になってしまう。
だけど、そもそも「ふーん」の絵文字を送ろうとしている時点で、「どういう意味でそれを選んだのか」と言いたくなるぞ。それでアレックスはアディーに何を伝えようとしたのかと。
結果としては驚いたような表情の絵文字が送信されているけど、どっちでも大して変わらんだろ。
そもそも「ふーん」を選んでいる時点で違和感が強いので、「ジーンがパニックになったせいで大問題が起きた」とは思えないのよ。

絵文字を題材にしているんだから、そこだけに集中して物語を構築するのは絶対に必要なことのはずだ。ところが、ジーンたちがスマホの中を移動するという展開を用意し、様々なアプリを登場させる。
Candy Crushのアプリでは、ジーンを救うためにジェイルとハイタッチがゲームをやる。メルとメアリーがジーンを捜索してYouTubeを見るシーンでは、その頃に流行っていたピコ太郎が登場する。Just Danceのアプリでは、ジーンたちが踊る。
欲張り過ぎて、完全に散らかっちゃってんのよね。
っていうか、一見すると分かりにくいかもしれないけど、実は露骨なプロダクト・プレイスメントになってねえか。

終盤、アレックスが携帯ショップで修理を頼んだため、スマホのアプリは次々に削除されていく。友人からアディーがいるので話し掛けるよう促されたアレックスは、「アディーと話そうとする度にバカをやってしまい、気持ちを伝えられない」と漏らす。絵文字たちは「彼が気持ちを伝えられたら削除されないかも」と考え、ジーンに全てを託す。ジーンが色んな表情を浮かべる絵文字として送信され、それを受け取ったアディーはアレックスに「貴方みたいに気持ちを伝えられる男子って好きよ」と言う。
これを受けて、アレックスは修理を中止する。
だけど、それまで何のアピールも出来ていなかった奴が、たかが1つの絵文字だけで片想いの相手に惚れてもらえるって、それは御都合主義が酷すぎるだろ。
それは「されど絵文字」とは言えないぞ。

ジーンはスマイラーから「不具合がある」と言われ、父も彼に不具合があると認める。そしてジーン本人も「僕には不具合がある」と感じ、「人に無関心でいられないから再プログラムしなきゃいけない」と言う。
そんなジーンが、「様々な表情をするのは個性だ。それが自分の役割だ」と感じるようになり、精神的に成長するってのが本作品で描かれる物語だ。
描きたいテーマやメッセージは、分からんでもない。
だけど、それは絵文字を使って描くべきことではないよ。

(観賞日:2019年12月30日)


第38回ゴールデン・ラズベリー賞(2017年)

受賞:最低作品賞
受賞:最低スクリーン・コンボ賞[任意の2組の不愉快な絵文字の組み合わせ]
受賞:最低監督賞[トニー・レオンディス]
受賞:最低脚本賞

ノミネート:ロッテントマト賞

 

*ポンコツ映画愛護協会