『カクテル』:1988、アメリカ

除隊した青年ブライアンは、仲間たちに見送られてバスに乗り込んだ。故郷を後にした彼は、100万ドルを稼ぐ野望を抱いてニューヨーク へ向かう。ニューヨークに到着した彼は、バーを営む叔父パットの元を訪れた。親友で常連客のエディーと一緒にいたパットは、「金を 稼ぐには常に一歩先を考え、他人を信用するな」とブライアンにアドバイスした。ブライアンは大企業の面接を受けるが、学歴の低さゆえ 、どこに行っても断られてしまった。
イースト・サイドを歩いていたブライアンは、カクテル・バーの求人広告に目を留めた。準備中の店内へ入った彼は、バーテンダーのダグ に「仕事を捜してるんだ」と言う。ブライアンはダグに指示され、その日の仕事に就いた。大勢の客から注文が飛ぶ中、ブライアンは 自分をからかったウェイトレスのエレノアに「性悪女」と悪態をつく。しかし彼女は腹を立てず、100ドルのチップをブライアンに渡した 。ダグは営業が終わった後、ブライアンに「木曜の5時から来てくれ」と告げた。
ブライアンは経済を勉強するため、昼間は大学に通った。夜になるとバーへ行き、ダグからフレアバーテンディングを教わった。すぐに彼 は、女性客からの人気を集める存在になった。ダグは「君をスターにしてやる」と言うが、ブライアンは「ありがたいが、これはバイトだ 。大学のビジネス・コースで学んでる」と告げる。ブライアンは経営学のレポートを提出するが、他の生徒と共に講師から酷評された。 すると彼は、「貴方は実社会に出ず現実逃避している」と講師を批判した。
ブライアンが準備中のバーで講師の文句を言っていると、ダグは軽く笑いながら「だったら辞めろよ」と告げる。ブライアンが「何か 生きる道を探さなきゃ」と口にすると、ダグは「この界隈は金持ちの巣窟だぞ。客の中には金を持て余しているカモの女もいる」と述べる 。ブライアンはダグに、「2人のバーを持とう」と持ち掛けた。ダグは軽いノリでOKするが、ブライアンは本気だった。
ブライアンとダグの名コンビぶりが人気を呼び、店は繁盛を続ける。2人は「セル・ブロック」という大きなバーのオーナーにスカウト され、店を移った。ブライアンは女性カメラマンのコーラルと関係を持ち、付き合い始めた。ブライアンはダグに、自分たちの店を持つ ためのコストを計算して告げる。彼は「冬にジャマイカでバーテンをやれば大金が稼げる。3年で資金が溜まる」と提案するが、ダグは 「ニューヨークにいれば幸運も転がって来る」と消極的だった。
ブライアンはダグから「コーラルは本当にお前だけなのかな」と言われ、他に男がいることを疑うよう促された。ダグが「彼女は他の男と 寝るよ。50ドル賭けよう」と言い出したので、ブライアンは自信満々で乗った。ところが後日、ブライアンはコーラルがダグと寝たことを 知る。ブライアンから非難されたダグは、「誰とでも寝る女だ。別れた方がお前のためだ」と言う。ブライアンは激怒して彼を殴り、「俺 は辞める」と告げて店を去った。
2年後、ブライアンはジャマイカの浜辺にあるバーで働いていた。ある日、観光客の女性ジョーダンが、「友達が倒れたの」と助けを 求めて来た。ブライアンはシャンパンを飲みすぎた彼女の親友ダルシーの様子を確認し、救急車を呼ぶよう指示した。翌日、ジョーダンは バーに現れ、適切な処置を取ってくれたブライアンに礼を述べた。そこへダグが現れた。ブライアンは怒ることも無く、笑顔で応対する。 ダグは「俺はツイてる。ハネムーンに来てる」と言い、大富豪の娘ケリーと結婚したことを明かした。
その夜、ブライアンはビーチパーティーでジョーダンと踊り、彼女とデートを重ねた。それを知ったダグは、観光客の前でブライアンを 「こいつは生まれついての働き蜂だ。変えてやろうと思ったが変わらなかった」とバカにする。「金持ち女をモノにしてみろ」という挑発 に乗ったブライアンは、バーに来ていたニューヨークの女実業家ボニーに声を掛けた。ブライアンは自信満々でボニーを口説き、そして 肉体関係を持った。
ブライアンとボニーが一緒にいる現場を目撃したジョーダンは、何も告げずニューヨークへ帰った。ブライアンはボニーとニューヨークへ 生き、同棲生活を始めた。しかし、彼は次第に苛立ちを募らせていき、あるパーティーでボニーの友人の彫刻家に殴り掛かった。彼は ボニーに冷たく別れを告げた。ブライアンはジョーダンの勤めるダイナーを訪ねるが、「帰って」と冷たく告げられてしまう…。

監督はロジャー・ドナルドソン、原作はヘイウッド・グールド、脚本はヘイウッド・グールド、製作はテッド・ フィールド&ロバート・W・コート、撮影はディーン・セムラー、編集はニール・トラヴィス、美術はメル・ボーン、衣装はエレン・ ミロジニック、音楽はJ・ピーター・ロビンソン、"Cocktail" Album Supervised byはキャロル・チャイルド。
主演はトム・クルーズ、共演はブライアン・ブラウン、エリザベス・シュー、リサ・ベインズ、ケリー・リンチ、ローレンス・ ラッキンビル、ジャック・ニューマン、ポール・ベネディクト、ダイアン・ヘザーリントン、アーリーン・メイズロール、ラリー・ブラック、ケリー・ コンネル、ジェリー・バンマン、ジェームズ・エクハウス、リーセル・ビーン、ピーター・ボイデン、ダイアン・ダグラス他。


ヘイウッド・グールドの同名小説を、彼自身の脚本で映画化した作品。
監督は『追いつめられて』のロジャー・ドナルドソン。
ブライアンをトム・クルーズ、ダグをブライアン・ブラウン、ジョーダンをエリザベス・シュー、ボニーをリサ・ベインズ、ケリーを ケリー・リンチ、ジョーダンの父親をローレンス・ラッキンビル、コーラルをジーナ・ガーション、パットをロン・ディーンが演じている。

ブライアンはニューヨークへ出て来る際、自信満々の生意気な青年だ。甘い考えで大金を稼ぐ夢を抱いており、コツコツと真面目に働いて いた父の生き方をバカにして「そんなのは御免だ」と否定する。
そういう様子が序盤に示されるのだから、こっちは「ネタ振りだな」と思うわけよ。予定調和だが、「鼻をへし折られ、挫折する。しかし 嫌な目にあったり苦悩したりもするが、努力して壁を乗り越える」とか、「世間は甘くないのだと実感し、父のことを見直す」とか、 そういう筋書きがあるんだろうと思うわけよ。
ところが、この映画は「人生なんて簡単」という筋書きを用意しているのだ。
そういうコメディーなのかというと、そうじゃない。マジなのだ。
ただ、あまりにも軽薄なだけだ。

ブライアンは次々に面接で断られても、それでガックリ来ている様子は全く無い。自分が甘かったと反省している素振りも無い。バーで 「仕事を捜してるんだ」と言うシーンでも、どこか自信ありげで堂々としている。「このままでは金も無いし、困った。とにかく、何とか 今すぐに金を稼がなきゃ」ということで、追い詰められて求人広告に飛び付いたという感じは全く無い。そして、かなり生意気で、悪態を ついたりもする。
しかし彼は、ダグにも客にも怒られたりはせず、簡単に雇ってもらえる。
ダグから仕事のやり方を学んで、失敗しながらも接客や酒の作り方が少しずつ上達していくとか、そういう経緯も無い。ブライアンは最初 から人気者で、「仕込んでやるよ」とダグに言われた次のシーンでは、もうフレアバーテンディングを披露している。「男前だから」と いうことだけで、もう簡単に女性客をガッチリと掴んでしまうのだ。
そりゃ「金儲けなんてチョロい」ってことになるわな。

ブライアンには「大物実業家になって大金を稼ぐ」という野望があるはずなのに、授業で居眠りするなど、全く身が入っていないし、 そっちは全く本気に見えない。
「バイトで忙しく、だから睡眠時間が短いので居眠りしてしまう」ということかもしれないが、そういうことを示すための描写は無い。
バイトと学業の両立で苦労しているとか、そういう様子は見えない。ものすごく楽しそうに、ノリノリでバイトに精を出しているし。
でも、そんなテキトーな奴でも、人生の勝ち組になれるのだという、ものすごく甘い成功物語だ。
ブライアンは「ポジティブ・シンキングだ」と言っているけど、単なるお調子者で、現実が分かっていないようにしか見えない。

ブライアンがダグと喧嘩別れしても、それが「挫折」になっていない。2年後に移ると、楽しそうにジャマイカで働いている。
「かつてはニューヨークで人気者だったが、一人になったら勝手が違って苦労する」とか、「すっかり落ちぶれている」とか、そんなこと は全く無い。
ダグと再会すると、拒絶することも無く普通に喋っているので、「喧嘩別れした2人の関係が修復する」というドラマも無い。
そしてブライアンは、すぐに女と出会って恋に落ちる。出会ってから交際が始まるまでに、1日しか経過していない。すげえ軽い女と恋に 落ちている。
それはともかく、まさに仕事もプライベートも順調そのものだ。
彼は自信を失ったり、落ち込んだりということが全く無いし、何かを成し遂げるために必死になるとか、努力するとか、そういうことも 無い。何も苦労せず、簡単にクリアしてしまう。

2年後になっても、ブライアンの「金持ちになる」という野望は全く変わっていない。それこそが人生の幸せと考えているのだ。
それを最初に打ち出しているのだから、最終的には「金よりも大切な物が人生にはある」という着地点に辿り着くのが筋というものだろう。
ベタではあるが、そこは変に捻っても良い結果が得られるとは思えない。そこはシニカルなコメディーでもない限り、予定調和しか選択肢 が無いはずだ。
そうなると、流れからして「愛のためにジョーダンとヨリを戻すか、成功のために金持ち女との関係を続けるか」という選択を迫られ、 ジョーダンを選ぶという答えを出すことが望ましい。
ところが、ボニーとの別れは、ジョーダンとは無関係に訪れる。
ジョーダンとヨリを戻そうとするのも、「ジョーダンが大切だと気付いた」ということじゃなくて、「ボニーと暮らしていても、なかなか 金持ちになれそうにないし、いいように使われているだけだし、ウンザリしてきたからジョーダンとヨリを戻したくなった」としか 見えない。

そこはホントなら、「ボニーと暮らしていれば何不自由なく裕福で満ち足りた生活が出来るが、それでもジョーダンを選ぶ」という形に なっていなきゃダメでしょ。そっちサイドに、「真実の愛が無い」という以外の不満がたくさんあったらダメでしょ。
しかも、ボニーとの別れ方も、すげえ自分勝手で失礼なのだ。
ブライアンの中には、ボニーに対する「申し訳ない」という気持ちが全く無いのだ。
そもそも、ジョーダンが姿を消した後のブライアンの態度は、ものすごく軽薄だ。「挑発に乗ったせいで大事な人を失ってしまった」と 後悔して深く落ち込む様子は無く、ボニーとニューヨークで暮らし始めることを、ヘラヘラしながらダグに喋っている。
で、ボニーに別れを告げた後、能天気にジョーダンの元を訪れ、ヘラヘラと笑って「君に会いに来たんだ」と口にする厚顔無恥ぶり。
冷たくあしらわれても全く反省した様子は無く、落ち込むことも無く、ジョークを飛ばしてヨリを戻そうとする軽薄さ。

ブライアンは後半に入っても、まるで人間的な成長が見られない。
しかも、浮気を責められるとクソみたいな言い訳を並べ立て、自信満々でヨリを戻そうとする。その後、ジョーダンが金持ちの娘である ことが分かると、それを隠していたことを激しく批判する。
いやいや、テメエに彼女を批判できる資格は爪の先程もねえよ。
その後、ブライアンは途中で怖気付いてやめるものの、一度はケリーとも関係を持とうとする。映画の終わり近くになって、ようやく少し だけ、「本気で悲しむ」とか「本気で考える」とか、本気の部分がチラッとだけ見えるが、それまでに溜め込んだマイナスの印象を 取り戻すのは不可能だ。
ブライアンって見た目はイケメンだけど、内面的には全く誉めるトコの無い、クソみたいな男だよ。

ジョーダンが金持ちの娘だと判明することにより、「手切れ金で別れるか、駆け落ちしてでも彼女と一緒になるか」という筋書きが生じる。
そこは欲張ってエピソードを盛り込んだことで、ちょっとピントがボヤけてしまう。
あと、そこでは一応、「金が目当てじゃない。結婚して一緒に逃げよう」と言っているけど、最後はブライアンの店が繁盛している様子が 描かれているので、「愛する女と結婚する」ということも、「自分の店を持つ」という野望も、どっちも彼は叶えているんだよね。
やっぱり甘い話である。

あと、物語が後半に入ると、もうカクテルとかフレアバーテンディングとか、全く関係が無くなってしまうんだよな。
恋愛劇を描くなとは言わないよ。それを描かないとペラペラな内容になるだろうし、盛り込むべきだ。
ただ、それと並行して、ブライアンがバーテンダーとして成長する様子も描かなきゃダメでしょ。そこは必須でしょ。
そうしないとタイトルが死んじゃうぞ。
後半に入ると、もはやブライアンがバーテンダーであることの意味が、ほとんど無くなっているんだよな。

(観賞日:2012年2月25日)


第9回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低作品賞
受賞:最低脚本賞

ノミネート:最低監督賞[ロジャー・ドナルドソン]
ノミネート:最低主演男優賞[トム・クルーズ]


第11回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:作品賞

 

*ポンコツ映画愛護協会