『キャットウーマン』:2004、アメリカ&オーストラリア

ペイシェンス・フィリップスは、大手化粧品会社ヘデア社のアート部門で広告デザイナーとして働いている。ヘデア社では1週間後に画期的な若返りクリーム“ビューリン”が発売されることになっており、社長のジョージも気合いが入っている。彼は妻でイメージモデルのローレルを降板させ、ドリーナという若いモデルの起用を決めた。そのことで不満を抱くローレルは、会議の席上でジョージに当て付けのような態度を取り、2人は激しい言い争いになった。
ペイシェンスはビューリンの宣伝で初めてキャンペーン・リーダーを任されたが、作成したデザイン画はジョージに酷評された。明日の深夜0時までという条件で、ペイシェンスは再チャレンジのチャンスを与えられた。夜、アパートで眠ろうとしたペイシェンスは、隣のアパートから聞こえるパーティーに騒音に悩まされるが、内気な彼女は文句を言うことも出来なかった。
翌朝、ペイシェンスはアパートの屋根に上がった野良猫を助けるため窓から外に出るが、転落しそうになってしまう。通り掛かった刑事トム・ローンはペイシェンスが自殺しようとしていると勘違いし、慌てて助けに行く。足場が崩れて落下しそうになったペイシェンスだが、間一髪でトムが助けた。ペイシェンスの説明で、トムの誤解は解けた。ペイシェンスが出社すると、そこにトムが現れて「コーヒーを一緒に飲もう」と誘ってきた。明日の1時と言われ、ペイシェンスは喜んでOKした。
その夜、ペイシェンスは広告デザインを届けるためにヘデア社の工場へ赴いた。工場では、ビューリン開発に携わったスラヴィッキー博士がローレルと話していた。ビューリンには使い続けると人間の皮膚を破壊する恐ろしい副作用があり、スラヴィッキーは発売を中止すべきだと主張する。しかしローレルは拒否し、発売を強行するつもりだった。
会話を聞いたペイシェンスは物音を立てて気付かれ、ローレルの部下2名に追われる。発砲を受けたペイシェンスは逃亡し、廃液処理層に迷い込んだ。ローレルから侵入者の抹殺指令を受けた手下達は、廃液を放出した。ペイシェンスは廃液と共に海へ流され、意識を失った。そんな彼女の元に、アパートで助けようとした猫が現われた。
ペイシェンスが意識を取り戻した時、彼女は自宅アパートにいた。既に1時を過ぎており、トムとの約束はすっぽかすことになった。彼女は、昨晩のことを全く覚えていなかった。あの猫を見つけたペイシェンスは、首輪に結び付けられたメモに気付いた。そこには、オフィーリア・パワーズという名前とエルム街の住所が記されていた。
ペイシェンスが猫を連れてメモの住所を訪れると、オフィーリアという婦人が住んでいた。彼女は何匹もの猫を飼っており、ペイシェンスの元に現れたのはミッドナイトというエジプシャン・マウだった。オフィーリアによると、エジプシャン・マウには不思議なパワーがあるのだという。ペイシェンスはミッドナイトを彼女に返し、その家を立ち去った。
出社したペイシェンスは、批判してきたジョージを罵ってクビを宣告された。罵った後で、ペイシェンスはハッと我に返った。思ってもみない言葉を口にしたことに慌てるペイシェンスだが、同僚のサリー達からは喝采を浴びた。ペイシェンスはトムの元を訪れ、約束を破ったことを詫びた。バスケットに誘われたペイシェンスは、驚くべき運動能力を披露した。
その夜、向かいのアパートの騒音に苛立ったペイシェンスは文句を言うが、パーティーの面々は相手にしない。そこでペイシェンスは軽やかに飛び移り、パーティー主催者を力ずくで黙らせた。ペイシェンスは外見を着飾ってバイクを盗み、「足りないのはアクセサリー」と呟いた。彼女は宝石店に潜入し、そこにいた泥棒2人組を捻じ伏せた。そして宝石を頂戴し、店を去った。
翌朝、目を覚ましたペイシェンスは宝石を見つけて驚いた。彼女はネットでエジプシャン・マウのことを調べ、オフィーリアの家に足を向けた。オフィーリアはペイシェンスに、「貴方は死んで、キャットウーマンとして生まれ変わった」と語る。ミッドナイトは死を予見しており、ペイシェンスに生まれ変わらせる価値があるかを確かめるためにアパートに現れたのだという。そして危険も顧みず助けようとしたペイシェンスは「その価値がある」と判断され、新しい命を授かったのだ。
オフィーリアによれば、これまでの歴史で多くのキャットウーマンが誕生しているのだという。キャットウーマンは欲望のままに生き、他の女性が知らない自由を得られると彼女は説明する。キャットウーマンとしての自覚を持ったペイシェンスはマスクを手に入れ、新しい自分として生きることにした。彼女は自分を殺した犯人を捜すため、行動を開始する。
キャットウーマンは蘇った記憶の断片を元に、自分を追い詰めた2人組の1人を捕まえた。彼を脅したキャットウーマンは、ジョージが黒幕だと勘違いしてしまう。キャットウーマンはジョージの居場所を尋ねるため、ローレルの前に姿を現した。ローレルは相手の誤解に気付き、自分も被害者だと装った。ローレルはジョージを殺害し、キャットウーマンの仕業に見せ掛ける…。

監督はピトフ、キャラクター創作はボブ・ケイン、原案はテレサ・レベック&ジョン・ブランカトー&マイケル・フェリス、脚本はジョン ・ブランカトー&マイケル・フェリス&ジョン・ロジャース、製作はデニーズ・ディ・ノヴィ&エドワード・L・マクドネル、共同製作は アリソン・グリーンスパン、製作協力はエド・ジョーンズ&マーク・レステギーニ、製作総指揮はマイケル・フォトレル&ベンジャミン・ メルニカー&マイケル・E・ウスラン&ブルース・バーマン&ロバート・カービー、撮影はティエリー・アルボガスト、編集はシルヴィー ・ランドラ、美術はビル・ブルゼスキー、衣装はアンガス・ストラシー、視覚効果監修はエド・ジョーンズ、音楽はクラウス・バデルト。
主演はハル・ベリー、共演はベンジャミン・ブラット、シャロン・ストーン、ランベール・ウィルソン、フランセス・コンロイ、 アレックス・ボースタイン、キム・スミス、マイケル・マッシー、バイロン・マン、 クリストファー・ヘイヤーダール、ピーター・ウィングフィールド、ベレンド・マッケンジー、チェイス・ネルソン=マーレイ、マニー・ ペトルゼッリ、ハーレー・レイナー、オナー・グラウアー、ランディー・キャノン、ジュディス・マキシー他。


ボブ・ケイン創作のコミック『バットマン』に登場したキャラクター、キャットウーマンを主人公にした映画。
ペイシェンスをハル・ベリー、トムをベンジャミン・ブラット、ローレルをシャロン・ストーン、ジョージをランベール・ウィルソン、オフィーリアをフランセス・コンロイ、サリーをアレックス・ボースタイン、ドリーナをキム・スミスが演じている。

DCコミックにおけるキャットウーマンは、セリーナ・カイルという本名こそ共通だが、細かい設定は何度か変更されている。しかし、本作品は、コミックにおける設定を全く使っていない。「猫の力で蘇り、超人になる」という部分だけを拝借した、全く別のキャラクターとして登場させている。
だから名前もセリーナ・カイルではないし、舞台もゴッサム・シティーではない。
その段階で、もう失敗の確率が圧倒的に高くなっていると言っても過言ではない。
『バットマン』のスピンオフとしての位置付けを放棄し、キャットウーマンであってキャットウーマンでないという設定にしたことのプラス面が、全く見えない。

脚本家としてクレジットされているのは3名だが、それ以外にも『インビジブル』のアンドリュー・W・マーロウや『バンディッツ』のハーレイ・ペイトン、『キューティ・ブロンド/ハッピーMAX』のケイト・コンデルや『アレキサンダー』のレータ・カログリディスなど、多くのライターがスクリプト作成に関わっている。
で、それだけ何度もリライトして、この仕上がりなのである。
どれだけやってもロクなモノにならず、プロデューサーが「もう、どうでもいいや」と投げやりになったのかと疑いたくなるような決定稿だ。

序盤から、「猫を助けるためにペイシェンスが窓の外に出て転落しそうになる」という不可解な行動を取り、それを助けるためにトムが現われるというギクシャク感極まりない展開が待っている。トムが呆れる以上に、「よその猫のために、そこまで命懸けの行動を取るのか」と思ってしまう。
っていうか、そんなことよりも、もっと仕事の話を描こうよ。
それに、そこまで無理して、その段階でトムと関係を持たせなきゃいけないのかと。
だとしても、もうちょっとスムーズな手は無かったのかと。

工場のシーンでは、ローレルの手下が勝手に暴走して発砲し、ペイシェンスを追い詰めている。その後で、ローレルが電話で抹殺指令を出すという順番になっている。
そこは最初からローレルの指示で手下がペイシェンスを殺そうとすべきでしょうに。
あと、ローレル本人は殺害に乗り出していないのよね。「ペイシェンスが黒幕を知らない」という後の展開に繋げるためには仕方ないんだが、そこはローレルがペイシェンスを廃液に突き落とすなど、直接的な行動を取らせるべきだったと思うぞ。
ローレルがやったことを知らずにペイシェンスが死んでいるってのも、そもそも作りとして失敗だったと思うし。

そりゃ映画を復讐劇に絞るつもりが無かったということなのかもしれんが、その心構えが間違いなのだ。復讐心も無い、正義のために戦うわけでもないとなると、「超人になって何をするのか」という目的が何も無いままブラブラすることになってしまう。
そんで実際、そうなっている。
生まれ変わった後、なかなかペイシェンスが戦う意識を見せない。面白いオモチャを手に入れたガキのように、他の事に興じている。
いやいや、アンタは一刻も早くダークマンにならなきゃいけないでしょうに。

そもそも工場での記憶を失っているんだから、そりゃあ復讐もへったくれも無い。
ローレルの悪事を暴く話に入っていくことも出来ない。
だから、泥棒に入ったり、隣のアパートのパーティーを静かにさせたりという、超人の能力を無駄遣いする行動で時間を費やす。
理由がどうであれ、ただ主人公がダラダラ&フラフラしているだけにしか見えない。

ペイシェンスが能力に覚醒していく描写、というか能力の解釈も間違っている。彼女は社長に暴言を吐いてクビになるのだが、「自分が思ってもいないことを口にしてしまう」というのは、超人の能力とは関係が無いでしょ。
何が間違いなのかというと、彼女が特殊な能力を手に入れたというよりも、「別の人格が彼女に憑依した」という形になっていることだ。
しかも、暴言に関してはハッとした表情を見せて慌てるものの、その後のバスケットで妙技を見せるところでは、信じられないような動きを自分がやっているはずなのに、全く驚く様子が無い。サリーとの電話では「自分が自分じゃないみたい」と話すが、そう言いながら軽業師のような動きを平然と見せている。
特殊能力への反応が、ものすごく軽薄でお気軽なのだ。

キャットウーマンとしての自覚をペイシェンスが持って、ようやく復讐のための行動が開始される。
だが、こっちはローレルが犯人だと知っているのに、ペイシェンスはジョージだと勘違いしたまま動いている。それが単なる浮かれポンチのアホにしか見えない。
それでも、せめて復讐劇に集中してくれればいいものを、トムとデートしたり、観覧車で少年を助けたりと、道草しまくり。
申し訳程度に正義の行動を見せる必要なんて無いのよ。

ヒロインの目的意識を薄弱にしたまま映画の半分ほどを消化してしまう構成にした理由として、最初からシリーズ化を目論んでいたという可能性が考えられる。つまり、これをキャットウーマン誕生編と位置付けているということだ。
しかし、最初からシリーズ化が確定事項として1作目が作られたわけではないのに、それはギャンブル性の強い大胆すぎるプランだ。それに、このボロボロ状態の仕上がりで、続編を目論むのはムチャが過ぎる。

ようするに、生まれ変わったペイシェンスを「特殊な力で解放されて自由になった存在」と解釈し、素行の悪いシンデレラにしちゃっているのよね。オフィーリアも、「キャットウーマンは他の女性に無い自由を得られる」と説明しているし。
その辺りに、どうもウーマン・リヴ的な、時代遅れ感も甚だしいメッセージを感じずにいられない。しかも残念なことに、完全に自由や解放の意味を履き違えている。
キャットウーマンは、ただハシャギすぎているだけにしか見えない。
だが、その主張の古めかしさより何より、「どこの観客層をターゲットに考えているのか」と言いたくなる。
これって、アメコミ映画なのよ。ウーマン・リヴ的なメッセージってさ、F1層をメインのターゲットに考えているのかと。そうじゃなくて、アメコミや女闘美を喜ぶギークな男どもをメインのターゲットに考えて映画を作らなきゃ話にならんでしょうが。

しかも、ウーマン・リヴの描写も失敗に終わっている。
まず変身前のペイシェンスは、うだつの上がらない野暮ったい女という設定のはずなんだが、男前のトムからデートに誘われている時点で、そうは見えない。外見的にも、ファッションは野暮ったいけど、容姿はそうでもないし。
で、何よりもキツいのが、うだつの上がらない頃の彼女の方が、解放されて自由になったはずのキャットウーマンより魅力的に見えるってことだ。本来なら、冴えない女が猫の魔力で魅力的にならなきゃいけないはずなのに、真逆になっている。

アメコミ映画の基本として、主人公が超人に変身するのであれば、戦う相手も超人や怪物であるべきだ。ところが、本作品の敵であるローレルは、ただのヒステリック&エゴイスティックなオバサンに過ぎない。
だったら、キャットウーマンが超人になって戦う必要性が無い。
一応、ローレルは「ビューリンの副作用で皮膚が強靭になっている」という設定らしいが、ピンと来ない。それに、幾ら皮膚が硬くても、それ以外は普通の人間なんだから、どう考えたってキャットウーマンの圧勝になるはずでしょ。なんで最後のタイマン対決でキャットウーマンが劣勢に立たされているのかと。
皮膚が硬いのなら関節を極めるなり首を絞めるなりという方法を取ればいいものを、キャットウーマンは何も考えずに戦っているボンクラだし。

ローレルが超人や怪物じゃないのを、ひとまず置いておくとしても、せめて対立の図式をキッチリと打ち出すべきだったはず。ところが前述したようにキャットウーマンが目的意識を持つのが遅いこともあって、なかなか構図が描かれない。
ローレルが悪党として行動するアピール、彼女の存在感も後半に入るまでは薄い。
男どもの存在感は、それ以下。

終盤、キャットウーマンがローレルに騙されて殺人犯に仕立て上げられ(この時に凶器の銃を放り投げられてキャッチしている)、しかも逃げようともせず簡単に逮捕されるという展開そのものが阿呆だとしか思えないが、その後に、もっと阿呆だと思うポイントが待っている。
それは、トムに「銃は君の手にあった」と言われたペイシェンスが、「キャットウーマンの手よ」と釈明する箇所だ。
いやいや、そういう問題じゃないからさ。
そこは「キャットウーマンと私は別人」と釈明するポイントじゃないからさ。
そこでペイシェンスが言うべきことは、「拳銃はローレルに握らされたものだ」という内容であるべきだ。キャットウーマンが握っていたという釈明は、すなわち「ペイシェンスは犯人じゃないけどキャットウーマンは犯人だ」と証言しているようなものだぞ。
そりゃ違うだろ。
そもそも、アンタはオフィーリアと話をして、自分がキャットウーマンだと自覚したはずじゃなかったのかと。

最後にキャットウーマンが墜落寸前のローレルを助けようとする行動も、ヌルいなあと感じてしまう。まあ、そこまでお気楽モードで来て復讐心が薄かったから、そこでローレルを倒しても復讐のカタルシスは得られないけどさ。
あと、特殊効果も安っぽくて、夜の街を飛び回るキャットウーマンの動きなんて、本当に2004年のハリウッドのメジャー大作なのかと思ってしまうぞ。


第25回ゴールデン・ラズベリー賞

受賞:最低作品賞
受賞:最低監督賞[ピトフ]
受賞:最低脚本賞
受賞:最低主演女優賞[ハル・ベリー]

ノミネート:最低助演男優賞[ランベール・ウィルソン]
ノミネート:最低助演女優賞[シャロン・ストーン]
ノミネート:最低スクリーンカップル賞[ハル・ベリー&ベンジャミン・ブラットかシャロン・ストーン]


第27回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の作品】部門
受賞:【最悪の演出センス】部門[ピトフ]
受賞:【最悪の主演女優】部門[ハル・ベリー]
受賞:【最悪の助演女優】部門[シャロン・ストーン]
受賞:【チンケな“特別の”特殊効果】部門

ノミネート:【最悪の脚本】部門
ノミネート:【最もでしゃばりな音楽】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会