『私は貝になりたい』:2008、日本

1944年(昭和19年)。清水豊松と妻の房江は、高知の海沿いにある町で理髪店を営んでいる。戦時中ではあるが、息子の健一と3人で、それなりに幸せな日々を過ごしている。親友の酒井正吉が出征することになったため、豊松は見送りに出掛け、笑顔で万歳した。店に戻ると客の松田老人は居眠りしており、豊松が常連客の町内会長・根本や郵便局長・三宅と話していると、赤紙の配達人である町役場職員・竹内がやって来た。根本は自分に召集礼状が届いたのかと緊張するが、竹内は別の用件で来ただけだった。
その夜、竹内が清水家を訪れ、豊松に「来たよ」と告げて赤紙を差し出した。竹内が去った後、豊松は房江にバリカンで髪を刈ってもらうことにした。豊松と房江は、これまでの出来事を回想する。かつて違う理髪店で働いていた2人は、交際を始めた。だが、豊松は房江を妊娠させたことで親方の怒りを買い、店をクビになる。どこかで雇ってもらえる当ても無く、2人はバスで終点まで辿り着いた。豊松は「ここで店を開こう」と決意し、房江も「アンタと一緒なら」と賛同した。それから5年が過ぎ、店もようやく目鼻立ちが付き、子供も大きくなり、これからと言う時に、豊松は召集されたのだった。
豊松の送別会が行われ、房江の妹で女学生の敏子もやって来た。根本や三宅たちに促され、豊松はよさこい節を歌った。中部軍第三方面尾上部隊に入った豊松は、立石上等兵の下で厳しい訓練を受けた。出来の悪い滝田二等兵は、立石から激しい暴力を受けた。滝田を庇った豊松も、立石に目を付けられた。銃剣突撃の練習中に現れた中隊長の日高は、豊松が落とした銃剣を拾って藁人形に突き刺した。
矢野中将は部下からB-29の大編隊が来たという報告を受け、航空機による迎撃を要請された。しかし矢野は「本土決戦に向けて航空機は一機でも温存せねばならん。地上砲火にて対応せよ」と命じた。無差別爆撃を受けた地域が焼け野原と化す中、防空司令部に一機のB-29が大北山に墜落し、数名が落下傘で脱出したという報告が入った。矢野は「米兵を捕縛し、適切な処置を行え」と指示した。
大北山に入った尾上部隊は、生き残った2名の米兵を発見する。だが、もはや虫の息であり、尋問することも不可能な状態だった。報告を受けた日高は、「2名を処分する」と通告した。小隊長の足立少尉は木村軍曹に、「第三班長から2名を選抜しろ」と告げる。木村は立石に、「一番たるんでる奴にやらせろ」と述べた。立石が選んだのは豊松と滝田だった。2人は銃剣を構えて突進するが、米兵の手前で止まってしまう。立石は激怒し、2人に激しい暴行を加えた。日高は「上官の命令を何と心得る!上官の命令は天皇陛下の命令だぞ!」と叱責した。豊松は覚悟を決め、米兵に突撃した。
終戦後、豊松は高知に戻り、理髪店を続けていた。平和な日々が続く中、房江は敏子に妊娠したことを語った。そこへMPと刑事が現れ、豊松は戦犯として逮捕される。手錠を掛けられた彼がバスに乗せられると、矢野や立石らの姿もあった。豊松、矢野、大隊長の尾上中佐、足立、木村、立石、滝田の7名が、巣鴨プリズンに移送された。日高は終戦の直後に自決していた。やがて軍事法廷が開始された。証人台に立った矢野は、「処刑せよとは言っていないが、当時の司令官として部下の行為には深く責任を感じています」と証言した。尾上は当時の命令内容について、「この件についてはハッキリとした記憶がありません」と弁明した。
豊松は判事に「なぜ上官の命令を断らなかったのか」と問われ、「上官の命令は天皇陛下の命令です」と答えた。「上官の命令と言えども、不当と思えば拒否できたはずではないか」と質問され、豊松が「そんなことしたら銃殺だよ」と漏らすと、法廷にいたアメリカ人たちは笑った。「軍法会議に掛けることもできたはず。被告がそれをしなかったのは、捕虜を殺す意志があったからではないか」という言葉に、豊松は「日本では、二等兵は牛や馬と同じなんです」と訴えるが、まるで話が通じなかった。房に戻った豊松は、仲間たちに「俺は殺してない。あの時、銃剣は米兵の腕をかすっただけだ。米兵は木に括り付けられている間に死んでいた」と語った。
矢野と尾上には絞首刑、足立は終身刑、木村と立石は重労働という判決が下った。それを聞いていた豊松と滝田は、自分たちが死刑になることは無いと確信した。しかし続いて呼ばれた豊松に、判事は絞首刑を言い渡した。豊松が死刑囚の独房に連行されると、大西三郎という先客がいた。自殺者が出るようになったため、独房が二人部屋に変わったのだ。翌朝、他の房から一斉に読経が聞こえてきた。大西は豊松に、「今日は木曜日だから処刑者が呼ばれ、金曜日に処刑される」と説明した。大西も恐怖から逃れようと、聖書を読み始めた。だが、看守が呼びに来たのは大西だった。彼は豊松に最後の挨拶をした後、処刑場に連行された。
時が過ぎ、豊松は西沢卓次という男と同房になっていた。英語の堪能な西沢は、アメリカ大統領への嘆願書を書いていた。散歩時間に中庭へ出ると矢野が話し掛けて来たが、彼に強い憎しみを抱いている豊松は無視を決め込んだ。しかし豊松が房に戻ると、矢野の依頼を受けた看守のジェラーが何度も現れ、彼が会いたがっていることを伝える。豊松は仕方なく、矢野を迎え入れた。すると矢野は低姿勢で謝罪し、「罪は司令官である自分一人にある。司令官一人を絞首刑にすべきで、他の者は無罪にすべきだという再審依頼を出した」と語った。豊松は去ろうとする矢野に「閣下!」と叫び、「髪が随分、伸びましたね」と散髪を買って出た。
それ以来、豊松は矢野の房を頻繁に訪れるようになった。矢野は土佐出身の女と付き合ったことがあると語り、よさこい節を歌った。豊松がメロディーの間違いを訂正していると、教誨師の小宮が現れ、矢野に戒名が決まったことを告げる。小宮は豊松に、たまには講話を聞きに来るよう誘いを掛けた。豊松の態度を見た小宮は、絞首刑のことを家族に伝えていないのではないかと感じ、房江に手紙を書いた。手紙を受け取った房江は驚愕し、健一と産まれて間もない娘・直子を連れて東京へ向かった。
矢野の処刑日、豊松は眠れずにいた。矢野は処刑の直前、「責任は自分一人にある。他の関係者は無罪にするか、それが無理なら刑を軽くしてほしい」と語った。房江はようやく東京に到着し、巣鴨プリズンへ赴いた。豊松はジェラーから「面会だ」と言われ、面会室へ行く。房江と子供たちの姿を目にした彼は、その場に崩れ落ちた。ジェラーに支えられて椅子に座った豊松は、「絞首刑になるようなことはしていない。同房の西沢さんが嘆願書を書いていて、それが終わったら俺のも書いてくれると言っている」と気丈に振る舞った。
豊松は房江に、200人以上の署名が嘆願書に付けば申し分ないが、親兄弟から親戚、友達連中から掻き集めても60から70。かと言って、道端で人に頼むわけにもいかん。BC級の戦犯なんて世の中の人は知らないし、知ってる人は毛嫌いする」と語った。土佐に戻った房江は敏子にも手伝ってもらい、嘆願書を集めようとする。なかなか署名してくれる人は見つからなかったが、房江は懸命に頑張った。その甲斐あって、冬が来る頃には署名が200人分に迫っていた…。

監督は福澤克雄、遺書・原作・題名は加藤哲太郎『狂える戦犯死刑囚』、脚本は橋本忍、製作統括は信国一朗、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、プロデュースは瀬戸口克陽、プロデューサーは東信弘&和田倉和利、撮影は松島孝助、照明は木村太朗、美術は清水剛、録音は武進、編集は阿部亙英、特撮監督は尾上克郎、衣装デザイナーは黒澤和子、題字は原田圭泉、音楽は久石譲。
主題歌「花の匂い」Mr.Children 作詞:桜井和寿、作曲:桜井和寿、編曲:小林武史&Mr.Children。
出演は中居正広、仲間由紀恵、石坂浩二、上川隆也、笑福亭鶴瓶、草なぎ剛、柴本幸、西村雅彦、平田満、マギー、武田鉄矢、泉ピン子、加藤翼、西乃ノ和、伊武雅刀、片岡愛之助、名高達男、武野功雄、六平直政、荒川良々、マディソン・メイソン、ジョン・ヘンリー・カナヴァン、浅野和之、金田明夫、森田順平、山崎銀之丞、梶原善、小林隆、中島ひろ子、今井和子、樋浦勉、織本順吉、福井博章、加藤隆之、手塚秀彰、丸岡奨詞、松熊つる松、新澤明日、市野世龍、安部賢一、佐藤祐四、横堀悦夫、小豆畑雅一、山崎秀樹、高橋征也、丸山隼、大川明子、坂口達也ら。


1958年にラジオ東京テレビ(TBSの前身)が放送した同名TVドラマのリメイク。
1959年には脚本を執筆した橋本忍のメガホンで映画化されており、これが2度目の映画化となる。
『3年B組金八先生』(第4シリーズ以降)や『華麗なる一族』など多くの高視聴率ドラマを担当したTBS所属の演出家・福澤克雄が、初の映画監督を務めている。
本来なら『涙そうそう』が第1作となる予定だったが、撮影中に病気で降板したため、これが映画デビューとなった。
1958年版と1959年版でフランキー堺が演じた豊松を、今回はSMAPの中居正広が演じている。房江を仲間由紀恵、矢野を石坂浩二、小宮を上川隆也、西沢を笑福亭鶴瓶、大西を草なぎ剛、敏子を柴本幸、根本を西村雅彦、三宅を平田満、正吉をマギー、竹内を武田鉄矢、健一を加藤翼、直子を西乃ノ和、尾上を伊武雅刀、日高を片岡愛之助、足立を名高達男、木村を武野功雄、立石を六平直政、滝田を荒川良々、法廷での米軍通訳を浅野和之、豊松を連行する刑事を金田明夫が演じている。

中居正広は役のために頭髪を丸刈りにしており、減量もしたそうだ。
ただ、そういう付け焼刃のデ・ニーロ・アプローチをしたところで、演技力の不足を補えるわけではない。
それと、何度か歌うシーンがあるのだが、これは監督の判断で何とかならなかったのか。
中居は自分で歌唱力の低さをネタにしているぐらいだし、よさこい節を歌うシーンでは、つい失笑してしまう。
しかも、ただ歌うだけでなく、矢野に歌唱指導するシーンまであるんだよ。
そんなの、コントにしか見えないよ。

歌唱シーンもそうだけど、やっぱり中居正広をキャスティングしたのは失敗だよなあ。
彼はバラエティー番組の出演が多くて、いじられることも少なくないけど、曲がりなりにもSMAPというアイドルグループの一員なわけで。
つまり、大勢のファンからキャーキャー言われる二枚目スターなわけで。
豊松ってのは「平凡な小市民」というキャラクターのはずだから、そこはミスマッチでしょ。
それと、ジャニーズのアイドルが主演した映画って、どうしても「ジャニーズアイドルの主演作」というのが最初の印象になってしまうんだよな。
これは本人のせいじゃないけど、大抵の映画にとってはプラスに作用しないことだ。

中居正広を主役として起用しただけでなく、大西役に草なぎ剛を起用しているので、やはり製作サイドの配役センスには首をかしげざるを得ない。
中居と草なぎが揃ったら、誰だって「おっ、SMAPの2人だ」と感じると思うのよ。
その途端、映画に入り込んでいた人も現実に引き戻されてしまうだろうし、シリアスなシーンなのにコントっぽく見えてしまう。
さらに製作サイドは草なぎだけでなく、笑福亭鶴瓶まで起用している。
中居と鶴瓶が揃ったら、日本テレビ系の『ザ!世界仰天ニュース』じゃねえか。
あと、鶴瓶の台詞が場面によって標準語だったり関西弁だったりするんだけど、そういうテキトーさが許される類の映画じゃないはずでしょ。
もっとキッチリと芝居を付けようよ、監督さん。

この話って、ホントなら戦争にまつわる諸々の理不尽さを描き、反戦を訴え掛けるような内容になっているべきだと思うんだよね。
家族と幸せに暮らしていた豊松が召集されるのも理不尽だし、上官に米兵の処刑を命じられるのも理不尽だし、「上官の命令は天皇陛下の命令」ということで従わざるを得なかったというのも理不尽だし、実行犯ということで逮捕されるのも理不尽だ。
だけど、この映画だと、それらの理不尽さは全て無視されて、BC級戦犯裁判の理不尽さだけが批判対象になっているんだよな。

この映画に「理不尽な戦争が無かったら」とか「理不尽な上官の命令が無かったら」という主張は無くて、「理不尽な裁判さえ無ければ豊松は助かったのに」ということだけが訴え掛けられている。
「戦争が起きて召集されたけど、上官の命令で人殺しもしたけど、戦争が終わったから、そんなことは別にどうでもいい。これからは家族と穏やかに暮らしていこう」と豊松は感じていて、そんな彼の人生を狂わせたのは全てBC級戦犯裁判だった、という内容になっている。
でも、それって違和感が強いんだよなあ。
後で触れるけど、彼はラストの有名なセリフの中で「深い海の底の貝だったら、戦争も無い。兵隊に取られることも無い」と語っている。
ってことは「戦争や召集が無かったら良かったのに」という気持ちがあるはず。
その言葉と話の中身が、合致していないと思うのよ。

今回の再映画化に際して、橋本は自身初めてとなる脚本の改訂を行っている。
かつてオリジナル版の脚本を読んだ黒澤明から「これじゃあ貝になれないんじゃないか?」と言われたことがあり、それが気になっていたらしい。
なぜ黒澤がそういう感想を述べたのか、橋本は理由を尋ねていないので、その言葉の意味するところは分からない。
ただ、「今回のシナリオだったら豊松は貝になれるのか」と考えると、やはり貝になれないんじゃないかと思ってしまう。

映画のラスト、処刑台に上がる豊松の長いモノローグが入る。
彼は「生まれ変わっても、もう人間なんかにはなりたくありません。人間なんて嫌だ。牛か馬の方がいい。いや、牛や馬なら、また人間に酷い目に遭わされる。いっそのこと、誰も知らない深い海の底。そうだ、貝がいい。深い海の底の貝だったら、戦争も無い。兵隊に取られることも無い。房江や健一や直子を心配することも無い。どうしても生まれ変わらねばならないのなら、私は貝になりたい」と語る。
それは徹底的な人間不信から来る言葉に聞こえる。
「人間でいたら酷い目に遭わされる。人間なんて信用できない。だから貝になりたい」ということのはずだ。

しかしながら、彼が処刑されるまでに触れ合った人間の多くは、善良で親切な面々ばかりだ。
妻は必死に頑張って署名を集めてくれるし、妻の頼みを聞き入れて200名もの人々が署名してくれた。矢野は全ての罪を被って部下の減刑を求めてくれたし、西沢は嘆願書を書いてくれた。
日本人だけではない。看守のジェラーでさえ、豊松には親切に接してくれた。
そんな風に、優しい人、親切な人、善良な人、愛してくれる人に囲まれていたのに、「もう人間なんて信じられない」ということで貝になるのは、ちょっと無理があるんじゃないかと感じてしまうのだ。
この映画を見る限り、豊松が徹底的な不信を抱く対象は「人間」ではなく、判決に関わった米国関係者に限定されてしまうんじゃないか。減刑で釈放されると確信して喜んでいたのに絞首刑の執行を通告されたんだから、そりゃ絶望的な気持ちになるのは分かるけど、でも貝になるのは難しいかなと。

それと、豊松が実際には米兵を殺しておらず、「米兵は木に括り付けられた時に死んでいた」という設定にしてあるが、そういう設定にしたことで話がブレている。
そういう設定だと、「豊松は米兵を殺していないから無実だ」という主張が成立してしまい、「上官の命令は絶対だから服従せざるを得なかった」という主張が意味を成さなくなってしまう。
判決にしても、「上官命令であろうと、実行犯だから絞首刑」ということじゃなくて、「殺していないのに絞首刑」ということになる。
そうなると、戦犯裁判じゃなくても冤罪でしょ。
そりゃ意味が全く違ってくる。
そういう意味の理不尽を描きたいんじゃないはずでしょ。
「上官命令に仕方なく従った戦時中の犯罪行為は、果たして死刑判決で裁かれるべきものなのか」というトコロで疑問を呈さないとダメなんじゃないのか。

ラストで豊松が語るモノローグは元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記『狂える戦犯死刑囚』の遺言部分をベースにしているが、シナリオは橋本の創作だ。
実際のBC級戦犯裁判では、二等兵でも死刑判決が下された人はいるが、執行されたケースは無いらしい。加藤哲太郎も死刑判決を受けているが、再審の末に減刑されて釈放されている。
つまり実際には無かった「二等兵の理不尽な処刑」を描いているんだけど、そこをフィクションにして許されるのは、BC級戦犯裁判の理不尽さを批判するのではなく、戦争にまつわる諸々の理不尽さを訴えるからこそではないかと。
そこで嘘をついているのに、「BC級戦犯裁判は理不尽だから酷い」と訴えられても、「いや、実際には、そんな理不尽な処刑は無かったんだからさ」ってことになっちゃうでしょ。

(観賞日:2012年8月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会