『笑の大学』:2004、日本

昭和十五年、秋。今月から警視庁保安課検閲係に配属された向坂睦夫は、チェックした芝居の台本に対して次々と「不許可」の印鑑を 押した。彼は取調室に移動し、劇作家たちと面会する。彼は無表情のまま検閲箇所を塗り潰し、一部削除の付箋を張って許可を出す。検閲 に納得できず抗議する者に対しては、その台本に不許可の印鑑を押す。最後に取調室へ来たのは、浅草の劇団「笑の大学」の座付作家・ 椿一だった。芝居を全く見ない向坂だが、笑の大学の名前だけは聞いたことがあった。
椿は緊張した面持ちで浅草の今川焼を「つまらないものですが」と差し出すが、向坂は「私の機嫌をお取りになろうと考えない方がいい」 と冷徹に言う。彼は「私は、検閲などという制度はハナから無くてもいいと思っている人間です。国民が一丸とならなければいけない時期 に、何が喜劇ですか。浮かれている場合ではないはずだ」と怒鳴った。しかし椿が謝罪すると「どこの今川焼ですか」と尋ね、彼が袋を 引っ込めようとすると「母が大好きでね。気が向いたら持って帰ります」と言う。
向坂は「酷い男にぶつかったもんだ。貴方、今、そう思いましたね。私はね、そういう男なんです」と告げ、ニヤリと笑った。彼は椿が 大悲劇『ジュリオとロミエット』の台本を2日で書いたと聞き、「大したもんだ」と口にした。しかし「問題が多すぎる」と声を荒げ、 上演許可は出せないと告げる。椿が「マズかったのはどこでしょう。直します」と質問すると、彼は「直すという段階ではない。そもそも 主人公が西洋人であるのが問題です」と述べた。
向坂は、大悲劇『ジュリオとロミエット』という題名も、シェークスピアの作品に酷似しているので問題だと言い出した。椿は「これは、 もじり、パロディーです」と説明するが、向坂は「貴方がたの感性には付いて行けない」と言う。椿は説得を試みるが、即座に論理的な 返され方をすると、何も言えなくなった。すると向坂は「それに私は駄作だと思う。これを読んでも、一度も笑えなかった。喜劇なのに、 明らかに失敗だ」という感想も口にした。
椿が「役者が声に出してみないと伝わらないんです」と述べると、向坂は「そこまで言うなら、読んでみて。面白さの片鱗は伝わるかも しれない」と告げる。そこで椿は一場面を演じてみるが、向坂には全く理解してもらえない。「これで笑う人の気が知れない。このまま では上演許可は出せません」と言われ、椿は「帰って他の出し物を座長と考えます」と肩を落として立ち去ろうとした。すると向坂は 呼び止め、「私はこのままでは上演許可は出せないと言ったんですよ」と言った。
困惑する椿に、向坂は「言葉の裏を読んだらどうだ。直せば、まだ芽が出るということではないですか」と告げた。椿が「どこをどう 直せばいいですか」と尋ねると、向坂は「大きな問題は2つ。1つは設定を日本に置き換えること。登場人物を全て日本人にすること。 そうすれば上演許可を出しましょう」と告げる。明日までに書き直すよう要求され、椿は困り果てるが、やるしか無かった。
二日目。椿は書き直した台本を持って取調室へ赴いた。彼は内容を『金色夜叉』のパロディーに変更し、「舞台を日本に置き換えたことで 、もっと喜劇として面白くなった。向坂さんには、ある意味では感謝していんです」と語る。しかし向坂は、上演許可を出せないと言う。 椿が理由を訊くと、「日本に置き換えたことで、内容に無理が出て来た」と彼は言い、演出家が登場する内容に疑念を示した。
椿は「強引だからいいんです」と言い、演出家を登場させた狙いを説明した。すると向坂は、「チャーチル首相の打った蕎麦を貴方は 食べられますか」というセリフが、自分が前日に述べた言葉の引用であることに不快感を示す。ただし、彼が不快感を示したのは、自分が 「寿司」と言ったのに「蕎麦」に変更されていたためだった。彼は椿に対し、正確に「寿司」という言葉を使うよう求めた。椿は修正する が、向坂は不充分だと言い、「もう一つ注文があります。どこかに、『お国のため』という台詞を入れていただきたい」と要求した。椿が 「これは喜劇なんです」と言っても、彼は「笑うためだけの芝居なら上演する必要が無いんだ」と聞く耳を貸さなかった。
3日目。椿は台本に手を加え、貫一が「お国のため」と繰り返した後に、芸者の「おくに」を登場させる展開にした。それは明らかに喜劇 としての演出であり、向坂は「私は笑いを増やせと言っているんじゃない、不謹慎だ」と怒鳴った。彼は今すぐに書き直すよう命じ、 「大体、おくにちゃんというのは何者なんですか。この場面にしか出て来ない」と言う。椿が「ここで笑いを取るためだけに出したので」 と説明すると、彼は「貴方は人の人生を軽く見すぎている」と憤慨した。
椿はシナリオを考え、笑いながら書き直す。その様子を眺めていた向坂は、「昔から書くのがお好きだったんですか」と問い掛ける。椿は 「元々は美術志望だったんです。最初にやったのが舞台装置の背景を塗る仕事で、いつの間にか、この世界に」と語った。先月まで満州に いたという向坂は、「まさか自分が低俗な喜劇の検閲に就くとは思わなかった。私を知る人間は口を揃えて言います。私には人を笑わす 素養が無いと。興味が無いんです。人を笑わせることに。人を笑わせることが、そんなに大事だろうか」と述べた。
椿は台本を修正し、それを向坂に渡した。ところが、それは「お肉のためなら死んでも構わない」と、「お国」と「お肉」を引っ掛けた セリフを用意した内容だった。向坂は「却下されているのが分かって、なぜこういうものを書く?」と怒鳴った。「持って帰って、考えて きます」と椿が言うと、彼は「風紀を乱すのはいけません。接吻のシーンを省いていただきましょう」と新たな注文を出した。
四日目。椿は書き直した台本を差し出すが、今度は「お国」と「あくび」を引っ掛けたネタが盛り込まれていた。向坂は「ハッキリ言って 、どんどんつまらなくなっている。今から思えば、お肉が一番面白かった」と腹を立てた。椿が台詞を「お肉」に戻すと、向坂は「こっち の方が遥かにいい」と述べた。椿は接吻場面に関して、貫一とお宮の唇が重なり合う寸前に、必ず邪魔が入ることで笑いが起きる展開を 用意していた。「向坂さんの助言のおかげで、どんどん面白くなってくる」と彼は微笑んだ。
椿が「他に直すところは?」と質問すると、向坂は「私の方からはありません」と言う。しかし、まだ上演許可は出なかった。向坂は、 「所轄署の署長の方から要望が出ています。警察官を一人出していただきたい。場面をさらうような、いい役にしてください。名前は 大河原にしておいてください。署長の名前です」と椿に告げた。その夜、向坂は劇団「笑の大学」の劇場の前を通り掛かった。彼は何かに 引き寄せられるように劇場へ近付くが、我に返って立ち去った。
五日目。椿は警官が登場するシーンについて、「意外と上手く入ったと思うんですけど」と言う。しかし向坂は「これじゃあ、まるで 通行人だ。何の必然性も無い」と感想を述べた。「だって、必然性の無い人物なんですから」と椿が言い訳すると、向坂は「もう少し意味 のある使い方は無いんですか」と顔をしかめる。椿が「唇が重なり合おうとするところで出て来る。ここで笑いが起きる。儲け役じゃない ですか」と説明しても、彼は笑わせるためだけに出て来くることについて納得できない様子を示した。
向坂は「この本には無理がある。ここはどうしても、警官に『何やっとるんだ』と言わせなきゃまずいですか」と言い、書き直しを要求 した。椿が帰ろうとすると、向坂は「例えば、こういうのはどうだろう?」と言い、警官が誰かを追っていて通り掛かったという設定を口 にする。椿は「面白いですよ」と興奮し、その場で書き直しを始めようとする。2人は互いのアイデアを出し合い、自然な流れになる場面 が出来上がった。椿は「これは立派な喜劇ですよ。ちょっとやってみましょう」と持ち掛け、警官役を向坂に頼む。困惑していた向坂だが 、「お願いします」と言われ、指示されるままに警官の演技をやってみた。
向坂は椿に指示された通り、警官役として何度も舞台に登場する芝居を演じた。向坂が新たに自分の意見を口にすると、椿は「すごい」と 感嘆し、場面が修正された。椿は「貴方には作家の素質があるかもしれません。後は持ち帰って書き直してきます」と言う。彼が去った後 、向坂は満足そうな様子を見せた。その夜、ついに彼は劇場に足を踏み入れた。六日目。向坂は衣装を身に着け、椿と一緒に芝居を実演 する。昨夜の芝居について、彼は「座長の青空貫太が、しつこくていけない」と不満を漏らす。その日の書き直しによって、ついに向坂は 上演許可を出したのだが…。

監督は星護、原作・脚本は三谷幸喜、製作は亀山千広&島谷能成&伊東勇、企画は石原隆、プロデューサーは重岡由美子&市川南& 稲田秀樹、アソシエイトプロデューサーは小川泰&佐藤玄、ラインプロデューサーは前島良行、コーポレイトプロデューサーは井上あゆみ 、撮影は高瀬比呂史、編集は山本正明、録音は田中靖志、照明は小野晃、美術は清水剛、音楽は本間勇輔。
出演は役所広司、稲垣吾郎、高橋昌也、小松政夫、木梨憲武、加藤あい、木村多江、八嶋智人、石井トミコ、小橋めぐみ、長江英和、 吉田朝、陰山泰、蒲生純一、つじしんめい、伊勢志摩、小林令門、山口隆、岩田丸、山崎豆僧、黒田裕久、川屋せっちん、筏りゅうじん、 山内紅実、原田浩行、小林和徳、菊乃家、大井勘至、十亀恒樹、郷右近浩成、河野安郎、眞島秀和、坪内悟、桜井聖、藏内秀樹、矢柴俊博 、加瀬慎一、ダン・ケニー、ルカ・チュフォレッティ他。


1997年度読売演劇大賞の最優秀作品賞を受賞した三谷幸喜の演劇を基にした作品。
その時の向坂役は西村雅彦、椿役は近藤芳正だった。
映画版では、向坂を役所広司、椿を稲垣吾郎が演じている。
他に、廊下の警官を高橋昌也、青空貫太を小松政夫、モギリのおばさんを石井トミコ、ロミエットを小橋めぐみが演じている。
また、劇団の支配人役で木梨憲武、ビヤホールの女給役で加藤あい、お宮役で木村多江、大河原役で八嶋智人が出演している。
脚本は舞台版と同じく三谷幸喜が担当し、監督はTVドラマ『世にも奇妙な物語』や『警部補・古畑任三郎』に携わった星護が務めて いる。

稲垣吾郎は明らかに役者不足だろう。
役所広司が完全に物語を引っ張っていっている。
だけど本来、そっちは受け手であり、稲垣サイドが物語を牽引していく推進力を発揮しなきゃいけないはずなんだけど。
そもそも、ちっとも喜劇作家には見えないし。
喜劇のセンスが全く無いタレントだとは思わないけど、二人芝居というのは荷が重すぎたようだ。
舞台版と役者を変更したのは、訴求力を考えてのことなんだろうけど、せめて椿だけは近藤芳正のまま据え置きでも良かったんじゃ ないか。

早い段階で、向坂が「検閲など要らない、一切合財、禁止してしまえばいいんだ」と感情的になって怒鳴る場面があるが、これはマイナス 。
彼は芝居に対して特に憎しみや恨みを持っているわけではなくて、単純に「笑いが全く理解できない」というだけのはず。
だったら、そこでヒステリックになるのはおかしい。
それに、キャラの動かし方としても、そこで感情の豊かさを出してしまうことは、後半に向けてマイナスにしかならない。

「ずっとクールで感情など無い機械のような杓子定規男だったのに、後半に入って感情が出るようになっていく」という形にした方が、 ドラマの流れとして面白いと思うんだけどね。
それに、アタフタしていて感情表現も動きも激しい椿との対比で考えても、向坂はクールで仏頂面で、淡々とした感じを通した方が いいし。
「酷い男だと思ったでしょう。私はね、そういう男なんです」と言ってニヤリとするのもマイナス。
ってことは、ある意味では「笑い」を理解しているという風にも受け取れてしまうからだ。

向坂が「私はこのままでは上演許可は出せないと言ったんですよ。言葉の裏を読んだらどうだ。直せば、まだ芽が出るということではない ですか」と言い出すシーンで、「本当は優しい奴なんだな」と思えてしまうのは、マズいんじゃないだろうか。
そこは、まだ「融通の利かない頑固者」という風に見えていなければならないはず。
ってことは、椿が諦めて帰ろうとしているのに、彼の方からそういうことを言い出すのは避けた方がいいんじゃないのか。

取調室のシーンの後、その夜や翌日の朝に、必ず浅草の劇場街の場面が挿入されているのだが、ほとんど意味も無いモノになって いる。
ただ単に、外の景色を写すことで絵を変化させている&尺を少し稼いでいるというだけ。
そりゃあ演劇と同じく舞台を取調室オンリーにするのは、映画としては厳しいから、別の絵が欲しくなるのは分からないではない。
ただ、外の景色を描くのなら、そこに椿や向坂が関わる何かしらのドラマか、あるいは当時の情勢を示すエピソード、戦争の影をアピール するための描写、そういうモノがあるべきでは。
一応、上演している芝居の看板が変化していたりというのはあるんだけど、アピール力は弱い。

向坂の妄想シーンが何度か挿入されるが、これもマイナスでしかない。
そこに限らず、「舞台劇との違い」を出そうとしている演出や場面が、ことごとくマイナスにしか作用していない。変にカット割りや アングルに凝って舞台劇との違いを出そうとしていることも、マイナスに作用している。
それはカットを割ることやアングルを変えること自体が悪いと言うより、そのセンスがイマイチってことなんだろう。
それと、音楽が疎ましい。
椿が熱弁を振るうところで感動を誘うような音楽を流すとか、そういうのって逆効果なんだよな。

あと、会話のテンポや間もイマイチなんだよなあ。
それと「検閲しているはずが、いつの間にか台本を面白くするための修正作業に変化していく」というところの妙味を伝えることが上手く 出来ていない。
で、向坂に「不思議な気分だ、私は検閲をしていると言うより、貴方と一緒に台本を面白くする手伝いをしているようだ」と、セリフで 説明させてしまう。
それは無粋ってもんでしょうに。

6日目を除くと、「椿が門衛2人にペコペコと頭を下げてから警視庁に入って行く」という様子を見せている。
それなのに、肝心の最終日に至って、そこを省略するってのは、どういうセンスなんだろうか。
そこは、「それまではペコペコしていたのに頭を下げない」とか、「何か思い詰めた様子で入って行く」とか、そういう「今までとの違い 」をキッチリと見せるべきなんじゃないのか。

赤紙で召集された椿が立ち去ろうとするのを向坂が引き留め、「帰って来い。この台本は責任を持って預かる。いつか、君の手で上演 するんだ。死んではいかん」と言うシーンがあるが、そこは露骨に喋りすぎだなあ。
おまけに、向坂が椿の台本を色々な場所で読んで笑った時の回想シーンが挿入されるが、それも余計なことだ。
どうも「感動させてやろう」という意識が強すぎて、それが空回りしている印象を受ける。
「もっと私を楽しませてほしいんだ」と熱い口調で言うが、そこも熱さは抑制した方がいい。

で、それだけでも「やりすぎ」と感じるのに、向坂が立ち去る椿を追い掛けて廊下に飛び出し、「生きて帰って来い。お国のために死んで いいとか、口にするな」と涙ながらに叫ぶという演技をやらせている。
いやいや、そんな言葉、他の人間が聞いている場所で口にしたら、大変なことになっちゃうでしょうに。
アホですか。
そこは例えば「部屋に一人で残った向坂がポツリと『生きて帰って来い』と呟き、台本に上演許可の印鑑を押す」とか、その程度の抑えた 演出でいいのになあ。
で、そこでエンドロールに入ればいいのよ。

(観賞日:2011年10月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会