『竜馬を斬った男』:1987、日本
佐々木只三郎は板倉伊賀守から「何か策は無いか。どうしても邪魔だ。公儀が表立って手を出すわけには行かない」と言われ、「無いことも無いでしょう。公儀に弓引く者は全て斬ります」と告げた。彼は偶然の再会を装って清河八郎に「お久しぶりです」と声を掛け、斬って連判状を入手した。只三郎から連判状を受け取った伊賀守は攘夷勤皇の一味を捕まえ、全員を射殺した。一方、坂本竜馬は「藩みたいなもん、糞食らえだぜ」と吐き捨て、土佐を後にした。
只三郎は八重と祝言を挙げた後、伊賀守から「京へ行ってくれんか」と依頼された。帰宅した只三郎が玄関先で八重とと話していると竜馬が通り掛かり、「ビューティフルな人ですな」と口にした。只三郎が警戒しながら「何か用か」と質問すると、彼は「勝さんの家は、確かここら辺やったの」と述べた。竜馬は勝海舟の家を訪問し、「このままじゃ日本は真っ二つだ。外国は虎視眈々と狙ってる。もう争っとる場合じゃねえ。京都へ行って収めてくんねえか」と要請される。海舟が「幕府なんて倒れたって構わねえ」と言うと、竜馬は「今の流れは誰も止められん。行く所まで行くと思う。戦だけは止めたいと思う」と述べた。
池田屋に潜伏していた勤皇派の浪士たちが新選組に襲われ、激しい戦いが勃発した。3人の浪士が池田屋を脱出すると、亀谷喜助が現れて逃亡を手助けしようとする。そこへ京都見廻組与頭となった只三郎が立ちはだかり、3人を斬り捨てた。喜助の顔を目にした彼は驚き、逃走を見送った。翌朝、只三郎は奉公人の安浦惣兵衛と朝食を取り、見廻組の本陣へ赴いた。彼は集まった家来たちに、「倒幕、勤皇の浪士たちを斬る」と告げた。
竜馬は町の見回りをしている只三郎に気付き、声を掛けた。彼は桂小五郎の元へ行き、只三郎と会ったことを話した。只三郎は伊賀守から、密かな動きがあるので用心するよう警告された。彼は長州と薩摩が手を組むと危険だと語り、竜馬が薩長同盟のために動いていると話す。伊賀守は竜馬を捕まえろと只三郎に命じ、「叩き斬っても構わない」と述べた。只三郎は廓で間違って自分の座敷に入って来た芸者の小栄と出会い、心を乱された。
夜、只三郎と惣兵衛が家に向かって歩いていると、喜助が発砲した。惣兵衛は命を落とし、只三郎は逃げる喜助を追うが見失った。物陰に隠れていた夜鷹のぬいは大きな音を立てて只三郎の注意を引き付け、喜助を逃がした。ぬいは喜助の妻で、かつては只三郎の許嫁だった。喜助は只三郎を必ず始末し、勤皇派に加えてもらおうと考えていた。ぬいが「会津へ帰りましょう」と持ち掛けても、喜助は拒否した。彼が抱き付いて体を求めると、ぬいは受け入れた。
只三郎は勤皇派の男を捕まえて拷問し、竜馬の居場所を聞き出そうとする。男が口を割らず、切腹を要求しても拒んだので、只三郎は斬り捨てた。彼は土佐藩邸と薩摩藩邸を家来に監視させ、竜馬の手配書を出した。五山送り火の夜、只三郎は小栄と鴨川納涼床へ赴いた。小栄が「なんでお侍さんは斬り合わはるのです?斬り合うたら、世の中がどうにかなるんどすか?」と尋ねると、只三郎は何も言わなかった。喜助は勤皇派の3人に、只三郎がいることを知らせた。3人が只三郎に襲い掛かって斬られると、喜助は逃亡した。かつて喜助とぬいが肌を重ねる姿を目撃した時、只三郎は刀を抜いた。だが、ぬいが「斬らないで」と懇願すると、彼は喜助を斬らなかった。喜助が「俺が足軽の子だから、刀が汚れるってのか。斬れ」と怒鳴ると、只三郎は冷たい視線を向けて立ち去った。
墓参りに出掛けた只三郎は、兄の手代木直右衛門と久々に再会した。直右衛門は会津藩主の公用人に指名され、京に呼ばれていた。夜道で3人の男たちに襲われた只三郎は1人を斬り捨て、逃げる2人を追い掛けた。彼が1人を捕まえて斬ると、相手は「母さん」と言い残して絶命した。只三郎は返り血を浴びた状態で小栄の元へ赴き、「母さんと言いやがった」と漏らして抱き付いた。翌朝、水たまりを目にした只三郎は、それが血に見えた。
小栄から「怖い夢を見ました」と聞いた只三郎は、自分が大勢に斬られる夢だろうと言い当てた。会津藩主側用人の原一之進が喜助たちに斬られ、知らせを受けた只三郎は本陣に赴いた。直右衛門に制止された彼は、薩長を潰すべきだと怒りを吐露する。直右衛門は将軍慶喜が朝廷に大政を返上する考えを持っていると話し、せめて半月は待つよう諭した。只三郎は納得せずに刀を抜き、最後まで戦うべきだと主張する。しかし直右衛門が「殿の思し召しだ」と告げると、彼の動きは止まった。
竜馬は桂と西郷吉之助を引き合わせ、「これで日本は滅びずに済んだ」と安堵する。彼は新政府に入ることを断り、世界の海援隊をやろうと思っていることを明かした。竜馬が三吉慎蔵と寺田屋にいた時、入浴中のお龍は近付いて来る伏見奉行所の捕り手たちを目撃した。彼女は竜馬と三吉に危機を知らせ、寺田屋から逃がした。只三郎は大勢の勤皇派浪士を斬るが、その中に竜馬はいなかった。直右衛門は彼に、「今さら誰を斬ったところで、天下の大勢が逆転する物ではない。天下は薩長の物となろう」と語る。しかし只三郎は「我々は幕府の直参として禄を食む物です。佐幕に殉じるのが武士の本懐と信じております」と言い、竜馬の動きを探る…。監督は山下耕作、原作は早乙女貢(日本文藝社刊)、脚本は中村努、企画は奥山和由、プロデューサーは西岡善信&昆絹子、撮影は森田富士郎、美術は西岡善信、照明は中岡源権、録音は大谷厳、編集は市田勇、殺陣は楠本栄一、音楽は千野秀一、音楽プロデューサーは坂井洋一。
出演は萩原健一、藤谷美和子、根津甚八、島田陽子、中村歌六(五代目)、早乙女貢、結城貢、坂東八十助(五代目)、佐藤慶、大村崑、本田博太郎、中村れい子、内藤武敏、内田勝正、片桐竜次、土井健守、中島俊一、岡本大輔、利倉亮、東田達夫、高橋弘志、野口貴史、根岸一正、岩尾正隆、原吉実、岩崎トヨコ、久仁亮子、福井章子、駒田真紀、堀内一市、宮川珠季、下元年世、諸木淳郎、荻原郁二、加茂雅幹、東悦次、平井靖、大迫英喜、岡田和範、柴田善行、奥谷寿美子、堀田明美、下町福子、西川真弓ら。
早乙女貢の同名小説を基にした作品。
監督は『最後の博徒』『夜汽車』の山下耕作。
脚本は『夜叉』『オイディプスの刃』の中村努。
只三郎を萩原健一、八重を藤谷美和子、竜馬を根津甚八、小栄を島田陽子、海舟を中村歌六(五代目)、喜助を坂東八十助(五代目)、直右衛門を佐藤慶、惣兵衛を大村崑、桂を本田博太郎、ぬいを中村れい子が演じている。
西郷役で結城貢、伊賀守役で内藤武敏、近藤勇役で内田勝正、中岡慎太郎役で片桐竜次が出演している。冒頭から情報の提示が皆無に等しく、どういう状況にあるのか全く分からない。「観客は幕末について詳しく知っている」ってのを前提として、物語は進行していく。
主人公が佐々木只三郎という人物であることも、京都見廻組与頭という立場にあることも、彼と話している相手が老中の板倉伊賀守であることも、全く説明が無い。
ちなみに、歴史に詳しい人には説明不要だろうが、佐々木が清河を斬るシーンは史実と異なる内容になっている。幕府が清河の始末に差し向けた刺客の中には只三郎も含まれていたが、彼が単独で行動したわけではない。
それ以降の展開も、史実と異なる部分は多い。連判状を手に入れた伊賀守の命令で大勢が射殺されるシーンでは、「かねて内々探索の攘夷勤皇の一味、連判状によって御手配と相成る」などとショーケンの語りによって説明される。
だけど、ここはショーケンじゃなくて第三者のナレーターを用意した方がいい。
ショーケンは決して舌滑が良いわけじゃないし、キャラクターとしても佐々木只三郎はナレーション説明には不向きだ。
っていうか、そこに限らず、ナレーターに色々と説明させた方が良かったんじゃないかと感じるぞ。その後には竜馬が土佐を出るシーン、そして只三郎が祝言を挙げるシーンが描かれるが、どちらも要らない。
海舟の元へ向かう途中の竜馬が只三郎と八重に話し掛けるシーンも邪魔なだけ。そんなタイミングで、無理に只三郎と竜馬を会わせる必要は無い。
序盤から何度も竜馬のターンを入れることは、ただ作品のピントをボンヤリさせているだけだ。もっと「竜馬を斬った男」である只三郎に集中した方がいい。
竜馬に関しては、只三郎が認識した時に、初めて「只三郎が関わる相手」として登場させる形でも充分だ。極端に言えば、竜馬のターンなんてゼロでもいいぐらいだ。竜馬が海舟を訪ねるシーンの後、帰宅した只三郎が入浴する様子が描かれる。ここで彼は背中を流しに来た八重に湯を浴びせ、楽しそうにする。ここからシーンが切り替わると、池田屋事件が描かれる。
つまり、池田屋事件に関しては何の説明も無いし、流れもクソも無いってことだ。
ただ、そんなことよりも気になるのは風呂場のシーンで、只三郎が八重に湯を浴びせてキャッキャする様子をスロー映像で丁寧に描くんだよね。これって、何の狙いがある演出なのか。
見回りに出た只三郎が、長屋の子供たちの水を浴びせる遊びに参加するシーンがあるので、ひょっとすると「水を浴びせる」という行為に重要な意味を持たせようとしているのか。納涼床のシーンで喜助が鴨川を逃げる時も、水が跳ねるのをスローで描いているし。
ただ、仮にそうだとしても、何も伝わって来るモノは無いぞ。シ喜助やぬいのキャラクター描写も、ものすごく薄い。
只三郎が喜助と対面するシーンで2人が知り合いってことは分かるが、詳しい関係性までは分からない。
惣兵衛を殺した後に喜助がぬいと話すシーンで、「喜助とぬいは夫婦」「ぬいは只三郎の許嫁だったが喜助が奪った」「喜助は只三郎に劣等感を抱いている」ということは分かるが、全て台詞だけの説明なので雑であり、ドラマとして盛り上がる可能性を感じさせない。
あと、なぜぬいが只三郎を裏切って喜助に走ったのか、なぜ喜助が勤皇派に走ったのか、なぜ彼が勤皇派に入れてもらっていないのか、なぜぬいが夜鷹に身を落としたのか、その辺りも全く分からないし。タイトルは『竜馬を斬った男』だが、「只三郎と竜馬の対決の構図」がクッキリと見えて来る時間は、なかなか訪れない。それよりも、「喜助が執拗に只三郎を狙う」という一方的な執念のベクトルが目立っている。
そんな中、只三郎は「母さん」と言い残して絶命する若者を殺して、大きなショックを受けた様子を見せる。
しかし、そんな出来事が、「喜助が只三郎を狙う」「只三郎が竜馬を狙う」という話と上手く絡み合うことは無い。
そして若者を殺した出来事を、そのまま只三郎が引きずる様子も見られない。映画開始から20分辺りで、竜馬が小五郎と会うシーンがある。そこから桂と西郷を引き合わせるまでの約40分間、竜馬は全く登場しない。
一方、只三郎は映画開始から35分辺りで、竜馬を見つけ出すために捕まえた討幕派の浪士を斬り捨てる。そして土佐藩邸と薩摩藩邸を家来に監視させ、竜馬の手配書を出す。
だが、これ以降の只三郎は、竜馬を捕まえるために行動する様子が見られなくなる。
他の行動を取っている間、竜馬を意識している様子も皆無だ。薩長連合が結ばれた後、ようやく只三郎は竜馬に狙いを定めて動き出す。ただ、彼が竜馬に執着する理由は、かなりボンヤリしている。
竜馬が近江屋にいることを只三郎が突き止めるまでの動きは、さらにボンヤリしている。
そして、タイトルからすると大きな出来事であるはずの「只三郎が竜馬を斬る」という肝心なシーンは、ものすごく淡白に片付けられてしまうし、余韻もクソも無い。
只三郎にとっては、まるで取るに足らない出来事のような扱いになっている。寺田屋の一件や、その後に竜馬が九州へ旅行に出掛けた出来事を描いているが、まるで必要性を感じない。
それは竜馬を主人公とする物語であれば、必要性が高いエピソードになるのかもしれない。しかし只三郎を描く物語において、そこには何の重要性も感じない。竜馬を救うためにお龍が裸のまま風呂から飛び出しても、竜馬とお龍が旅行に出掛けても、只三郎には何の関係も無いからだ。
「只三郎と竜馬の関係」という意味でも、やはり全く必要性は感じない。
只三郎をどういう人物として描きたかったのか、最後まで鑑賞しても分からない。
ひょっとすると、佐々木只三郎という人物を掘り下げることよりも、彼を通じて何か伝えたいメッセージでもあったのかな。どうであれ、何をどう描きたかったのかは分からないけど。(観賞日:2023年5月18日)