『ロック 〜わんこの島〜』:2011、日本

小学2年生の野山芯は、三宅島の6区で民宿を営む父・松男と母・貴子の3人で暮らしている。同じ三宅島の6区には、祖母の房子もハナというメスの老犬と一緒に暮らしている。ある時、ハナが子犬を産んだ。出産直後は反応が無かったが、芯が呼び掛けると目を開けた。その子犬はロックと名付けられ、芯は貴子に「ちゃんと世話をする」と約束して飼うことになった。しかしロックは部屋を荒らしたり、貴子に小便を浴びせたりする。芯が約束を守らなかったので、貴子は2度、ロックを捨てた。
それ以降、芯は毎日、ちゃんとロックの世話をするようになった。やんちゃなロックに手を焼かされるが、芯が風邪をひいた時には添い寝してくれた。いつからか芯は、ロックと一緒にいることが当たり前になった。芯がロックのために犬小屋を作ろうとしていた時、激しい揺れが発生した。三宅島が噴火したので。避難勧告が出たので、すぐに松男は支度をする。だが、房子は体の弱っているハナと共に、家に留まった。松男たちは避難所に移ったが、すぐに安全宣言が出た。しかし民宿に戻ると、また激しい揺れに見舞われた。
噴火による地震は、それからも絶え間なく続いた。夏休みに入っても、それは続いた。民宿はキャンセルが続き、まるで客が来なくなった。噴火のために島を離れ、自由避難する家族も現れた。芯の友達の小池勘太も、その1人だった。そんな中、房子はハナの余命が長くないことを見抜き、獣医に頼んで点滴を外してもらった。それを知った松男は、急いで駆け付ける。「何やってんだよ」と彼が言うと、房子は「触るな!大事な時に何の役にも立たない婆さん、生かしといたって後でまといになるだけだ。迷惑を掛けたらいかん」と鋭い口調で言う。それは、自分を投影しての言葉だった。
松男はハナの安楽死を認めず、民宿へ連れ帰る。食事を与えようとしても、ハナは口を開こうともしない。しかしロックが近付くとミルクを飲んだので、房子は喜んだ。その直後、激しい揺れが起きた。これまでに無かった大噴火が起きたのだ。次々と島民が避難し、人影は減っていく。松男が親友の鶴屋肇、福田喜一と話していると、島の子供たちを東京の全寮制学校が受け入れるという方針を役場の職員が知らせに来た。貴子は「何言ってんだよ。芯はまだ2年生なんだよ」と荒れるが、それは決定したことだった。
芯は「行きたくない。父ちゃんと母ちゃんと一緒にいたい」と泣いて嫌がるが、涙ぐむ貴子にキスされて「グダグダ言ってないで、さっさと行け」と言われ、親友の宮部亜子と共に車へ乗り込んだ。ロックは民宿を飛び出し、車を見送った。しかし三宅島の状況は悪化する一方で、それから間もなく全島民に避難指示が出された。松男たちが島を出る支度をする中、ハナは息を引き取った。房子は「父ちゃんが死んだ時と同じだ」と言い、嗚咽を漏らした。
松男は嫌がるロックを大型ケージに入れ、車で港へ向かう。松男たちは港でケージを預け、船に乗り込んだ。しかしロックは船に収容される前に、ケージを抜け出して行方をくらました。松男と貴子は東京に到着してから、そのことを知らされた。松男は小学校の寮にいる芯に電話を掛け、ロックがいなくなったことを告げる。さらに、島に残った職員が捜したが見つからなかったこと、火山ガスが大量に発生していること、「生きてるか死んでるか分からない」と言われたことを正直に話した。
電話を切ろうとする芯に、松男は「島にはいつ帰れるか分からない。これから先、ひと踏ん張りもふた踏ん張りもしなきゃいけない。この東京で。けど、必ず島に帰る。父ちゃんも負けない」と力強く告げた。すると芯は泣きながら、「ロックは生きてるよ。僕も負けない」と口にした。電話を切った松男は、貴子に「落ち込んだら負けだぞ」と告げる。夫婦と房子は、小さなアパートでの新生活を始めた。
東京には、三宅島噴火災害動物救護センターが設置されていた。三宅島で発見された動物が、そこで保護されているのだ。松男は芯と一緒にセンターを訪れる、獣医の真希佐代子から該当する犬が保護されていないことを告げられる。佐代子は保護された犬を芯に見せて、「傷付いてるのは人間だけじゃないんです」と告げた。それから毎日のように、芯はセンターを訪れた。単位のために手伝いをしている男子大学生は、「あの子、また来てますよ」と呆れる。佐代子は適当に動物の世話をしている彼を叱責し、芯に声を掛けた。佐代子は芯と話し、家族と離れて学校の寮で暮らしていることを知った。
避難住民の説明会に出席した松男は、喜一から「子供が出来た。3人目が産まれる」と打ち明けられる。喜一は「仕事、探さないとな。こっちで暮らす覚悟、決めないとな。島にはもう帰れねえ」と険しい表情で言う。房子は松男に、「帰れる目処が付かないなら、芯を呼んで3人で暮らしな」と持ち掛けた。彼女は一人の住まいを見つけ、アパートを出て行った。みんなで暮らすには狭いので、芯のためにアパートを出たのだ。
芯は貴子から「ロックに会いたいよね」と訊かれ、「ロックの方が僕に会いたがってると思う」と答えた。貴子は「母ちゃんも信じてるよ。ロックは生きてる。会えなくても、どこかで生きてるよ」と言う。相変わらず芯がセンターに通い続けているので、男子学生は「もう無理じゃないですかねえ」と佐代子に冷たい口調で言う。すると佐代子は「防災関係者が現地で大型犬を見つけたの。保護してもらうよう伝えてあるわ」と述べた。
三宅島の島民を励ます祭りが開かれている時、大型犬が発見されたことが、芯にも伝えられる。まだハッキリしていないが、芯はロックだと確信した。しかし彼は喜んだ彼は、しかし確定していないのに周囲には「ロックが保護された」という情報として広まったので、彼は不安になった。救護センターに到着した犬は火山灰に覆われており、呼び掛けても反応が無いぐらい弱っていた。連絡を受けた野山一家は、タクシーを飛ばして駆け付けた。
野山一家が運ばれてきた大型犬を確かめると、それは紛れもなくロックだった。衰弱しているロックに、芯は「頑張れ、ロック」と何度も声を掛けた。ロックが生きていたという希望は、野山一家を照らした。房子は電話相談室のボランティアを引き受け、島の年寄りたちを励ました。喜子は惣菜店のパートを始め、松男もアルバイトを始めた。喜子も松男も、それは島に帰る日のための行動だ。芯は休みの度に救護センターへ行き、ロックと遊んだ。
芯は救護センターを去る時、ロックに「もうすぐ島に帰れるからな」と告げた。しかし亜子と勘太から「父さんが言ってた。島には、いつ帰れるか分からないって」と聞かされ、ショックを受ける。松男と芯は佐代子から、ストレスのせいでロックの体調が良くないことを知らされる。佐代子は2人に、ロックを里親に預けることを提案される。松男が「ロックを手放すってことですか」と険しい顔になると、佐代子は「ここでの暮らしが犬にとって幸せだと思いますか」と問い掛けた。
救護センターを後にした芯は、松男に「ロックを連れて島に帰りたい」と告げて泣き出した。松男は肇や喜一たちと共に、日帰りで島の様子を見に出掛けた。火山ガスが蔓延する中、松男はガスマスクを装着して民宿へ戻った。火山灰に覆われて変わり果てた民宿の姿を見て、松男は愕然とする。喜一は民宿の看板を運ぼうとするが、急に倒れてしまう。彼は病院に運ばれるが、心筋梗塞で死亡した…。

監督は中江功、脚本は水橋文美江&鈴木智、製作は亀山千広、企画は石原隆&市川南、エグゼクティブプロデューサーは臼井裕詞、プロデューサーは高橋正秀&甘木モリオ&角谷公英、企画協力は沖山勝彦(民宿夕景)、撮影は津田豊滋、照明は川井稔、美術は部谷京子、録音は武進、編集は松尾浩、VFXスーパーバイザーは冨士川祐輔、VFXディレクターは菅原悦史、ドッグ・トレーナーは佐藤護、音楽は吉俣良、主題歌は小田和正『hello hello』。
出演は佐藤隆太、麻生久美子、倍賞美津子、原田美枝子、土師野隆之介、岡田義徳、柏原収史、佐原弘起、中林大樹、松金よね子、中丸新将、光石研、蓮佛美沙子、佐藤仁美、MEGUMI、おかやまはじめ、佐藤二朗、目黒真希、美山加恋、坂本大河、井下匠、井上高志、堺翔太、上野太、酒井麻吏、清水伸、川嶋秀明、青木一、小形満、新垣樽助、田中敦子、南好洋、永島和明、米田拓也、竹尾一真、藤井亜紀、土屋史子、山口芙未子、相原美奈子、宮坂あゆみ、横田恵美、YOHEY、KAZUHO、鶴岡アキラ、クラウンSAKU、Gossy、寺田名保美、青木みどり、田中初恵、井上ヒサノ、小林れいこ、狩野麻由子、福井貴美子、栗原喜美、清水由紀、水口眞弓、林めぐみ、工藤恵美子、渡部倫子、小笠原栄子、茂木香織、猪爪さおり、土師野虎之介、佐原叶笑、平野祐康ら。


フジテレビの朝の情報番組『めざましテレビ』の人気コーナー『きょうのわんこ』で紹介され、大きな反響を呼んだ実話をモチーフにした作品。
監督は『冷静と情熱のあいだ』『シュガー&スパイス 風味絶佳』の中江功。
脚本は、前述の2作品でもコンビを組んでいる監督の妻・水橋文美江と『誰も守ってくれない』『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』の鈴木智。
フジテレビの番組から誕生した企画なので、もちろん安心の亀山ブランド(製作が亀山千広)である。
松男を佐藤隆太、貴子を麻生久美子、房子を倍賞美津子、佐代子を原田美枝子、芯を土師野隆之介、肇を岡田義徳、喜一を柏原収史、12歳になった芯を佐原弘起、救護センターの大学生を中林大樹、亜子を美山加恋が演じている。他に、アパートの向かいの住人を松金よね子、三宅島の獣医を中丸新将、野山一家を救護センターまで運ぶタクシー運転手を光石研、大学生と別れて他の男と付き合う軽い女子大生を蓮佛美沙子、東京へ移った貴子が親しくなる主婦を佐藤仁美、喜一の妻をMEGUMI、勘太の父を佐藤二朗が演じている。

アヴァン・タイトルで芯が陰気な口調でモノローグを語り、「これから火山の噴火が起きて大変なことになる」という展開を先に説明するが、そんなのは要らない。
そりゃあ、こっちだって劇中で噴火が起きることぐらいは知ってるけどさ、しばらくは「幸せで平穏な生活」を描いて、そこから苦難への落差を持たせてこそ効果があるはずでしょ。
それなのに、平穏な様子の描写の時点で、既に「噴火が起きて大変になる」ということを分からせていると、平穏な感覚に気持ちが浸かっていられないのよね。
わざわざ火山灰に覆われた民宿の様子まで挿入しているけど、明らかにやり過ぎ。
っていうか逆効果。

あと、タイトルの時点で、そのモノログ喋っている息子がチラッとしか写っていないというのも、どうなのよ。
父親と母親を紹介するのもいいけど、息子もマトモに登場させてあげようよ。
キャラの見せ方で言えば、避難所のシーンで肇と喜一の姿がチラッと写るけど、少し油断していたら見落としてしまうぐらいだ。
こいつら2人は、もう少しマトモな形でキャラクター紹介の尺を設けるべきでしょ。
芯の親友2名も、ほとんど「そこにいるだけ」に留まっているし。

ロックが誕生するシーン、ロック目線の映像が入っているけど、これは要らない。
その後もロック目線が頻繁に入り、ロックの心情が表現されたりするのなら、ともかく、そうじゃない。
そこだけロック目線を持ち込んでも、中途半端なだけだ(後半、保護されたロックに芯が声を掛けるシーンで同様の演出があるけど、その2回だけ)。
あと、その辺りは流れも悪い。タイトル・ロールで区切ってからロックの誕生を描いているんだけど、そうじゃなくて「民宿を経営している両親と元気な息子。その祖母の家でロック誕生」というのは、一連の流れの中で描写した方が、物語に入り込みやすいと思うんだけど。

貴子がロックを2度捨てたことを芯がモノローグで説明し、「僕が約束を破ったからだ」と言ったところで、彼が貴子に「ちゃんと世話をする」と約束した様子が回想として描かれる
。だけど、そこの手順を逆にしている意味が全く無い。
そこは、ちゃんと時系列順に並べるべきでしょ。
どうして、わざわざ話の流れを分断したり塞き止めたりするような構成ばかりにしてしまうのか、サッパリ分からんよ。

あと、とにかくモノローグが多すぎる。
その結果、まるでダイジェスト映像を見せられているかのような気分になってしまう。
もっとキッチリとしたドラマとして、野山一家とロックの触れ合い、絆が深まっていく様子を描いてほしい。
始まって15分も経たない内に、もう「芯はロックと一緒にいることが当たり前」という状態にまで行き着いているんだよな。
そりゃあ、その後の展開を考えると、ロックと絆を深めるまでに、それほど多くの尺を取れないことも理解できないわけじゃないけど、それにしても拙速すぎやしないか。

ロックと野山一家の交流する様子を充実した描写にしておかないと、離れ離れになった後の展開にも大きな影響を及ぼすでしょ。
そこの絆が深いことを観客に伝えておかないと、ロックと離れ離れになることの寂しさ、ロックを信じる強い思い、そういう部分にも共感しにくいわけで。
この映画、ロックと家族の関係よりも、三宅島噴火という出来事について描こうという意識が強すぎるんだよな。
ぶっちゃけ、ロックって要らないんじゃないかとさえ思うぐらいなのよ。
三宅島噴火に見舞われた家族の様子を丹念に追い掛けていく内容にした方が、まとまりのある内容に仕上がる気がするぞ。

モノローグによる説明はアヴァン・タイトルに留まらず、その後も乱発が疎ましいんだけど、特に呆れたのが、ケージに入れられたロックが激しく鳴いて暴れているシーン。
「ロックはケージに入れられて運ばれた。きっと、嫌だ、嫌だ嫌だ。そう叫んでいたに違いない」「なんで行かなきゃいけないの?なんで島を離れなきゃいけないの?なんで?行きたくない」「行きたくない。嫌だ。嫌だ嫌だ。きっと、僕と同じように、そう叫んで」って、しつこいったらありゃしない。
いや、そんなの、見ていれば分かるからさ。
っていうか、ロックが逃げたことを、先にモノローグで観客に知らせて、松男たちが知らないという構成自体、いかがなものかと。
観客と松男たちは、同じタイミングで「ケージにロックがいない。島で逃げてしまったのだ」と気付く構成にした方がいいんじゃないか。

松男たちが東京へ避難した後、野山一家の様子ばかりが描かれる。島で逃げ出したロックがどうなったのか、その様子は全く描かれない。
で、いつになったらロックの様子を描くのかと思っていたら、大型犬が保護されてセンターへ運ばれてくるという展開になる。
まさかと思っていたら、その「まさか」の事態が起きる。
なんと、それがロックなのだ。
つまり、ロックが島で生き延びる様子は、1シーンも描写されないのだ。

いやいや、だったら『ロック 〜わんこの島〜』というタイトルは何なのかと。
そりゃあ、家族と離れ離れになった犬の様子を描写する映画ってのは他にも色々とあるから、そういった作品と似た内容になることを避けたかったのかもしれないよ。
ただ、こういう映画を作った以上、どれだけベタであっても、家族と離れ離れになった犬の様子を描写するってのは、避けて通れない道なんじゃないの。
そこを省略するぐらいなら、最初からロックなんて出さなきゃいいでしょ。

日帰りで島に帰るシーンで、喜一が急に倒れて意識が戻らないまま死亡するんだけど、そこで彼が急死する意味って何なのか。
そのことで松男が落ち込んでいるけど、それは「民宿の変わり果てた姿でショックを受けて」という形で成立するし、どうせすぐに復活しているし。
喜一は完全なる「無駄死に」である。
そんな余計なエピを挟む暇があったら、もっと野山一家とロックとの関係を描こうよ。

その直前、松男たちは佐代子から里親のことを提案されているんだから、ロックを預けようかどうか逡巡する展開に移るべきじゃないのか。
どうして、そこを放り出して「喜一の死」というエピソードに手間を掛けているのか。
で、それが終わった後も、祖母が死んだ同級生と芯とのエピソードを描いちゃうし。
それを描いてから、ようやく芯がロックの所有権放棄を決めている。
一応、「人の死」と、「ロックを手放す」という芯の決心を絡めようとしているみたいだけど、上手く繋がっているとは思えない。

避難から4年が経過し、救護センターで働いていた学生が松男を訪ねて「俺が実家の動物病院を継ぐ気になったのは噴火のおかげです。三宅島で噴火が起きて良かった。色々考えさせられたっていうか。噴火が起きなきゃ野山さんの家族には会えなかった」と能天気に言うシーンがある。
「三宅島噴火を体験していない人間の無神経さ」を表現する狙いとして、そんなことを言わせたのかもしれない。
だけど、その学生は救護センターで長く仕事をして、それなりに野山一家やロックとも触れ合って来たのに、何も成長してないのかよ。
三宅島噴火について何も知らない連中が無神経な発言をするのならともかく、こいつが何も成長していないキャラってのはダメでしょ。
それは映画そのものに対する不快感に繋がってしまう。

松男はロックを里親に預ける時、島に帰る日が来たら引き渡してもらうよう頼み込んでいる。
しかし4年後、島に戻れることになった時、彼は佐代子から、ロックがすっかり里親に懐いていることを言われている。
それなのに松男は「ロックに会わせて下さい」の一点張りで、全く耳を貸さない。
「ロック」として預かっておきながら1年後からは別の名前で呼んでいる里親もどうかと思うけど(ロックだって、1年が経過してから急に別の名前で呼ばれたら混乱するだろうに)、松男の強硬な態度は、すげえ不愉快だ。

最終的にロックを返してもらうにしても、もう少し松男は悩んだらどうなのかと。
里親がロックを4年間に渡って可愛がっていたことを考えたら、その夫婦への思いやりってモノがあってもいいんじゃないか。
ロックは野山一家よりも、その里親と暮らしていた期間の方が長くなっちゃってるんだし。
里親を全く描写しないのは、観客が同情することを避けたかったからだと思うけど、そこを描かなくても、「里親の気持ちは無視ですか」ということが気になる観客は、たぶん少なくないと思うぞ。

あと、4年が経過してしまうもんだから、ロックと再会する時に登場した芯は、全くの別人になっちゃってるんだよな。
そりゃあ、もう小学2年生だった奴が6年生に成長しているんだから、同じ子役というわけにはいかないだろうけど、それは大きなマイナスだよなあ。
せめて、4年が経過したところで、先に成長した芯を登場させておいて、それからロックとの再会シーンを描くべきだったんじゃないのか。
ロックと再会するシーンで、別人になった芯が初登場するんだよな。

(観賞日:2012年5月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会