『ロボジー』:2012、日本

木村電器社員の小林弘樹、太田浩次、長井信也が作業室にいると、社長の木村宗佑がポスターを持って入って来た。そのポスターには「二足歩行ロボットが新しい風を運んでくる」というキャッチコピーが印刷されており、木村が「ニュー潮風」と名付けられたロボットと握手している写真が使われている。発表まで1週間となる中、木村が「ニュース見てるからな。目立たないと写らないんだから、しっかり頼むよ」と言い残して部屋を去った後、小林は「3ヶ月やそこらじゃ無理ですよ」と愚痴をこぼす。木村は会社の宣伝のため、思い付きで二足歩行ロボットを作るよう彼らに命じたのだ。ロボットは何とか歩く程度の状態にまでは仕上がっていたが、誤作動を起こして窓から転落し、壊れてしまった。バックアップも取っておらず、3人は頭を抱えた。
仕事をリタイアして隠居生活を送る鈴木重光は、老人会の演劇に出演した。しかし登場直後に転倒して腰を痛めてしまい、娘の斉藤春江と彼女の夫・亮一が病院へ連れて行く。鈴木が胃腸を診察してほしいと要求したため、2人は病院に頼んでレントゲン写真を撮ってもらう。担当医から何も異常は無いと言われ、春江は「いつも大げさなのよ」と鈴木に告げる。しかし鈴木は納得せずに反発し、「レントゲンの機械、故障してるんじゃないですか」と医者に尋ねる。医者が春江と亮一に認知症の可能性を示唆すると、鈴木は腹を立てた。
やたらと怒りっぽい鈴木は、「どうせ趣味とか無いんだからさ、仕事でも探してみれば」と促す春江に声を荒らげる。春江と亮一が娘の美帆と息子の義之を車に乗せて去る時も、鈴木は邪険な態度を取った。春江は死んだ母に線香を上げるために帰郷しただけで、鈴木は一人で暮らしているのだ。次の日、鈴木はチラシの求人情報に目をやるが、いずれも年齢制限に引っ掛かった。そんな中、彼は「このサイズに当てはまる人を募ります」として身長や座高などが表記されている日当3万の求人広告を見つけた。着ぐるみアクターの仕事だと書かれているのを鈴木はチラシを破り捨て、何もすることが無いので無作為に時間を過ごした。
老人会のお疲れ会へ赴いた鈴木は、心配する老婦人たちに「孫たちが『心配だから、もう少し居ようかって』」と見栄を張る。しかし演劇で主役を張った原田という老人がモテモテなのを見て、すぐに会場を去った。認知症の老女を目にした後、鈴木はヒーローショーを見物した。鈴木が着ぐるみショーの面接会場である公民館へ行くと、他の面々は若い連中ばかりだった。会場に面接官として現れたのは、小林、太田、長井の3人だった。彼らは1人ずつ部屋に通し、ロボットらしい動きを見せてもらう。順番が来た鈴木は動きを披露している途中で腰を痛めてしまい、そのまま退場した。
小林たちは若い男性を採用し、ニュー潮風の着グルミを装着させる。しかし男は金属アレルギーだったため、採用は取り消しになった。代わりに小林たちが選んだのは鈴木だった。発表会の当日、小林たちは着ぐるみショーだと信じている鈴木を車に乗せ、ニュー潮風を装着させた。車はロボット博覧会の会場に到着し、鈴木はメインステージで行われるフロンティア・ロボット部門のパフォーマンスに参加した。小林の指示に応じて動くニュー潮風を見て、来場客もマスコミも中に人が入っているとは気付かなかった。
テレビに映ったことを確認した小林は、さっさとニュー潮風を退場させようとする。しかし子供の「つまんねえの、あっちのロボットの方が凄いじゃん」という悪態を耳にした鈴木は腹を立て、踊っているロボットに歩み寄って自分も踊る。それを目にした大学生の佐々木葉子は、「凄い」と目を輝かせた。葉子はケーブルテレビ局のディレクターである伊丹弥生に頼まれ、押し寄せる群衆からカメラを守る羽目になる。その時、近くにあった柱が葉子に向かって倒れて来るが、気付いた鈴木が駆け寄って彼女を助けた。もちろん見ていた人々からは「ニュー潮風が彼女を救った」ということになり、拍手喝采が起きた。
翌朝、作業室で目を覚ました小林たちは、木村によって社長室へ連行される。すると、そこには大勢の記者が集まっていた。「ロボットが女子学生を救助した」というニュースは、新聞やテレビで大きく取り上げられていた。出演依頼が殺到していることを聞かされた小林たちは、困惑の表情を浮かべる。しかし木村は、「3時から駅前広場でロボットのお披露目をする」と記者たちに発表してしまう。弥生はカメラが倒れてマトモな映像が撮れていなかったため、上司から叱責される。しかし葉子はカメラが倒れる瞬間にロボットの頭部がアップで写っているはずだと考えて強い興味を示し、弥生が使わなくなった録画テープをプレゼントすると大喜びした。
小林たちは鈴木の元へ行って事情を説明し、またロボットの中に入ってほしいと依頼する。鈴木は「詐欺じゃねえか。インチキの片棒を担がされて迷惑してるんだ」と激怒し、3人を追い払う。鈴木は自分がニュー潮風の中身だと吹聴するが信じてもらえず、ボケたのだと思われてしまう。子供たちが「ニュー潮風ってカッコイイよな。ヒーローみたい」と話しているのを聞き、駅前広場でイベントがあると知って足を向ける。しかし小林たちは到着しておらず、木村が「ロボット調整中」として時間を稼いでいた。
鈴木は白バイ警官に先導された小林たちの車に気付き、またニュー潮風の中に入ってやることにした。貰った録画テープをロボット研究会の部室で見ていた葉子は、「やっぱりいいよなあ、ニュー潮風」と嬉しそうに言う。友人が「ロボットと結婚すれば」と呆れて口にすると、葉子は「そうする。彼となら一生上手くやってける気がするんだ」と本気で告げる。そこへ現れた部員の清水雅広が二足歩行ロボットを侮蔑するようなことを言うので、葉子は激しく反発した。
木村電器では会議が開かれ、ニュー潮風の今後の活動について小林が語る。小林は「開発者の3人だけで動く」「直接触れると故障の原因になるので厳禁」「技術が盗まれると困るので、研究者が集まる専門的なイベントには参加しない」などの項目を重役たちに説明した。小林たちは予算の追加を木村に求めるが、それは鈴木から「宿泊の際は最も良いホテルを取れ」「マッサージ付きで朝は和食」といったワガママな要求が来ていたからだった。
鈴木はニュー潮風としてテレビ番組の収録に参加するが、勝手な行動を取るので小林は顔を引きつらせる。テレビ局には葉子が追っ掛けとして来ており、ニュー潮風への花束を太田に渡した。鈴木は小林から勝手な行動を取らないよう求められるが、「そんなこと言ってられる立場じゃないだろ」と聞く耳を貸さなかった。葉子の入れ込み具合は尋常ではなく、ニュー潮風が参加するイベントには全て付いて来た。行く先々で鈴木が勝ってな行動を取ってトラブルを引き起こすので、小林たちは神経の休まる時が無かった。
ニュー潮風が斉藤家の近くで行われるイベントに出演することになり、鈴木は春江に電話を入れた。ニュー潮風のことを話すと、美帆も義之も好きだという。そこで鈴木は、「開発者と知り合いだから、3時に食堂の横の通路に来てくれればニュー潮風と会える」と告げた。しかし約束の時間になってもニュー潮風は現れず、春江は美帆と義之を連れて帰ることにした。時間を過ぎていることに気付いた鈴木は慌ててイベント会場を抜け出すが、もう春江たちは待ち合わせ場所を立ち去った後だった。
その夜、鈴木はニュー潮風として斉藤家を訪れた。鈴木はニュー潮風として孫たちにサインを書き、一緒に写真を撮った。一方、小林たちは何も言わずに鈴木が姿を消したので、必死に捜索する。呑気に戻って来た鈴木に、小林たちは腹を立てた。鈴木のせいで出費がかさんだ小林たちは、葉子から手紙で依頼された講演依頼に受けることにした。ロボット込みだと出演料が払えないから開発者3名だけでいいという条件で、しかも学生有志が報酬を支払ってくれるというのだ。
軽い気持ちで大学へ赴いた小林たちだが、会場には予想以上に大勢の学生たちが集まっていた。理工学部の特別講義を行うことになった小林たちは、学生たちから専門的な知識を必要とする質問を投げ掛けられる。3人は逆に「貴方はどう思いますか?」と質問することで、ロボットに関する多くの情報を得た。葉子がホワイトボードを使ってロボットの構造を解説したので、小林たちは圧倒された。その後も小林たちはロボット研究会と交流し、それによってロボット開発の技術を高めていく…。

監督・脚本は矢口史靖、製作は亀山千広&新坂純一&寺田篤、エグゼクティブプロデューサーは桝井省志、企画は石原隆&市川南&阿比留一彦&小形雄二、プロデューサーは稲葉直人&堀川慎太郎&土本貴生、脚本協力は矢口純子、撮影は柳島克己、照明は長田達也、録音は郡弘道、美術は新田隆之、ロボットデザインは清水剛、編集は宮島竜治、助監督は山口晃二、企画協力は佐々木芳野、音楽はミッキー吉野、エンディング曲“MR.ROBOTO”歌と演奏は五十嵐信次郎とシルバー人材センター。 出演は五十嵐信次郎(ミッキー・カーチス)、吉高由里子、濱田岳、小野武彦、和久井映見、田辺誠一、川合正悟(チャン・カワイ)、川島潤哉、田畑智子、徳井優、菅原大吉、大石吾朗、竹中直人、西田尚美、田中要次、森下能幸、古川雄輝、高橋春留奈、大窪人衛、今井隆文、三浦圭祐、安田聖愛、星野亜門、竹井亮介、藤本静、細川洋平、大久保綾乃、遊木康剛、安宅昇子、井澤崇行、市川千恵子、稲永后華、入江真潮、植木冨美子、上西昭南、内山澄子、江口幸久、江島充季、大武晃、小川瑛楽、押川博子、おぼしんたろう、河居苓子、生津徹、きょんちゃん、熊沢美佐、蔵谷日向、木暮順子、坂梨公俊、坂根啓子、貞包みゆき、重村佳伸、柴田和樹、柴田卓也、清水一彰、下地孝明、鋤崎貴斗、杉山英美、清家功貴、清野由佳理ら。


『スウィングガールズ』『ハッピーフライト』の矢口史靖が監督&脚本を務めた作品。
「ロボットが壊れたので、中に人が入ってロボットのフリをする」ってのはリチャード・マシスンの短編小説『四角い墓場』を連想させるが、そこから連想したわけではないようだ。
鈴木を演じた五十嵐信次郎は、ミッキー・カーチスの別名義。
葉子を吉高由里子、小林を濱田岳、木村を小野武彦、春江を和久井映見、亮一を田辺誠一、太田を川合正悟(お笑いコンビ“Wエンジン”のチャン・カワイ)、長井を川島潤哉、弥生を田畑智子が演じている。
他に、弥生の上司役で徳井優、ロボット博覧会の司会者役で菅原大吉、原田役で大石吾朗、公衆トイレでロボジーと鉢合わせする酔っ払い役で竹中直人が出演している。

矢口史靖という人は、かなり過大評価されている映画監督だと私は思っている。
『ウォーターボーイズ』にしろ『スウィングガールズ』にしろ、若手俳優たちが猛特訓を積んで実際にシンクロや楽器演奏を披露していることは素晴らしいが、それ以外は欠点の多い作品だった。
だから「俳優が特訓した成果を披露する」という演出や脚本以外の部分で勝負できる要素の無かった『ハッピーフライト』は、見事にポンコツな出来栄えだった。
っていうか前述の2作品にしても、ドキュメンタリーの部分を除けばポンコツに近い。

さて、今回の作品である。『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』のように「俳優が必死で特訓した成果を披露します」というドキュメンタリーの部分で勝負できない類の映画である。
ってことで、『ハッピーフライト』と同様に、何の魅力も無いポンコツな映画になっている。
矢口史靖監督がシナリオも担当しているので、「演出の問題ではなく、脚本家が悪い」という言い訳も出来ない。

まず冒頭シーンが説明不足。
「木村が思い付きでロボット製作を命じ、3人が奮闘する」という3ヶ月の手順を描かないのは一向に構わない。そんなトコを描いていたら時間が足りないし、そこに本作品の重要な部分は含まれていないので、バッサリと省略するのは別にいい。
ただ、「3ヶ月前に木村が命じた」「発表まで1週間」ということはセリフで説明しておきながら、どこで発表するのかということに全く言及しないのは、何の意味があるのかと。
そこまでセリフで説明しているのなら、発表の場がロボット博覧会ってことも言うべきじゃないのか。そこを隠している意味なんて何も無いでしょ。

鈴木が「中の人」になる経緯の描き方が上手くない。
ロボット破損事故が発生した後、鈴木サイドからの物語に移行し、チラシの求人広告を見て面接会場へ行くという流れになっているのだが、そこに無理を感じる。
着ぐるみアクターという時点で、老人に不向きなことは明らかなわけで、なぜ鈴木は面接会場へ行く気になったのか。
一応、その直前に認知症の老女を見たり、ヒーローショーを見たりするシーンを用意して説得力を持たせようとはしているが、それでも「ちょっと無理があるなあ」と感じる。鈴木が体力に自信のある人だとか、過去にスーツアクターをやっていたとか、そういうわけでもないんだし。
「原田がモテモテだったから、自分も主役を演じたい」ということなのかもしれんが、着グルミだと顔が見えないんだし。
そんなことは鈴木も分かっているはずで、だから、それが動機だとしたら、やはり無理がある。

小林たちが最初は別の男を採用し、その代役として鈴木が選ばれるという手順は無駄でしかない。
「採用した男が金属アレルギーだった」というところで笑いがあるわけでもないし、「だからって、なぜ第二候補が鈴木なのか」というところで引っ掛かるし。
他にもロボットの動きが出来る若者はいたはずでしょ。他の若者たちに比べて、鈴木が「中の人」として勝っている部分がどこにあるのか、サッパリ分からない。体力的には絶対に負けてるし。
腰を痛めて退場する時のアシモ的な動きが採用の決め手だったとしたら、その場で彼を採用する流れにした方がいいし(それが決め手だとしても説得力に欠けるが)。

「ジジイと男3人じゃ見栄えが悪い」ってことなのか、葉子というヒロインを用意しているが、このキャラクターの存在意義が薄い。前半は単にニュー潮風の熱烈なファンという扱いに過ぎず、まるでストーリー展開に影響を及ぼさない。
ロボットオタクなんだから、貰った録画テープを見た時に「普通のロボットじゃない」と感じ、ニュー潮風の特殊なテクノロジーを知りたくなって探り始める、という役割を任せてもいいんじゃないかと思ったりするのだが、単なるアーパーなグルーピーでしかない。
葉子を助けたことがニュー潮風が注目されるきっかけではあるが、それは彼女じゃなくても構わないし、その場限りの出演者でも構わない。
葉子はニュー潮風に助けてもらったことでファンになったわけじゃなくて、その前からロボットオタクであり、ニュー潮風が踊り始めた段階で夢中になっているから、「誰かがニュー潮風に助けてもらうのを葉子が目撃する」ということでも成立してしまうしね。

後半に入り、葉子の依頼で講演を行った小林たちが学生と交流して専門的な知識を高めていくという展開はあるが、そこでも葉子は「学生の中の1人」という程度だ。
「飛び抜けてロボットが好きな学生」という設定ではあるものの、じゃあ彼女が必要不可欠な存在かというと、そうでもない。
終盤に入ってニュー潮風に「中の人」がいることを知る役回りを与えられているが、それは弥生に担当させれば済むことだし。
っていうか、弥生の存在意義は葉子よりさらに薄いんだよなあ。ニュー潮風を怪しんで調査する役目だって、ホントは弥生がやってもいいぐらいなんだよな。

あと、葉子がニュー潮風を怪しむのって残り30分を切ってからなんだけど、「気付くの遅くね?」と感じるし。
で、疑いを抱いたら捜査はサクサクと進み、あっという間に鈴木か中に入っていることを突き止めてしまうんだよね。
そこに作品のテーマは無いってことなんだろうけど、随分と淡白に思う。
それは置いておくとしても、葉子をキャラとして積極的に使い始めると、それと反比例して鈴木の存在感がどんどん薄くなっていくというのも問題だし。

鈴木には「周囲から認めてもらいたい」「孫たちと仲良くやりたい」といった願望があり、ニュー潮風として孫たちと触れ合っても自分だと分かってもらえないというジレンマを抱えていたりする。
だが、その「鈴木と家族の関係」や「鈴木が孤独感や侘しさを抱えている」という部分は、色々とネタを振っておきながら、ちゃんと回収されないまま終わってるんだよな。
ラスト近く、鈴木が出演する老人会の演劇を家族が観劇している様子が写し出され、それで「鈴木は娘や孫たちと仲良くやってます」という着地にしてある。
だけど春江はともかく、孫たちが鈴木を見直して仲良くなるための手順は全く踏んでいないでしょ。

「それを言っちゃあ、おしめえよ」という本作品の根幹に関わる問題なのだが、やっぱり「人間が中に入ってロボットのフリをする」というのは、ものすごく無理があるなあ。
漫画やアニメなら有りだったかもしれないが、実写映画として見せられると、その嘘は相当に厳しい。「いや、絶対に有り得ないから」と感じる。
喜劇映画だったらOKになるとか、そういうレベルの嘘ではないよ。
見せる相手が幼い子供たちだけとか、そういうことならともかく、会場にはロボット好きの連中や技術者、記者たちもいるわけで。
終盤に入って、ようやく「偽物じゃないかという噂が海外で広まり始める」という状況になるけど、遅くねえかと。

しかし、そういう観客に対する嘘よりも唾棄すべき嘘が、この映画には存在している。
それは、小林たちが人々に対してついている嘘だ。
彼らがやっていることは、鈴木が批判通り、紛れも無い詐欺行為である。
しかも、その詐欺行為は何のために行っているのかというと、保身のためだ。「誰かに脅されて仕方なく」とか「何か大事な物を守るために」とか、そういう情状酌量の余地は全く無いのだ。
そして彼らは最後まで、世間を騙していることに対して反省の色を見せない。

そりゃあ、「小林たちが素直に嘘を認めて謝罪する」という展開を用意した場合、生真面目で面白味の無い物語になった可能性はあると思う。
しかし、だからって本作品のように全く罪悪感を抱かず、反省もしないってのは頂けない。
これがシニカルなコメディーだったら、「世間を騙した奴らが最後まで反省せずに騙し続ける」ってのも有りかもしれんけど、そうじゃないでしょ。
最終的には、正体を暴こうとした弥生がまるで悪者みたいな扱いになっちゃってるけど、それも違和感があるし。

(観賞日:2013年10月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会