『冷静と情熱のあいだ』:2001、日本

有名画家を祖父に持つ阿形順正は、美術絵画の修復士になるため、イタリア・フィレンツェの工房で修行に励んでいる。才能を認められた順正は、ジョバンナ先生からチーゴリの絵の修復を任される。芽実という恋人もおり、彼の人生は幸せなはずだった。
順正は仕事でイタリアを訪れた友人の崇から、あおいと会ったことを告げられる。あおいは、かつて順正が愛した女性であり、今でも忘れられない人だった。崇から住所を聞き出し、順正はミラノのジュエリーショップで勤めている彼女に会いに行く。だが、彼女にアメリカ人実業家のマーヴという恋人がいることを知り、ショックを受ける。
フィレンツェに戻った順正を、修復途中のチーゴリの絵が何者かにズタズタに引き裂かれるという事件が待っていた。犯人は捕まらないまま、信頼を失った工房は一時閉鎖が決定した。職場を失った順正はアパートを引き払い、日本に帰国した。
順正は崇から、今まで知らなかった事実を知らされる。それは昔、あおいが妊娠した時に、自分の父が金を積んで堕胎させたということだった。順正は自分に黙ってあおいが堕胎したことに怒り、それが原因で彼女と別れていたのだった。
順正はジョバンナ先生が自殺したという連絡を受け、葬儀に出席するためイタリアへ戻る。そこで順正は、チーゴリの絵を引き裂いた犯人がジョバンナ先生だったことを知る。彼は芽実に別れを告げ、修復の仕事に戻ることにした。
順正は、10年前にあおいと交わした約束を果たそうとする。それは、「あおいの30歳の誕生日に、フィレンツェのドゥオモのクーポラで待ち合わせる」という約束だった。わずかな期待を胸にドゥオモを訪れた順正の前に、あおいが姿を現した…。

監督は中江功、原作は江國香織&辻仁成、脚本は水橋文美江、企画は石丸章一郎&大川裕&島谷能成、製作は宮内正喜&江川信也&高井英幸、プロデュースは大多亮、プロデューサーは臼井裕詞&和田倉和利、協力プロデューサーは赤井淳司、撮影監督は津田豊滋、編集は松尾浩、録音は橋本泰夫、照明は川井稔、美術監督は種田陽平、音楽はENYA。
出演は竹野内豊、ケリー・チャン、ユースケ・サンタマリア、篠原涼子、マイケル・ウォン、塩見三省、広田レオナ、大和田伸也、椎名桔平、松村達雄、柏木広樹、片瀬那奈、宇納佑、冨田賢太郎、安斎肇、石渡美香、深見恭子、佐野賢一、松嶋亮太、與水久典ら。


一つの物語を江國香織が女性側(Rosso)、辻仁成が男性側(Blu)から描いた大ベストセラー小説を映画化した作品。
監督の中江功(これが映画監督としてはデビュー作)とプロデュースの大多亮は、いずれもフジテレビで人気ドラマを手掛けて来た人物。

原作がどうなのかは知らないが、あおいは香港からの留学生という設定で、日本人ではなくケリー・チャンが演じている。
わざわざ日本語の拙い香港の女優をキャスティングしたということは、おそらく製作サイドとしては、あおいを演じられる日本人女優がいないと判断したのだろう。
そうでなければ、日本の女優を起用しない理由が見当たらない。

順正は付き合っている恋人がいるのに、10年も前に別れた女のことをズルズルと引きずっているのだから、未練がましい男だとも言える。大体、大事な仕事を途中で放り出して昔の女に会いに行くなんて、そりゃ責任感が無いというものだ。
せっかく恋人と幸せに暮らしていたあおいに、わざわざ会いに行ったり、「最初で最後」と言いながら、いかにも未練がましい手紙を送り付けたりする。本当に彼女の幸せを願うのなら、気持ちを迷わせるような手紙は送らないだろう。
本音としては相手の幸せを願っておらず、自分の方を向かせようとしているのがミエミエだ。

そもそも自分から「今すぐ出て行け」と冷たい言葉をぶつけて別れたのに、後になって「ヨリ戻したいなあ」なんて、そりゃ都合が良すぎるでしょ。
あと、あおいにしても、金を積まれて愛している男の子供を内緒で堕胎するってのは、そりゃイカンでしょ。
そんで、あおいに対しては未練タラタラでしつこく執着する一方で、付き合っている芽実に対しては冷たい言葉を投げ掛け、怒ってばかりで優しさのカケラも見せようとしない。そのくせ、なかなか別れを切り出さずに、彼女の気持ちを弄んでいる。
というわけで、冷静に考えると、順正というのはウジウジと未練がましくて、身勝手な男だとも言える。
それを、未練がましくて身勝手な男だと思わせずに、愛した1人の女性を一途に想い続ける純粋な男として好意的に見てもらうため、巧みに誤魔化している。

この映画がメインターゲットとしている観客層は、明らかにF1層である。
いきなり竹野内豊のセミヌードを、それほど必要も無いのに見せるのは、女性達へのサービスだろう。
そして目的は、彼女達を夢のような恋愛劇にドップリと浸らせ、感動させることである。
だから、その目的に不必要と思えるような要素は、例え物語として不充分になったとしても、容赦無く削り落とす。そして、代わりにイタリアの美しい風景を映し出し、エンヤの幻想的な音楽を流し、憧れの対象となるべき恋愛空間を作り出そうとする。

それはF1層を夢見心地にさせるための戦略としては正しい。その戦略に気付かない人や、気付いても気にならない人なら、素直に感動できるはずだ。
「映画のような恋愛」への憧れをかき立てるための、「映画のような恋愛」が映画の中で描かれていく。
イタリアのフィレンツェやミラノという舞台設定、美術絵画の修復士という珍しい部類に入る&オシャレな響きのある職業など、全ては「憧れの世界」を作り出すために使われる。
そしてこの映画は、現実を生きている人々に、心地良い現実逃避の時間を与えてくれる。

 

*ポンコツ映画愛護協会