『落陽』:1992、日本

昭和三年、奉天の興安歌舞場。中国歌姫の張蓮紅がステージで歌う様子を、関東軍参謀の賀屋達馬が満州浪人の土門正吾と共に客席から見ていた。歌い終えた蓮紅は、客席にいた陸軍省顧問の玉井総三郎に呼ばれて接待を要求された。蓮紅が嫌がっている様子を見た賀屋は、「やめんか」と怒鳴り付けた。玉井の部下である田中が「失礼じゃないか」と怒ると、賀屋は軍刀を抜いて襲い掛かった。その場に居合わせた中国秘密結社首領の杜月笙にも、賀屋は構わず刀を振り下ろす。月笙が拳銃を抜いて反撃しようとする中、奉天財閥の劉宗仁は玉井を避難させた。
三年後。賀屋は大連で殺し屋に命を狙われ、月笙の刺客だと確信する。宗仁は長男の立教から、賀屋が大連に戻ったことを聞かされる。関東軍参謀の石原完爾中佐が呼び戻したことは突き止めたが、目的までは分からなかった。賀屋は旅順の関東軍司令部へ赴き、石原と会う。石原は関東軍で満州を取るため、資金の工面を賀屋に要請した。賀屋は大連の老虎灘で土門と再会し、満州で最も羽振りのいい財閥は劉宗仁だと聞く。彼は先に奉天へ行くよう指示し、後から興安歌舞場で合流することにした。
賀屋は満州鉄道調査部の間宮精一郎と共に、満鉄特急あじあ号で移動する。興安歌舞場へ赴いた彼は、土門と合流した。奉天にある抗日組織のアジトでは書記の竜たちが集まっていたが、伝書鳩を受け取って警察に気付かれたと知る。組織の面々は散り散りに逃亡し、竜は立教の妹である小英と行動する。そこへ賀屋が現れ、2人を逃がしてやった。間宮は奉天の満鉄支社を訪れ、調査部の山見剛と会った。山見は間宮を満鉄社宅へ連れ帰り、妹の三枝子を紹介した。
張学良将軍高級参謀の胡子高中佐は奉天第一銀行へ出向き、アメリカに発注した1億元の紙幣が届くので引き受けてほしいと支配人の立教に要請した。賀屋は土門から、宗仁が月笙と繋がっていることを聞かされた。賀屋は土門や手下の呂たちと共に立教を拉致し、拷問して金の輸送ルートを聞き出した。彼らは輸送トラックを襲撃し、1億元を奪い取った。同じ日、満州事変が勃発した。賀屋は日本料理店で石原と会い、「また金が欲しい。多ければ多いほどいい」と告げられた。
物資の流通経路が寸断されたことに目を付けた賀屋は、塩の販売で莫大な利益を上げた。賀屋は呂たちの裏切りに遭って危機に陥るが、駆け付けた馬賊に救われる。その頭目が蓮紅だと知り、賀屋は驚いた。賀屋は蓮紅と抱き合い、再会を喜んだ。賀屋の父は政府の奨励を受けてケシ栽培に精を出していたが、玉井の口車に乗って二束三文で騙し取られた。父は自殺し、賀屋は玉井に恨みを抱いていた。蓮紅は賀屋を興安嶺のアジトへ案内し、腹心の李梅を紹介する。彼女は一緒に戦おうと誘うが、賀屋は満州国のための行動を選んだ。
昭和七年三月一日に満州は建国され、賀屋は宗仁と会って関税無しで日本の商品を扱う契約を提案した。すると宗仁は、阿片を扱うよう持ち掛けた。同年八月、日本政府はソ連との摩擦を危惧し、独断専行が続く石原を更迭した。今後のことを石原に問われた賀屋は、内地に戻るつもりが無いことを明かす。賀屋が阿片の取り引きを提案されたことを話すと、石原は何があっても手を出さないよう助言した。間宮は山見から、三枝子と結婚してほしいと告げられる。以前から三枝子と惹かれ合っていた間宮は、何の迷いも無く快諾した。すると山見は、満鉄を辞める考えを明かした。
上海に住む月笙はハイラル阿片商の段毅と会い、関東軍が阿片を狙っていると知らされて激昂した。石原の後任である竹井が阿片の売買を始めたので、賀屋は抗議した。すると竹井は蓮紅たちを爆撃で皆殺しにすると脅し、協力することを強要した。賀屋は宗仁の元を訪れ、購入した阿片を奉天まで届ける仕事を依頼された。土門は賀屋を裏切り、移送ルートの情報を盗賊に流して襲撃させた。特務機関に密告があったため、守備隊が駆け付けて盗賊を追い払う。その様子を見ていた蓮紅の馬賊は盗賊の1人を捕まえ、黒幕の正体を白状させた。蓮紅は奉天の妓楼街へ行き、土門を始末した。
蓮紅は奉天の故宮へ賀屋を呼び出し、自分が特務機関に連絡したこと、土門を始末したことを明かした。昭和十二年に支那事変が勃発し、関東軍では竹井が左遷されて石原が満洲へ戻った。支那駐屯軍司令官の山下奉文少将は、石原が以前のように成功するかどうか疑念を抱く。石原は少将に昇進し、関東軍参謀副長として5年ぶりに関東軍に復帰した。石原はソ連軍の兵力増強に対抗するため、賀屋に資金の工面を要請する。彼は「背に腹は代えられん」と阿片の取り引きを要求するが、賀屋は「残るのは自己嫌悪だけですよ」と断った。
賀屋は蓮紅と暮らしていたが、上海へ行くことを決めた。彼が「満鉄にいた山見という男を石原さんが紹介してくれる」と話すと、蓮紅は国民党の長老である唐紹儀を知っていると告げる。国民政府財政局長となった立教は月笙に、上海の阿片を狙う賀屋を排除してほしいと要請した。月笙は賀屋の元へ行き、宣戦布告と取れる態度を示した。賀屋は善隣ビルの上海評論社で編集長を務める山見と会い、イランから仕入れる阿片の売り捌きを依頼した。社員として働く小英が日本語を理解していることを、2人は知らなかった。
月笙は側近の尹から賀屋が阿片を密輸すること、唐紹儀も加わっていることを知らされた。日本軍特務機関の山城太助大尉は賀屋の元へ行き、唐紹儀が月笙の組織に命を狙われているという情報を伝えた。小英は上海へ来た竜に、日本軍がイランから阿片を密輸する情報を教えた。賀屋と蓮紅は唐紹儀の屋敷を訪れ、危険を伝えた。深夜に月笙の配下が屋敷へ潜入し、唐紹儀を殺害した。賀屋と蓮紅は屋敷から逃亡するが、2人の敵に追い詰められる。しかし張り込んでいた山城が敵を射殺し、彼らを救った。
山見は元中華民国政府最高顧問の曽三山と会い、秘密結社だけでなく共産党もイラクから密輸する阿片を狙っていると聞かされる。蓮紅は賀屋と山見に、阿片を餌にして秘密結社と共産ゲリラを一網打尽にすることを持ち掛けた。月笙は側近の尹から、上海評論社で働く小英が共産党の手先で立教の妹だと聞かされる。小英に不審を抱いていた山見も、彼女が情報を流していることを突き止めた。彼は阿片が維新政府倉庫に運ばれるという情報を、わざと彼女に聞こえるように話した。
小英は山見の使いで日本総領事館へ書類を届けた帰り、英国商人のジョン・ウィリアムスに声を掛けられた。ジョンは竜の友人だと言い、馬車でキャバレー「キャッツアイ」へ連れて行く。ジョンは仲間の康平と共に、酒に混入した薬で小英を眠らせた。彼らは小英に麻薬漬けにして、情報を吐かせた。共産ゲリラは倉庫を狙うが、待ち受けていた軍隊の一斉射撃を受けた。その様子を観察していた月笙は小英の吐いた情報が嘘だったと知り、立ち去ろうとする。そこへ軍隊が立ちはだかるが、月笙は蹴散らして逃亡した。張り込んでいた賀屋は怪我を負っている竜と遭遇し、見逃してやった…。

監督は伴野朗、原作は伴野朗、脚本は藤浦敦&根本哲史&伊藤信太郎&谷口公浩&伴野朗&ドゥエイン・ダミーゴ、製作総指揮・原案は根本悌二、製作は若松正雄、総合プロデューサー・総監修は藤浦敦、プロデューサーは伊藤信太郎&谷口公浩、監督補佐は伊藤信太郎&根本哲史、キャスティングプロデューサーは大畑信政、共同キャスティング・音楽プロデューサーはリー・フォークナー、撮影監督は山崎善弘、照明は加藤松作、録音は酒匂芳郎、美術は渡辺平八郎、編集は井上治、アクション監督は伊奈貫太、共同アクション監督はユン・ピョウ、字幕は戸田奈津子、オリジナル音楽・作曲・指揮はモーリス・ジャール。
主題歌「THE SETTING SUN」作詞:藤浦敦、作曲:MAURICE JARRE、編曲:BILLY MAY、唄:ELLA FITZGERALD。
出演は加藤雅也、ダイアン・レイン、ユン・ピョウ、ドナルド・サザーランド、中村梅之助(四代目)、田村高廣、島田正吾、芦田伸介、金田龍之介、にしきのあきら(現・錦野旦)、立川談志(7代目)、宍戸錠、星野知子、中村梅雀(二代目)、松浦豊和(現・清雁寺繁盛)、嵐圭史、汀夏子、小牧ユカ、鈴木礼之介、団鬼六、砂塚秀夫、川地民夫、高品格、柳瀬志郎、大倉賢二、岡崎二朗、内藤陳、小島三児、星セント、鈴々舎馬風(5代目)、黒田アーサー、沢田謙也(現・澤田拳也)、キャプテン・ジョージ(現・ケビン・クローン)、水野晴郎、根岸明美、島かれん、松旭斎ちどり、灘康次とモダンカンカン、尾藤イサオ、新藤栄作、室田日出男、ナンシー・ラルマン、ブリジット・オベリーン、カレン・プイス、楊菁菁(ヤン・チンチン)、程希、甄茹、吉原緑里、牛原千恵、山下真智子、伊藤久美子、見田清美、麻里万里、後藤礼仁子、キラーカンら。
ナレーターは江守徹。


伴野朗の小説『落陽 曠野に燃ゆ』を基にした作品。
日活が創立80周年記念として製作した制作費50億円の超大作映画。
この翌年に日活は会社更生法の適用を申請し、事実上の倒産に至った。
賀屋を加藤雅也、蓮紅をダイアン・レイン、月笙をユン・ピョウ、ジョンをドナルド・サザーランド、宗仁を中村梅之助(四代目)、山城を田村高廣、三山を島田正吾、満鉄総裁を芦田伸介、土門をにしきのあきら(現・錦野旦)、青空床屋を立川談志(7代目)、三枝子を星野知子、間宮を中村梅雀(二代目)竜を松浦豊和(現・清雁寺繁盛)、石原を嵐圭史が演じている。
他に、段毅を宍戸錠、満鉄の人事部長を川地民夫、立教を尾藤イサオ、高田を新藤栄作、山見を室田日出男が演じており、ナレーターを江守徹が担当している。

この映画が5億円しか稼げない興行的惨敗を喫し、それが原因で日活が倒産に追い込まれたというのが定説になっている。
だが、その説明が正確に事実を伝えているとは言い難い。
そもそも本作品が公開される以前から、日活の経営は危機的状況に陥っていた。ロマンポルノはアダルトビデオに押されて観客が入らなくなり、ロッポニカのレーベルで一般向け映画の製作を再開したが約半年しか続かなかった。
つまり本作品が無くても、遅かれ早かれ日活は倒産していたのだ。大映と日活は、潰れるべくして潰れたのだ。
そして、もはや倒産が確実視されていた状況だったからこそ、こんなデタラメな映画が製作できたのだ。

そもそも本作品は興行的に惨敗したが、日活が制作費を出したわけではない。当時の日活では、創立80周年記念で大作を製作できるような予算など捻出する余裕は全く無かった。
この映画は総合プロデューサー&総監修の藤浦敦が資金を調達し、日活に作らせてやったのだ。
藤浦敦の家は祖父が初代三遊亭圓朝一門を経済的に支援した金持ちの青果問屋であり、父親は右翼の大物で日活の大株主だった。
この映画は実質的に、彼の支配下で製作されていたのだ。

監督として表記されるのは、原作者の伴野朗だ。
創立80周年記念の超大作なのに、何の経験も無いド素人の原作者を監督に起用するのは、どう考えてもイカれている。
まあ当時の日活なら、やりかねないことではあるのだが、そこには裏がある。本当に監督を務めていたのは、総合プロデューサーの藤浦敦なのだ。
だったら彼の名前をそのまま表記すれば良さそうなものだが、そこは原作者の前を使った方が話題性に繋がるという考えだったのだろう。
ともかく伴野朗は名前を貸しただけであり、撮影現場にも来なかったらしい。

脚本担当者として名前が表記されているのは、藤浦敦、監督補佐の根本哲史、プロデューサーで監督補佐の伊藤信太郎、アシスタント・プロデューサーからプロデューサーに昇格したばかりの谷口公浩、そしてドゥエイン・ダミーゴ。
この5人に共通しているのは、脚本家の経験が無いってことだ。
伊藤信太郎(ちなみに元衆議院議長を務めた伊藤宗一郎の長男)だけは、大学時代やアメリカでの留学時代に自主映画の監督や脚本を務めた過去があるが、プロの映画人としては全く経験が無い。
根本哲史は、たぶん当時の日活会長だった根本悌二の身内だろう。
ドゥエイン・ダミーゴに至っては、何者なのか、そもそも存在するのかどうかさえ不明な謎の外国人だ。
こんな顔触れが揃っている時点で、失敗する気満々としか思えない。

藤浦敦はロマンポルノを何本も撮っているが、一般映画はデビュー作の1本だけ。
そもそも彼が監督になれたのも、大株主の息子だったことが関係している可能性は考えられる。そんな人間が大作映画を監督するってのは、なかなか無謀な話である。
しかも単なる大作映画というだけでなく、外国人キャストも起用しているわけだから、そこの意思疎通も大変だ。それも「その辺りで適当に声を掛けた外国人」ではなくて、それぞれの国で活躍していた俳優も使っているのだ。
自分が日活の上層部だったら、絶対に他の監督を選びたいと思うだろう。
しかし藤浦敦が資金を調達してきたんだし、ほぼオレ様映画みたいな状態だったわけだから仕方が無い。

どういう口説き方をしたのかは分からないが、スタッフの中には無駄に豪華なメンツが何人かいる。
まずはオリジナル音楽・作曲・指揮として表記されるモーリス・ジャール。アカデミー賞の作曲賞を3度も受賞している大物が、どういう理由でこんな映画に参加したのか。
主題歌を歌うのが13回もグラミー賞を獲得したエラ・フィッツジェラルドってのも、どういうことなのかと。
晩年の彼女を引っ張り出して、自分が作詞した歌を歌わせるんだから、藤浦敦の厚顔ぶりは凄い。
ユン・ピョウを共同アクション監督に回して、伊奈貫太にアクション監督を任せているってのも、どういうセンスなのかと。

出演者の顔触れは、ある意味では「豪華」なのだが、それよりも「雑多」と表現した方がふさわしいかもしれない。
ハリウッドからは、『ストリート・オブ・ファイヤー』や『コットンクラブ』のダイアン・レインに、『鷲は舞いおりた』『普通の人々』のドナルド・サザーランド。
香港映画界からは、ジャッキー・チェン&サモ・ハンとのトリオで日本でも人気だったユン・ピョウ、アクション女優の第一人者として活躍していたヤン・チンチン。
ここまでは、間違いなく豪華な顔ぶれだ。
ただ、この段階で既に、「どういうジャンルの映画にするつもりなのか」という疑問が湧いてしまう。

日本人キャストに目を移すと、歌舞伎の世界からは、TV時代劇『遠山の金さん捕物帳』や『伝七捕物帳』で主演を務めた中村梅之助(四代目)と長男の中村梅雀(二代目)に、前進座の松浦豊和と嵐圭史と中村鶴蔵(五代目)。
新国劇の島田正吾、元宝塚歌劇団の汀夏子、歌手のにしきのあきらといった面々も顔を出し、「日活仲間の会」として宍戸錠や川地民夫、高品格や岡崎二朗も出演している。
ここまでの顔触れも、やはり「豪華」と言っていい。

ただ、他の面々を見回した時に、だんだん怪しくなってくる。
当時は女優というより『ミュージックフェア』や『ニュースシャトル』など、司会者やキャスターのイメージが強くなっていた星野知子。
モデル業界からは、キャスターとして活動していた小牧ユカと歌手活動もしていた桐島かれん、SM小説家の団鬼六に、日本冒険小説協会の会長を務めていた元コメディアンの内藤陳。落語の世界からは立川談志(7代目)に鈴々舎馬風(5代目)、立川談春&立川左談次&桂文字助。
イロモノ方面からはトリオ・ザ・スカイライン出身の小島三児に、星セント・ルイスの星セント、手品師の松旭斎ちどり、ボーイズグループの灘康次とモダンカンカン。DJのキャプテン・ジョージ(ケビン・クローン)、映画評論家の水野晴郎と弟子の西田和昭。
ほらね、「豪華」よりも「雑多」でしょ。

それ以外にも田村高廣や芦田伸介、金田龍之介、尾藤イサオ、新藤栄作、室田日出男など多くのキャストが出演しているが、誰一人として輝いている者はいない。
そもそも出番が少ない者、まるで存在意義が見えない者もいる。
それだけでなく、全員が大根役者に見えてしまうという逆ミラクルが起きている。
たぶん、それぞれのキャラクターをマトモに造形できておらず、物語もマトモに構築できていないため、出演者も何をどう演じればいいのか困っていたのではないだろうか。

雑多な出演者の面々を、藤浦敦は全くコントロールできていない。いや、そもそもコントロールする気も無かったのかもしれない。
いずれにせよ、全員が自由気まま、好き勝手に芝居をしているので、統一感ってモノが全く無い。それぞれが自分のテンポやリズムで演技をしているので、複数の登場人物が絡み合う時に、まるで噛み合っていない。
外国人キャストに至っては、その言語さえ噛み合わない。
何しろ、その場によって都合良く英語、中国語、日本語がデタラメに飛び交うのだ。

きっと藤浦敦は最初から、言語の違いなど完全に無視していたのだろう。
だから、なぜかダイアン・レインに中国人の歌姫役を演じさせ、中国人なのに英語しか喋らないという奇妙な状態になっていても、まるで気にならなかったのだろう。
おまけにダイアン・レインは、ただ中国人の歌姫というだけでも奇妙なのに、そこに「なおかつ馬賊の女頭目」という設定が上乗せされており、ますます滑稽なことになっている。
歌姫だった蓮紅が馬賊の女頭目として再登場した時に、思わず失笑しそうになってしまう。

どうやら中国でロケーションしたことをアピールしたい気持ちが強かったようで、登場人物はやたらと各地を移動し、その度に場所の名前が表示される。
まるで意味の無い場面転換も、あちこちで用意されている。
大勢の人物が出入りして複雑に絡み合うので、ただでさえシンプルとは言えない内容なのに、余計にややこしくなっている。
それでも、スケールの大きさや物語の広がりに貢献してくれるならともかく、ただ無駄にゴチャゴチャさせているだけだからね。

とにかくストーリーテリングが下手なので、無駄に話が分かりにくい。
冒頭、賀屋は玉井に襲い掛かるが、どういう理由なのかサッパリ分からない。後になって事情は明らかにされるが、そこを明かさずに引っ張る意味が全く無い。
また、蓮紅との関係も分からないのだが、どうやら交際していた設定のようだ。これまた、隠している意味なんて全く無い。
そもそも意図的に隠しているわけじゃなくて、構成に難があって説明するタイミングを逸しているだけだ。
そのシーンをオープニングにしていることからして、失敗だと断言できる。

本格的な物語に入る前に、3年前のシーンを描いておきたいってのは分かる。そこで出会った面々が、後から絡むわけだからね。
だけど、そのオープニングは単に数名を登場させただけであり、そんなに上手くキャラ紹介や相関関係を示しているわけではない。
例えば賀屋と土門の関係にしても、店で一緒にいる様子がチラッと写し出されるだけだ。だから3年後の再会シーンを見せられても、特に何も無いのだ。
オープニングを排除し、「3年ぶりに再会した」というシーンを土門の初登場にしても、そんなに支障は無い。

賀屋が蓮紅と再会したタイミングで、彼が玉井に襲い掛かった事情が回想シーンと共に説明される。
でも、それはタイミングとして明らかに間違っている。
そもそも、賀屋が玉井に恨みを抱いている設定そのものに必要性が無い。
また、そこは蓮紅との再会シーンなのだが、オープニングのシーンが上手く連携しておらず、全く機能していない。なぜなら、オープニングで2人が恋人同士であることをアピールできていないからだ。

ストーリー展開にメリハリを付けることが出来ておらず、ずっと淡々としたままエピソードが事務的に消化されていく。キャラクターの心情を繊細に表現するとか、様々な人々が絡み合う人間ドラマを濃密に描くとか、そんなことも全く出来ていない。
主人公である賀屋は、何の魅力も放つことが出来ていない。その情熱は理解不能だし、その苦悩は届いて来ない。
サブストーリーとして描かれる間宮の動向も、何のために描かれているのかサッパリ分からないままに終わっている。
たまに用意されているアクションシーンは全く流れに乗っていないし、っていうか話の流れ自体が見えて来ないし、5億円を稼いだだけでも充分すぎるぐらいの出来栄えだ。

(観賞日:2017年9月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会