『落語娘』:2008、日本

12歳の頃、香須美は癌で余命わずかと診断された叔父・藤崎秀行の病室で、落語を披露した。「死ぬ前に一度だけ寄席に行きたい」と訴える秀行を喜ばせるため、彼女は必死で落語を覚えたのだ。選んだ演目は、秀行が好きな三松家柿江の十八番『景清』だった。秀行の「三松家香須美。俺はおまえさんをひいきにするぜ」という言葉は香須美の胸に刻まれ、大きくなったら落語家になると決めた。
それ以来、香須美は落語一筋の生活を送り、高校・大学は落語研究会に籍を置いた。彼女は勉学にも恋にも目もくれず、ひたすら喋りの修業に明け暮れた。その結果、大学落語コンクールで数々のタイトルを総なめにした香須美は、柿江の門を叩いた。それから3年が経過し、彼女は出囃子の太鼓を叩くなど下積みの仕事をしながら、前座で落語を披露している。しかし客はまばらで、その反応も鈍い。落語界では名門重視と男尊女卑の考え方が強くはびこっており、落語協会会長の息子である1年目の飄家志んじも彼女を馬鹿にしている。
香須美の師匠である三々亭平佐は手の付けられない遊び人で、弟子に平気で金を無心するような男である。彼はテレビの生放送で安藤厚生労働大臣の首を絞め、無期限の謹慎処分を受けている。そのせいで香須美は、前座で女である上に、さらに肩身の狭い思いをしている。ベテランの桔梗家金雀や上下家楽吉、紺々亭喜多楼、椿家庵どんたちからセクハラ攻撃を受けても、香須美は笑って受け流すしか無い。そんな師匠たちからも、平佐は煙たがられる存在だ。
香須美は大学の後輩である記者の清水和也から、柿江が提唱した落語元年祭の取材に行ったことを聞かされる。落語元年祭とは、東西の真打ちや二つ目を1年間シャッフルしようという試みだ。和也は柿江の大胆なアイデアと優れた政治力を称賛するが、香須美は複雑な思いで聞いていた。和也は香須美に、会場で「平佐が40年間の封印を解こうとしている」という噂が広まっていたことを聞かされる。しかし、香須美には何のことは全く分からなかった。
和也は香須美に、学生時代から片思いしていたこと、今も気持ちが変わっていないことを告白した。香須美は冗談めかして受け流し、和也との会食を終える。香須美が平佐の家に戻ると、彼はソープ嬢を連れ込んで遊んでいた。同席していたソープランド『花魁御殿』の神崎は、平佐が取った寿司代の支払いを香須美に求めた。香須美は平佐に腹を立て、柿江のビデオを見て現実逃避する。今も彼女にとって、心の師匠は柿江だけだった。
香須美は柿江に弟子入りを求めた時、『景清』を披露し、その演目に対する思い入れを語った。すると柿江は、「貴方は落語の根本を間違ってる。演者の個人的な思い入れなんてものは、落語には無縁のガラクタに過ぎない。結局、貴方は女性なんです。それは何をどう稽古したところで変わるものではありません」と述べる。そこへ雑誌の対談で来ていた平佐が現れ、「女だから弟子に取らないってのは単純だなあと思ってよ」と言う。香須美は平佐から飲みに誘われ、彼の弟子になったのだった。
香須美は平佐に、落語元年祭のことを話す。すると平佐は、「柿江の企みなんざ、噺家連中の仲良しごっこだ」と一蹴する。香須美が「文句があるなら高座で言ったらどうなんですか。仕事と言えばギャラ優先のテレビやラジオばっかり。噺家なら、寄席に出て噺で勝負するべきじゃないんですか」と語ると、彼は自信たっぷりに「心配するな。噺ならやってやらあ。それもな、日本中の目を釘付けにするような、とっておきの噺をな」と述べた。
和也は香須美を呼び出し、封印されていた演目に関する80年前の記事を見せる。『緋扇長屋』という演目の披露中に、落語家が心臓麻痺で急死したという内容だ。『緋扇長屋』は芝川春太郎という明治の落語家の遺作であり、禁断の作と言われている。火事で焼け落ちた家屋を見た春太郎は自宅に戻って『緋扇長屋』を書き上げ、翌朝に死亡したのだ。当時の噺家連中は、噺の魔物に憑り殺されたのだろうと噂した。そして、その20年後に披露しようとした落語家も死亡したのだ。
それ以来、『緋扇長屋』は封印されていた。40年前、大坂の竹花亭幸助が演目を手に入れたが、お披露目の最中に心臓発作で急死した。その後は誰も『緋扇長屋』を披露していないが、TVプロデューサーの古閑由香里から話を持ち掛けられた平佐が封印を解こうとしていると和也は香須美に語る。由香里はスペシャル番組を企画し、『緋扇長屋』の呪われた歴史を詳しく説明してから平佐が演目を披露する流れを考えていた。香須美は反対するが、平佐は全く耳を貸さなかった。
香須美は『緋扇長屋』の呪いを不安に思い、「ただの偶然ですよね」と平佐に言う。すると平佐は、「いいか、噺家の良し悪しは仕込んだ噺の数で決まるんじゃねえ。ほんの一時でもいい。見る者聞く者に生きた世界を植え付けられるかどうかだ。ただの戯言に過ぎないネタに魂を吹き込むのが、一流の芸人だ。だが、厄介なことに、噺自身に命が宿っちまうことがある。その霊に魅入られたら、どんな名人でも一溜まりも無い」と語った。
平佐は香須美を伴い、竹花亭幸助の妻である石田登志子を訪ねる。登志子は幸助が新しいことに何でも手を出したこと、それで古手の人々に嫌われたこと、見返そうとして禁断の演目に挑んだことを語る。しかし彼女は幸助が『緋扇長屋』を見つけ出したのではなく、演目の方が手招きして引き込んだのだと述べた。登志子は幸助が『緋扇長屋』の台本を持って東京からトンボ返りした日のことを話す。幸助が部屋に閉じ篭もって稽古に没頭する様子に聞き耳を立てると、まるで女性そのものの声がしたと登志子は語った。だが、それっきり稽古することは無いまま、本番の日を迎えた。そして高座で噺をしている最中、幸助は心臓発作で息を引き取った。
登志子が「ウチの命が尽きる前に、あの人の仇を討ってやりたいんや。あの人が果たせなかった噺の完結を、他の誰かの手で成し遂げる」と言い、その役を引き受けると申し出た平佐に『緋扇長屋』の台本を見せた。平佐が台本をめくろうとすると、その手が震えた。彼は思い切って表紙をめくるが、すぐに閉じてしまう。その額から汗が落ち、平佐は呼吸を整えようとする。彼は登志子に、この家で一泊して本と添い寝させてほしいと頼んだ。香須美も仕方なく、師匠に付き合うことになった。
その夜遅く、怯えて眠れない香須美が廊下を歩いていると、平佐の部屋から女性の声が聞こえて来た。香須美が障子を開けようとすると、平佐は「見るんじゃねえ。俺は大丈夫だ。見損なうな」と告げた。翌朝、テレビ局のクルーが到着し、撮影を行った。番組は1週間前から大々的に宣伝され、ベテランの蓮花亭笑佑たちは不快感を露骨に示す。そんな中、香須美は柿江から呼び出された。彼は元年祭の目的が落語界の東西交流や競争原理の導入ではなく、底辺の切り離しだと語る。彼は落語界に巣食っているエセ落語家たちの淘汰を目論んでいることを明かした後、協会が平佐の除籍を考えていることを告げた。
柿江は香須美に、「貴方が師匠に私の考えを伝えた上で説得し、翻意させてくれたなら、今後の扱いについて穏便に進めるよう、理事に口利きするつもりです。貴方の師匠代えを認めてもいい」と述べた。香須美は『緋扇長屋』のお披露目中止を平佐に頼むが、まるで相手にしてもらえない。彼女は「もし師匠が追放されたら」と口を滑らし、慌てて黙り込んだ。平佐が「誰に何を言われた?」と訊くと、彼女は話題を変えて「どうして私を弟子に取ってくれたんですか」と尋ねる。すると平佐は、「そろそろ潮時だな。破門だ」と告げる…。

監督は中原俊、原作は永田俊也『落語娘』(講談社刊)、脚本は江良至、製作は尾越浩文&馬場清&久松猛朗&石川博&竹内大策、プロデューサーは伊藤秀裕&南條昭夫、協力プロデューサーは前田茂司、企画協力は佐々木志郎、アソシエイトプロデューサーは森重晃、落語監修・指導は柳家喬太郎&隅田川馬石&柳家喬之助、撮影は田中一成、照明は東田勇児、録音は日比和久、美術は松宮敏之、編集は矢船陽介、音楽は遠藤浩二。
主題歌:『一途な星』作詞:chihiRo、作曲:kubota、編曲:JiLL-Decoy association、歌・演奏:JiLL-Decoy association。
出演はミムラ(現・美村里江)、津川雅彦、益岡徹、伊藤かずえ、森本亮治、利重剛、ベンガル、大河内浩、勝矢、花ヶ前浩一、久保晶、金田龍之介、笑福亭純瓶、春風亭昇太、峰岸徹、なぎら健壱、絵沢萠子、安藤彰則、若松力、藤本七海、高橋俊次、亀谷さやか、佐藤大介、河村春花、武田秀臣、中村まり子、園英子、峰蘭太郎、川鶴晃裕、笹木俊志、高橋弘志、尾関伸嗣、島田佳子、野田香織、井上紀子、松永吉訓、櫻井忍、稀音家加乃紀、小野亮子、秋元ゆり、久保田恵、樫尾憲明、設楽学、斉藤拓真、平沼成基、石川純司、増尾嘉規、保田泰志、吉田倫貴、小林卓馬、淳平、朱璃梓、橋岡理江、長尾健太郎ら。


永田俊也の同名小説を基にした作品。
脚本は 『陰陽師 〜おんみょうじ〜』『陰陽師II』の江良至、監督は『でらしね』『素敵な夜、ボクにください』の中原俊。
香須美をミムラ、平佐を津川雅彦、柿江を益岡徹、由香里を伊藤かずえ、和也を森本亮治、秀行を利重剛、金雀をベンガル、楽吉を大河内浩、喜多楼を勝矢、庵どんを花ヶ前浩一、笑佑を久保晶が演じている。
他に、漫画喫茶の客として春風亭昇太、安藤役で峰岸徹、高座に来る評論家風の男役でなぎら健壱、登志子役で絵沢萠子が演じている。

序盤から構成がギクシャクしている。
柿江の門を叩いたことがナレーションで語られ、彼の前で香須美が落語を披露している様子が写し出され、タイトルが表示された後、画面が切り替わると彼女が出囃子の太鼓を叩いている。で、しばらく彼女のナレーションで物語が進行してから平佐が登場し、香須美が入門3年目に入っていること、平佐の弟子になっていることが明かされる。
つまり、そこまでは「香須美が柿江に弟子入りを断られた」ということが説明されていないのだ。
しかし、それを隠したまま物語を進行することに、何のメリットがあるのかサッパリ分からない。
「無駄に話が分かりにくくなる」「無駄に進行がギクシャクする」というデメリットは確実にあるわけで、そのデメリットを受け入れた上で、それにも勝るメリットが何かあるのか。
少なくとも映画を見ている限り、そんな大きなメリットは全く見えなかった。
つまり、単純に構成に失敗しているとしか感じない。

そもそも、「香須美が柿江の前で落語を披露している」という時点で大いに引っ掛かる。
弟子入りを希望した人間が来たとして、落語家が自分の前で落語を披露させるかなあ。取るつもりがあるならともかく、そんな気が最初から無いのなら、「女の弟子は取らない」と即座に言うはずでしょ。
あと、その弟子入りに至る過程を後から見せるより、先に見せておいた方がいいと思うんだよねえ。
そうすれば、「男尊女卑の古い考えを持ち、女だからというだけで香須美を全否定する柿江とは違い、柔軟な思考を持って自分を擁護してくれた平佐に魅力を感じて香須美は弟子入りし、夢や希望を抱いたけど、デタラメで煙たがられているロクデナシの遊び人だったので幻滅する」という落差も付くはずだし、メリットしかないと思うんだよなあ。

柿江は差別的な落語界を象徴するような存在として描かれているが、彼の考え方にも一理あって、古典落語をそのまま女性がやることに対しては私も否定的だ。
なぜなら、古典落語の登場人物は、その大半が男性だからだ。少なくとも主人公は、全て男性である。
落語は長きに渡って男社会なので、演目の登場人物が男ばかりになっているのも当然だ。それを女性が男性に成り切って演じても、やはり違和感は否めない。
だから古典落語をやるなら、主役を女性に変更し、それに応じて内容にも手を加えた方がいいとは思う。

劇中で香須美は古典落語をそのまま演じているので、そりゃあ否定されるのも仕方が無い部分はあるのかなあとは思うのよね。香須美は柿江とは別の意味で、頭が固いんじゃないかと思う。
で、だから例えば「古い考え方を否定していたヒロインが、自分にも柔軟さが欠けていたと気付き、古典落語を自分なりの解釈で演じてみる」という展開でもあれば、それはそれで物語としては面白さが出る。
しかし残念ながら、この映画にそんな展開は無い。
それどころか、そもそも導入部で多くの観客が期待したり予想したりするであろう道筋を、この映画は歩もうとしないのである。

最初に「名門重視&男尊女卑の落語会で、師匠が煙たがられていることも手伝って、香須美が肩身の狭い思いをしている」ということが描かれている。
だったら、「そんな苦境の中でも香須美が必死に頑張り、落語家として成長していく」というドラマを描くってのが、普通に思い浮かぶストーリー展開だろう。っていうか、そういう流れにすべきだろう。
逆に、そういう初期設定を描写しておいて、他にどんなストーリー展開があるのかと思ってしまう。ベタと言えばベタだけど、そこは「ベタに勝るモノ無し」といったところだろう。
ところが本作品は、なぜか「他のストーリー展開」を選んでしまうのだ。

もちろん、そこに意外性や斬新さがあって、面白い物語になっているのであれば、それにこしたことは無い。
しかし実際には、明らかに失敗しているのだ。
この映画が選んだ筋道は「平佐が呪われた演目の封印を解こうとする」という展開なのだが、そのプロット自体に魅力が無いだけでなく、香須美の成長物語が脇に追いやられてしまうという大きなデメリットまで生じている。
この話は途中から、平佐が主役の座を奪おうとするのである。

これが例えば、最初から「香須美の視点から見た平佐」という話として作られているのであれば、平佐の存在感が増すのも、彼が禁断の演目に挑む姿を描くのも、全く問題は無い。
しかし、少なくとも序盤の描写を見る限り、そういう話の作りではなかった。
そもそも、映画のタイトルが『落語娘』なのに、なぜ落語娘が主役の座から外れるような構成になってしまうのか。
原作は未読だけど、たぶん全く違う内容なんじゃないかなあ。

「平佐が禁断の演目に挑む」という話がメインになる時点で間違いだと感じるのに、『緋扇長屋』が呪われた演目ということで、ちょっとオカルト風味まで入ってきてしまう。その『緋扇長屋』については、芝川春太郎が台本を書いた時の様子や、竹花亭幸助が死ぬ直前の様子なども回想シーンで描き、かなり丁寧に今までの歴史が語られる。
それによって、「禁断の演目に挑む平佐」を描くということよりも、「その演目は本当に呪われているのか」というオカルト・ミステリーの様相を呈して来る。実際、「稽古の最中に女性の声が聞こえる」という不可思議な現象が起きているし。
それだけでもズレてるなあと感じるし、「ヒロインの成長物語」という出発点から見ると、もはや修正不可能なぐらいのズレがある。
結局、「男尊女卑が云々」という要素は序盤に少し使われただけで、それ以降は全く意味の無い要素になっている。もしも主人公が男性だったとしても、序盤の一部分を除くと、物語の内容は全く変わらないのである。
せっかく「男社会である落語界に女が足を踏み入れる」という話の始め方をしているのに、その着想が全く活用されていないのである。

終盤に『緋扇長屋』が披露されるシーンでは、わざわざ劇中劇を使い、たっぷりと時間を割いている。
それが呪われた演目かどうかなんてことは、すっかり忘れ去られている。劇中劇そのものを、かなり丁寧に描こうとしている。
もうさあ、何を描きたいのか、ピントがボヤケまくりだわ。
で、その構成だけでも大きな間違いだが、しかも劇中劇そのものも「江戸を舞台にした悲恋の物語、と見せ掛けて怪談、と見せ掛けて夢オチ」という構成で、長々と見せておいて夢オチかい、と言いたくなるし。
『緋扇長屋』そのものをクライマックスとして配置しているけど、その演目にそんな力は無いぞ。

(観賞日:2015年3月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会