『ラッコ物語』:1987、日本

アラス力。そこは、ハクトウワシ、カモメ、シーライオンなど、多くの動物達が生息する場所である。そんなアラスカの大地から海上13キロ、ハクトウワシの飛来する島が、ラッコ島だ。その島は名前が示す通り、多くのラッコ達が暮らす場所である。
エミリアは、群れで一番の美人ラッコだ。ある時、彼女はダンというラッコと知り合い、性交渉を持った。エミリアは子供を宿し、ダンは去った。それがラッコの宿命だ。エミリアは出産準備のために、大きな島に移った。そして彼女は、岩礁で子供を産んだ。
エミリアは娘にエミと名付け、小さな入り江で育て始めた。エミリアはエミに、泳ぎ方や岩場の降り方を教えた。イタズラ好きの悪太郎がちょっかいを出してきたが、エミリアは追い払った。やがてエミリアは、エミと別れようとした。子供が成長すると親と離れるのが、ラッコの宿命なのだ。だが、エミはエミリアの元を離れようとしなかった。
そんな中、エミリアが密猟者に撃たれて死亡する。母を失ったエミは嵐に襲われて傷付き、少年達に助けられた。エミは港で暮らすラッコのテリーと出会い、彼と共にラッコ島に戻った。だが、テリーはエサを探して旅に出る群れに加わり、去って行った。テリーの子供を宿していたエミは、やがて娘エミリンを出産し、子育てを始めた…。

監督は永田貴士、脚本は風小路將伍&桜井貢&永田貴士、製作は巻幡展男、企画は石浜典夫&谷口担末、プロデューサーは柏原幹&服部和史、総指揮は村上七郎、撮影は片岡二郎&菱田誠&松井由守&天野健一&村中正光、水中撮影は中村宏治、編集は鈴木晄、録音は小野寺修、照明は宮崎清、テーマ曲はフランシス・レイ、作詞はティム・ライス、音楽は小林亜星、音楽プロデューサーは村井邦彦。
声の出演は斉藤由貴、藤村志保、小林綾子、江守徹、森繁久彌、西川のりお、前田昌明、古谷徹、劇団櫂。
出演はJosh Randall、Luke Randall、Eric Stirrup、Donald G. Cacking。


親子三代の雌ラッコを中心にした動物映画。
脚本の風小路將伍とは、作詞家&構成作家、かぜ耕士の別名。
エミの声を斉藤由貴、エミリアを藤村志保、エミリンを小林綾子、ナレーターを江守徹、長老を森繁久彌、悪太郎を西川のりおが担当している。

この映画、最大のポイントは、監督と脚本にクレジットされている永田貴士という人の存在である。テレビのドキュメンタリー番組でヤラセをしたり、スタッフに金を払わなかったり、幾つものインチキをやらかすプロデューサーとして、一部で有名だった人なのだ。

さて、この映画が製作された当時、世間はラッコのブームに沸いていた。そんなブームに、永田氏は目を付けたわけだ。そんなわけで彼は、とにかくアラスカの絵、ラッコの絵を撮りまくった。とりあえず、撮影には、それなりの時間を掛けたんだろう。
そして、そのフィルムを雰囲気で適当に繋ぎ合わせて、後から無理矢理に話を作り上げた。突貫工事でダイアローグを仕上げた。そういう作品だ。なんせ話が薄いので、「BGMと共に映像が垂れ流されているだけ」という時間の長いことといったら。

なんせ無理矢理に作ったような映画なので、色んな所でボロが出る。例えば、水中撮影のシーンなんかは序盤に少し出てくるだけ。中盤以降は、これっぽっちも出てこない。ムリに話を構成しているから、ワープしたみたいに場所移動する場面もある。
エミリア、エミ、エミリンという親子三代のラッコが出て来るが、複数のラッコを1匹に見立てている。まあ、動物映画で複数を1匹に見立てるのは、珍しいことではない。チャトランが1匹しかいなと思っている人は、よっぽど純粋か、かなりのバカか、どっちかだろう。
ただし、複数を1匹に見せるにしても、そっくりな奴を見立てるのが当然である。だが、ラッコなんて見分けが付かないと思って甘く考えていたのかもしれないが、なんせ鼻の色や毛の色が途中で明らかに変わるので、違うラッコだというのがバレバレなのだ。

後半に入って、エミが少年に助けられる場面がある。次に、テリーというラッコが登場する。そして、エミとテリーが港で知り合う。この辺りの展開、かなりギクシャク感があるし、港に場面を映す必要は全く無い。ずっとラッコ島を舞台にしておけばいい。
これは推測だが、ひょっとすると最初は「少年に助けられたラッコが人間と交流を深める話」にしたかったんじゃないだろうか。ところが、それが上手くいかなかったものだから構成を変えた。それで、そんな妙なシークエンスが出来てしまったのではないだろうか。

さて、映画は、いきなり森繁久彌の語りから始まる。それがナレーション的な役割を果たすのかと思ったら、続いて江守徹の仰々しいナレーション。で、江守がアラスカの自然や動物につて語り、ドキュメンタリー調に進行し、また森繁の辛気臭い語りがインサートされる。江守と森繁のダブルの攻撃で、すっかりイヤ〜な気分にさせられてしまう。
始まってからしばらくは、ネイチャリング・スペシャルの陳腐ヴァージョンといった感じで、とりとめのない映像が次々に切り替わり、ラッコ以外の動物が映し出され、それについてのナレーションが入ったりする。一向に“ラッコ物語”は始まらない。

始まって30分ほどが経過して、ようやくエミリアの話が始まる。しかし、そこからエミリアを主人公にしたドラマが本格的に始まるのかというと、そうでもない。相変わらず、ハクトウワシとカワウソの戦いとか、鮭が鳥に食べられる場面とか、シーライオンの様子とか、エミリアとは全く無関係のシーンが何度もインサートされる。
ラッコに人間の言葉を喋らせているのは、野生の生き物を「愛らしい動物」として見せようとしているのだろう。しかし、一方で野生の厳しい掟も描く。途中で捨てられたラッコの子供が映し出され、江守が「もう、この子は死ぬのを待つしかない」と重厚なナレーションを入れる。
可愛いラッコを見ようとしたチビっ子が、ブルーになっちゃうよ。

エミリアがエミに教える「怖いものを追い払うおまじない」の言葉は、絶品だ。
「イサダク、テケスタ、マサミカ。マサミカ、コツラ、マサミカ」というのだが、逆から読むと「神様、ラッコ、神様。神様、助けてください」になる。
寒いのは、きっとアラスカだからだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会