『雷桜』:2010、日本

瀬田村の百姓・友蔵と茂次は、瀬田山へ向かっていた。友蔵は怖がって「戻ろう、この奥には天狗がいる」と口にするが、茂次は「だから行くんだよ。瀬田山の蕨もタラの芽も誰も取っないんだよ」と強気な態度で告げた。森を進んだ2人は、多くの山菜を発見した。友蔵も嬉しくなり、さらに奥へ進もうとする。そこへ覆面で顔を隠した人物が現れ、2人に矢を向ける。友蔵と茂次は「天狗だ」と叫び、慌てて逃げ出す。だが、それは天狗などではなく、山に暮らす少女・雷だった。彼女は父・理衛門と二人で炭焼き小屋に暮らしていた。彼女は山が乱されないよう、足を踏み入れた村人を脅して追い払っていた。
一方、江戸。斉道は徳川十一代将軍・家斉の子として生まれ、清水家の当主となっていた。彼は夜伽を務める榊原秀之助が転寝しているのを発見し、刀を抜いて襲い掛かった。榊原は慌てて逃げ出し、別の家臣・瀬田助次郎が制止に入って斉道に「人を殺めるのは一大事でございます」と告げる。斉道が刀を振り回すので、助次郎は身をかわした。すると斉道は、急に倒れて眠り込んでしまった。
用人の榎戸角之進は助次郎に、斉道が幼い頃から病を患っていることを告げる。「心の病でしょうか。こちらにお仕えしてから殿の笑い声を聞いたことがありません」と助次郎は述べた。庄屋の生まれで百姓だった助次郎に、榎戸は「これより正式に清水家の家臣として取り立てる。殿の御傍には、お前のような家来が必要だ」と言う。斉道は幼い頃、狂った母から憎しみを向けられ、酷い扱いを受けたため、それが今も心の傷になっていた。助次郎が夜伽を務めた夜も、彼は幼い頃の悪夢で目を覚ました。
斉道から「眠れぬ。何か話をしろ」と言われた助次郎は、故郷の瀬田村のことを話す。「山に天狗がいます」と彼が行っても、斉道は全く信じなかった。すると助次郎は真剣な表情で、「本当にいるのでございます。いてもらわないと困るのでございます」と告げた。榎戸は江戸城へ行き、家斉と謁見する。大老の高山仙之介や老中の早坂門之助たちも同席している。早坂たちは斉道の乱心が酷くなっているという噂に触れ、「将軍家の家名に泥を塗ることは許されぬ」と言う。高山は榎戸に、手に負えなくなった時は斉道を抹殺するよう命じた。それは家斉の意向でもあった。
斉道は榎戸に、「余は恐ろしいのじゃ。幼い頃から苦しめられる悪夢。これは母上の血のせいなのか」と漏らす。典医は斉道に、静養を兼ねて江戸を離れてはどうかと勧めた。その静養先として瀬田村が選ばれ、助次郎は家臣の榊原や今泉鉄之助、榎戸たちと共に同行した。狩り場で鷹が指示に従わずに苛立った斉道は、助次郎が止めるのも聞かず、瀬田山へと馬を走らせる。榎戸の命令で助次郎たちが後を追うが、徒歩では全く追い付かなかった。
斉道は馬を降りて草原で寝そべる。空を見上げる。そこへ白馬に乗った雷が現れたので、斉道は刀を抜く。雷もナタを構え、2人は戦う。斉道は雷に投げを食らわせ、押さえ付けた。覆面を剥がした彼は、相手が女だと知って驚いた。彼は刀を振り上げるが、倒れ込んでしまう。雷が水を飲ませると、斉道は目を開いて彼女を抱き締めた。雷は「二度と森に入るな」と彼に告げ、白馬で走り去った。
斉道が島中藩に用意された別邸に戻った後、島中藩見廻役・鹿内六郎太が屋敷へやって来た。彼は助次郎の兄で庄屋を継いでいる助太郎を伴っていた。理右衛門は岩本藩の間者・田所文之進の前に姿を見せた。「裏切り者が、今さら命乞いか」と言う田所に、彼は「違う。取引がしたい。清水家の殿を暗殺する。それで島中藩はお取り潰しになるだろう」と持ち掛ける。田所が「何が望みだ」と尋ねると、彼は「娘に手出しはするな。それだけだ」と答えた。
斉道は再び山へ行き、「出て来い、天狗」と呼び掛ける。そこに理右衛門が現れ、斉道に襲い掛かる。しかし雷が「親父様!」と叫んで制止に入った。彼女は「二度と森に入るなと言ったはずだ。去れ」と斉道に怒鳴り、彼を追い払う。理右衛門が「なぜあの男を庇った?」質問すると、雷は「親父様こそ、なぜ殺そうとした?」と逆に問い掛けた。
斉道は屋敷に戻り、助次郎に女の天狗を見たことを語る。すると助次郎は「その天狗は私の妹に違いありません」と言う。理右衛門は雷に、「20年前、岩本藩士だったワシは藩から密命を受けた。庄屋の娘をかどわかし、殺せと。お前の名は雷ではない」と語る。雷の正体は庄屋の娘・遊だった。理右衛門が巨木の下で赤ん坊を絞め殺そうとした時、落雷で巨木が真っ二つになった。理右衛門は赤ん坊を殺せず、岩本藩を裏切って逃げたのだった。
理右衛門は雷に真実を明かした後、「いつか村に返さねばと思いながら、出来なかった。暗殺に失敗した今、ワシは山を去る。お前は瀬田の家へ帰れ」と告げた。助次郎は斉道に、島中藩と隣の岩本藩が長年に渡って水を争って揉めていたことを説明する。20年前、岩本藩が瀬田村に水路を変えろと強引に要求した。庄屋だった助次郎の父が拒否したため、報復で産まれたばかりの遊がさらわれたのだ。その後、山に天狗がいるという噂が広まり、助次郎はずっと遊だと信じていたのだという。
助次郎は斉道に「明日、私も山へ行かせてください」と申し入れた。彼は実家へ戻り、遊が生きていることを母・たえ、助太郎、助太郎の女房・お初に告げた。その夜、一人で巨木を訪れていた雷は、山から火の手が上がるのを目撃した。急いで戻ると炭焼き小屋が燃えており、外には理右衛門が雷のために編んだ草鞋が残されていた。翌朝、雷は瀬田の家へ戻った。助次郎たちが遠巻きに見つめる中、たえだけは一目で娘だと気付き、涙で抱き締める。だが、雷は家族を受け入れようとせず、拒絶する態度を取った。
鹿内は斉道に宴を用意して接待し、たえと助太郎は着物に着替えさせた雷を連れて来た。斉道に挨拶するよう促された雷は片膝を立て、「正座などしていられるか。この男はいつ刀を抜くか分からん」と口にした。斉道が「あの男のようにか」と微笑すると、雷は「親父様はもういない」と言って外に出る。斉道は庭で白馬を撫でている彼女に歩み寄り、「美しい馬だ」と声を掛ける。「山で産まれて共に育った。風を切って走る」と雷が口にするので、斉道は「山へ行きたいのか?」と尋ねる。雷が「かか様が嫌がる」と言うと、彼は「余を山へ案内しろ。なら行けるだろ」と持ち掛けた。
斉道は助次郎に、「お前の母親は気の毒だな。山で育った娘は里には馴染めない」と語った。助次郎が「そんなことはありません。母の優しさに触れて遊は変わるはずです。子を思う母の心が人を育てるのです」と述べると、斉道は「子を思う母の心が人を育てると言ったな。子を思う母がいないと、人は育たないというのか」と激怒し、刀で襲い掛かった。榎戸たちが騒ぎに気付き、制止に入った。
榎戸に「殿はご自分でお分かりのはず。殿はうつけに甘えているだけなのです」と諭された斉道は、「お前らは分からぬ」と喚いて刀を振り回す。そこへ白馬に乗った雷が現れ、「迎えに来たぞ。山を案内してやる」と告げる。彼女と山へ向かった斉道は、「お前に、余はどのように見える?余は殿か。それとも病に冒されたうつけか」と質問した。雷は「どちらでもない。お前はお前だ」と答えた。
斉道が「山の奥には何がある?」と訊くと、雷は「親父様と俺の炭焼き小屋があった」と言う。「もっと奥だ。山を越えた所」と尋ねると、彼女は「知らん。行ったことが無い。親父様に止められていた」と答える。斉道は「海かもしれないな。いつか行ってみたいな」と口にしたる大雨が降り出す中、雷は「里の暮らしは窮屈だ」と叫び、「お前も叫べ。何でもいいから」と斉道に促す。斉道がためらっていると、彼女は「親父様の嘘つき」と叫んで微笑した。斉道も微笑み、「父上の馬鹿者」と叫んだ。
雨が上がった後、2人は巨木へ赴いた。斉道は「遊、江戸へ来ぬか」と誘うが、雷は「江戸に山はあるか。山が無ければ俺は暮らせぬ」と言う。斉道が巨木を眺めて「不思議な木だ」と漏らすと、彼女は「親父様は、この木に雷が落ちたのは俺が産まれた時だと言っていた。ずっと信じていたのに。雷という名の俺は、どこかに消えてしまった」と語る。「雷桜。この木の名前だ。どうだるお前の木だ」という斉道の言葉を受け、雷は「俺の木」と嬉しそうに呟いた。斉道は「必ず会いに戻って来る」と言い、手に入れておいた櫛を雷に贈る。彼は雷を後ろから抱き締め、「必ず会いに来る」と告げてキスを交わした。そして彼は家臣と共に、江戸へ戻って行った。
やがて季節が変わり、夏が訪れる。理右衛門は密かに山へ戻り、雷の暮らしぶりを覗き見る。雷は山へ足繁く通い、炭を作り始めていた。仲の良い夫婦を見て羨ましがる雷に、たえは「遊も好きな人が出来れば、あの2人のような夫婦になりますよ」と告げる。斉道は家斉に呼び出され、江戸城へ出向く。家斉は紀州徳川家の藩主に男子がいないことを語り、娘である菊姫の婿になれと命じた。そうなれば次の将軍になる目も出て来る。「受けてくれるな」と言われた斉道は暗い顔になり、何も答えなかった。
雷は助次郎からの手紙で、斉道が紀州徳川家へ行くことを知る。「殿は俺に会いに来ると約束してくれた」と声を荒げる彼女に、助太郎は「身分をわきまえろ。紀州徳川家に迎えられる殿が、お前になど会いに来るわけがない」と告げる。雷はたえに、「かか様、殿と俺は何が違う?身分とは何だ」と尋ねた。たえは「生まれながらの定めです。人の力では変えられないものです」と答える。「定めに逆らったらどうなる」と雷に質問され、たえは困惑しながら「それは、母にも分かりません」と言う。一方、斉道は助次郎に「お前の命、預けてくれ。今生の別れに一目、遊に会いたい。会って別れを言わねばならぬのだ」と頼んだ…。

監督は廣木隆一、原作は宇江佐真理(角川文庫刊)、脚本は田中幸子&加藤正人、プロデューサーは平野隆、スーパーバイジングプロデューサーは久保田修、共同プロデューサーは岡田有正&福島聡司、アソシエイトプロデューサーは幾野明子&石黒研三&八尾香澄、撮影は鍋島淳裕、美術は部谷京子、照明は豊見山明長、録音は深田晃、編集は菊池純一、視覚効果は橋本満明、衣裳デザインは黒澤和子、助監督は宮城仙雅、殺陣は深作覚、馬術指導は田中光法、所作指導は橘芳慧、脚本協力は松田環&島田朋尚、音楽は大橋好規、音楽プロデューサーは桑波田景信。
主題歌『心』 Perfomed by:舞花、Words by:舞花/ソンルイ、Music by:ソンルイ、Arranged by:松岡モトキ/伊藤隆博。
出演は岡田将生、蒼井優、時任三郎、小出恵介、宮崎美子、坂東三津五郎(十代目)、池畑慎之介、大杉漣、柄本明、和田聰宏、須藤理彩、若葉竜也、忍成修吾、村上淳、高良健吾、柄本佑、ベンガル、斎藤歩、斎藤工、山本浩司、安藤玉恵、河井青葉、佐藤佐吉、森下能幸、柄本時生、坂東工、中田裕一、池口十兵衛、松井晶熙、飯田孝男、奏谷ひろみ、吉谷彩子、泉真琴、櫛田拓哉、山川金作、高橋佑旗、遠藤璃菜、賀川僚介、木村和恵、斉藤彩、須田理央、黄田明子、岡けいじ、荒井隆人、永井裕久、阿部昌広、大橋寛展、濱崎晋丞、川西祐樹、尾崎雅幸、金子太郎、矢嶋辰徳、吉本信也、辻龍也ら。


宇江佐真理の同名小説を基にした作品。
監督は『恋する日曜日』『余命1ヶ月の花嫁』の廣木隆一。
脚本は『トウキョウソナタ』の田中幸子と『雪に願うこと』『クライマーズ・ハイ』の加藤正人による共同。
斉道を岡田将生、雷を蒼井優、理右衛門を時任三郎、助次郎を小出恵介、たえを宮崎美子、家斉を坂東三津五郎、田所を池畑慎之介、高山を大杉漣、榎戸を柄本明、助太郎を和田聰宏、お初を須藤理彩、榊原を若葉竜也、今泉を忍成修吾、鹿内を村上淳、友蔵を高良健吾、茂次を柄本佑、早坂をベンガル、もう一人の幕府老中を斎藤歩、田所の手下の一人を斎藤工が演じている。

まずアヴァン・タイトルのシーンに、観客を惹き付ける力が無い。
高良健吾と柄本佑の芝居の台詞回しに萎えるし(悪い意味で力が抜けているし、ちっとも時代劇の台詞回しになっていない)、アクションの見せ方もマズい。
川向こうにいたはずの雷が、いつの間にか2人の背後に回っているというところのカメラワークも冴えない。
それと、雷が覆面を外して指笛を鳴らすところでタイトルを入れるのなら、そこはハッキリと顔を見せて「正体は少女、っていうか蒼井優ですよ」ということをキッチリとアピールすべきだろう。
アピールしないのなら、何のために覆面を外したのかってことになる。明かさないのなら、そこは顔を隠したままの方がいい。

蒼井優は若手女優の中では演技力のある部類に入ると思うのだが、今回の役は、さすがにミスキャストがキツすぎて手に余ったようだ。「山で育った野生の娘」というのは、まあ無理があるわな。
「生意気な口調の不思議ちゃん」とかいうことなら、全く問題は無いだろうけど。
ワイルドな野生児っぽさって、まるで蒼井優には感じないしね。
どうして製作サイドは彼女にオファーしたんだろうか。

時代劇っぽい台詞にしてあるが、完全な時代劇口調というわけではなく、現代風の言葉とチャンポン状態になっている。
それでも時代劇っぽい台詞ではあるが、ぶっちゃけ、発声も含めて、まるで口に馴染んでいない俳優ばかり。
だから、余計に陳腐な印象になってしまう。
いっそのこと、完全に現代劇の口調にしちゃった方がマシだったかもしれない。
どうせアイドル時代劇みたい感じなんだし。

監督は時代劇ではない時代劇を撮ろうと思ったらしいけど、昔なら時代劇映画が本流だったから、そこに現代劇のテイストを盛り込んだりするのは、方向性として理解できる。
でも今は、時代劇って数少ないモノになっているので、そこで「時代劇ではない時代劇」と言われても、いかがなものかと。
せっかく時代劇を作るのなら、時代劇らしさを出してほしいと思うんだよな。それをやらないのなら、じゃあ現代劇でやればいいんじゃないのかと。
なんかねえ、時代劇の演出や台詞回しが無理なので、真正面からの時代劇に取り組むことを避けたようにも思えるんだよね。

これが昔の東映がやっていた「明るく楽しい時代劇」みたいな中身になっているのなら、そして例えば「時代劇なのに現代の道具や風俗が登場する」という演出があるなら、「時代劇ではない時代劇」という方向性も分からないではない。
それだったら、時代劇というジャンルじゃないと、「それを崩す」というところの面白さが出ないしね。
でも、そうじゃないんだよね。
「見た目は時代劇っぽくしておいて、でも時代劇にしている意味が感じられないような物語」ということになっているのだ。

草原での戦いで、斉道が刀を振り上げた時の、雷の怯えたような表情は違和感がある。
ずっと強気で男勝りで、村人たちを脅かしていたような奴なんでしょ。
だったら、斉道が刀を振り上げただけで、なんでビビってんの。なんで弱々しい感じになっているの。
しゃがんだ状態からでも、反撃のチャンスを窺うとか、刀をかわそうとするとか、そういう態度の方が自然だと思うんだけど、なんで観念したようになって、全く次の行動を取ろうとしないのか。

その後、倒れた斉道に雷が口移しで水を飲ませる行動も良く分からん。
それが現代におけるキスのような意味合いを全く持っていない行動ってのは分かるよ。
ただ、監督は明らかに「キス」を意識して、そのシーンを用意しているよな。
でも、「水筒から水を飲ませても目を開けないから、今度は口移し」という雷の行動には、無理しか感じない。さっきまで殺し合いをしていた相手なのに、そこまでするのかと。
あざとさばかりが目立っている。

目を開いた斉道がガバッと雷を抱き締めて「風が気持ち良い」と言うのも、「はあっ?」ってな感じだ。
さっきまで殺し合いをしていた相手が女だと分かった途端に抱き締めるって、ただの女好きじゃねえか。
まるで抒情的なシーンのような演出しているが、変だぞ。
彼に「このままでいてくれ」と言われた雷も、抵抗をやめておとなしく抱き締められているけど、まるで説得力の無いバカバカしいシーンになってしまっている。

で、雷はおとなしく抱き締められたくせに、立ち去る時には厳しい口調で「二度と森に入るな」と睨み付ける。
どういうことなのかと。
「一瞬、彼の孤独に触れて心が和らぐが、我に返って突き放す」ということであるなら、そこを表現しなきゃいけない。
だが、おとなしく抱き締められた後、空撮を挟んでシーンを切り替えると、立ち上がった彼女が冷たい言葉を吐いている。
そういうシーンの並べ方なので、ただの情緒不安定にしか見えない。

しかも斉道は、その出会いで雷に惚れたみたいなんだけど、んなアホな。
公開当時の惹句に「女は、恋さえ知らなかった。男は、愛など信じなかった。」とあるんだから、こいつは愛など信じない奴で、雷と出会ったことで変化が訪れるという展開になるべきじゃないのか。
出会ってすぐ、相手が女だと分かった途端に抱き締めて惚れていると、「最初から愛を知っている」という風にしか見えんぞ。

理右衛門は田所と会って「清水家の殿を暗殺する。それで島中藩はお取り潰しになるだろう。その代わりに娘に手出しはするな」と取引を持ち掛けるが、それは不可解だ。
その時点では、まだ雷に危機が迫っているような匂いは皆無なのに、そんな取引を持ち掛けて守らなきゃいけないと考えるのは、どうしてなのか。
斉道と会って戻った雷が普段と様子が違うように感じたとしても、それを「敵に狙われたのか」と取ったとは思えないし。
そう解釈したとすれば、ただのアホだし。

理右衛門が20年前を回想するシーンでは、巨木の下で赤ん坊を絞め殺そうとした時に落雷があって巨木が真っ二つになり、赤ん坊を殺せずに逃げたという流れになっている。
そういう演出だと、落雷があったから「何かヤバいんじゃないか」と理右衛門がビビって赤ん坊を殺さなかったようにも見える。
そこは派手に演出するより、彼の苦悩や葛藤が見えるような静かな演出にすべきじゃないのか。
それと、そもそも「藩の間者が庄屋の娘を誘拐する」という筋書きに違和感を覚えるし。

あと、理右衛門は雷に自分が彼女を誘拐した過去を明かしているが、どうして、そのタイミングで打ち明けたのだろうか。
そこまで「どうしても話さざるを得ない」というところまで追い込まれているわけではない。なぜ斉道を殺そうとしたのかと問われても、黙っていればいいことだ。
今まで20年に渡って隠していたのに、自分が実の父親ではなく誘拐犯だという重大な事実を告白するタイミングとしては、きっかけがあまりにも弱い。
っていうか、岩本藩を裏切って逃げたのに、瀬田村の近くにある山に潜んでいて、よく今まで藩の連中に見つからなかったもんだな。

助次郎は20年前に妹が誘拐された事件を斉道に語り、「その後、山に天狗がいると噂が広まり、ずっと遊だと信じていた」と言っているが、だったら、なぜ今まで山へ行かなかったのか。
山へ行けば必ず彼女は現れるんだから、それで正体を確かめようとすれば良かったんじゃないのか。
今まで一度も、彼が山へ行って妹を捜そう、天狗が妹かどうかを確かめようとしなかった感覚は全く理解できない。

ずっと雷は山で暮らしていたのに、瀬田家に戻ってからカルチャーギャップに戸惑ったりする様子は全く見られない。
里の暮らしに上手く馴染めないからこそ、「里は嫌い、山がいい」ということになるんじゃないの。
まあ、里の暮らしへの戸惑いを描くとコメディーっぽくなっちゃう可能性はあるけど、コメディー色を入れてしまってもいいんじゃないかと思ったりする。
それこそ昔の東映の「明るく楽しい時代劇」にしてしまえば、台詞回しも現代風でOKなんだし。
そりゃ原作からは大きく逸脱する仕上がりになるだろうけどね。

雷は家族を拒絶する姿勢を見せていたはずなのに、なぜか宴には素直に着物姿で現れる。
なんで兄を「お前」と呼んで敵対心さえ見せていたのに、着物は素直に着るのか。
「他の面々には敵対的だが、たえは最初から自分に気付いて抱き締めてくれたので、彼女の言うことだけは素直に受け入れる」ということであれば、そういう表現が必要だ。でも、そういうのは無いから、そう解釈することも出来ない。
「山へ行きたいのか?」と斉道に問われた時の「かか様が嫌がる」というセリフで、雷が母だけは気にしていることは伝わるが、それだとタイミングが遅い。
それに、そういうことは短いセリフじゃなくて、ドラマの中で表現してほしいし。

炭焼き小屋が火事になるシーンって、「その火事によって理右衛門は死んだ」というミスリードを狙ったものだったのね。
その前に「ワシは山を下りる」というセリフがあったので、私は「理右衛門は小屋を燃やして山を去った」と解釈してしまったのよ。
だから、まるでミスリードの狙いに気付かなかったよ。
っていうか、そこで死んだと思わせる意味って、あまり無いようにも思えるんだけど。

斉道が助次郎に刀を向けているところへ雷が現れ、「迎えに来た」と告げるシーンがある。
その後、雷は斉道を白馬の後ろに乗せて草原を移動しながら会話を交わす。
それなのに、シーンが切り替わると、いつの間にか斉道は自分の馬に乗って一緒に走っている。
さらには、急に土砂降りになるのに、そこからシーンが切り替わるとピーカンに晴れ上がりで、さっきまで雨が降っていたという形跡さえ見られない。
その辺りはシーン転換がメチャクチャだ。

斉道から櫛を贈られた雷は「これがいい。俺にはこれが一番美しい」と嬉しそうに髪に挿しているけど、ってことは、山の暮らしでも似たような櫛は使っていたってことなのかね。
「山の暮らし」がどこまで里とかけ離れているものなのか今一つイメージが沸かないから、「櫛なんて使っていなかったんじゃないか。
どうして櫛を見た瞬間、それが櫛だと理解したんだろう」と疑問に思ったりするんだけど。
雷が幾ら庄屋の娘であっても、村人からすれば天狗として自分たちを恐れさせていた存在であることは間違いない。
だが、最初は戻ってきた雷を敬遠したり警戒心を抱いたりしていた村人たちが、次第に彼女を受け入れるようになっていくという流れは全く無い。
「何かの出来事があって、彼女への警戒心を解く」というようなきっかけがあれば、季節が変わった後で「村人たちが受け入れている」という様子を描いても違和感は無い。だけど、そういうのが無いので、「流れとか、完全に無視ですか」と言いたくなってしまう。

祭りの夜に村へ戻った斉道は、最初は「定めだ」と別れを告げようとするが、雷に「俺をかどわかせ。俺なら殿をかどわかせるぞ。怖くなんかない。俺は親父様のように積み人になれる」と言われると「一緒に逃げよう」と態度を変え、雷も賛同して、2人は海のある方へ逃げようとする。
その展開には、ちっとも共感しねえなあ。
それが「時代劇ではない現代的なカップル」ってことなんだろうか。
そりゃあ、その時点で雷は全く「定めとは何ぞや」ってのを理解していないから、別れを納得できないのは仕方が無いんだけどさ、そこはベタに「斉道は一緒に逃げようと言ってくれたけど、彼のために身を引く」という形の方が感動的になると思うんだよなあ。

あと、斉道と雷が駆け落ちしようとする辺りで岩本藩の間者どもが関与してくるんだけど、付け足し感がハンパない。
要らないよなあ、そいつら。「雷が身を引いて、紀州へ向かう(もしくは江戸へ去る)斉道を遠くから眺める」というところでピリオドにでもしておけば良かったんじゃないかと。
あと、雷の救出に現れた理右衛門があっさりと殺されるなら、火事で死んだというミスリードは得策ではない。
死んだと思わせておくのなら、「実は生きていて彼女のピンチに現れて助ける」というところに重要な意味を持たせるべきで、すぐに殺されてしまったら、その展開の効果が薄くなる。

斉道は江戸へ戻った後も将軍の命令を拒絶して雷と一緒になろうという決意を示し、その宣言を聞いた榎戸は「仕方がありません」と責任を取るために切腹する。
ここ、なんでお付きの侍はじっと見ているのか。すぐに介錯してやれよ。
榎戸が切腹してからベラベラと饒舌に喋るのも変だし。
あと、彼が犠牲にならないと斉道が雷を諦めて紀州へ行くことを決意できないってのは、まるで共感できない。

雷が紀州へ行く斉道をかどわかすために出掛けようとすると、たえは「例え離れていても、相手を思う気持ちがあれば心は一緒なのです」と綺麗事を言うが、全く心に響かない。
雷が斉道の行列に突っ込んで「迎えに来たぞ」と叫ぶのも、まるで共感を誘わない。いつまで定めに逆らってグダグタやってんのかと。
それに、そんな無茶なことをして、なんで斉道の家臣たちに殺されずに済んでいるんだよ。
っていうか、「蛇足が長い」という印象が強いなあ。
で、そこから18年後にワープして、死去する斉道が雷の櫛を手にしているところまで見せるけど、そうなると菊姫が不憫に思える。
あと、18年が経過したのに、斉道も助次郎も全く老けていないのね。

(観賞日:2012年7月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会