『レインツリーの国』:2015、日本

大阪で生まれ育った向坂伸行は、入院している豊の介護に赴く。豊は息子をヘルパーだと思い込んでおり、それを伸行は受け入れて振る舞っている。父の体を拭き終えた伸行は、医師の澤井徹に挨拶して病室を去る。実家では母の文子が美容室を営んでいるが、年内で閉店することが決まっている。就職のために上京する伸行は、部屋を片付ける。本棚を見た彼は、高校時代に読んでいた『フェアリーゲーム』という小説が上巻と中巻しか無いのに気付く。下巻を探した彼は兄の宏一に尋ねるが、「そんなん知らんわ」と言われる。
下巻の結末を覚えていなかった伸行はネット検索し、『フェアリーゲーム』の感想を綴っているブログ『レインツリーの国』を見つけた。管理人の「ひとみ」という女性にとって『フェアリーゲーム』は、当時の自分と同年代の学生たちが活躍する内容であり、忘れられない本だと書かれていた。そこには最後に主人公カップルが引き裂かれたこと、クラスメイトがヒロインのことなど忘れて日常に戻ったこと、 ひとみは10年が経過して大人になり「愛さえあればなんてウソだよ」という台詞の意味が分かると書いていた。東京のイースト食品で働き始めた伸行は、ひとみにメールを送った。彼は同じような感想だったので親近感が湧いたことを綴るが、「私が彼女でも別れます。だってそれしかないから」という部分に関しては反論した。数日後、ひとみから返信が届き、伸行は自分の考えに理解を示して礼を言ってくれたことに感動した。
すぐに返事を書こうとした伸行だが、先輩社員の井出広太から「がっつき過ぎだ。メールは寝かせろ。肉と一緒だ。熟成時間は今夜9時まで」と助言される。その夜、伸行は9時を待ち、すぐにメールを打った。その後も彼は、ひとみとメールのやり取りを続けた。伸行は「ひとみさんに会いたいです。会って、話してみませんか?」と持ち掛けるが、そこから5日間も返事が無かった。落胆する伸行に井出は「諦めろ」と告げ、懇親会という名の社内合コンに誘い出した。入社3年目のミサコから話し掛けられた伸行は無愛想な態度を取り、場の空気を悪くする。
伸行は帰りの電車で、「軽い気持ちで言うただけやし気にせんとってな」というメールを送ろうかと考える。そこへ、ひとみから「私も会ってみたいです。でもその分、怖い気持ちも強いです。会ってガッカリされるのが怖いんです」というメールが届く。伸行は「ガッカリなんて絶対ないわ。オレは、君の中身が好きなんやから。ぶっちゃけ、マジで会いたい、マジで」と送信し、ひとみから「今度の土曜日、どうですか?という返事か届いて喜んだ。その後のやり取りで、伸行は彼女のフルネームが人見利香だと知った。
土曜日、伸行は雨の中で駅構内の書店へ赴き、ヘッドホンを付けて『フェアリーゲーム』を読んでいた利香に話し掛けた。書店を出た伸行は、利香をランチに誘う。入った人気店が混雑していると、利香は「もっと静かな店がいいです。混んでる店、好きじゃないんです」と言う。伸行は困惑しながらも、人の少ない店へ移動した。彼が「天気、残念やったな」と言うと、利香が「そんなことないですよ、私も会いたかったですし」と口にする。
伸行が映画に誘うと、利香は「洋画がいいです。字幕がいいです」と告げる。字幕版が売り切れだったので伸行が吹替版を選ぼうとすると、彼女は「字幕が無いなら別の映画がいいです」と言う。伸行が邦画を提案しても、彼女は「洋画の字幕にして下さい」と主張した。伸行は「字幕やったら何でもええねんな?」と不快感を抱くが、彼女の要求を飲んだ。映画を観終わると、利香は伸行の様子を見て「もう、お開きにした方が良さそうですね」と告げる。
利香は「私、ホントは」と何か言い掛けるが、エレベーターが来たので乗り込む。すると重量オーバーの規制音が鳴るが、利香は降りようとしない。伸行は利香の手を荒っぽく引っ張り、不満を漏らす他の客たちに謝罪した。利香は伸行から「自分さえ良かったらええんか」と怒鳴られ、「重量オーバーだったんですね」と呟く。彼女が頭を下げて詫びた時、伸行は補聴器に気付いた。利香は伸行に、「一回だけだったら、これも気が付かれずに済むんじゃないかと思っていたけど」と告げた。
利香は伸行に「会えて嬉しかったです。途中までは普通の女の人みたいにデートできて。今日のことで嫌いになってなかったら、メールとか続けさせてほしいです」と語り、泣きながら走り去った。利香は感音性難聴で、高い音が聞き取れなかった。帰宅した彼女は夕食の時、父の健次郎と母の由香里の前で苛立ちを示した。両親は心配しているだけなのだが、利香は「いつまでも子供扱いしないでよ」と声を荒らげて自分の部屋に戻った。
伸行は利香に、「ごめん。嫌な思いさせた。君を傷つけた。」「全然気付かんかった。耳が悪いやなんて、思ってもみませんでした。でも言うて欲しかった。君はオレの好きな人やから。」「もう一回君との糸が繋がりますように。」とメッセージを送った。その文面を読んだ利香は、反発する返事を考えて取り消した。利香は旅行会社の事務職として働いており、社内でのやり取りには筆談を使っていた。先輩OLからは、「忙しいのに面倒なんだよねえ、口で言えば済むこと、わざわざ書かなきゃならないなんて」と悪口を言われた。
利香は3年前の出来事がきっかけで「高音は聞き取りにくいんです」と説明していたが、先輩OLたちには「都合のいい言い訳」と誤解されてイジメの対象にされていた。利香は「同情されたくない。普通の女の子でいたかった私の気持ちなんて分かるはずもない。私とは違う世界の住人だから」というメッセージを伸行に送信し、もう連絡を取らないでおこうと決める。しかし伸行から仲直りのためのデートを提案され、メールのやり取りを再開した。
伸行はネットで難聴について勉強し、利香は質問を受けて自分の症状を説明した。利香は改めて「リハビリデートしてみいひん?」と誘われ、伸行と会うことにした。2人は前回と同じ書店で会い、洋画の字幕版を観賞した。伸行が食事を取る店を考えていると、利香はカラオケボックスを提案する。そこへ友人と映画館に来ていたミサコが駆け寄り、伸行に話し掛ける。彼女は「反省したの、失礼だったなあって」と謝罪し、友人の元へ戻った。
伸行は利香とカラオケボックスで夕食を取り、会社で作っている商品と名刺を渡した。利香は障害者枠で会社に採用されたこと、少し肩身が狭いことを話す。話しながら歩いている最中、カップルの男が「邪魔なんだよ」と利香にぶつかって立ち去った。利香が倒れ込んで軽い怪我を負い、伸行はカップルを追い掛けて「今突き飛ばした女の子、耳に障害持ってんやぞ。障害持ってる子突き飛ばして邪魔やとか、もっかい人が見てる前で言うてみい」と怒鳴り付ける。
利香は「やめてよ」と制止し、「大勢の人の前で、私の耳のこと言い出さないで」と泣いて抗議した。何をしたのか分からせたかったのだと伸行が言うと、彼女は「「無駄なんです。障害者はウザいとか記憶に残らない。私が貴方たち健常者に哀れな目で見られるだけです」と告げる。すると腹を立てた伸行は「自分だけが辛い思いしてるって思うなよ」と言い、3年前に脳腫瘍で倒れた父が家族の中で自分の存在だけ忘れてしまったことを明かす。
「俺は君を突っぱねていいよな。君が俺を突っぱねるみたいに」と伸行が冷たく言うと、利香は泣き出した。すると伸行は、「ごめん。君が泣いてくれて、気持ちええわ」と告げる。利香は「血が付いているからしれないので」と、黒のタイツを買ってきてほしいと頼む。伸行がコンビニへ言っている間に「今日は帰ります」とメモを残して姿を消した。伸行はミサコに利香のことを相談し、「それって甘えてるんだよ。口に出して言わないといけないとか、きっとプライドが許さないんだよ」と助言された。
利香は先輩から大量の仕事を指示され、残業を余儀なくされた。以前から利香に目を付けていた委託社員の村川は、彼女が話せないと思い込んで強姦しようとする。しかし利香が助けを呼んだので、警備員に捕まって連行された。伸行から「足の傷は治った?結構目立ってたから心配です」というメッセージを貰った利香は、彼に会いたくなってイースト食品の本社ビルへ向かった。しかし伸行がミサコと一緒にいるのを見た利香は、2人の関係を誤解して立ち去った…。

監督は三宅喜重、原作は有川浩『レインツリーの国』(角川文庫刊)、脚本は渡辺千穂、製作は横澤良雄&村田嘉邦&飯島三智、エグゼクティブプロデューサーは重松圭一、プロデューサーは沖貴子&中畠義之、ラインプロデューサーは岩本勤、撮影は柳田裕男、美術は松本知恵、照明は宮尾康史、録音は阿部茂、編集は普嶋信一、音楽は菅野祐悟。
主題歌『最後もやっぱり君』 Kis-My-Ft2 作詞・作曲:つんく、編曲:大久保薫。
出演は玉森裕太(Kis-My-Ft2)、西内まりや、高畑淳子、大杉漣、麻生祐未、矢島健一、片岡愛之助、森カンナ(現・森矢カンナ)、阿部丈二、山崎樹範、芦川誠、大塚洋平、信太昌之、山田真由子、小玉久仁子、柊子、伊藤有希、川越悠、大塚ヒロタ、麻生潤也、太一、山田陽大、田島賢太、佐藤栞菜、佐伯亮、三上亜希子、佐々木亮、雨宮舞香、みやきかのん、梅村優樹、渥美麗、赤坂由梨、斉藤翠、伊東沙織、仲美咲、寺田真珠、野村優喬、山内正恵、Lalo、Sergei.Iv、Alice、Ingo、Sevetlana.Kら。


有川浩の同名小説を基にした作品。
最初は『図書館内乱』の中で架空の作品として登場し、後に正式な小説として書き下ろされた。
監督は『阪急電車 片道15分の奇跡』『県庁おもてなし課』の三宅喜重、脚本は『恋する日曜日 私。恋した』『赤い糸』の渡辺千穂。
伸行を玉森裕太(Kis-My-Ft2)、利香を西内まりや、文子を高畑淳子、豊を大杉漣、由香里を麻生祐未、健次郎を矢島健一、澤井徹を片岡愛之助、ミサコを森カンナ(現・森矢カンナ)、広太を阿部丈二、宏一を山崎樹範が演じている。

まず早い段階で引っ掛かるのは、玉森裕太の大阪弁だ。
もちろん方言指導は付いているし、本人なりに頑張って覚えたんだろうとは思うけど、やっぱり違和感は否めない。
「原作の主人公が大阪弁だから」てのは分かるけど、無理して大阪弁に固執する必要も無かったんじゃないか。
「どうしても大阪弁は譲れない」ってことなら、ネイティヴで関西弁が話せる役者を起用した方がいいに決まっている。
大阪に限定せず「関西出身」ってことで考えれば、そういう若手俳優なんて大勢いるわけだし。

だけど、たぶん「まず玉森裕太の主演ありき」でスタートした企画だろうから、彼を外すことは絶対に出来ない。そうなると、無理して大阪弁を喋らせる必要は無いんじゃないかと言いたくなるわけよ。
この映画において、「大阪弁」ってのは、必要不可欠な要素というわけではないでしょ。そもそも主人公は東京の会社で働くわけだから、「大阪出身」という部分だって必要性を感じない。地方出身ということにしておけばいいし、っていうか東京出身でもいい。
少なくとも、方言じゃなく標準語であっても全く支障は無い。
むしろ無理に関西弁を喋らせたことが、余計な雑音になっているわけで。

原作はベストセラーになっているぐらいだから面白いはずだし、ってことは映画化に際して大幅に改変されているのだろう。そう考えないと納得できないぐらい、映画のシナリオは違和感のオンパレードになっている。
まず、『フェアリーゲーム』は「伸行が大事にしていた小説」という設定なのに、なぜか下巻が無い。
おまけに伸行は、高校時代に大切にしていた小説の結末を全く覚えていないのだ。
細かい描写や途中の展開ならともかく、大事な小説の結末を忘れるなんてことは、ちょっと考えにくい。だが、この映画では、そういう不可思議な事態が起きている。

下巻の結末が気になった伸行は、すぐにネットで「フェアリーゲーム 下巻の結末」を検索する。
その段階で彼は、まだ少しの時間しか下巻を探していない。もっと部屋中を調べれば見つかるかもしれないのに、そういう作業を放棄する。大事にしていたはずの小説なのに、その程度の扱いなのである。
そもそも「簡単にネット検索で結末を知ろうとする」という行動自体に、引っ掛かるモノがある。
伸行が『フェアリーゲーム』に対して全く思い入れが無いのであれば、それも分かるのよ。だけど、大事にしていた小説なのに、もう少し「結末はどうだっっけ?」とか考えてみようとは思わないのか。大事にしていた小説なら、粗筋や展開を思い出していけば、結末に辿り着く可能性もあるだろ。
ブログの内容を読んで「そうやった、俺もショックやった」と呟いているけど、そんなにショックを受けたなら、なぜ覚えていないのか。

結末を知った後、伸行が改めて『フェアリーゲーム』の下巻を探して発見した形跡はない。書店へ出掛け、改めて購入した様子も無い。
これが「もう絶版になってしまった本」ってことなら分かるが、今でも普通に売っている本だ。しかも書店での並び方を見る限り、今でも人気がある本のようだ。
でも伸行は買わないのだ。
それどころか、彼は利香とメールで『フェアリーゲーム』について話すのも少しだけだし、会ってからは本に関する話題なんて全く出て来ない。
なので『フェアリーゲーム』は彼にとって、「利香に会うための口実」に過ぎなくなっている。

伸行は利香のブログを読んで、彼女にメールを送る。すると、その文面が彼のモノローグとして語られ、画面にも表示される。
どっちか片方で良くないか。
あと、メールの文面まで関西弁ってのは、違和感があるぞ。
「伸行の語りも入れるため」という事情があったのかもしれないけど、そこまで大坂の人間は関西弁に固執しているわけでもないんじゃないか。むしろ伸行みたいにメールでも関西弁を使う方がマイノリティーだと思うぞ。
だけど、あえて「マイノリティー」ってことを意識して関西弁のメールにしてあるならともかく、そういうわけでもないし。

伸行が利香に向けて思いを綴った長文のメールは、ハッキリ言って気持ち悪い。本人も自覚があったらしく、送信してから「どないしよう、気持ち悪がれたら」と口にする。
だけど、そう思うなら、なんで長文を綴って送信したのかと言いたくなるのよ。
彼は「伸」という名前を打ち込んた直後、「しもた」と焦っているけど、おかしいでしょ。それは「誤って送信ボタンを押した」という反応だけど、すんげえスムーズに名前まで打っていたじゃねえか。
「送信する気は無かった」ってことなら、そこまでの行動は全て整合性が取れないぞ。せめて「気持ち悪いかなあ、やっぱり送るのをやめようかなあ、文章を短くしようかなあ」という迷いぐらい見せろよ。

伸行は利香と少しメールのやり取りをしただけで、すぐに「ひとみさんに会いたいです。会って、話してみませんか?」と持ち掛ける。
そのきっかけは、町を歩いているカップルや女性を見たからだ。つまり彼は、「彼女が欲しい」と思っただけだ。
それは若い男として自然な感情だから、批判しようとは思わない。ただ、「あまりにも拙速だろ」とは言いたくなる。
劇中の日数経過は全く分からないけど、まだメールのやり取りが始まってから、それほど時間は経っていないはずだ。それこそ井出の言うように、がっつき過ぎだわ。

でも、本人も「がっつき過ぎ」を自覚して後悔している様子があるから、その段階では好感度を大きく下げるトコまでは至らない。しかし社内合コンのシーンで、彼は一気に株を下げる。
まずミサコの容姿について、「ああ、メイク上手いなあ」と冷淡に言う。彼女が「向坂君の関西弁って、ちょっといい感じだよね。関西弁で好きって言ってみて」と頼まれると、「俺は九官鳥やオウムとちゃうから、好きって言葉は大事やから、ちょっと会っただけの人に意味なく言いたないわ」と面倒そうに告げるのだ。
いやいや、社内合コンの場だぞ。その程度のサービスが、なぜ出来ないかね。それは「不器用」とか「空気が読めない」ってことじゃなく、ただのクソ野郎だわ。
「利香からメールが届かないからイライラしていた」ってのを言い訳にするなら、せめて「社員たちの様子を見てハッとする」とか、「慌てて誤魔化そうとする」とか、何かしらのリカバリーが必要でしょ。
だけど、そういう様子も全く無いから、「そもそも性格に問題がある失礼な奴」にしか見えないのよ。

利香とデートした時、伸行は洋画の字幕版に固執する利香に苛立ち、エレベーターの規制音が鳴っても無視する彼女に激昂する。
だけど、それまでの様子を見ていて、「なにか変だな」と気付かないのかと。まあ気付かないから怒鳴るんだけど、まるで共感できないわ。その鈍感さに対して、むしろ苛立ちを覚えるぐらいだ。
せめて「なぜ洋画の字幕版に固執する理由は何なのか」と尋ねろよ。
エレベーターの規制音に関しては、利香が微動だにしないのを見て「自分さえ良ければいいと思っている女」と思うのは、どんだけ性格が悪いのかと言いたくなるわ。そこで「何か変だ」と気付けないのは、人間として欠陥があるだろ。

ただし、利香の方にも問題はある。
「なぜ最初に感音性難聴のことを話さないのか」ってのは、たぶん多くの人が言いたくなることだろう。それを最初に言っておけば、何の問題も起きなかったわけで。
もちろん、設定として「難聴を知られたくなかった」「普通の女の子としてデートしたかった」という理由になっているのは分かるのよ。
だけど、そういう設定を理解した上で、それでも「最初に話せよ」と言いたくなるのよ。
それを隠そうとした彼女に対して、共感も出来ないし同情心も沸かないのよ。

利香の健常者に対する偏見は、「こじらせているなあ」と感じさせるレベルに達している。
やたらとヒステリックに喚いて、「健常者に障害者のことなんて分からない」と主張するのは、ハッキリ言って相当にウザい。
ミサコが評するようにプライドが高すぎるんだろうけど、かなり面倒な女だ。
伸行に「めんどくさいけど、そういう彼女に惹かれるんだなあ」と言わせているように、その面倒な部分も含めて「魅力的な女性」として受け入れなきゃダメなんだろうけど、そう見えないんだから仕方が無い。

ただし、その後の言動も含めてどっちが厄介なのかというと、それは明らかに伸行の方だ。
カップルの男が利香にぶつかって転倒させた時、「今突き飛ばした女の子、耳に障害持ってんやぞ。障害持ってる子突き飛ばして邪魔やとか、もっかい人が見てる前で言うてみい」と彼は怒鳴り付ける。
だけど、その状況で耳の障害は何の関係も無いでしょ。利香の耳に障害が無かったとしても、同じことでしょ。
そこで「後ろから来た男がぶつかって転倒させた」ってことに対して激怒するのではなく、「障害がある子にぶつかった」ことに激怒するのは、どう考えても間違っている。
それは利香が嫌がっていた「同情」が顕著に、そして間違った形で表れていると断言できる。

伸行は利香から「私が貴方たち健常者に哀れな目で見られるだけです」と言われると憤慨し、「自分だけが辛い思いしてるって思うなよ」と言って、3年前に脳腫瘍で倒れた父が家族の中で自分の存在だけ忘れてしまったことを明かす。
だけど、それって利香の主張に対する反論になってないでしょ。完全に話がズレてるでしょ。
っていうか、そもそも「伸行が父から忘れられている」という要素が、メインである恋愛劇と全く融合していないのよ。
そこがバラバラのままなので、「だったら要らなくね?」と思うぐらいだ。

伸行は利香へのメールやLINEで、早い段階から「好き」という表現を使いたがる。「君の中身が好きなんやから」とか、「君はオレの好きな人やから」と、メッセージを送る。
そういう言葉を何の照れも無く使えるのは、良く言えば「現代の若者らしさ」なのかもしれない。
ただ、それがプラスに作用しているのかというと、答えは完全にノーである。
早い段階から、ものすごく安易に「好き」と表現していることによって、伸行が軽薄な男に見えるし、利香への気持ちも安っぽく感じるのだ。

(観賞日:2017年5月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会