『ラブファイト』:2008、日本

大阪。立花稔と西村亜紀は幼馴染みで、いつも一緒だった。幼稚園の頃、男の子たちにイジメられている稔を見つけた亜紀は、助けに入る 。彼女は男の子たちを殴って追い払った。「ケンカ弱いもん」と稔が泣くと、亜紀は「泣くなや」と蹴りを入れる。中学時代、美人で頭の いい亜紀はモテモテだが、実はケンカが得意な暴れん坊だった。稔は不良の早乙女国春と手下たちに囲まれ、亜紀を紹介しろと脅される。 稔はビビりながら「いつでも紹介します」と言うが、そこへ亜紀が現れ、早乙女たちをボコボコにした。
高校に入っても、相変わらず稔はヘタレで、いつもイジメられているところを亜紀に助けられていた。亜紀に惚れている同級生の大垣は、 バレエをやっている彼女を見ながらデレデレする。彼は手下から「彼氏がいるっていう噂、知ってますか」と言われ、稔を追い回した。稔 は駐車場に追い詰められ、大垣たちに殴られる。そこへ1人の男が通り掛かり、稔を助けてくれた。稔が後を追うと、その男は寂れた ボクシングジムへ入った。彼はジムの会長で元日本王者のジョー大木だった。
稔は大木に「入門させて下さい」と申し入れるが、「すまんな」と断られてしまう。たった一人の所属選手だったタケが網膜はく離で引退 するため、ジムを閉鎖することになったのだ。だが、タケが「会長の傍で働きたいんです。潰さんといて下さい」と懇願したため、大木は 稔を練習生として受け入れ、ジムを存続させることに決めた。大木は稔の拳にバンデージを巻き、ジャブの出し方を教えた。
ある日、ランニングで公園にやって来た稔は、中学時代の同級生・奥村恭子と遭遇した。彼女は稔が来るのを待っていたのだ。恭子は東京 へ引っ越したが、また大阪に戻っていた。稔に思いを寄せる恭子は、彼と同じ高校に転入していた。稔は恭子をジムに連れて行き、自分が ボクシングを始めたことを教えた。そこへタケが現われると、恭子は「私も一緒にボクシングを習いたいんです」と告げた。
学校で大垣に追われた稔が逃げ回っていると、亜紀が立ちはだかった。稔はロッカーに彼女を連れ込み、自分も身を隠した。扉が開かなく なったロッカーごと階段から転落したところへ、恭子が駆け付けた。彼女が喋ったことで、亜紀は稔がボクシングを始めたと知った。亜紀 は花を愛でている大垣の元へ行き、パンチを入れて「稔ちゃんをイジメたら、この西村亜紀が許さへん」と言い放った。
ジムでの練習を続ける稔のために、恭子は弁当を作った。恭子は中学1年生の頃から亜紀の裏の顔に気付いていたことを話し、「2人が 付き合っていると思ってた」と言う。稔は「ボクシングを始めたのは、あいつより強くなって自由になるためや」と告げた。タケは ダイエット目的のコースメニューを考え、数名の生徒が加入した。稔は大木のコーチングを受け、ミット打ちに汗を流した。
タケは大木に連れられ、恭子と共にお好み焼き屋で食事を取った。そこへ悪酔いした大木の元後援会長が現れ、絡んできた。店員の春菜が 彼を連れて行った後、大木は「世界チャンピオンの中には、いじめられっ子だった奴もいる」と語る。そして、ボクシングを始めたことで 、腕っ節だけでなく心も強くなったことを告げた。そこへタケが来て、「変な入門者が来た」と告げる。それは亜紀だった。亜紀は大木の 構えたミットに目掛けてパンチを打ち込み、入門することを決めた。
稔が「やめてくれ。なんで同じジムやねん」と抗議すると、亜紀は「私の勝手やろ」と告げる。。「バレエはどうすんねん」と訊くと、 「辞める」と簡単に言う。「ボクシングを始めたら、みんなバレるぞ」と稔が言っても、彼女は全く気にしなかった。ある日、ジムに女優 の三杉順子がやって来た。ボクシングが題材の映画で主人公の元恋人役を演じることになり、型だけでも教えてもらいたいと言う。有名な 女優の出現にタケは浮かれるが、大木は強張った表情を見せた。
稔は大木に「今日からスパーリングを始めるぞと言われ、リングに上がる。しかし大木がノーガードで近付いてきても、稔は怖がって全く パンチを放つことが出来なかった。稔は順子と飛行機を見に行き、心臓がバクバクしてパンチが出せなかったことを話す。すると順子は彼 をギュッと抱き締め、「これから、もっと心臓がバクバクするよ。だから若いって楽しいんじゃない」と告げた。
順子はジムの屋上で大木に声を掛け、「あの時、どうして来てくれなかったの」と尋ねる。かつて2人は恋人同士で、ある店で会う約束を していた。話してみると、お互いに店には入らず、近くから様子を窺っていたことが判明した。2人とも、約束を守ろうとしたが、その せいで会えなかったのだ。土手にいた稔は、ジョギングをしていた亜紀を呼び止め、「お前に蹴られる度にパンツが丸見えやった。その せいで人をドツかれへん」と言う。亜紀は「このヘタレ、アホらし」と呆れ、稔の腹にパンチを入れた。
亜紀は恭子から「立花君と私が付き合っても邪魔せえへん?」と訊かれ、「当たり前やんか」と答える。恭子は安堵の表情で「良かった」 と言った後、「西村さんが立花君を守ってきたことが、どれだけ立花君を苦しめてきたか知ってる?」と口にした。亜紀が「稔ちゃんの、 どこがエエの?」と尋ねると、恭子は「今までに恋をしてたら、立花君のエエとこ、一杯分かったはずやのに」と述べた。
亜紀は大木にスパーリングを申し入れ、半ば強引に相手をしてもらった。その様子を恭子はビデオに撮影し、亜紀の弱点をメモした。亜紀 は何発もパンチを繰り出すが、一発も当てることが出来なかった。大木は亜紀を連れて八幡ボクシングジムへ赴き、女子プロボクサーの ハザード・瑞樹とスパーリングをさせた。その様子を撮影していた恭子は怖くなり、ジムの外へと飛び出した。
恭子は稔に電話を掛け、「助けて」と告げた。恭子は稔に、「あんな怖いこと、もうでけへん。もうボクシングなんて無理」と漏らす。 「立花君、ボクシング続けるんでしょ?」と訊かれた稔は、「分からへん。もう、どないしてエエか分からんようになってきて」と言う。 恭子は「西村さんに勝って、私のことだけ、ちゃんと見てほしい」と言い、稔に抱き付いた。亜紀は大木に、「瑞樹さんは強いけど、 やっぱり男をドツいてスッキリしたい」と言う。彼女は、稔を守るために強くなろうとしたことを話した。
順子が出演する映画の主演俳優・芹沢学が、3年ぶりに大阪へやって来た。彼は以前、八幡ジムに所属していた。同行したプロデューサー の瀬戸は、出演女優に手を出す女好きとして有名だ。瀬戸は映画PRのために、芹沢のドキュメンタリー番組を製作することにしていた。 番組の中で彼は、芹沢のスパーリングシーンを入れたいと考えていた。大木は八幡を通じて、その相手を依頼された。瀬戸はヘッドギアを 付けずにスパーリングを行い、最後はKO負けしてもらいたいと告げる。八幡は「ジムのためだ。金が厳しいんだろ」と大木に告げる。 ジムの経営を考えて、八幡は大木に話を持ち込んだのだ。
ずっとジムをサボッていた稔は、大木に声を掛けられた。大木は彼に「今日はダメでも、明日はドツけるようになるかもしれん。10年 経ったらチャンピオンになれるかもしれん」と告げる。稔は大木に、亜紀に勝ちたいからジムに入ったことを明かした。大木は順子の撮影 を見学に出掛けた。順子は酷い扱いを受けても、従順に従っていた。瀬戸は大木に、かつて順子と彼が写真誌に取られてスキャンダルと なり、2人とも表舞台から消えたことを嫌味っぽく語る。瀬戸は「あいつも、この映画が最後のチャンスだって分かってるんです。そうで なければ、僕のホテルまで押し掛けてきませんかねえ」と言う。
芹沢のドキュメンタリー番組の撮影が始まった。彼は金持ちの息子だが、カメラに向かって貧乏な境遇だという嘘を何食わぬ顔で喋った。 続いて、スパーリング風景を撮影することになった。筋書きがあることを知らない稔や亜紀、タケは、大木が余裕で勝つことを信じて応援 する。実際にスパーリングが始まると、大木は全くパンチを当てようとせず、一方的に殴られた。稔たちは、台本があることを知った。 順子は稔に、大木が彼のために、そんなスパーリングをやっていることを告げる。
大木がアッパーを食らって倒れると、リングに上がった亜紀は飛び蹴りを芹沢に見舞ってKOした。大木は稔と亜紀を連れて、公園へ行く。 彼は稔に、「ドツかんかったら最後は負ける。こんな顔になるぞ」と言う。亜紀が「なんで世界チャンピオンになられへんかったん?」と 尋ねると、大木は惚れた女がいたことを告げ、「世界なんか捨てても構わへんと本気で思った」と述べた。
不意に亜紀は、「私、会長のこと好きかもしれん。キスしたい」と言い出す。大木は冗談として軽く受け流そうとするが、亜紀は「キス して」と求めた。大木は彼女を抱き寄せてキスをした。亜紀が立ち去ろうとするのを、稔が呼び止めた。すると亜紀は泣きながら「私の こと、ほっといたやんか」と言い、彼を蹴り倒した。ジムに戻った稔は激しくサンドバッグを殴り、大木に「亜紀に謝ってください。 あいつが泣いてるの、初めて見た」と詰め寄った…。

監督は成島出、原作はまきの・えり『ラブファイト 聖母少女』、脚本は安倍照雄、エグゼクティブ・プロデューサーは三宅澄二、企画は 渡辺敦、プロデュースは大沢たかお、プロデューサーは渡邉直子&遠藤奈緒子、製作は三宅澄二&橋荘一郎&気賀純夫&平野ヨーイチ& 福原英行&古玉國彦&北村陽&竹田富美則、撮影は藤澤順一、編集は洲崎千恵子、録音は深田晃、照明は上田なりゆき、美術は中山慎、 技闘は森聖二、ボクシング指導は田端信之、音楽は安川午朗、主題歌はファンキーモンキーベイビーズ『希望の唄』。
出演は林遣都、北乃きい、大沢たかお、桜井幸子、波岡一喜、藤村聖子、鳥羽潤、建蔵、三田村周三、坂本真衣、ツナミ(天海ツナミ)、 F ジャパン、後藤啓太、佐藤純、清典、高井田奨、小掘正博、植田紗帆、大八木凱斗、小堀成喜、松木奎樹、川上翔太、宇川壮真、 杉谷愛華、白浜千鶴子、都築俊、麻生美人、後藤健司、荒谷清水、福山亜弥、吉原伸一、山中正樹、皆川あゆみ、カワナベチカシ、 入木将司、西村寿、稲田広和ら。


まきの・えりの小説『聖母少女』(映画に合わせて『ラブファイト 聖母少女』に改題)を基にした作品。
脚本に惚れ込んだ大沢たかおが、出演だけでなく、初めて映画のプロデュースも担当している。
稔を林遣都、亜紀を北乃きい、大木を大沢たかお、順子を桜井幸子、タケ を波岡一喜、恭子を藤村聖子、芹沢を鳥羽潤、瀬戸を建蔵、八幡会長を三田村周三が演じている。
監督は『ミッドナイト イーグル』の成島出、脚本は『やじきた道中 てれすこ』の安倍照雄。

大木に助けられた稔が、ボクシングジムへの入門を希望するのは違和感がある。
それまでの、ひたすら逃げ回っていた軟弱なキャラからすると、自分から「強くなりたい」と思うところからして違和感がある。
強くなりたいと思ったとしても、自分からボクシングジムに入門したいと言い出すのは勇気のいる行為であり、そんな勇気すら無いような キャラに見えたのだ。
「いつも殴られているのが悔しい」とか、そんな気持ちが全く見えなかった。それも仕方が無いと感じているかのようなキャラに見えた。

大木がジム閉鎖の考えを撤回し、稔を練習生として迎え入れようとするのを、彼とタケの会話で表現するのは、筋書きとして乗れない。
そこは稔の熱い思いを受けて、大木がジム存続の意欲を取り戻すという形にした方がいいんじゃないのか。
もちろん、その場合、稔の性格を少しいじる必要があるけど。
いっそのこと、もっと泣き虫で情けないキャラにしても良かったかも。
で、「自分はホントにダメな奴で、もっと強ければと思ってるんです」と泣きじゃくるのをみて、大木が鍛えてやろうと思う流れに するとか。

大木は稔の拳にバンデージを巻いてジャブを教え、リングに上げているが、フィジカル・トレーニングの様子は描かれない。
まだ基礎体力が全く無い奴に、いきなり技術を教えるのね。
公園のシーンで恭子が稔に「毎日走ってるけど」と言っているが、その毎日のランニングは省略されているから伝わらないし、 あとランニングにしては、短距離走みたいな感じで走ってたのは引っ掛かるぞ。

それと、ランニングにしろ、サンドバッグ打ちにしろ、大木もタケも付いていないんだよな。
だから、ずっと稔が1人で練習しているように見えてしまう。ダイエットメニューの参加者が入門したシーンで、ようやくタケや大木が ジムで教えている様子が写るのよね。
あと、「稔がトレーニングを続けて、次第に体が絞れていき、技術も上達していく」という様子が全く見えない。
ダイジェスト的に、彼が練習を積んでいるシーンを挿入しても良かったかもしれない。

稔と亜紀がロッカーに隠れるシーンは、階段の踊り場に何も入っていないロッカーが置いてあるのが不自然。
で、そこで亜紀は稔がボクシングをやっていることを知るのだが、だったら次に「彼女がジムに現われる」というシーンを配置すべきで、 そこから彼が大垣をボコったり、ダイエットメニューの参加者が来たり、お好み焼き屋で元後援会長が絡んだりというシーンを挟むのは 冴えない構成だ。
亜紀の性格を考えれば、稔がボクシングをやっていると知ったら、すぐにジムへ行きそうなものでしょ。

稔からジムに入ることを抗議された亜紀は「あの会長、ちょっとイケてると思わへん?」と、大木が目当てであるかのような発言を する。
でも、それは嘘なんだよね。亜紀は稔に惚れているんだけど、それを隠しているのよね。
ワシはてっきり、開けっぴろげに好きな気持ちを言っちゃうタイプかと思ってたよ。
そこは分かりにくいなあ。
っていうか、そこはストレートに「私は稔ちゃんのことが好きだから一緒にいたいし、守ってあげたい」と言うようなキャラにしておいた 方がいいんじゃないかなあ。

亜紀がジムに入門したのだから、それ以降は稔と彼女がボクシングの練習を積みながら関係が変化して行くというドラマを描くのかと 思いきや、すぐに順子が絡んできて、あっという間に高校生の男女から目を逸らしてしまう。
構成が散漫で、落ち着きが無い。
落ち着きが無いってのは、勢いがあるっていう意味じゃないよ。
話の軸がグラグラしているし、焦点が定まっていないという印象がある。

稔は亜紀に「お前に蹴られる度にパンツが丸見えやった。そのせいで人をドツかれへん」と言うが、どういうことか全く意味が分からない 。
恭子は「西村さんが立花君を守ってきたことが、どれだけ立花君を苦しめてきたか知ってる?」と言うが、彼女が代弁した稔の心情が 上手く表現されていない。
恭子は亜紀に「今までに恋をしてたら、立花君のエエとこ、一杯分かったはずやのに」と言うが、正直、稔の良いところが見当たらない。
優しいわけでもなくて、ただのヘタレだし。

稔と亜紀の、お互いに対する屈折した愛情が上手く描写されていないので、2人がトレーニングを積む様子をカットバックで見せても、 何の効果も得られない。
大木は稔に対しても亜紀に対しても、2人が良いコンビだと語っているが、その「2人は良いコンビである」と感じさせるような描写も 出来ていない。
そういうことが強く感じられるほど、稔と亜紀の関係にピントが絞られていないし。

恭子は稔に「あんな怖いこと、もうでけへん。もうボクシングなんて無理」と漏らすが、彼女がボクシングのトレーニングをしている様子 って、全く描かれてないのよね。
入門したものの、稔に弁当を作ったりビデオを撮影したりと、ただ手伝いをしているだけになっている。
だから、そこで「ボクシングなんて無理」とか言われても、「そもそもボクシングやってなかっただろ」とツッコミたくなる。

稔は恭子から「ボクシング続けるんでしょ?」と訊かれて「もう、どないしてエエか分からんようになってきて」と言うが、その悩みが 全く伝わって来ない。
稔と恭子の恋愛劇も、上手く表現されていない。
これって青春恋愛劇のはずなんだけど、青春の瑞々しさとかドキドキ感とか、そういうモノが表現されていない。
あと、稔が「亜紀に守ってもらうのは情けないから強くなりたい」ではなく、「亜紀に勝ちたい」という気持ちでボクシングを始めたこと を大木に打ち明けているけど、その気持ちは全く理解できない。

大木が芹沢とのスパーリングでKO負けする筋書きを、タケにさえ話していないのは不可解。
本番になってタケが「会長に何したんや」とか喚いているけど、そういう声が入ったら番組が台無しになるだろうに、それを瀬戸が制止 しないのも不可解。
っていうか、そもそもスパーリングで相手をKOするシーンなんて、ドキュメンタリー番組で欲しい絵だとも思えないよなあ。まあ、そう いうセンスの無い演出をやらかすようなプロデューサーが携わり、三文役者が主演するような質の低い映画という設定なのかも しれんが。
そもそも、ボクサーの元恋人という役柄で、なんで順子にボクシングをやるシーンがあるのかワケが分からん。
ひょっとすると、それは順子の嘘で、ただ大木に会いたかっただけなのかもしれんが、それは映画を見ていても分からないので、「ワケの 分からん役を演じるんだな」としか思わない。

大木が芹沢とのスパーリングで一方的に殴られるのは、それを稔に見せ付けるためらしいけど、何が目的なのかワケが分からない。
後で大木は「ドツかんかったら最後は負ける。こんな顔になるぞ」と稔に言うけど、稔は「そんな目に遭うのは嫌だからボクシングを 辞めたい」という気持ちになるんじゃないか。
そこで「だから敵を殴ろう」と前向きになれるような奴なら、最初から「ビビってパンチが出せない」なんてことは無いだろうと思うぞ。

公園のシーンで、亜紀が「会長のこと、好きかもしれん。キスしたい」と言い出すのは、あまりにも唐突。
そりゃあ、それまでに彼女が大木をイケメンだと言ったり、好意を寄せているようなことを匂わせるシーンが無かったわけではないが、 違和感は拭えない。
「稔が近くにいるから」ということで、そんなことを言い出したのだとしても、その行動には合点がいかない。
そこに限らず、登場人物の言動が理解できないシーンが多くて、だから全く気持ちが乗らないのよね。

稔と亜紀の関係にしても、描きたいことは何となく分かるのよ。
ようするに、「素直に好きだという気持ちを表現できず、ボクシングを通じて初めて分かり合える」という筋書きにしたいんだろう。
だけど、その「素直になれない屈折した感情」という部分の描き方に納得がいかない。
っていうか、ちゃんと描けているとは思えない。

亜紀がスカートをめくってパンツを見せる時の、覚悟の無いデカパンは萎えるわ。
そこは、ちゃんとしたパンティーが必要でしょうに。
北乃きいの事務所的にNGだってことなら、むしろカメラが捉えない演出にした方がマシ。
あと、そういう筋書きになるだろうとは予想していたけど、最後、稔が亜紀と殴り合いを始めるのは、「女をマジで殴るのかよ」と、 かなり引いてしまうなあ。

後半に入ると、稔と亜紀の関係よりも、大木と順子の関係に重点を置いて物語が進行して行く。
でも正直、それって邪魔な要素でしかない。もっと抑えるべきだ。
っていうか、いっそのこと、順子なんか絡ませなくてもいいぐらいだ。原作のタイトルを考えたって、もっと亜紀と稔の関係を充実させる べきでしょ。
大人の世界のドロドロした人間関係って、青春の輝きを打ち消すだけだよ。大木と順子の関係が、稔と亜紀の関係との対比になっている わけでもなくて、ただ邪魔なだけだ。

ただし、どうやら原作でも、同じような構成になっているらしいんだよなあ。
とは言っても、「原作がそういう形だから仕方が無い」というわけではない。原作がそうだったとしても、それは明らかに物語の構成と して大きな欠陥なのだから、映画化する際に改変すべきなのだ。
っていうか、そんな大きな欠陥がある原作だとしたら、なぜ映画化しようと思ったんだろう。
大沢たかおは、この映画脚本のどこに惹かれて、プロデュースを引き受けようと思ったんだろう。
分からん。

(観賞日:2011年1月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会