『Little DJ 小さな恋の物語』:2007、日本

FM局の女性ディレクター・海乃たまきは、午前3時からの深夜番組を担当している。リクエストが全く来ないため、たまきはDJに こっちで作ったハガキを読ませた。彼女は部長から、番組の打ち切りを宣告されていた。スポンサーが替わるので、番組タイトルとDJが 変わり、今まで通りの番組構成で1ヶ月後に再開すると部長は語り、それまで休養するようたまきに勧めた。
自宅に戻ったたまきが沈んだ気持ちで深夜ラジオを聴いていると、DJが「中学生ぐらいの時って、ちょっとだけ年上の人が好きになる じゃないですか」と、キャンディーズの「年下の男の子」を題材にして語り始めた。それを耳にしたたまきは、中学時代のことを思い出す 。そもそも彼女が今の仕事を選んだきっかけは、ラジオの楽しさを教えてくれた一人の少年との出会いだった。
1977年、函館。中学1年生の高野太郎は自分で実況しながら野球の試合で代打に立ち、サヨナラヒットを打つが、走っている途中で倒れて しまった。母のひろ子が駆け付けると、彼は鼻血を出して保健室で休んでいた。帰宅した太郎は、ラジオを聴きながら野球実況を真似し、 庭で素振りをする。お気に入りの番組『ミュージック・エクスプレス』が始まり、太郎はDJ・尾崎誠の真似をした。
3日後、また太郎が鼻血を出して倒れた。ひろ子は養護教師から、病院で診察を受けるよう勧められた。彼女は妹・かなえが勤務する海辺 の高崎記念病院に太郎を連れていく。診察を担当したのはアメリカ帰りの若先生、高崎太郎だ。血液検査の後、太郎は全身に包帯を巻いた 姿で運ばれていく患者を目撃し、思わず「ミイラ人間だ」と漏らした。高崎はひろ子に「気になることがあるので詳しく検査したい」と 言い、正彦も連れてきてほしいと告げた。
駆け付けた正彦は若先生の説明を受け、「こんな田舎の病院で何が検査ですか」と激昂して太郎を連れ帰ろうとする。だが、太郎が鼻から 大量に出血してしまった。若先生は太郎に、「血液の成分のバランスが悪いので、数値が安定するまで入院が必要だ」と語った。入院する 内に、太郎は院内放送のクラシック音楽で曜日を当てられるようになった。曜日ごとに曲が決まっているからだ。
病室を抜け出して電線を辿った太郎は、林の奥にある一軒家に辿り着いた。ドアの鍵が開いていたので勝手に入ると、そこには大量の レコードや放送機材があった。太郎は勝手に音楽を流し、DJの真似を始める。そこへ家の住人が現れ、彼に拍手した。それは若先生の父 で、「大先生」と呼ばれる高崎雄二だった。彼は「とっておきの治療をやってみよう」と高野夫婦に提案し、太郎に病院内の昼間の放送で DJをさせることにした。
太郎は大先生の部屋で録音し、一曲目にはシュガー・ベイブの『SHOW』を選んだ。DJを始めた後の検査では、数値の回復が見られた。 太郎がトイレにいると、入院している少年コロとヌラ、コロの兄クラッチが現れた。クラッチは太郎をコロたちが入院している子供部屋に 案内し、「ここへ来て遊んでいいからな。一人部屋だとつまんないだろ」と告げた。カーテンで仕切られたベッドには、太郎がミイラ人間 と漏らした患者・たまきが眠っていた。その時、初めて太郎は、その患者が女の子だと知った。
太郎は大部屋に移ることになったが、かなえが「急患が入って、子供部屋ではなく大人部屋しか開いていない」と言う。しかし太郎は、 「それは構わない」と言い、大人部屋に移してもらった。同室になったのは、偏屈な捨次、温和な結城、無口な老女タエの3人だ。太郎が 挨拶すると、捨次は「ガキかよ」と吐き捨て、結城は穏やかに対応した。タエは太郎だけではなく、誰とも喋らなかった。
太郎は夜中に尾崎の番組を聴き、そのトークを参考にするためノートに書き留める。正彦は息子のDJに全く理解を示さず、「こんなのが 楽しいのか」と言う。太郎はクラッチに誘われて屋上でキャッチボールをやるが、思うように力が出ない。勝手にノートを見た正彦は、 「ALL」という文字だけ赤で書かれているのが気になった。結城は高野夫婦に、退院許可が出たことを話す。病室には彼の妻と息子の周平 が来ていた。病室に戻ってきた太郎は、正彦がノートを持っているのに気付き、「どうして勝手に見るんだ、いつも僕の嫌うことばかり。 もう来るな」と怒鳴り付けた。
正彦は太郎に機嫌を直してもらうため、輸入レコード店「ヘブンレコード」でクイーンのレコードを購入し、ひろ子に持って行ってもらう 。太郎が乱暴にレコードを投げ捨てると、周平が拾い上げて「そんな風に扱っちゃダメだ。傷が付いたら音が悪くなる。『愛に全てを』が 入ってる奴だろ。俺も同じレコードを持ってる。いいお父さんじゃないか。邪険にするな」と静かに告げた。
その夜、太郎は結城から「お願いがあってね。『愛に全てを』を昼の放送で掛けて欲しい」と頼まれた。息子が好きな曲を聴いてみたいと いう。「リクエストだよ」と言われた太郎は、本物のDJみたいだと喜んだ。だが、曲を流す前に、結城は退院した。周平が病院に来て、 自分のクイーンのレコードは父が買ってきたことを太郎に語る。彼の口から、結城の死が太郎に告げられた。翌日、太郎は生放送で結城の リクエストを掛け、患者に窓を開けて欲しいと頼んだ。
結城のベッドには、太郎より1つ年上のたまきが子供部屋から移動してきた。既に彼女の包帯は取れていた。太郎は彼女に好意を抱いた。 たまきは「太郎君の放送が始まってから入院生活が楽しくなったんだよ」と話し掛けてきた。太郎が夜中に眠れずロビーに出ると、捨次が ソファーに座っていた。彼は黒部でダイナマイトを扱っていたこと、いつ死ぬか分からないので休みになると女郎の元へ通っていたこと、 一人の女に本気で惚れたこと、好きだと言おうと思って彼女の元へ行くと病気で死んでいたことを話した。
捨次は太郎に「好きなら好きって言っちまいな。後悔するぞ」と言い、自分が惚れた女郎について「キレイな声だった。声ってのは、いつ までも残るんだよ。未だに聞こえてきやがる」と告げた。翌朝、太郎は捨次が脱走したのを知る。彼は入院費が払えなくなったのだ。その 夜、太郎は「怖くなった」と言うたまきと一緒に、お気に入りの番組『ミュージック・エクスプレス』を聴いた。
太郎は次の日から新コーナー「太郎の小部屋」を開始し、第1回のゲストとして看護婦の中嶋洋子を招いた。番組にはリクエストも届く ようになった。王選手の756号ホームランを打った後、コロが退院を迎えた。ある夜、空に浮かぶオリオン座を見た時、太郎はたまきに 「右の星の下にもう一つ星があって、それが見えると願い事が叶う」という『ミュージック・エクスプレス』で知った情報を告げる。だが 、その星は見えなかった。「見えたとして、何をお願いする?」と尋ねられた太郎は、戸惑いながら「秘密」と答えた。
たまきが退院することになり、太郎は大先生が選んだヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』をお祝いとして番組で流した。 たまきは「また、お見舞いに来るね」と告げ、病院を去った。太郎の血液検査の数値は悪化し、放送もしばらく休むことになった。ひろ子 は若先生とに、「あの子、病気のことを知ってるんじゃないかと思うんです」と言い、ノートにALLの文字があったことを告げる。 大先生から「放送はしばらく休もう」と告げられた太郎は、「僕、もう死ぬんですか」と口にした。
太郎は若先生たちに、カルテを見たことを打ち明ける。そこでALLという文字を見たのだ。「ALLって、白血病のことでしょ」と彼は言う。 『ミュージック・エクスプレス』で白血病患者がリクエストしたことがあり、太郎はその意味を知っていたのだ。若先生は「君の気持ちが 何よりも大切だ。体力を付けて、また頑張ろう」と声を掛けた。そんな中、たまきが見舞いに訪れ、『ミュージック・エクスプレス』で リクエストが読まれたことを話す。しかし消灯時間厳守で深夜ラジオは禁止なので、太郎は放送を聴いていなかった。
太郎は、たまきが良く歌っていた『ラストコンサート』を歌ってほしいと頼んだ。それは映画のテーマ曲で、たまきは入院前に見て好きに なったのだと話す。たまきが「函館の映画館でやっている」と言うと、太郎は「今、見に行こう」と告げる。太郎は母や先生たちに内緒で 、たまきを連れて病院を抜け出した。映画を見終わった太郎は、たまきに「星を見に行こう」と告げて函館山の高台へ向かった。しかし 突然の雨に降られ、星を見ることは出来なかった。
雨宿りする中、「たまきが戻ろう」と促しても、太郎は「まだ大丈夫」と帰ろうとしない。そのまま2人は眠り込み、翌朝を迎えた。朝日 を見たたまきは「すごいよ」と感動し、「お願い事しよ。星には変わりないでしょ」と促す。太郎はお願い事をしようとするが、倒れて しまう。太郎は病院に運ばれ、意識不明となった。正彦は、太郎がたまき宛に書いて渡せなかった手紙を見つけた。そこには「春になって たまきちゃんが3年生になっても僕のこと思い出してください。僕はたまきちゃんのことをずっと忘れません」と綴られていた。意識が 回復した太郎は、若先生に「このまま死ぬのは嫌だ。またDJをやりたい」と願い出た…。

監督は永田琴、原作は鬼塚忠、脚本は三浦有為子&永田琴、製作は宮下昌幸&松崎澄夫&橋荘一郎&渡辺純一&坂上直行&高野力& 坂井宏先&森谷雄、プロデューサーは森谷雄&千葉伸大&遠藤日登思、プロデューサー補は盛夏子、ラインプロデューサーは須永裕之、 エグゼクティブプロデューサーは橘田寿宏、撮影は福本淳、編集は今井剛、録音は渡辺真司、照明は市川徳充、美術は佐々木記貴、音楽は 佐藤直紀。
出演は神木隆之介、福田麻由子、広末涼子、原田芳雄、石黒賢、西田尚美、小林克也、佐藤重幸(現・戸次重幸)、村川絵梨、 松重豊、光石研、森康子、賀来賢人、江口のりこ、池田香織、宮田早苗、長谷川紀子、十川史也、土屋匠、中村咲哉、掟ポルシェ、 近江谷太郎、小林且弥、家城啓之(カリカ)、小橋亜樹、河野真也(オクラホマ)、藤尾仁志(オクラホマ) 佐藤正和、笠松伴助、山本泰弘、長谷部敏史、小林大介、池田真弓、金澤佐知、野上慶一郎、和田優樹、星野美穂、河井健一、柴田晶子、 浜井美樹、梅田凡乃、樋口史ら。


『渋谷区円山町』の永田琴が監督を務めた作品。
太郎を神木隆之介、中学生のたまきを福田麻由子、大人のたまきを広末涼子、大先生を原田芳雄、正彦を石黒賢、ひろ子を西田尚美、尾崎 を小林克也、若先生を佐藤重幸(現・戸次重幸)、かなえを村川絵梨、捨次を松重豊、結城を光石研、タエを森康子、周平を賀来賢人、 深夜番組のDJを掟ポルシェ、ラジオ局の部長を近江谷太郎、ADを小林且弥、ヘブンレコードの店員を家城啓之(カリカ)、クラッチを 十川史也、ヌラを土屋匠、コロを中村咲哉が演じている。
小説家のエージェント会社「アップルシード・エージェンシー」の代表であり、自らも作家活動をしている鬼塚忠の同名小説が原作として クレジットされているが、先に小説があって、それを映画化したわけではない。
最初から映画の製作が決まっていて、小説の執筆と同じ時期に撮影が行われた。
小説の刊行の前に、撮影は終了している。

音楽が大々的に盛り上がるとか、病名を知っていたことを明かした太郎が「もう隠さなくていいよ」と言うとひろ子が泣き出すとか、過剰 に泣かせようという意識が強い。
もうちょっと抑制した方がいいのに。
こっちより先に映画の方が盛り上がりすぎて、逆に観客の気持ちを冷めさせてしまう。
あと、「ラジオに対する愛」というのが中途半端な形で盛り込まれているのも不満。
なんせ太郎がやっているのは本物のラジオ番組じゃないから、ラジオとの関係も、そこまで充実した描写に出来ていないんだよな。

劇中における「現在」が映画公開と同じ2007年ではなく、1993年に設定されているのは大失敗。
ここはどう考えても、現実と同じ2007年に設定すべきであり、そこも過去にしておく意味が全く無い。
「劇中の回想シーンを1977年にしたいから」ということで、逆算して現在を1993年にしたんだろうが、それは考え方が間違っていて、回想 シーンの時代設定を変更すべきなのだ。
あと、タイトルが終わると「1977年」とテロップ表示されるのに、冒頭シーンでは明確に「1993年」という表示が無いのは手落ちって いうか、卑怯だと思う(一応、調整室で1993年7月9日というデジタル表示があるが、気付きにくい)。

アヴァン・タイトルで、たまきは「なりたくてなったはいいけど、あたし、何やってるんだろう」などと、深夜ラジオや自分のことを モノローグで語るが、これは語りすぎ。
そんなのは映像を見ていれば伝わってくることだ。
ラジオを聴いた後、「そもそも私がこの仕事を選んだきっかけは、ラジオの楽しさを教えてくれた一人の少年との出会いだった」という モノローグが入るが、ここも語らなくていいのに語ることで、陳腐になってしまう。

で、そのように彼女の回想として本編に入っていくのに、タイトルが開けると「太郎の物語」が描かれる。そこに、中学時代のたまきは 存在していない。彼女は途中から関わってくる。
つまり、彼女が知らない時期の太郎の物語も描かれるのだ。
これは構成として大きな失敗だ。たまきのいない時期から回想を始めるのなら、それは「太郎の回想」として始めねばならない。
たまきの回想として入っていくのなら、彼女が会う前の太郎の物語は、描かれるべきではない。
もし描くのであれば、まず、たまきの回想に入った後、その中で入れ子方式として「太郎の回想」を入れるようにすべきだろう。

バスで行かなきゃならないほど遠い場所にある高崎記念病院へ、ひろ子がわざわざ太郎を連れて行く理由が分からない。
そこは普通なら、とりあえず自分たちが世話になっている近くの病院へ連れて行くだろ。
そこで「特に異常は無い」と言われて、それでも気掛かりだから別の病院へ行くということなら分かるけど。
「病気知らずだったので、病気と言われても良く分からなくて」とひろ子は語っているが、でも近くに病院はあるだろ。
それに、アンタと旦那は病院に行ったこともあるだろ。

若先生の説明を受けた正彦が激怒するのは、ワケが分からない。
その激怒が分からない原因は、そこで病名が明かされないからだ。
それは完全に失敗でしょ。
若先生もかなえも深刻そうな表情を見せているけど、太郎の病気がどういうものか、治る病気なのか、そういうことが全く説明されない ので、こっちに伝わって来ない。
観客に対する病名の明示を引っ張ることに、何のメリットも感じない。

大先生がDJを「とっておきの治療」とするのは、無理がある。
例えば「病状が悪化していく一方」とか、「他の治療方法がでは全く数値が回復しない」とか、そういうことなら、まだ分からないでも ないが、それを治療法にするために他の選択肢を排除する作業は無い。
また展開として、かなり拙速に感じる。
最初の「太郎はDJの真似が好き」という描写も薄いし、鼻血で倒れるのもすぐだし。
まだ彼のキャラや周辺の描写がほとんど無い内に、もう倒れているし。

太郎が子供部屋に行くと、たまきが眠っている。
こんなに早い段階でたまきが登場しているのなら、太郎の登場から回想を始めた意味は、ますます無いってことになる。
むしろ太郎より、なんでたまきがグルグル巻きで運び込まれてきたのか、そっちの方が気になるぞ。
で、そこから話を始めればいいじゃないか。そしてある日、いつもと違う館内放送が流れて、そこから「それは太郎という患者が流して いるらしい」と知り、たまきが太郎に興味を持って、知り合いになるという流れにすれば、何の支障も無い。
むしろ、そうしておけば、「太郎の物語が拙速」という問題も解消されるし、一石二鳥だろう。

たまきと出会った後も、太郎が彼女の存在を気にして子供部屋に行くようなことは無く、その存在を無視して話は進められる。 それも構成としてアウトでしょ。
太郎がたまきの存在を明確に認識したのなら、そこからは彼女との関係を中心にして進めるべきだ。
太郎が患者に窓を開けて欲しいと頼むシーンで、初めて包帯が無いたまきの姿が写るというのも、見せ方としてもおかしい。
それを最初に見せるのは、太郎が目にするシーンに設定すべきだろうに。

太郎が患者たちと触れ合って色々なことを感じる様子が描かれているが、それだと完全に太郎の視点じゃねえか。
たまきの回想から入ったのに、なんでそういうことになるのかと。
回想シーンは、たまきの視点で描かれないとダメでしょうに。太郎がたまきに惚れても、そこから2人の関係に集中して物語が描かれる わけではないし。
たまきが退院した後も、太郎の視点で物語が続く。ずっと「太郎の物語」なのである。
太郎の物語として描いていくのなら、最初にたまきの回想として始めるのは間違いだが、考え方としては逆で、そこから入るのは悪くない やり方であって、回想を太郎視点で描くのが間違いなのである。

太郎が「たまきに好きだと言えなかった」というのが心残りになったことが表現されるべきなのに、それは全く伝わらない。数値が悪化 したのも、「それが心残りになって」とは感じられない。
で、すぐに「僕は病気を知っていた」という展開になっちゃうので、もう完全に、そこの手順が欠如したままになってしまう。
あと、そこまで白血病であることを隠すのであれば、ますます「たまき視点から描くべきだろ」と思ってしまう。
そうすれば、たまきは太郎の病名を知らないわけで、白血病だと知るところで観客も彼女の気持ちとシンクロできる。それに、そこまで 太郎が白血病であることを隠しておくことも、不自然ではなくなる。

太郎はたまきを連れて「星を見に行こう」と告げて函館山の高台へ向かい、翌朝を迎える。
で、たまきは朝日を見て「すごいよ」と感動的になっているけど、お前ら星を見に来たはずだろ。朝日で感動って、ズレちゃってるじゃ ねえか。
それだと「何でも良かったのかよ」ってことになっちゃうぞ。そこは星に固執しろよ。
そこで星を見られないなら、それで終わっていいんだよ。「見られずに戻りました」でもいいんだよ。別の現象で感動させようとしなくて いい。
そこで、たまきが叫ぶのも変だし。「お願い事しよ。星には変わりないでしょ」って、ムリヤリすぎるし。

あと、たまきを年上に設定している意味が全く無い。
実際は神木隆之介の方が福田麻由子より年上なんだし、せめて同い年にしておけばいいのに。
単純に、キャンディーズの『年下の男の子』を使いたかっただけでしょ。
でも、そんなのは使う歌を変更すりゃいいだけだ。別に2人の関係を意味する曲じゃなくても、2人にとって思い出の曲であればいいん だから。
それに、やたらとお涙頂戴路線でやっているのに、ラストの曲が『年下の男の子』では、泣きにくいぞ。

(観賞日:2010年11月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会