『Life 天国で君に逢えたら』:2007、日本

飯島寛子は4人の子供や友人たちと共に、クルーザーで海へ出た。彼女は亡くなった夫・夏樹の遺灰を、海に撒いた。時を遡り、まだ2人が 若かった頃。夏樹はプロのウィンドサーファーで、寛子も遠征に同行していた。「世界中の海を回る」と聞かされていた寛子だが、実際は ドサ回りだった。普通のクリスマスも正月も無く、結婚式も挙げていなかった。貧乏生活に、寛子は愚痴をこぼした。
日本では敵無しの夏樹だったが、W杯のツアーでは全く勝てなかった。ハワイに借りた部屋の家賃も滞納し、出て行くハメになった。 オーストラリアで開催された最終戦で、夏樹は決勝に勝ち残った。日本初のプロ・ウィンドサーファーで、夏樹の師匠でもある藤堂完と妻 ・玲子も応援に駆け付けた。寛子は玲子から、どうしてそんなに頑張れるのかと問われた。寛子は幼少時に父親に捨てられたこと、夏樹が 初めて出会った時に「その手を絶対に離さない」と約束してくれたことを語った。
夏樹は藤堂の「計算なんかせず、天然は天然らしく戦え」というアドバイスを受けて最終戦に挑み、ついに夏樹は優勝を果たした。夏樹と 寛子は友人の篠田や藤堂夫婦らに囲まれて、ようやく結婚式を挙げた。寛子は夏樹に、妊娠していることを告げた。やがて2人は長女の 小夏を筆頭に、4人の子供に恵まれた。夏樹は快進撃を続け、家族のためにハワイで大きな家を購入した。
時は過ぎて、小夏の10歳の誕生日がやって来た。夏樹は自転車をプレゼントするが、すぐに遠征で出掛けてしまった。小夏はパブリック・ スクールのペアレンツ・デーに来て欲しかったのだが、それは無理な願いだった。夏樹は遠征で多忙なため、1年の大半は家にいないのだ。 激しい暴風雨に襲われて家族全員が怯えていた時も、夏樹は留守だった。
家族が暴風雨に怯えたことなど知らず、呑気な様子で夏樹が遠征から戻ってきた。小夏は夏樹に冷たい態度を取り、口も聞かなかった。 寛子は夏樹に、ペアレンツ・デーに父親が行かなかったのは飯島家だけだったことを教えた。「試合だから仕方が無い」と言う夏樹に、 寛子は「小夏が学芸会で何を演じたか、運動会で何位だったか、そういうことを何も知らない」と指摘した。
寛子は夏樹に、彼の名前が掲載されていないレースのリストを彼に突き付けて追及した。夏樹は勝てなくなったため、レースから逃げて いたのだ。苛立つ夏樹は、小夏が描いた自分の似顔絵を壁から剥ぎ取った。それを目撃した小夏は、家を飛び出した。後を追った夏樹は、 丘の木に登っている小夏を見つけた。雨が降る中で、夏樹は小夏に手を伸ばすが、急に倒れ込んでしまった。
夏樹は近くの病院に運ばれたが、日本の東海医科大学病院に移されて検査を受けることになった。夏樹は肝臓に腫瘍が見つかり、手術を 受けた。退院して化学療法を受けることになった夏樹に、小夏は「ハワイに帰るんじゃなかったの」と悪態をついた。夏樹の病状は回復 せず、1年の間に2度の大手術と17回の入退院を繰り返した。寛子は担当医の武藤から、夏樹の余命が長くて3ヶ月だと宣告された。 もう手の施しようが無いのだという。
夏樹は退院するが、全く口を聞かなくなった。彼は悪夢にうなされ、いきなり家族の前で暴れた。やがて寛子の元に、藤堂が急性白血病で 死亡したとの知らせが入った。藤堂は死の間際まで、夏樹のことを気にしていたという。そのことを寛子は、夏樹に伝えた。夏樹は部屋を 飛び出し、外を走り始めた。慌てて後を追った寛子の眼前で、夏樹はトラックにひかれそうになった。
寛子は小夏を連れて、藤堂の葬儀に参列した。「パパも灰になっちゃうのかな」と口にする小夏に、寛子は「灰になんかさせない」と 告げた。寛子は家に戻って小夏に昔のVTRを見せ、「2人でパパを支えよう」と涙ながらに言った。ある日、寛子は夏樹を叩き起こし、 砂浜へと連れ出した。すると、そこには頑張ってウィンドサーフィンに乗ろうと練習している小夏の姿があった。寛子は夏樹に、小夏が 「立てるようになってパパに見せる」と心に誓い、篠田のコーチを受けて練習していることを教えた…。

監督は新城毅彦、原作は飯島夏樹、脚本は斉藤ひろし&吉田智子、企画・プロデュースは平野隆、プロデューサーは仁平知世&下田淳行、 アソシエイトプロデューサーは山内章弘&辻本珠子、エグゼクティブプロデューサーは市川南、製作は島谷能成&信国一朗&島本雄二& 久安学&原裕二郎&井上良次&沢井和則&次原悦子&後藤尚雄&喜多埜裕明、撮影は斉藤幸一、編集は深沢佳文、録音は井家眞紀夫、照明 は関輝久、美術は金勝浩一、ウインドサーフィン監修・指導は岩崎真、音楽は吉俣良、音楽プロデュースは桑波田景信&岩瀬政雄、 主題歌『風の詩を聴かせて』は桑田佳祐。
出演は大沢たかお、伊東美咲、真矢みき、袴田吉彦、川島海荷、石丸謙二郎、哀川翔、塚本将、塚本僚、村山蒼也、三好杏依ら。


2005年に38歳でガンのため死去した世界的プロ・ウィンドサーファー、飯島夏樹の著書『天国で君に逢えたら』と『ガンに生かされて』を 基にした作品。
夏樹を大沢たかお、寛子を伊東美咲、藤堂を哀川翔、武藤を石丸謙二郎、玲子を真矢みき、篠田を袴田吉彦、小夏を川島海荷が 演じている。
企画・プロデュースは、『黄泉がえり』『この胸いっぱいの愛を』の平野隆。

冒頭、海に夏樹の遺灰を撒いた後、小夏の声で「これは終わりではなく、始まりの物語。私のパパとママの、再会の日のための」という ナレーションが入り、そこまでの物語が綴られていく。
だが、まだ夏樹と寛子の若き日の物語に、小夏の「私のパパは風乗りです」というナレーションが入った時点で、違和感を覚える。
その時点で、まだ小夏は誕生していないからだ。
小夏がナレーションを担当するのであれば、彼女が物心付いた時からの物語にした方がいい。そして、「娘の視点で見た、パパとママの 物語」という形でまとめた方がいい。
「まだ夏樹が世界的サーファーになる前、貧乏で厳しい生活の頃から寛子は彼を支えていた」という部分を描きたかったのだろうが、その せいで話が散漫になっている気がしてしまう。
どうしても若い頃の夏樹&寛子を描きたいのなら、寛子が小夏に思い出を語り聞かせるということで、回想形式で挿入した方がいい。

回想に入った途端、寛子は夏樹に愚痴をこぼしている。
だが、その後は、ひたすら夏樹を信じて応援する姿だけが描かれる。
だったら、最初の愚痴をこぼしているシーンは、要らないんじゃないか。そこの必要性が分からない。ただ無駄な時間を費やしている ような気がするぞ。
その後も「応援しているが夏樹の前では愚痴も言う」ということなら分からないではないが、そうじゃないし。
寛子が応援に来た玲子に「幼い頃に捨てられた」と語り、幼少時代の寛子が街で父親に置き去りにされる回想シーンが挿入される。
だが、そんなシーンは、全く不必要だ。っていうか邪魔だろ、それって。
なんでもかんでも詰め込もうと、欲張りすぎだよ。
寛子が頑張って夏樹を支えている理由を説明するために、そんな過去をわざわざ描かなければいけないかね。

夏樹がW杯の最終戦で優勝しても、それほど喜びや感動が伝わってくるわけではない。なぜなら、それまでの苦難の道程の描写が 少ないからだ。
そんなに中途半端に「苦難の日々を経て、ついに優勝する」という経緯をダイジェスト的に描くよりも、その辺りをザックリと削り 落として、いきなり「既に世界的ウィンドサーファーとして転戦している」という時点から開始した方が良かったんじゃないか。そして、 描くモノを「病気と家族愛」に絞り込んだ方が良かったんじゃないか。
寛子が妊娠を明かすので、長女の誕生からの話を描いていくかと思いきや、いきなり4人の子供に恵まれたところまで話が飛ぶ。
その飛躍によって、ますます「そこまでの話は要らんだろ」という意識が強くなる。
妊娠から家を購入するまでの短いシークエンスにおいて、子供4人が一束で扱われているのも解せない。それ以降は子供たちの中で小夏 だけが特別扱いされるのだから(残る3人は、何の中身も無い)、せめて長女の出産シーンを描き、その後をダイジェストにして、10歳の 誕生日に移るのがベターではないか。

小夏が物心付いた年齢になってからも、幸せで満ち足りた時間が少なすぎる。
すぐに「父が遠征ばかりで会えない寂しさ」とか、「大事な時にいてくれないことへの苛立ち」とか、そういう要素で家族関係に波風を 立たせている。
タメが必要なのに、焦ってすぐに動いているといった感じだ。
小夏が夏樹と仲良くやっていた頃のタメがあってこそ、その後の小夏の反発からの展開が活きるのに。
夏樹が病院に運ばれて腫瘍の宣告を受けるタイミングが早すぎると感じたのだが、でも映画が始まってから40分ほど経過しているので、 実際には、そう早いわけではない。
早いと感じてしまったのは、小夏が物心付くまでの部分が別物になっていて、誕生日のシーンからの時間経過で計算してしまったからだ。
で、「やっぱり最初の30分ぐらいは要らんよなあ」と、改めて思った次第。

夏樹に腫瘍が見つかった後も、小夏は「自分が長く雨の中に佇ませたせいだ」と罪悪感を覚えたり、父を心配して涙したりするようなこと はなく、嫌味を吐いたり冷淡な態度を取ったりしている。
その辺りは、「本当は心配しているが素直になれない」という風に解釈すればいいのだろうか。
でも、その態度が長く続くことに、違和感を覚える。
むしろ、病気をきっかけに、元の態度に戻るほうが、しっくり来る。
病気の後も反発していたのが事実だったとしても、そこは脚色しても良かったんじゃないか。

伊東美咲は明らかに力不足であり、そのことが、ますます「娘メインで作ろうぜ」という感想に繋がる。
主演女優の役者不足を補うために健闘すべき演出も、冴えが見られない。
医師から余命3ヶ月と宣告された寛子が街を歩いているシーンの演出なんて、そりゃ無いだろって感じだよ。カメラが彼女の周囲を グルグルと回ることで、大きなショックを受けていることを表現するんだから。
あと、最初の手術を受けた後、期待したような回復が見られずに何度も入退院を繰り返したということを、ナレーション・ベースで簡単に 処理しているのは解せない。
もちろん、その全てを描写しろなどとバカな要求をするつもりは無い。だが、「回復すると思っていたのに、吐血して再手術を受けるハメ になってしまった」という部分だけは、ちゃんと時間を割いて描くべきではなかったか。

藤堂の葬儀のシーンで、「パパも灰になっちゃうのかな」と口にする小夏に、寛子が「灰になんかさせない」と言葉を返すのには、思わず 失笑してしまった。
いやいや、オープニングでダンナは思いっきり遺灰になってましたけど。それを船から海に撒いてましたけど。
そんなセリフを用意しているのなら、遺灰を撒くシーンは見せたらダメでしょ。
っていうか、セリフの方を削るべきだな。

寛子が夏樹を浜辺に連れて行くと、小夏がウィンドサーフィンを練習しているというシーンがある。
そこは、寛子が夏樹を連れ出すという形で見せるよりも、小夏が篠田に頼んで教えてもらい、必死に練習を積み重ねるというエピソードを 描いてくれた方が、感動的になったと思うんだよな。
そこも、ようするに「娘メインでやってくれ」ということなんだけどね。
あと、実話ベースだからって、なんでもかんでも詰め込もうとしすぎだ。
終盤に入り、夏樹がホームページを更新したり、ファンレターで病気に悩んでいた子供からのメッセージを貰ったりということが描かれる が、そんなのは要らないなあ。もっと家族愛に絞り込もうぜ。
エンドロールには実際の飯島夏樹と家族の写真が表示されるが、わずか何枚かの写真が持っている力に、118分という時間を費やした 本作品は完敗している。

(観賞日:2008年10月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会