『ラストシーン』:2002、日本

1965年。映画撮影所では、三原健と吉野恵子の名コンビによる17作目の共演作『愛の果て』の撮影が進んでいた。その作品は、結婚する 恵子の引退作品だった。出演シーンの撮影が終わった恵子の記者会見に同席した三原は、記者の前で無愛想な態度を見せる。三原は恵子に、 結婚しても女優を続けるよう誘う。だが、恵子は「もう映画の時代は終ったのよ」と告げて去った。
恵子とのコンビ解消をきっかけに、三原が主演するはずだった次回作が若手俳優に交代した。それを知った三原は、俳優部長や撮影所長の 元へ抗議に赴いた。だが、俳優部長は「映画業界は衰退している。若くて新しい俳優に切り替えていく」と主張した。悪役への転向プラン を提示された三原は激怒し、他の会社に移ると言い放った。
三原は同期の大部屋俳優・沖田が案内していた新人女優・北川ユカに声を掛け、案内すると見せ掛けて関係を持とうとする。映画出演を エサに釣ろうとした三原だが、ユカに軽くいなされた。三原が控え室で酒を煽っていると、珍しく妻の千鶴がやって来た。三原は、まだ 売れなかった頃に大部屋女優の千鶴と知り合い、結婚したのだった。千鶴は三原を優しく諭し、セリフの練習相手になろうとする。だが、 三原は千鶴に当たり散らし、「帰れ」と怒鳴った。
『愛の果て』の撮影に戻った三原は、スタッフにも当たり散らした。照明のトラブルが重なり、三原は照明助手の井草を殴り倒した。 カメラが回って演技をしようとした時、三原はスタジオの奥に千鶴の姿を見た。車のクラクションが鳴り響くトラブルが発生し、撮影が 中断した。そこへ駆け付けたスタッフは、千鶴が今朝、交通事故で亡くなったことを告げた。
2000年。かつて『愛の果て』が撮られたスタジオでは、人気番組を映画化した『ドクター鮫島 THE MOVIE』の撮影が進んでいる。テレビ のディレクターは撮影中も平気で携帯電話を掛け、プロデューサーの言いなりになっている。看護婦役の女優は日焼けして現われるが、 プロデューサーも監督もそのまま出演させた。映画界に夢を抱いて飛び込んだ小道具係のミオだが、監督の要求がコロコロと変わったり、 適当な指示しか出さなかったりする現場に意欲を失いつつある。
病人の山田老人という小さな役が、予定されていた出演者の都合で交代することになった。新しい山田老人役の俳優は、35年ぶりの映画 出演となる三原だった。ミオは小道具の遺影に使うため、年老いた社員に三原の写真が無いかと尋ねた。だが、三原の活動時期は短く、 スターだった若き日の宣材写真と、子役だった頃の写真しか見つからなかった。
撮影所に現われた三原はドーランを塗って頭を整え、撮影に臨もうとする。だが、監督の指示でドーランを落とすことになった。すると、 それまでビシッとしていた三原の顔は、恐ろしさを漂わせた皺だらけの老人に変貌した。撮影スタッフの大半は、三原のことを全く 知らなかった。だが、食堂で昼食を取っていた三原の元へ、挨拶に来る数名の熟練スタッフがいた。それは、『愛の果て』の撮影中に三原 が殴り倒した井草など、かつて共に仕事をしたことのある面々だった。
ミオは不倫関係にあるチーフ助監督・佐々木の前で、仕事を辞める決意を口にした。その話を、たまたま通り掛かった三原が耳にした。 ミオは遺影用の写真を撮影するため、三原を公園へ連れ出した。三原はミオに問われ、映画界に入った経緯を語った。彼は撮影所の近くに 住んでいたことから子供時代に声を掛けられ、腹一杯に飯を食えることが嬉しくて映画界に入ったのだった。
三原は、死が迫った山田老人がドクター鮫島から娘のことを尋ねられ、言い返すというシーンの撮影に臨んだ。だが、三原は上手くセリフ が言えず、撮影は中断された。今は使われていない昔の控え室に戻った三原は、千鶴の姿を目にした。千鶴は三原を励まし、セリフの練習 相手を務めた。再び撮影に戻った三原だが、やはりセリフが出て来ない。鮫島のテレビ出演を優先したいプロデューサーは、三原のセリフ をカットしようとする。しかしミオが断固として反対し、熟練の映画スタッフたちも気合を入れて撮影に取り組む…。

監督は中田秀夫、原案は一瀬隆重、脚本は中村義洋&鈴木謙一、プロデューサーはマシュー・ジェイコブズ&一瀬隆重、アソシエイト・ プロデューサーは後藤順、エグゼクティブ・プロデューサーはサンキュー・チョー、共同エグゼクティブ・プロデューサーは キャリー・オン&クラレンス・タン、撮影は前田米造、編集は高橋信之、録音は岩倉雅之、照明は鳥越正夫、美術は斎藤岩男、 サウンド・エフェクトは伊藤進一、ビジュアルエフェクト・スーパーバイザーは佛田洋、音楽はゲイリー芦屋。
出演は西島秀俊、ジョニー吉長、麻生久美子、若村麻由美、麻生祐未、竹中直人(特別出演)、笹野高史、大杉漣、大河内浩、小林隆、 野波麻帆、柳ユーレイ、根岸季衣、小橋賢児、小木茂光、小日向文世、清水宏、水川あさみ、生瀬勝久、坂田聡(ジョビジョバ)、 山本亘、諏訪太朗、翁華栄、谷津勲、有薗芳記、大家由佑子、星野有香、中村真理、掛田誠、君嶋宜仁、中村義洋、宮崎景子、田中優樹、 滝藤賢一、菅原あき、桜井友香ら。


日本映画の撮影所を舞台にしたバックステージ物の映画。
にっかつ(現:日活)撮影所で助監督として修業を積んだ経験を持つ中田秀夫監督が、メガホンを執っている。
1965年の三原を西島秀俊、2000年の三原をジョニー吉長、ミオを麻生久美子、千鶴を若村麻由美、恵子を麻生祐未、沖田を小林隆、ユカを野波麻帆、佐々木を柳ユーレイ、監督を坂田聡、鮫島を 小橋賢児、2000年の井草を清水宏が演じている。
他に、1965年のシーンでは撮影所長を笹野高史、俳優部長を大杉漣、宣伝部長を大河内浩、スチールカメラマンを竹中直人が演じている。
2000年のシーンでは、鮫島のマネージャーを小木茂光、プロデューサーを小日向文世、医療アドバイザーを生瀬勝久、婦長を根岸季衣、 不治の病の少女を水川あさみ、リポーターを星野有香、装飾部の親方を諏訪太朗、記録係を大家由佑子が演じている。

冒頭、男がフジコという女の家を1年ぶりに訪れる。フジコが勝手に堕胎して以来、何度も自殺未遂を起こしていることが、男の語りで 説明される。フジコは精神を病んでいる様子を見せる。そんな中、男は怪奇現象に見舞われる。ここで雷の装置が上手く作動せず、カット が掛かる。そうやって、それが映画の撮影風景だということが明らかにされる。
この導入は、明らかに失敗だ。
中田秀夫監督は、ホラー映画の人というイメージが強い。しかし、この作品はホラー映画ではない。ならば導入部では、「これはホラー 映画ではない」ということを観客にアピールしておくべきだろう。
それなのに、むしろホラー映画だという勘違いを起こさせる可能性が高い入り方をしてしまっている。
どうにも解せない入り方である。

もう1つの理由で、「なぜサイコ・ホラー映画の撮影シーンから入ったのか」ということへの疑問が沸く。
というのも、時代設定は1965年であるにも関わらず、『愛の果て』は、まるで1965年の日本映画には見えない。現在の時代設定に見える。
中田監督の出身や、三原と恵子が連続でコンビを組んでいる設定を考えると、イメージは日活の撮影所のはず。
当時の日活で(日活に限らず東映でもいいが)、スター俳優のコンビがサイコ・ホラー映画に主演するというのは、ちょっとイメージが沸かない。
そこはアクション映画か青春映画にしておくのがスムーズではなかったか。そして、「イライラが募っているのに、青春映画で明るく 爽やかな役柄を演じなければいけない」という形で見せていった方が良かったんじゃないのか。
少なくとも、ホラーはねえよ。そりゃあ中田監督の得意分野かもしれないけど、そこは得意分野か否かということよりも、優先すべき事項があるはずで。

また、幾ら映画産業が衰退の一歩を辿っていたと言っても、コンビの女優が引退した途端に主演の仕事が完全消滅するというのも、やや 引っ掛かりがある。若い俳優は試していくだろうけど、いきなり今までのスターを完全に脇に追いやるってのもイメージが沸かない。
それまでは客の呼べるスターとして君臨していたわけだから、別のコンビで数本は試すんじゃないだろうか。
っていうか、セリフでは「映画の時代は終わった」などと言っているが、実際に映画が衰退している雰囲気がまるで伝わってこないんだよな。
それを表現するようなエピソードやドラマも見当たらないし。

トップスターがいきなり主演映画ゼロになるのは考えにくいと前述したが、しかし「三原なら簡単に脇へと追いやられても仕方が無いな」 と思ってしまうのも事実である。
というのも、西島秀俊にはスター俳優としてのオーラが全く無いからだ。
それはスター性の無い役を演じているのではなく、そもそも彼が地味な役者なのだ。
よりによって、なぜ往年のスター俳優役に西島秀俊を据えたのか。
西島秀俊の芝居と演出のマズさのせいなのか、三原が降板の苛立ちからスタッフに八つ当たりするのではなく、最初から生意気でイヤな 性格の男に見えてしまう。
っていうか、ホントに最初からイヤな性格、生意気な野郎という設定なのかな。
だとしたら、ますますタチが悪い。
このポジションは、絶対に不快なキャラクターにすべきではない。

根本的な問題として、その1965年を描く約30分ほどのシーンは、要らないと思う。
そこでは、斜陽の中で、それでも頑張ろうと懸命にもがく映画人の姿が浮き彫りにされるわけではない。
衰退の中で落ちぶれていく悲哀が感じられるわけでもない。
昔の活動屋の優秀さを見せて、今のテレビマンとの対比を見せる伏線にするわけでもない。
そこで何を訴えたいかが、まるで分からない。
いきなり2000年から初めても何の支障も無いし、むしろそうすべきだったと思う。

2000年のシーンでは、テレビマンの作る映画を批判的に描きたいのだろうとは思うが、あまりに誇張しすぎたためにコントと化している。
あまりにも下手すぎる芝居とか、日焼けした看護婦を出演させるとか、医療アドバイザーが分かりやすいセクハラをするとか、監督が演出 そっちのけで女と電話しているとか、さすがにやり過ぎだ。
そこは、小道具に対して無頓着とか、指示が適当で大雑把だとか、用意した服のサイズが違うとか、その程度に抑えておくべきだった。

年老いた三原役に、本業はドラム奏者のジョニー吉長を起用したのは明らかなミスキャスト。
彼の芝居の上手い下手という以前に、そこは本物の「往年の映画俳優」を起用すべきだった。そして、映画スターの本物のオーラを見せるべきだった。
そして、やはりジョニー吉長の芝居が下手なのもキツい。周囲は意図的に下手な芝居をしているのに、それでも下手だと感じるのだから、そりゃあキツい。
それまでは冴えない老人であっても、スタートの声が掛かるとビシッと芝居を決めるぐらいのモノが欲しいのに、むしろ三原はセリフ覚え が悪くて迷惑を掛ける始末。
いや、それでも、最後の最後で渾身の名芝居を見せれば、それはそれでドラマとして成立する。
ところが、前述したようにジョニー吉長の芝居が上手くないので、そこがビシッと決まらないのである。
まあ三原のセリフで「昔もそんなに上手くなかった」とは言っているが、そういう問題じゃねえっての。
そこは「往年の映画俳優」を起用しなきゃダメだよ。

三原と千鶴の関係を2000年でも引っ張って描くが、要らないなあ。
映画や撮影所への思いを表現したかったんじゃないの、この作品って。
それと夫婦の絆って、全く繋がってないし。
もちろん、映画を取り巻く人々の結び付き、絆を描くことは必要だっただろう。
だが、そこに果たして「生者と死者の結び付き」という要素が必要だったのかと。

「活動屋のベテランたちが気合いを入れて撮影に取り組む」という変化があるが、それを見せるタイミングがおかしい。
なぜ、三原が咳き込み、プロデューサーがセリフのカットを宣言したタイミングなのか。
それだと、ただの同情にしかならない。
そうではなく、三原が優れた芝居、渾身の芝居を見せて、それに感化されて、それまでテレビマンの映画に冷めていた面々が誇りを 取り戻し、気合いを入れ直すという形の方が良かったんじゃないかと思うんだが。
そして、その渾身の芝居の後で三原が咳き込み、プロデューサーがセリフのカットを設定するのなら、スタッフが勝手に撮影を続けると いう筋書きも納得できる。
まあ、どっちにしても、『ドクター鮫島 THE MOVIE』の出来映えはヒドいものになっただろうと予想されるが。
なんせ、主演俳優や監督は、何の成長も変化もしてないからね。

 

*ポンコツ映画愛護協会