『ラストレシピ 〜麒麟の舌の記憶〜』:2017、日本

2002年、児童養護施設「すずらん園」の園長である鈴木太一が亡くなり、施設で育った柳沢健たちが葬儀に参列した。柳沢は姿を見せない友人の佐々木充に電話を入れ、「ずっと会いたがったてんだぞ」と怒鳴り付ける。しかし佐々木が電話を切ったので、彼は「何が最期の料理人だよ」と吐き捨てた。佐々木は病院を訪れ、山下という男が入院している病室へ赴いた。山下は死ぬ前に「島津亭」のオムライスを食べたがっていたが、既に店は閉まっている。そこで山下の妻である美子が、佐々木に依頼したのだ。
佐々木は一度食べた味を絶対に忘れず、思い出の料理を再現する能力の持ち主だ。彼は持参した調理台を病室で組み立てると、オムライスを作って山下に出した。それは間違いなく山下にとって思い出の味であり、彼は涙をこぼして感激した。美子が感謝すると、佐々木は冷淡に「依頼をされて料理をする。ただそれだけなんです」と告げて報酬を請求した。柳沢は施設の同期で現在は職員となっている吉田加奈に、佐々木の報酬が100万円だと教えた。
柳沢は報酬が全て借金返済に消えること、佐々木の店が潰れたことを加奈に話す。かつて柳沢は佐々木と共に、高級料理店を経営していた。しかし佐々木が妥協を許さなかったため、客も従業員も愛想を尽かして去ったのだった。数千万円の借金を抱えた佐々木は、どんな依頼でも引き受けるつもりだった。「このままだとあいつはダメになる」と、柳沢は呟く。施設で暮らしていた頃、佐々木は鈴木から「料理人で生きていけるわけがないだろう」と猛反対された。佐々木は彼に反発し、施設を飛び出していた。
佐々木は電話で依頼を受け、報酬が300万円だと聞いて中国の北京へ向かった。出迎えに来た劉泰星という男は佐々木を車に乗せ、「噂は本当でした。金さえ払うと言えば、どこにでも来る。楊も何を考えているのか」と呆れたように話す。彼は佐々木に、釣魚台国賓館で伝説の料理人と呼ばれていた楊晴明が依頼主だと教えた。楊は佐々木に会うと、「貴方のことは良く知っています。どうしてあの店は潰れたんでしょうか」と言う。「もう一度、挑戦する気はありますか」という質問に、佐々木は「もうウンザリです」と答えた。
楊は佐々木に、満貫全席を遥かに凌ぐ大日本帝国食菜全席を日本軍の命令で作ろうとしたが、幻に終わったことを話す。楊は山形直太朗という日本人と相談し、レシピを完成させた。しかしレシピは手元に無く、しかも書き換えられているらしいと彼は語った。レシピを探して料理を再現してほしいというのが、楊の依頼だった。楊は頭金として300万円を渡し、成功報酬として5000万円を約束した。彼は山形の出発点である宮内庁大膳課を訪れるよう指示し、「彼の人生を辿る。そうすれば必ずレシピは見つかるはずです」と告げた。
帰国した佐々木は柳沢が雇われ店長として働く小さな中華料理店を訪れ、胡散臭い依頼だと感じていることを話す。佐々木は不払いの給料を渡そうとするが、柳沢は受け取らなかった。彼は鈴木に線香すずらん園へ行くよう促すが、佐々木は「別にあの人は俺の父親じゃないからね。もう戻りたくないんだよ、あそこには二度と」と冷たく告げた。佐々木は大膳課へ出向き、山形が昭和8年に退職していること、同じ日に辰巳金太郎という入省していることを知った。
佐々木は辰巳の料理店を訪れるが、15年前に死去していることを妻の静江から聞かされる。静江は山形を知っており、得意料理だった豚の角煮を引き継いで店でも出していることを話す。さらに彼女は、山形に千鶴という妻がいたこと、2人とも満州から戻らなかったことを語る。宮内省の大膳寮で働いていた助手の鎌田正太郎だけが帰国したが、辰己が満州での出来事を訊いても何も話さなかった。佐々木は鎌田の店へ赴き、レシピを探していることを説明する。鎌田は「辰己さんから聞いてる」と言い、「レシピは、ここには無い。私が話せるのは、そのレシピがどうやって生まれたかということだけだ」と口にした。
1933年、山形と鎌田は上からの命令を受け、大きな希望を抱いて満州へ向かった。妊娠中の千鶴も同行し、3人はハルビン関東軍司令部で特命分室長の三宅太蔵と会った。三宅は山形に、世界が驚くような料理を作ってほしいと要請した。彼は大日本帝国食菜全席を天皇が行幸する日に披露するよう告げ、費用は全て関東軍司令部が負担すると約束した。これは極秘任務であり、表向きは食堂の料理人として振る舞うよう三宅は指示した。
慣れない地で仕事をする山形をサポートさせため、三宅は助手として楊を呼び寄せていた。楊は日本人を侮蔑していたが、日本語で話す時には本音を隠した。山形は彼に昼食を作ってもらい、それを食べて中国語で称賛した。山形が同じ味をその場で再現したため、楊は驚いた。山形は彼に、一度食べた味は絶対に忘れないのだと話す。楊が得意料理の春巻を作って「食べてくれ。絶対に真似できないよ」と言うと、山形は「そういうことじゃないんだよ」と告げた。
山形は鎌田の好きな料理が鮎の塩焼きだと聞くと、すぐに鮎の春巻を作った。彼は楊や鎌田たちに、「僕は世界中の人たちが喜ぶ料理を作りたいんだ」と話す。三宅は山形が作った料理を試食し、「素晴らしい」と絶賛した。山形が民族共存について楽観的なことを言うと、楊は「満州は日本人が勝手に作った国。山形さんの言うことは分かるけど、理想に過ぎないよ。ここは元々は誰の土地?」と問い掛ける。それでも山形は理想の追求を続け、思い通りの味を作れない楊と鎌田に苛立ちをぶつけた。
千鶴の謝罪を受けた楊は、「あの時に言いたかったのは、麒麟の舌のこと」と話す。その舌を持つ男は、一度食べた味を再現できるという中国の言い伝えがあるのだと彼は説明した。彼は千鶴に、「その舌を持つ男は、想像を超えた料理で人を幸せに出来る。山形さんは、その舌を持つ人だ。それが言いたかった」と述べた。千鶴は山形が作っている過程を撮影し、レシピが分かりづらいと指摘した。「僕の仕事に口を出すな」と山形は言うが、千鶴は写真をレシピに沿えて楊も鎌田にも分かりやすくした。
関東軍司令部の官舎で料理長を務める鈴木は、幼い息子の太一が山形たちの厨房を覗き込んでいると「あの人たちは特別なんだ」と教えた。山形は日本の四季を取り入れ、112品目を用意した。だが、それで終わりではなく、山形は楊たちに「これを元に最初からやり直して、ダメな物は捨てていこう」と言う。彼は食材を見つけるために単独で遠出するなど、全ての工程に対して徹底的にこだわった。千鶴は山形が楊と鎌田を信用していないと感じ、それでは世界中の人が喜ぶ料理など作れないと諭した。
そんな中、千鶴が破水してしまい、娘の幸は誕生するものの命を落とした。山形は彼女の葬儀にも姿を見せず、幸の面倒を見ることもせず、厨房で作業に没頭した。鈴木は娘の傍にいるべきだと訴え、「傍にいる人間を幸せに出来なくて、何が世界に名を刻むレシピだ」と批判した。すると山形は、「これも僕の命なんだ」と言う。彼が作っていたのは、千鶴に求婚する時に食べさせたビーフカツだった。それから一度も作らなかったことを今になって後悔した山形は、楊&鎌田とビーフカツを食べて泣いた。
そこまで語った2002年の鎌田は、「それからの山形さんは、何かに取り憑かれたようにレシピ作りに没頭した。全ては偽りだとも知らず」と口にする。「レシピはどうなったんですか。山形さんは生きてるんですか」と佐々木が訊くと、「後は、この人に聞きなさい」と鎌田はメモを渡した。佐々木は柳澤に、この仕事から手を引く考えを口にした。しかし結局、彼は調査を続行するためハルビンへ渡った。佐々木はスラバホテルを訪れ、オーナーのダビッド・グーテンバーグと会う。山形と親しくしていたのは、ダビッドの父であるヨーゼフだった。ダビッドは幸のことを良く覚えており、写真も持っていた。
1937年、山形は幼い幸を連れて、スラバホテルを訪れた。ダビッドと幸は、すぐに親しくなった。関東軍は日満ユダヤ交流会議の晩餐会を山形が仕切るよう、ヨーゼフに要請していた。しかしヨーゼフは日本人を嫌悪しており、協力を拒絶した。山形は厨房で和風だしを使った餅入りのロールキャベツを作り、それを食べたヨーゼフは一気に態度を変えた。ヨーゼフの協力もあり、交流会議は大成功に終わった。千鶴が死んだ後、娘に料理を振る舞うようになった山形は周囲を信用して助言を聞き入れるようになっていた。話を聞いた佐々木は、馬鹿にしたように「結局、そこですか。人を信じて思いを込めれば必ずいい料理が出来るって」と口にする。彼は「出来ませんよ。才能の無い奴が家族の温かさみたいな、すぐに言い訳をするんですよ。結局、山形は逃げちゃったんですよ。普通の人間に成り下がったんですよ」と、辛辣な言葉を口にする…。

監督は滝田洋二郎、原作は田中経一『ラストレシピ 〜麒麟の舌の記憶〜』(幻冬舎文庫)、脚本は林民夫、企画は秋元康、製作総指揮は早河洋、製作は亀山慶二&藤島ジュリーK.&吉崎圭一&市川南&見城徹&秋元伸介&木下直哉&沖中進&浅井賢二&二木清彦&樋泉実&荒波修、エグゼクティブプロデューサーは西新、コーエグゼクティブプロデューサーは佐々木基&阿比留一彦&上田太地、チーフプロデューサーは林雄一郎、プロデューサーは八木征志&高野渉&若林雄介、撮影監督は浜田毅、撮影は大嶋良教、照明は長田達也、美術は部谷京子、録音は小野寺修、編集は李英美、衣裳は西留由起子、ラインプロデューサーは山下秀治&田口雄介、料理監修は服部幸應、レシビ考案・フードコーディネーターは結城摂子、音楽は菅野祐悟。
出演は二宮和也、西島秀俊、綾野剛、宮崎あおい、竹野内豊、笈田ヨシ、伊川東吾、大地康雄、団時朗、筒井真理子、螢雪次朗、西畑大吾、兼松若人、竹嶋康成、広澤草、菜葉菜、青山眉子、城戸裕次、張天翔、グレッグ・デール、ボブ・ワーリー、森優作、松永拓野、小柳友貴美、庄野凛、マクシム・ネチャイ、佐藤結良、吉沢太陽、小野寺晃良、山本花織、高野景大、松永大輔、遊屋慎太郎、足立公良、上原剛史、関口まなと、渡辺吾郎、ギル・バード、津田昌彦、真田五郎、高野渉、角澤照治ら。


かつてフジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』の演出を務めていた田中経一の小説家デビュー作を基にした作品。
監督は『おくりびと』『天地明察』の滝田洋二郎、脚本は『予告犯』『猫なんかよんでもこない。』の林民夫。
『料理の鉄人』の解説者だった服部幸應が、料理監修を務めている。
佐々木を二宮和也、山形を西島秀俊、柳澤を綾野剛、千鶴を宮崎あおい、三宅を竹野内豊、戦後の楊を笈田ヨシ、戦後の鎌田を伊川東吾、2002年の太一を大地康雄、1930年代の鎌田を西畑大吾、1930年代の楊を兼松若人が演じている。

佐々木は潰した店で最高の素材を使い、味に一切の妥協を許さなかった。そのせいで客も従業員も離れていったのだが、そのことに対して彼がどのように思っているのか、それが全く分からない。
「自分は正しかった」と今でも思っているのか、それとも反省しているのか。
彼が「また挑戦する気はあるか」という楊の問い掛けに「もうウンザリです」と答えるのは、具体的に何に対する「ウンザリ」なのか。
自分の姿勢を理解できない客や従業員に対する絶望なのか、あるいは「自分は店を持つのに不向き」という諦念なのか。
そこを全て二宮和也の演技だけに頼っているとしたら、それは彼の負担が大きすぎるし、まるで伝わっていないのだから失敗ってことになる。

冒頭、佐々木は鈴木の葬儀に参列せず、仕事を優先する。
そこには「鈴木と確執があるから」「多額の借金を返済しなきゃいけないから」という事情が絡んでいるが、後者に関しては「1日ぐらい山下には待ってもらえるだろう」と感じる。
だから、そこは後から回想シーンで「こういう事情があるんです」と説明される鈴木との確執が大きいってことで解釈しておこう。
この時点では「なぜ鈴木は佐々木が料理人になることを反対するのか」という疑問が残るが、それは本作品の大きな鍵になる要素だ。

さて、ともかく佐々木は山下のために料理を作るのだが、彼には「思い出の味を再現できる能力の持ち主」という設定が用意されている。だからオムライスを作ると、山下は島津亭の味だと言って感激する。
ここは「佐々木がいかに凄い能力の持ち主か」を紹介するべきシーンなので、それで終わらせればいいのだ。ところが、感激した山下が美子に「でも最後の料理は、お前だ」と言う様子を描いてしまうのだ。
いやいや、それはダメだろ。そんなのを描いたら、「思い出の味を再現できる佐々木の能力など、妻への愛に比べたら大したことがない」ってことになっちゃうでしょうに。
のっけから、いきなり佐々木を否定するような描写を入れてどうすんのかと。

っていうかさ、佐々木は「一度食べた味は絶対に忘れない」という設定だけど、裏を返せば「食べたことが無いと再現できない」ってことになるんじゃないのか。
たぶん島津亭のオムライスは「食べたことがある」という設定なんだろうけど、それだと「思い出の味を必ず再現できる」とは限らないよね。
つまり佐々木の設定は、その時点で破綻していると言えるんじゃないか。
「食べた味を再現できる」ってのと「依頼人の思い出の味を再現できる」ってのは、まるで別物だぞ。

しかも、この映画には、もっと大きな問題があるのだ。それは、「佐々木が最期の料理人である必要性は決して高くない」という問題だ。
最初に佐々木の能力が紹介されるのだから、それを積極的に活用する方向で物語が進むんだろうと想像するのは、普通のことだろう。それは「最期の料理人」というキャラクターを主人公に配置した以上、舵を取るべき当然の方向だ。
しかし実際のところ、話が進むにつれて、どんどん「佐々木が最期の料理人である意味って無くねえか?」という疑問が強くなっていくのである。
そして映画を見終える頃には、それが確信に変わっている。

かつての細木数子先生のようにズバリ言うならば(元ネタが古くてゴメンなさい)、「佐々木が探偵や何でも屋やグルメライターでも成立する」ってことなのだ。
楊は佐々木に「レシピを見つけて大日本帝国食菜全席を再現して」と頼むが、そこを「レシピを見つけ出して」という依頼に変更すればいいだけだ。それで何の支障も無く、同じようなストーリー展開は成立してしまう。
どうせレシピ探しが始まると、佐々木が最期の料理人である意味は完全に消えるのだ。そこでの彼は、ただの調査人でしかないのだ。
楊を北京在住じゃなくて「今は日本在住。もしくは一時的に来日している」という設定にでもすれば、「レシピを見つけてもらうためだけに、わざわざ探偵や何でも屋を日本から呼び寄せる」という部分の不自然さは解消されるし。

レシピさえ見つかれば、楊は伝説の料理人なんだから、それを自らの手で再現できるはず。あるいは、自分の弟子にでも料理させればいいだろう。
レシピさえ見つかれば、腕のいい料理人なら再現できるんじゃないかと。
それと前述したように、佐々木は「食べた味は絶対に忘れない」という能力は持っているが、大日本帝国食菜全席を食べたことなんて無いんだからさ。
これも前述した「佐々木の能力設定の破綻」という問題と同じで、のっけから破綻しちゃってないか。

さらに指摘するなら、「レシピの捜索ってのは、最期の料理人に対する依頼として適していないだろ」ってことだ。
佐々木の仕事は依頼人の望む料理を提供することであって、レシピを見つけるのは専門外だ。
つまりホントに楊が大日本帝国食菜全席を再現したいのなら、まずレシピの捜索を凄腕の探偵や調査機関に依頼し、それが見つかってから凄腕の料理人を雇うべきなのだ。
終盤になってから「実は楊の目的は別にありまして」という真相が明かされるが、佐々木に依頼する時点で不可解さが強く感じられるのよ。

楊は佐々木に仕事を依頼した後、「山形の人生を辿れば必ずレシピは見つかるはずです」と言う。でも、これも不可解極まりないでしょ。
ホントにレシピを見つけたくて、それを山形が所持しているとすれば、彼の人生を辿る必要性など皆無だ。
そもそも「現在の山形がいる場所」について何の情報も教えてくれない時点で不可解だし、それが分からないとしても山形の関係者について教えるべきだろう。
ただ、佐々木も何の疑問も持たずに楊の指示通りに行動するので、こっちも不自然極まりない。

佐々木は大膳課から辰己の店、そして鎌田の店を巡るが、そこで彼が得るのは山形に関する情報であり、「レシピがどこにあるのか」という手掛かりは何も得ていない。
鎌田を訪ねた時なんて、最初から「レシピは、ここには無い。私が話せるのは、そのレシピがどうやって生まれたかということだけだ」と言われている。
レシピのありかに関して何の情報も得られないのなら、そこで彼の話を長々と聞いている意味なんて全く無いはずだ。
それでも佐々木がおとなしく話を聞くのは、「あらかじめ用意されているオチ」に向けて、駒として都合良く動かしているという印象が強すぎるぞ。

山形が満州へ渡ると、「彼も一度食べた味は絶対に忘れない」という能力の持ち主であることが説明される。それが明かされた時、この話が仕掛けようとしているネタが何となく推測できてしまう。
佐々木と山形が同じ能力の持ち主であることを、「ただの偶然」という設定にしてある可能性は限りなくゼロに近い。そして偶然でないのなら、そこに血縁関係、もっとハッキリ言っちゃうと「佐々木の祖父が山形」という設定が隠されていることは何となく読めてしまう。
でも、これってホントなら後半まで気付かれちゃマズいネタだ。
それを考えると、ますます「佐々木の料理人設定は邪魔じゃないか」と感じる。同じ能力の持ち主じゃない方が、「佐々木が山形の息子である」と終盤に明かす展開を効果的に機能させるんじゃないかと。

いや、もちろん「満州で理想の料理を追及して助手や妻に苛立ちをぶつけた山形」と、「自分の店で妥協を許さなかった佐々木」を重ね合わせる仕掛けにしてあることぐらい、幾らボンクラな私でも理解できるよ。
だけど、そこから得られているプラスよりも、マイナスの方が遥かに大きいように感じるのよ。
っていうか、プラスってほとんど見えない。
何しろ、佐々木に関する描写が薄いので、彼の料理人としての苦悩や焦燥なんて、ほとんど伝わって来ないんだからさ。

千鶴が死んだ時、山形は幸の面倒を見ることも無く厨房で料理を作っている。彼が作っているのは千鶴との思い出のビーフカツで、それを食べて彼は泣く。
彼はビーフカツを作ってやらなかったことへの後悔を口にしているし、そこは「千鶴への愛」を示しているシーンだ。
ただ、もちろん千鶴への愛を表現するのも結構だけど、今は鈴木が言うように「娘の傍にいてやるべき」って時じゃないのかと。
娘の存在を完全に無視して料理を作るってのは、少なくとも父親としては失格でしょ。
そう感じるので、まるで感動できない。

ビーフカツのエピソードが描かれた後、2002年の鎌田による「それからの山形さんは、何かに取り憑かれたようにレシピ作りに没頭した」という語りが入る。
だけど、「今さら何を言ってんの」とツッコミを入れたくなる。
千鶴が死ぬ前から、山形は何かに取り憑かれたようにレシピ作りに没頭したでしょ。だからこそ、それを千鶴が諌めて、「もっと周囲を信用しなさい」と言っていたわけで。
「千鶴の死で山形がレシピ作りに没頭するようになった」と説明されても、まるでピンと来ないわ。

終盤、楊が山形からレシピを託されていたことを知り、佐々木は彼の元へ戻る。
ここで楊が「実はこんなことがありまして」と経緯を説明した後、今回の「レシピを巡る旅」は柳澤の発案だったことが明らかにされる。
柳澤と会った佐々木は、葬儀に楊たちが来ていたこと、レシピを佐々木に渡すだけでは園長の思いが伝わらないと考えたこと、そこでレシピを探させようと決めたことを聞かされる。で、園長の思いを知った佐々木が感動して考えを改めるという着地に至るわけだ。
手順としては、何も間違っちゃいない。
感動的なドラマとして、大まかに言えば正しい筋書きを辿っている。

ただ、その直前まで佐々木が「料理は愛情なんてクソみたいな考え」と全く揺るがない冷徹な奴だったので、「ゴールテープを切らせるために、直前で急にハンドルを切ったな」という印象が強いのよ。
「大切な物は、すぐ近くにありました」という答えで「佐々木が心を入れ替える」というゴールに持ち込むのなら、もう少し前の段階から彼の気持ちを揺さぶっておいた方がいいんじゃないかと。
っていうか根本的な問題として、「佐々木に思いを伝えるために全員が協力し、レシピを巡る旅をさせていた」ってのが真相では、感動させるのは難しいんじゃないかなと。
なんかねえ、言っちゃ悪いけど、ちょっとバカバカしいかなと。

(観賞日:2019年3月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会